2-6 稚姫のお買い物

 朝食を終えた一同はキャンプセットを片づけると、八田の運転する大型車で都心にやってきた。

 無論、大学の講義を休むことになった徳斗も一緒だ。

 若者向けのテナントが多数入居したビルがいくつも林立している駅前の商業地区を、歩いて流しながら適当な百貨店に入っていく。


 陳列された商品を見ながらも、ツキヨミは困惑気味に肩をすくめる。

「ワカっちはこういう下界の買い物は得意じゃないし、僕もちょっと好みのセンスが違うからね」

「そうっすね、お兄さんだとヒッピーカルチャー全盛期のサンフランシスコみたいになりますもんね」

「失礼だね。せめて竹下通りくらいに言ってほしいね」

「ストリート系の裏原宿ってよりは、テレビでよく観る昭和のタケノコ族ですよ」

 ツキヨミがたったひとつ持参したトランクケースには天体望遠鏡しか無かったはずなのに、ご丁寧に彼は昨日と違うシャツやズボンを着ているが、原色が目に眩い色彩のデザインなのは相変わらずだった。

「かわいい! こういう、ふわふわしたのが欲しい!」

 稚姫は、店舗の前でマネキンが来ている衣装を指さす。

 すると、店員が笑顔を向けながらゆっくりと近づいてきて商品説明をする。

「お客様みたいな落ち着いた感じですと、ティーンらしく秋冬はモノトーンやベーシックカラーの抑えめゆったりで、ナチュラルガーリーな感じにするか、敢えてオトナ女子で攻めて、ゆるふわ系のフェミニンコーデに……」

 セールストークを続ける店員の説明を理解しているのかは不明だが、ずっと瞳を輝かせてうなずく稚姫。

「お兄さん、店員さんの言ってる意味わかります? 俺には同じに聞こえます」

「うん、さっぱりだね」

「八田さんは?」

 彼も両肩をすくめて、掌を上に向けた。

「俺も女きょうだいは居ないもんな」

 八田を含めた男三人は、少し距離を置いてぼんやりと見守る。

「あっ! これもかわいい! これがいいな。ねぇほら、見て!」

 店内にあるうちの一着を見た稚姫は、男三人を手招きして呼びつける。

「お客様には女の子っぽいスカートはぴったりだと思いますよ! 例えば、アシンメトリーのプリーツスカートとショートブーツで少しお足元を出すような感じにして、インナーにはセーターかブラウスを合わせて頂ければバッチリです。もう少し寒い季節になったらアウターをこの上に……」

 またも店員の説明が惑星外言語に聞こえて混乱する男三人。

 徳斗はセールストークに割って入る。

「とりあえず、この子の希望する感じで上手いこと見繕ってもらっていいっすか? たぶんこの子も、俺たちもそんなにわかってないんで、適当にお願いします」

 稚姫は店内からいくつかの服を希望し、試着することにした。


 店員のコーディネートを待っている間も、女性客が出入りする店内で所在無さげに待つ男達。

 その時、横目に陳列されていた下着につい目が行ってしまった。

「はっ、ブラとショーツのセットで五千円だって? 俺なんか二枚で九八〇円のボクサーパンツなのに」

「加えて、髪をセットして化粧に美容にダイエット……ホント、女性の苦労には頭が上がらないねぇ。オトコなんか気楽なもんだよね」

 ツキヨミは自虐的に前の晩に飲酒をしすぎた腹を叩く。だが、徳斗から見ても特別に無駄なものは無く、中年特有のたぬき腹になっているようには見えなかった。

「ワカも年頃になったらそういうこと、言い出すんかね?」

「神なんて成長もゆっくりだから、楽なもんだよ。年々、買い替える必要も……」

 下着コーナー近くで談笑する男達に対して他の客から怪訝そうな視線を向けられると、それに気づいた徳斗とツキヨミはそそくさと場所を変える。

 ちなみに危険を察知した八田は、すでに店の外に出て他人のフリをしていた。

「ちょっと。見た目だけならこの中では一番慣れてそうなんすから、せめてお兄さんくらいはどーんと構えてくださいよ」

「そうは言っても、姉上やワカっちと買い物に行くのも苦手なんだよね。どうしても長くなるからさ」

「あー、女性あるあるのあれも欲しい、これも気になるってやつっすね」

 他愛もない雑談をしていると、試着室から稚姫の声がした。

「できたよーっ」


 カーテンが開くと店員に着付けさせて貰った洋服姿の稚姫が姿を現す。

 マネキンが着ていた上下のセットをそのまま無難にまとめて、上はブラウス、下はスカート。さらにファーがついた着丈が腰までのコートに、小さなポシェットを斜めに掛けている。

