5-5 タケミカヅチ急襲
徳斗とシロウサギ、トヨウケらがアパートに戻ると、大きな破壊音がする。
見ると既に、建物の半分以上が崩れていた。
「マジかよ! おい、俺の部屋が無くなってるじゃねぇか!」
徳斗は顔を蒼くして両手で頭を抱える。
タケミカヅチは重機ではなく巨大な刀を振り回してアパートを破壊していた。その刀身は刃こぼれもせず、コンクリートや金属でできた建物を易々と崩していく。
「姫様! どちらですか!」
彼は大声を上げながら、まったく疲れも見せずに刀を振り続けていた。
「あのバカ……ほんとに融通が利かないわね……ちょっと、タケミカヅチ!」
トヨウケの声を聞いたタケミカヅチは解体工事の手を止めてアパートの門を見る。
「姫様。お戻りになられましたか。帰りますぞ」
「冗談じゃねぇぞ、このタコすけ! 俺んちを返せ!」
稚姫の姿であることも忘れて、スカートから出た両足をガニ股にひろげて地面を蹴り、苦情を言う徳斗。
するとタケミカヅチは片膝を地面について、頭を下げた。
「申し訳ございませぬ。こうすれば、姫様はご心配になられて必ず戻られると思いました。ご容赦ください」
「その前に俺の部屋を元に戻せってんだ!」
「<ことあまつ神>のお下知に従ったまで。何卒ご容赦ください。ですが、姫様のお部屋だけはご無事です。さぁ、お荷物をまとめて早く出立いたしますぞ」
手を差し伸べるタケミカヅチを見て、徳斗も彼の違和感に気づくと隣に居るトヨウケに小声で相談する。
「トヨウケさん。もしかしてあいつ、俺だって気づいてないのかな?」
「そこまで頭悪いとは思いたくなかったけどね。でも神力が鈍ってるのかもしれないわ。天上界から下界に降りたばっかりだと『下界酔い』することもあるから」
膝を立てると手を伸ばしたまま、じりじりと間合いを詰めてくるタケミカヅチ。
「坊や、ひと芝居しちゃいなさい。もしかしたら上手くいくわよ」
「芝居って、そうは言っても、どうすりゃいいんすか!」
「何か妙案がないか、わたくしがツキヨミ様にご相談しておくわ」
今までいろんなアブない神族に出会ってきたが、今日は自分が一番の変態になるのか――。
徳斗は大きな溜息をつき、覚悟の芝居をはじめる。
稚姫本人もしないような、しなをつくるとうつむき加減に弱々しい声を出しながら口元に手を当てた。
さらに、幼稚園から今までで泣いた感動の絵本やマンガを必死に思い出して涙腺を刺激すると、瞳を潤ませる。
「わかったから、もうやめて。徳斗のおうち壊さないで……」
『これで俺も晴れて変態の仲間入りだな』
もはや彼はタガが外れたように、芝居を続けていく。
「あたしも一緒に帰るから。だから最後にお願いを聞いて……」
ふたたび片膝を地面に付けたタケミカヅチが、頭を下げる。
「御意」
徳斗は震える手で、壊れたアパートを指し示す。
「徳斗のおうちから、タンスに入ってた通帳とハンコを探して。あと徳斗のお洋服や学校の教材も」
「御意」
「二階の右端あたりだったとこ」
「御意」
既に倒壊した一階と二階の瓦礫の中から、タケミカヅチは素直に捜索を始める。
「これで、しばらくは時間を稼げそうだな」
おぼつかない足元でも構わずに建物の中にざくざくと入っていくタケミカヅチの様子を見て、八田に化けたシロウサギは頭を抱えた。
「なんで、こんな奴に出雲が国譲りで下ることになったんだか……やれやれ」
しかし、彼らの狙い通りにはいかなかった。以前に下界を欺く呪術でアパートが全て和歌サン・プリンセス社に買収されたことが、裏目に出てしまった。
徳斗と稚姫の部屋以外は空室になっていたため、目視できる範囲に散乱している家財道具は全て徳斗のものだった。
タケミカヅチは、幸いにも大きな破損を免れたタンスを抱えてやってくる。
「やべぇ、結構すぐだったな。次はどうしよう……」
タンスの引き出しには、わずかな徳斗の財産が無事に発見された。
「ありがとう。これで徳斗もホントに喜ぶよ。助かったって。徳斗の荷物だけ他によけておくね」
彼は温泉旅行からずっと背負っていた自分のリュックに、そそくさと仕舞う。
