5-4 徳斗の本心
稚姫と八田に姿を変えたままの徳斗とシロウサギは、都内外れのアパートを出ると再び電車に乗って郊外へと向かう。
駅前からタクシーに乗り、トヨウケの農場にやってきた。
さすがに下界では宮内庁の御用地という体裁なので、門は堅く閉ざされていた。
徳斗は小さなインターホンを鳴らし、レンズを覗き込みながら声を掛けてみる。
「トヨウケさん、俺だよ、徳斗だよ。悪いけど、ここを開けて貰えないかな?」
しばらくはインターホンの先も無音の状態が続く。
やがて門は軋む音を立てながら、ゆっくりと自動で開いていった。
髪を乱して瞼を腫らせた寝起きの顔をしながら、ナイトローブ姿のトヨウケが門の裏に立っていた。
「声や姿は姫様なのに喋り方が坊やみたいだったから、なんなのかと思ったら、心眼で覗いたら中身は坊やじゃないのよ。いったいどうしたの? そういうアブノーマルに目覚めたの?」
「トヨウケさん。聞いたよ、出雲の会議のこと。天上界に強制送還される前にワカを逃がそうとして俺が変化したんだよ」
緊迫感を湛えた彼女――といっても中身の彼の様子を見て、トヨウケも納得すると手招きした。
「ちょうどいいわ。ここじゃなくて、建物の中で話しましょう」
農場の中にある、管理棟の事務所に入る。
室内には事務机にパソコンと電話機、大型コピー機。キャビネットの中は書類の数々。ホワイトボードには下界に降りている神々への納品先リストや配送日時などが細かく書かれている。
「へぇ、いつも食材を分けてくれるだけかと思ったら、けっこう普通の仕事もしてるんすね」
「わたくしのことをバカにしてるわね。ましてや姫様の声で言われるとね。こう見えて外宮を預かる身よ? ちゃんと神の務めは果たしてるわ」
徳斗は改めて、これまでの経緯を伝える。
用意された背もたれの無い丸椅子に座ると、正体は男だからか、スカートから出した白い脚をだらしなく広げていた。
「……そんなわけで、時間稼ぎしか出来ないんすよ。ワカを助けてやりたいけど」
「昼間、坊やのアパートにもう姫様を迎える遣いが来てたわ。時間の問題よ」
「……マジかよ」
想像よりもはやく相手も動きだした事態に、徳斗も狼狽する。
「とりあえずワカは、俺のじいちゃんの神社に逃げて貰ったんです。別々に行動したけど、俺はこういう格好して、ワカのダミーになってるんすけど」
「
トヨウケからの的確な指摘に、しばらく考えこんだ徳斗は頭を抱えだす。
「ホントっすね、これじゃ俺まで立派な変態じゃねぇか」
姿も声もどう見ても稚姫なのだが、本人がしないような喋り方やリアクションに、トヨウケも思わずくすりと笑う。
「だけど、そのワカの処遇のことですけど。トヨウケさんやお兄さんの力で、なんとか出来ないんすかね?」
トヨウケは髪を後ろに流しながら、椅子の上で片足を組み直す。
「わたくしも気の毒だと思うけど、何もできないのよ。もう合議で決まった……というか下知を聞かされただけだから」
「じゃあもう、最初からワカは天上界に帰るって決まってたんすか?」
「最上位の神々の集団<ことあまつ神>のご判断よ、どうしようもないわ。最初はわたくしも天上界のみんなも、坊やに期待してたわよ。でも太陽の活動が弱くなって地球上の民に影響が出ているというのに、天候も制御できないようじゃ、あの子は時間の問題だったのよ」
「そんな……俺のせいだってのか……」
「坊やのせいじゃないわ。気にしないでいいわよ」
激しく落胆し、黙り込む稚姫の姿の徳斗の肩にそっと手を添えるトヨウケ。
その時、隣に待機する八田に目がいく。
「あんたは出雲のシロウサギでしょ? どうして姫様の手伝いをしてくれたの?」
「こいつにも言ったけど、出雲方は今回の決定はあんまり納得してねぇんでね」
「……ふぅん。何かにつけて反対票ばっかりじゃないのよ、出雲は」
「べつに、お
シロウサギの発言に、はたと以前の日々を振り返る徳斗。
稚姫がやってきてからの、奇妙で不思議な楽しい日々を――。
「……そっか、そういうことだったのか」
徳斗は、ぽつりぽつりと慎重に言葉を置くように語る。