 背中の長い黒髪は普段通りおろしていたが、店員の計らいで頭頂部にはカチューシャを着けており、一束のおくれ毛を残して後ろに流した前髪からは、隠れていた耳や首元を出していた。

「どうかな、徳斗?」

「おお、いいんじゃないか、似合ってるよ」

 ツキヨミは徳斗を肘で小突いたあと、小声で注意する。

「ミスターノリト。似合ってるではなく、どうなったかを女子は聞きたいんだよ」

 頭を掻きながら、徳斗は照れを隠すように素っ気ない素振りで言う。

「あぁ、いいよ、ワカ。女の子っぽくて可愛くなったんじゃないか」

「ほんと? あたしかわいい?」

 自分の姿が投影された鏡を見て、稚姫は正面と背中を何度も振り返っては見直す。

「ねぇ徳斗。いま着てるものは、このまま着ててもいい?」

「じゃあ、店員さんに頼んで着るやつだけ値札を外してもらうか。それ以外は持って帰ろうぜ」

 八田が会計する間も、まだ稚姫は鏡を眺めながら笑顔を絶やさずにいた。

「でも、お兄さん。なんで急にワカの買い物なんすか? 服装は確かに年中セーラー服で居るよりは、あっちの方が年相応……っていうか見た目相応で、しっくりしてますけど」

「ひとつは下界の知識を得るということと、あとは立派なレディーになってもらうための準備かな?」

 ツキヨミは含み笑いをして、徳斗の肩に手を置く。

「さて、僕は姉上のご機嫌取りもしないといけないからね。八田、天上界に持ち帰る土産の買い物を手伝ってくれたまえ。悪いけどミスターノリト、しばらくはワカっちと一緒にいて貰えないかい?」

「はい……いいですけど」

「あと一時間したら、九階のレストランに集合だ、よろしく」

 手を振って歩き出すツキヨミと、稚姫に一礼して彼についていく八田。

 途端に二人きりになってしまったので、どうすべきか徳斗も悩んでいた。

「さて、ワカ。俺達も時間を潰さないとな」

「じゃあほかのお店も見て回りたい! 行こう!」

 稚姫は無邪気に、徳斗の腕に抱き着いてくる。

「そんじゃ、適当に歩き回るか」



 女性向けフロアを順番に流しながら、店頭に陳列された商品を見ていく。

 見る物すべての目新しさに、稚姫もせわしなく視線を送っていた時だった。

「おわ、ここにあるのはすごいきれい! なにこれ?」

 ある店の宝飾コーナーに惹かれた稚姫はウィンドウの前に止まる。

「ネックレスだよ、要するに首飾りだな」

「でも勾玉まがたまついてないよ?」

「祭祀用じゃねぇっての。女の人がオシャレでするやつだよ」

「そうなんだ。ホントにきれい……」

 ショーケースに張り付いた稚姫は、照明に晒されてきらきらと反射するアクセサリーをじっと見続ける。

「ほら、次に行かないのか」

 それでも動かずにいる稚姫を見て、子供じみてもやっぱ中身は女だな、と彼も素直に感心する。

 そんなに欲しいなら、買ってやっても良いかな――。

 だが、後ろからそっと覗き込んだ徳斗は商品の値札を見て驚愕した。

 父親から振り込まれた先月のバイト代の大半がパーになってしまう金額だったので、逡巡する。

 しかし気を利かせたトヨウケが余分に食材を分けてくれるので、食べていくための食費は抑えられていた。光水熱費もアパート全体が和歌サン・プリンセス社への請求になっているため、徳斗自身の経費は通信費と交通費くらいだ。