「さぁ、姫様。これでよろしいですな。参りますぞ」
再び手を伸ばすタケミカヅチに、ダメもとでもうひと芝居してみることにした。
まだ取り壊されておらず原型を留めた部分の、稚姫の部屋を指差す。
「あたしが下界に来た最後の思い出に、お部屋でお茶をしたいんだけど……それもダメ?」
表情も変えず、微動だにせず見下ろすタケミカヅチの視線に、徳斗も震える膝が止まるように力を込めた。
「……では一杯だけですぞ」
ほっと安堵の表情を浮かべた徳斗は、タケミカヅチの手を握った。
こういう時は女の子のボディタッチにかぎる、と安易な発想で相手に媚びる。
「じゃあせっかくだから、あなたも一緒に飲も?」
「恐悦至極」
これで、湯を沸かして茶を淹れて飲めば、三十分はもつ。
徳斗もツキヨミから色よい返事が来るのを待っていた。
その間にもアパートの外ではトヨウケが電話をしていた。
天界から支給された真ん中で折るタイプのガラケーの直通電話で、相手はもちろん四貴神の一柱ツキヨミだ。
今朝、徳斗が望んだ方法が実際に選択可能かを相談する。
「……えぇ、そうです。あの坊やはそのように考えているみたいです。姫様のお力だけでも、アマテラス様にお返しするという方法は、取れないのでしょうか?」
『うーん、そうは言ってもねぇ。僕らや姉上だけの判断で勝手に動いたら、<ことあまつ神>に怒られちゃうよ? だって、もうそっちにタケミカヅチも行ってるんでしょ? たぶんオモイカネが高木のじいさんの指示で動いてるんだと思うよ』
その時、敷地の中から稚姫の悲鳴がした。
「マズいわ。申し訳ありません、電話を切らせていただきます」
途端に切れた電話の向こうからは、わずかに稚姫の声が聞こえた。
ツキヨミも心中穏やかには居られず、じっと思案をする。
「うぅむ、今の声ってもしかしてタケミカヅチがワカっちを無理に連れ戻そうとしてるのかな? かなり乱暴にされてるのかも……これはちょっと心配だね」
足早に姉のいる執務の間へと向かっていった。
一方、徳斗の悲鳴を聞いたトヨウケは電話を切ってアパートへと戻る。
敷地の中では、憤怒の表情で刀を抜いたタケミカヅチと徳斗が対峙していた。
「どうしたのよっ!」
慌ててトヨウケが彼のもとへ駆け寄る。
「すみません、ウサギがしくじったんです!」
トヨウケの足元を通り抜けた白い被毛のウサギが、大急ぎで外へ逃げていく。
「お茶して騙す流れまでは、良かったんですよ。そしたら、あいつが……」
タケミカヅチをそそのかし、皆で稚姫の部屋に向かって歩いていた時だ。
「すごく美味しいお茶だから、タケミカヅチもゆっくり味わってね。あたしの最後の思い出だよ」
またも徳斗は露骨に媚びて、先を歩くタケミカヅチの左手を再びそっと握る。
「御意」
徳斗は時間を少しでも引き延ばそうと、努めて会話をし続けた。
「ねぇ、八田。お茶とお湯の用意をお願いね」
「お茶ね、はいよ、あっ! ……承知」
その声を聞いて、タケミカヅチの進める足が突然に止まった。
徳斗も焦って小声で囁く。
「このばかやろ! それらしい芝居くらいしろよ、このドジウサギが! だからサメに皮をひん剝かれるんだよ!」
「てめぇ、俺のトラウマを言うなってんだよ! だってよく知らねぇんだもん、このカラスのこと。しょうがねぇだろ!」
タケミカヅチが振り返ると、刀の柄に手を添えていた。
「そなた、ヤタの声ではないな。何者だ!」
彼の殺気に気圧され、震える足でじりじりと後ろに下がる二人。
タケミカヅチは刀を素早く抜くと、一気に振り下ろして空を斬った。
その切先からは青白い真空波が飛ぶ。
それは八田の身体の正面をとらえ、彼の姿は真っ二つになった。
「うわあぁっ! ウサギぃっ!」
目の前の惨劇に悲鳴をあげる徳斗。
だが、血しぶきは出ずに八田の残像は消え、シロウサギの本体が現れた。
「うげっ、やべぇぞこいつ。俺はトンズラするわ、ほんじゃな!」
まさに脱兎のごとく、シロウサギは四本の足を素早く動かして駆け出していった。