「太陽神じゃないんだよ、ワカは……あいつ自身がみんなを照らす太陽だったんだ。神様としては未熟かも知れないけど、ちゃんとみんなを明るく照らしてくれるじゃないか……それがあいつらしい神様の仕事だったんじゃないかな」
「それはどうかしら? そういう抽象的な神威は、あまり神の勤めとは言えないわ。むしろ坊やにとっての、大切な太陽なんじゃない?」
「俺にとっての……っすか?」
「坊や自身の気持ちをよくお考えなさい。姫様のことをどう思うのか」
笑みを浮かべたトヨウケは立ちあがると、管理棟の二階に続く階段を案内する。
「とりあえず、今日はここでお休みなさい。わたくしと同じベッドだけどね」
「いや、平気っす。悪いっすよ。ソファでも寝袋でも全然いいんですけど」
「あら、気にすることないわ。今は女同士だからいいじゃない」
稚姫の黒髪を指に絡ませて顔を近づけるトヨウケに、徳斗は頬を紅潮させる。
そのまま一緒に二階にあがろうとするシロウサギを、トヨウケが制止した。
「あんたは、その辺の段ボールを貸してあげるから寝てなさい。ご飯なら外に雑草がたくさんあるわよ」
「……ちぇっ、出雲方の待遇改善を要求するぜ」
彼は八田からウサギに姿を戻し、畳んだ段ボールの上でふて寝をし始めた。
翌日の午前。
本物の稚姫と八田は、自然が多く残る町のはずれにある、小高い丘の上の神社に居た。
出雲の神々の案内とシロウサギから託された呪術の人形のおかげで、無事に天上界の目を眩ませたまま到着した。
「ここが徳斗のおじいちゃんの社かぁ。あたしもあんまり寄ったことがないから、
天界の神々を祀る社であっても長らく留守にしていると、放置された社には下級の神々が住み付くこともある。とっくに鎮まる神がいるのではないか、と稚姫も恐る恐る近づく。
「おじゃましまぁす……」
稚姫は社の本殿の中へと入っていく。
「あれ? 八田、ここ留守だよ。誰もいないね」
御神体として用意された神鏡が置かれているが、祭神の気配はない。
畳は日に焼けて、編み目の所々が破れており、さらに一部が木床ごと腐っているのか足がぐっと沈みこむ。
壁や天井の木材は、すっかりとくすんだ色をしている。
こまめに手入れはされているが、社殿そのものの劣化は激しかった。
「鎮守って言っても誰も鎮まってないなんて、徳斗のおじいちゃん可哀想……あっ、でもホントはあたしの社なんだっけ。ほったらかしでごめんなさい」
稚姫が神鏡にそっと手を触れる。
すると彼女の指先が鏡の中に吸い込まれていく。
今度は鏡に顔を近づける。
鏡に触れた稚姫の顔が、みるみる沈んでいった。
まるで水面から顔を出すように、ぷはっと息をして首を引っ込める。
「うん、誰もいない。じゃあしばらくはここが、あたしの社だ」
八田は本殿の戸を堅く閉めるとカラスに姿を変え、鎮守の森の木にとまり、四方を警戒する。
稚姫は神鏡の前で自分の膝を抱えながら、時が過ぎるのを待った。
「徳斗はだいじょうぶかな? あたしはどうなっちゃうのかな?」
その時、突然にがらがらと
地元の誰かが参拝にきたようで、柏手が聞こえる。
『こうやって、お社の中でお参りされるのって、すごい久しぶりだな』
本殿の外で気配のする民に向かって、一人遊びを始めた。
「では、全知全能の太陽神であるあたしが、そなたに神威を授けようではないか。そなたの声を聞き託宣をしようぞ」
稚姫はぐっと胸を張って、手を民に向けた。
指先から掌まで集中すると、民の心の声が聞こえてくる。
「ふむふむ。『昨日も平穏に過ごせました。今日も無事に過ごせますように』とな。別に礼を申すでない。あたしの働きからしたら、この程度は造作もないことよ」
それっきり黙ると、床にぺたんと座り込む。
「……つまんない」
でも民に
するとここ最近、一番近くで接していた下界の民で神職の顔を思い出す。
彼の事を考えると、不思議と涙が浮かんでくる。
「徳斗……また会いたいよ」
稚姫も今は、ただじっと待ち続けた。
時間を戻した同じ日の朝。
トヨウケの農場で一泊した徳斗は、疲れ切った顔で階段を降りてきた。
まだ術は切れておらず、その姿は稚姫のままだ。
シロウサギは管理棟のそばに生える雑草を食べていたが、徳斗が近づく気配を感じて建物に戻ってくる。
