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ぽかんとした後、きょろきょろと周囲を見回す。さっきいた白い部屋じゃない。隣にいたはずの男もいない。気が付けば俺は一人、白くて大きな建物の前に佇んでいた。ターゲットの通う高校の校舎だ。
「え、もう着いたの?」
もっと浮遊感があったりジェットコースターみたいなハラハラがあると思っていた。酔ったらどうしようと緊張していたので、一気に気が抜けた。コギャル天使がすごいのか、魔法陣がすごいのかは分からないが本当にあっという間についた。すごい。ちょっと天使を見直した。
辺りを伺い ながら玄関口まで移動したが、今は人っ子一人いない。休みか、と思ったが、校舎の中から微かに人の声が聞こえる。どうやら授業中のようだ。
「おじゃましまーす……」
そういいながら昇降口から中に入る。下駄箱が並んでおり、シューズかスリッパに履き替えた方がよさそうだが、どうせ自分は人間には見えていないし問題ないだろう。まあいいやとそのまま土足であがった。
校内の地理が分からず、一階をうろうろしていると、少し広めの廊下に出た。右側は中庭に通じていて、左にあるのは購買だろうか、カウンターのようになっていて、上半分はガラス戸になっている。今は営業時間外でカーテンがかかっていた。そこを通り過ぎると人の気配が感じられてきた。内容までは聞き取れないが話し声が聞こえる。教室が近いようだ。
とりあえずどうしよう、と悩んでいた俺はハッと思い出し、試験案内の紙をポケットから取り出した。写真の少年二人の下に、プロフィールが載っていたはずだ。紙を取り出し、俺は改めてじっくりと読み返した。
地味な少年の下にはこう書いてあった。
『
家族構成 父 母 兄 の四人家族
内気な性格』
反対側の男前な少年にはこう書いてあった。
『
家族構成 父 母 妹 の四人家族
荒々しい性格』
二回読み返した。読み返した後、思わず呟いた。
「性格の項目、雑すぎるだろ……」
断言する。天使はだいぶ仕事が雑だ。先ほどちょっと見直したが、やはり気のせいだった。
しかしこれでクラスは判明した。しかも都合のいい事にターゲット二人とも同じクラスではないか。コギャル天使は話し合いか早い者勝ちで決めろと言っていたが、あの男の非友好的な態度を見れば話し合いはしてこないだろう。さっさと男前に狙いをつけるに違いない。しかし俺もできるなら男前を狙いたい。
そうなると答えは一つだ。男より早く教室を見つけなければ。男が来たら、じゃんけんかクジで相手を決めよう。話したことないが(話してくれなかったが)向こうにはデメリットのない提案のはずだ。きっと納得してくれるだろう。
幸いな事に今は授業中である。休み時間までターゲットが動くことはあるまい。
男の姿が見えないのは少し気になるが、今のうちにさっさと教室を見つけよう。
「よし!」
俺は今思いついた考えを自画自賛し、気合いを入れた。
「俺はやるぞー!」
誰にも聞こえないのをいいことに、右手を高く上げながら叫んだ。予想以上に気持ちがよかった。癖になりそうだ。
「うおー!!」
もう一回、今度は両手を突き上げて叫ぶ。人目を気にしなくていいというのは最高だ。天使になったらこんなことも毎日できるのか。最高じゃないか。志望理由というにはあまりにも愚かな考えで俺は志気をどんどんと上げていった。
そうやって浮かれる俺を応援するかのように、スピーカーからチャイムの音が響き渡った。あまりのタイミングの良さに、俺は運命を感じてスピーカーを振り返った。その瞬間。
「うっ……!?」
背後にいた何者かに霧状のものを吹き付けられる。
完全に油断していた俺は顔面いっぱいでそれを受けとめた。
「ぐっ……な、なに……?」
脳天に突き刺さるような臭いが広がる。
その臭いを嗅いだ瞬間、ぐらぐらと視界が揺れたかと思ったら霞んで見えなくなった。足下が覚束なくなり、とっさに手を伸ばすが、廊下の真ん中に立っていたので空を切るばかりで何も掴めない。
思考が塗りつぶされる、というのはこういうことを言うのだろうか。
目を開けているのか閉じているのか。立っているのか倒れているのかすらもわからず、何も考えられなくなった。
※※※
ふんふん、と顔に空気が吹きかけられる。うっとうしい。
俺は言葉にならない抗議の声をあげながら手で振り払った。
ふに、と柔らかい何かに手が当たり、ハッと意識が戻る。
「えっなに!?」
自分が今触ったものを確かめようと体を動かそうとしたが、強いめまいと頭痛が襲いかかってきて、あえなく撃沈した。呻き声しかあげられない。
「ふな~ん」
その苦しむ俺に再びふんふんと何かがかかる。何かと思って薄目を開けると、そこには妖怪がいた。
「ひえ……!?」
妖怪は毛むくじゃらだった。ふわふわした毛に覆われ、頭から三角の耳が生えている。長いしっぽを優雅に揺らしながらもう一度「ふるるん」と鳴いた。
「な、なんだ猫か……」
猫は猫だが、貫禄のある猫だ。声は鈴のように可愛らしいのだが、一般的な猫の二倍ぐらいの大きさがある。しかも白毛に茶のぶち模様だが、眉間に模様があるせいでシワに見える。挙げ句、目付きが悪い。まとめると、人を一人殺ってそうな顔をしている猫だ。
「くる~ん」
ヤクザのような顔をした猫はどうやら俺のことが見えているらしい。この顔から出ているとはにわかに信じがたい天使のような声で鳴きながら、ふんふんと一生懸命俺の臭いを嗅いでくる。
そこで俺はようやく、自分が大の字になって廊下に倒れていることに気づいた。
「あれ……?俺どうして倒れてるんだ……?」
何が起こったのか全く思い出せない。確か目的地に着いて、ターゲットを探すことにして、それで気合い一発の雄叫びをあげて、
ーーーーーーそこから記憶がない。
どうして倒れていたのか。まさか貧血か、もしくは熱中症でもおこしたのだろうか。天使なのに?
頭がくらくらして考えがまとまらない。
そうこうしているうちに今度は吐き気が襲ってきた。この体調不良は何なんだ。短時間でどんどん症状が増えていき、もう体を起こす気力もない。熱中症じゃなくてもしかして地上の空気が合わなかったのか?え、俺死ぬの?
動悸までしてきていよいよ死の恐怖を感じ始めた時、また顔にふすふすと鼻息がかかった。
薄目を開けると先程のヤクザ顔の猫と目が合った。顔を覗き込んで鼻息をかけてきていたようだ。
「んるぅ?」
「お前……ゔっ!?」
まさか心配してくれているのか。心細くなっているところに優しさを与えられて思わず涙ぐむ。が、そんな俺をじっと見つめていたヤクザ猫は、猫っぽくない鳴き声をかけるとお腹をゆっくりと踏み、そのまま上で香箱座りした。思わぬ拷問でヒットポイントが0になりかけている俺に対し、目を閉じてゴロゴロと喉を鳴らしている。
「ひ、人殺し……」
「ぴゅ〜ん」
死にそうな人間をいたぶるなんて、とんでもない趣味を持つ猫だ。こんな鬼畜猫に看取られて死ぬのか。自分が可哀想すぎて涙が出てきた。
だんだんと息ができなくなり、視界も霞んできた。
「こっちだ」
「うわ、ゲロやばじゃん」
意識を失う直前、ギャルと男の声が聞こえた気がした。
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