「どうしたのよっ!」
彼と入れ違いにアパートの門を抜けてトヨウケが駆け寄って来る。
「……っていう流れで、バレたんです!」
「お前も姫様ではないな」
刀を頭上に振りかぶったタケミカヅチが、もう一閃する。
衝撃が徳斗の身体を貫くと、彼の変化も解けた。
途端に大学生の男が、ぎちぎちのジュニアサイズのレディース服を着た、変態然とした姿が露わになる。
「おい、この状態は一番ヤバいって! むしろ勘弁してくれよ!」
狼狽する声も、すっかり徳斗自身のものに戻っていた。
タケミカヅチは刀を握ったまま、さらに間合いを詰める。
その間に割って入るように、トヨウケが立ちふさがる。
「タケミカヅチ! あんた、神が加護や奇跡以外で下界の人間に直接手を下したら法令違反よ。わかってるの!」
「どけ、女は斬らぬ。そこの下界の男が姫様の潜伏先を知ってるはずだ」
「斬ったらダメだって言ったでしょ、わかんないの? ならば、わたくしがどかないって言ったらどうする?」
「無理にでもどかしてみせる」
タケミカヅチが片手を振ると、氷の刃が何本も空中に湧き出てくる。
そのうちの一本が、徳斗めがけて飛来した。
「うわあっ!」
徳斗は反射的に両手で顔を覆って上体を丸めたが、それきり刃が身体を貫いたような異変は特に無い。
瞼を開くと、土中から伸びた植物の蔓が氷の刃を抱きかかえている。
蔓が徐々に締まっていくと、氷を粉々に砕いた。
「この坊やにはさせないって言ってるのが聞こえないのかしら?」
タケミカヅチの表情は何の変化もない。
殺意も、敵意も、何もない。
ただ機械のように、命令に従うだけの素直な従順さ。
ただ目の前の障害を排除するだけの純粋な不屈さ。
徳斗は次第に両膝が震え出す。
全然、呑気で可笑しくない。
全然、変態さの微塵もない。
だが今までで一番危険な神だった。
「坊やっ! はやくお逃げなさい!」
「えっ、でもどこへ……」
「姫様が寂しがってるのよ! あんたがあの子のそばに居てあげないでどうするのよっ!」
今までと違い、明らかに余裕を失くして焦燥するトヨウケの叱責を受けて、徳斗は急いで稚姫の服を脱ぎ捨て、さっそくタケミカヅチが回収してくれた自分の洋服に着替える。
「すいません、トヨウケさん! ワカんとこに行ってきます!」
アパートから駅まで駆け出す徳斗を追うべく、タケミカヅチも走り出そうとした時だった。
足元から植物の根や茎が伸びてきて、彼の手足を縛る。
「行かせないって言ってるでしょ? しばらく、わたくしと遊びましょうよ」
低く抑えた声とともに、トヨウケの荒御魂は次第に発現していった。
長い黒髪を中空に漂わせて、その瞳は禍々しい深紅の色を放つ。
彼女の足元からは、大量の蔓が繁茂した。
さらにその周囲には、自らの意思で動く木が数体、土中から突き出てきた。
タケミカヅチはさして驚くでもなく、刀の柄を握る手に力を込める。
「女は斬らぬ。だが邪魔をするなら容赦せぬ」
徳斗は駅までの道を、ひたすら走り続けた。
時間稼ぎを買って出たトヨウケに感謝と期待をしつつ、駅の改札を通り抜けていく。到着した電車を飛び乗り、さらに母方の祖父が管理する神社まで乗り継ぐ。
「ワカ。俺が行ってどう何ができるかもわかんないけど、待っててくれよ」
車窓の景色は徐々に一面のコンクリートから、田畑や緑が広がる風景に変化をしていくが、神々の力を目の当たりにすると、移動が遅過ぎるくらいに感じる程だった。
もっと早く着かないと。
もっと急がないと。
徳斗は焦りから、片膝をせわしなく動かしていた。
だが、彼が期待を寄せたトヨウケは地面に倒れていた。
全身の痛みに顔を歪ませ、息も絶え絶えに愚痴をこぼす。
「あのバカ……女は斬らぬ、とか言っておいてボコボコじゃない。ハラスメントで査問委員会にチクるわよ」
トヨウケは大きく息を吐き出しながら、仰向けになり空を見上げた。
「頼んだわよ、坊や。あの子を救ってさしあげて」
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