「どうしたよ、小僧。ずいぶんやつれてるな」
「俺、ブラジャーなんか着けたことないんだから。仕方ないだろ」
そのうしろをトヨウケが満足げに歩いている。
「うふふ、姫様の肌は若くてつるつるしてて、胸も小ぶりで可愛いわね」
「着替えてる最中に、急にうしろから胸をガッとわしづかみだもん。女同士でもそれはおかしいっすよ」
それだけではない。昨晩も彼は稚姫に悪いので洋服のまま寝ようと試みたものの、さすがに横になった途端に息苦しくなり、全て脱いで寝間着を借りていた。
その時も後ろ手に回してブラジャーを取ろうとするもホックが上手く外れずに、トヨウケに脱がせてもらっていた。
「ちゃんと目を瞑ったりして偉いわよね、坊やは。いっそ見ちゃえばいいのに」
「いちおう変装してるとはいえ、ワカに義理立てておかないとですから」
「でもさっきもわたくしに胸を揉まれたら甘い声を出していたわよね? どう? 女の子の身体ってすごく繊細で感じやすいでしょ?」
「……ご想像にお任せします」
照れ臭そうに徳斗はスマートフォンを確認する。
するとそこには八田からのメッセージを受信していた。
「向こうも無事に隠れ家の近くまで到着したっぽいっすね」
「でも、坊や。これからどうするの? なんの勝算も無いんでしょ? 天上界からの追手はたぶん今日も捜索してるはずだわ。時間の問題よ」
「そうなんすよ。ワカが捕まらないようにするには、どうしたらいいのか。もちろん太陽とか天気のことも大事ですけど。ワカが天上界に行かずに済む方法とかあればいいんすけど」
トヨウケはふたつのマグカップにインスタントコーヒーを淹れて、片方を徳斗に手渡す。
「さすがに合議の内容は覆せないわ。太陽のコントロールは今のアマテラス様のお力だけじゃ無理よ。やっぱりあの子に分けた荒御魂が必要になるわ」
「だったら強制送還じゃなくても、その荒御魂とか、能力だけお姉さんに返すって出来ないんすかね?」
「ようするに坊やは、太陽神の力を失っても姫様に近くに居て欲しいのね」
そう言われた徳斗は赤面しながらも、照れを隠すように敢えて身体を前のめりにして否定した。
「あ、いや、そう……とも言えるというか、その……俺じゃなくて、ワカが俺に近くに居てほしいって、ずっと言ってるからっすよ!」
普段のやり込められた時の稚姫と全く同じ動きと反応に、トヨウケも笑い出す。
「ごまかさなくても、わたくしにはわかってるわよ。坊やも姫様と一緒に居たいんでしょ?」
「あんなの手のかかる妹みたいなもんっすよ。ただ、太陽神の力を失うことをワカが望んでいるかは、わかりません……あいつは俺と住む世界が違うんで、天上界に居るべきだとも思ってますけど……」
素直に本心を話さず、格好つける下界の青年に、トヨウケはぴんと鼻の頭を指ではじく。
「いてっ!」
「そういうの、わたくしは感心しないわ。もう正直になっちゃいなさい。あの子のために」
徳斗はトヨウケを見つめる瞳を揺らしていたが、ぐっと握り拳に力を入れる。
「やっぱ、もしかしたら……俺もワカがそばに居たら楽しいかな……って思います。たぶん。あっ、でもそれは恋心とか、俺がロリコンとか、そういうやましい気持ちでなく……あいつの願いを聞いてやって、あいつが喜んでるのが……そのぉ……」
トヨウケは笑みを浮かべて、コーヒーを飲む。
「でもそれには、お姉さんに荒御魂を返す方法があれば、なんとかなるかなって」
「あぁ、神族なら簡単よ。それはね……」
「トヨウケ様っ、大変です!」
会話を遮るように、農場に従事する女中が悲鳴を上げながら慌てて駆け寄ってくると、耳打ちをした。
「あの石頭、やってくれたわね!」
トヨウケは椅子から立ちあがると、怒りで瞳の色を変え、髪を揺らす。
「姫様を捜索してた天上界の遣いだけどね。坊やの居たアパートを破壊してるそうだわ」
「マジっすか! ちょっと、俺の通帳や印鑑や洋服はどうなるんだよ!」
「とにかく向かうわよ。乗り物じゃ間に合わないから一気に飛翔していくわ。すぐに支度してちょうだい」
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