第6話 結末
その質問はいつか来ると思っていた。
同級生をせんせーと呼んでいたら、誰だって不思議に思う。
二人だけの時にしか言わないらしいが、かなりの人数に聞かれているはずだ。
誰も言わないだけで、疑問に思っている。
忍の動きはピタリと止まり、微動だにしない。
いつも言っている言葉の意味にようやく気づいたらしい。
「あれ、なんかまずいこと聞いちゃったか?」
「いや、気にしないで。ただ、ここだと話せないことなんだ。昼休みでもいい?」
「分かった。じゃあ、後でな」
もっちゃんは先に行った。
一瞬、沈黙が降りる。
忍も後を追いかけようとするが、とっさにカバンの持ち手を掴んだ。
「誰が逃がすか!」
「ごめんってば! せめて言い訳させて!」
「何回も言ってるのに聞かない方が悪い!」
カバンを抱え逃げようとする忍に、全体重をかけて足止めをする。
「待って、ペンより重いもの持ったことなかったんじゃなかったの⁉」
「カバンぐらいなら持てるんだよ!」
忍は器用に抜け出し、全力疾走する。
逃がすな追え殺せ!
私の脳内で3単語がリフレインする。
負けじとダッシュし、後を追いかける。
下駄箱までチェイスを繰り広げた後、脳天にチョップを食らわせた。
ヒロインにあるまじき悲鳴を上げ、その場でうずくまった。
***
「朝、鬼ごっこしてなかったか?
柊が見たことない顔で走ってたからびっくりしたんだけど」
追いかけっこをしているうちに、もっちゃんとすれ違っていたらしい。
朝からあんなことしていたら、誰だって驚くか。ただでさえ、忍は目立つわけだし。
「決まり手はレッドブルーマウンテンブラスト。いえい」
両手でピースしてみせる。追い詰められた時の忍の表情は忘れられない。
今朝のことを思い出したのか、彼女は頬を膨らませた。
「本気で叩くことないじゃん。容赦ないんだから~」
「だから、人の話を聞けっての。こうなること分かってたじゃん」
「まあ、今回のは葉山が悪い、のかなあ?」
状況が呑み込めないようで、困ったように頭をかく。
机を寄せて三人で座る。
「ていうか、言っていいの?」
「別に困らないしね。悪い人じゃないのはよく分かったから」
「観察した結果がそれなら……まあいいか」
不思議なことに前ほど緊張感はない。
自分のことを知っている人が隣にいるからだろうか。
「私ね、小説家なの。本も出してるんだ」
名刺代わりに小説を差し出した。
ひっくり返してみたり、ページをぱらぱらとめくっていたり、見分していた。
心臓がどきどきとうるさく鳴っている。忍もその様子を見守っている。
「本物のせんせーじゃん。しっかりしてんだなー……俺なんかとは大違いだ。
こういうのもバイトになるのか?」
「まあ、実質バイトみたいなもんかな」
親と相談した上で、出版することにした。税金などの細かい話も了承を得ている。
分かったような分かっていないような驚きの声を上げながら、真央と本をじっと見つめる。
「何食ったら、こんなすごいことできるんだ?」
「それ、何食べたら運動神経良くなるのって聞いてるようなもんだからね?」
「せんせーは運動するところから始めないといけないんじゃない?」
「忍、それだけは言っちゃいけないヤツ」
運動どころか外にすら出たくない引きこもりには辛い選択だ。
特にこれからの季節は外出という選択肢すらなくなる。
「柊の告白ついでに、俺からも一つ言っていいかな」
もっちゃんの言葉に、二人はぴしゃりと黙る。
まさか、自分の感情にようやく気づいたのだろうか。
「ほら、卒業式の時、呼び出してくれただろ?
あの時、何のことかさっぱり分からなくてさ。
変なこと言っちゃったよなって思って……怒ってるよな?」
「怒ってるっていうか……困っちゃった」
自分から話すつもりらしい。
そのつもりなら、私は何も言うまい。影から見守るだけだ。
「結局、俺はどうしたらいいんだろうな?
前みたいに、友達に戻れたらって感じじゃないんだよなー」
言葉に悩むもっちゃんを置いて、忍は宇宙に放り出された猫のような表情を浮かべている。これを逃したら、次はないかもしれない。今がチャンスだ。
「私は全然、怒ってないよ! ていうか、気にしてないし!」
「そうか? なら、よかった」
「じゃあ……あの返事はオッケーってことでいいの?」
「何がオッケーなんだ?」
話がいまいち噛み合わず、見ていてもどかしい。
助け船を入れたいが、この雰囲気をぶち壊したくない。
どうしたら、話はすんなりと進むのだろうか。
真央は重要なことに気づいてしまった。
好きだと言っただけで、具体的に何をしてほしいか言っていない。
その後のことが分からないから、困っているのではないだろうか。
そうとなれば、話は変わる。
ノートに大きく文字を書いて、忍にカンペを出した。
『結局、忍はどうしたいの? 一言でどうぞ』
その先のことを考えているはずだ。それを簡潔に伝えればいい。
彼女もそれを見て、納得したようにうなずいた。
「河本君! 好きです! 私と付き合ってください!」
「付き合う……?」
きょとん首をかしげた。勇気を振り絞ったが、まだ伝わらない。
何回まで空振りが許されるか。忍のメンタルがどこまで耐えられるか。
『もっと分かりやすく! ストレートに!』
ページをめくり、追加で指示を出す。
テレビ番組のスタッフにでもなったような気分だ。
忍は何度もうなずいて、深呼吸を繰り返す。
「恋人に! 私と恋人になってください!
河本君じゃないと嫌なんです! お願いします!」
「恋人……恋人か」
「そう! そういうこと!」
忍は何度もうなずいた。もっちゃんは腕を組み、顎に手を当てる。
これでも伝わらなかったら、どうしようもない。
「……もっと早く気づいていればよかったんだけどなー。
俺って本当に馬鹿なヤツだ」
自虐気味に笑った。
「こんなこと聞いていいのか、分からないんだけど。いいか?」
今までの流れをぶった切るような言い方だ。
何かとんでもないことを言い出すのではないか。
緊張感は最高潮に達した。
「恋人って何するんだ?」
「……何するんだろう?」
三人の頭の上にはてなマークが現れる。
どこのカップルを見ても、やっていることは友達の延長線上のような感じだ。
二人は困ったように顔を見合わせている。
「連絡先、知ってるしな」
「中学からずっと一緒だったもんね」
「だよなー。雨の日は傘、貸してもらったもんな」
「よく覚えてるね、そんなこと」
「お菓子もたくさんもらったもんな。
何だかんだ言って、葉山の作ったやつが一番よかった」
「本当? ハロウィンもクリスマスもバレンタインも?」
「そうそう、何気に器用だよな」
真剣に考えているうちに二人とも吹き出し、おかしそうに笑い始めた。
その姿が恋人にしか見えないのは、私だけでしょうか。
ノートを片手に呆然と見ていた。
「どうしよう。分からなくなってきちゃった……」
「俺もだ。何か暑くなってきたし」
なるほど、これがリア充爆発しろと思う心境ですか。
ノートをしまいつつ、辛抱強く見守る。今は余計なことはしてはいけない。
「葉山には黙ってたんだけどさ、実は柊にもいろいろ相談してもらってたんだ。
中学だとそうでもなかったし、何があったのかなーって」
忍は目を丸くして固まっていた。
自分の知らないところで話が進んでいて、かなり驚いているようだ。
「言ってよかったの?」
「何かもう、隠してることないかなって思って。今まで本当にありがとな」
ここまで行動できたのだから、もう手助けは必要ないだろう。
あとはなるようになるだけか。
「……え、ちょっと待って? せんせーと手を組んでたってことはさ。
朝、声かけてくれてたのも」
「何か話しかけてみたらって言われたんだ。
今日は柊の手伝いなしで挨拶してきたから、俺もちょっと感動した。
毎日あんな感じだと嬉しいかも」
「昨日、図書館の前にいたのは?」
「あれは偶然だな。教室に戻るところだったんだよ」
「じゃあ、アニメ見たのは⁉︎」
「あれも葉山が勧めてくれたからだよ……。
柊は本当に相談乗ってくれてただけなんだって」
裏で友人が加担していたとは、まるで思わなかったらしい。
私の方を見てふるふると肩を震わせている。
「せんせーの馬鹿! 害獣! 何でそんなことしてたの!
私たちソウルメイトじゃなかったの⁉」
「だって、言わない約束だったし」
両頬をつまみ、限界まで伸ばす。もちにでもなった気分だ。
「あの、忍さん。落ち着いて」
「本当にさ! 何も知らない私がバカみたいじゃん!
次そんなことやったら、駆除業者呼ぶからね!」
「小説家を駆除したら、この世界終わるのでは……?」
「私決めた! 絶っ対にせんせーの本で図書室を埋め尽くしてやるんだから!
それまでせんせーも頑張ってよね!」
「褒めてんだかけなしてんだか、よく分かんねえなあ……」
「まあ、いつものことなので気にしないでください」
人類の皮膚はここまで柔らかかったのか。
赤くなった顔をさすった。
「あの、本当に痛いんですけど」
「今朝のお返し!」
忍はべーっと舌を出した。
いつのまにか、勇者に恋する乙女の恋路をプロデュースする魔王という構造ができあがっていた。これもまた、一つの物語だ。
めでたしめでたしから、次の展開へ進むのだ。
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