 頭を抱えながらしばらく考えていたが、稚姫の様子に覚悟を決めた徳斗は、店員に声を掛けてショーケースを開けてもらう。 

「おい、ワカ。この商品、ガラス越しじゃなくて手元で見せてもらおうぜ」

「ほんとに? もっと近くで見ていい?」

 店員がネックレスを稚姫の首に掛けて、鏡を用意する。

「こんなカッコしたことないから、なんか恥ずかしい」

「そうか? 洋服も買い替えたから、ばっちりじゃん」

「あたしも、ちょっとオトナって感じがするね!」

 ネックレスは、買い揃えた洋服のなかのワンポイントとして抑えめの輝きを放つ。

「それじゃ、この商品ください。値札だけ外してこのまま着けてくみたいなんで」

 店員に支払いをしようとする徳斗に、稚姫が呼び止める。

「八田を呼んでくれば? 徳斗は八田のお金持ってないでしょ?」

「そうじゃねぇって。八田さんにばっかり迷惑掛けてらんないからな。それは俺からの初穂ってことでいいじゃん」

「うそ、これは徳斗のお初穂でくれるの? ありがとう!」

 店員の前でも、無防備に抱き着いて笑顔を浮かべる稚姫に、徳斗も困惑気味に頭を掻く。

 改めて鏡を見た稚姫は、首元のネックレスを掌に置き、小声でつぶやく。

「お洋服より、うれしいかも……」

 宝飾店を出たところで、徳斗はスマートフォンの時計を見る。

「そろそろ、お兄さんと待ち合わせの時間だな。レストランフロアに向かおうぜ」

「うん。その前にちょっと、おトイレ行ってくるね」

 徳斗と離れて、稚姫は女子トイレに向かった。


 手洗い台にある鏡に映る自分の洋服とネックレスを見ては、つい笑顔が浮かんでしまう稚姫だった。

 その時、ちょうど入れ替わりで出ていく女子グループの会話が耳に入った。

「それでね。こないだ、彼氏にプレゼント貰ってさ。ぜんぜん記念日でもなんでもない日だったから、すごい嬉しくてさ」

「あー、それにペアのものだと、なんか付き合ってるなって感じするよね!」

「プレゼントもさぁ、物によっては、たまに微妙だったりするじゃない。サプライズもいいんだけど、ぶっちゃけ一緒にいる時に欲しい物を買ってもらうのが確実でいいよね」

 他愛も無い他人の会話を聞いているうちに、稚姫は鏡に映る自身の姿が目に入る。

 胸元に光るネックレス。

 カップルで買い物をして、彼氏にプレゼントしてもらったという他人の会話を反芻する。

「じゃあ、これってもしかして、徳斗のお初穂でくれたのって……」

 みるみる鏡に映る顔が真っ赤になってしまい、慌てて顔を伏せる。

「どうしたんだろ、あたし。なんか苦しい」

 稚姫の心拍が乱れ、顔の肌が熱いくらいに上気している。

「徳斗のこと考えるとドキドキする」

 自分が首元に着けているネックレスをそっと握りしめた。


 徳斗はエレベーター付近の椅子に腰かけて、時間を潰すようにスマートフォンを眺めていたが、やがて稚姫が戻ってくるのに気づくと立ちあがった。

「おっ、来たな。それじゃ行こうか、ワカ」

 ところが、先程とは打って変わって、元気なく歩いてくる彼女の様子に違和感を覚えて声を掛ける。

「どうした、急に大人しくなったな。腹減ったか? もうじき昼飯だから我慢してくれよ。それとも腹が痛くなったりしてないよな。体調悪いのか?」

「あっ、うぅん。全然だいじょうぶ……徳斗、早く兄上のところ行こう」

 慌てて両手を振った稚姫は、徳斗の少し後ろを歩きだす。

『なんで、いつも徳斗はあたしのこと、いろいろ心配してくれるんだろ?』

 相変わらず、全然元気が無い稚姫の様子を案じて、機嫌を損ねるような何かがあったのか、とあれこれ思案しつつも、それでもやはり彼女の挙動が気にかかる徳斗は、くるりと振り返る。

「歩かせ過ぎて、疲れちゃったのか? 悪かったって。ほら、あと少しだぞ」

 稚姫はそれを聞いてさらに視線を床に向けてうつむく。

『なんで、いつも徳斗は、あたしが悪くても自分が悪いって言ってくれるんだろ?』

 普段の彼がどうだったかと意識するほどに、また胸の奥が熱くなる。

「おい、ワカ」

 考え込んでいた最中の徳斗の声に両肩を震わせて、意識を彼の声に向けた。

「エレベーター混んでるから、あっちのエスカレーターでもいいか?」

「……うん」

 そのまま二人は、微妙な距離を保って歩いていた。

 先を歩く徳斗の左手に、そっと右手を伸ばす。

 少しごつごつしてて、たくましい男の人の手をぎゅっと握る。

「どうしたんだよ、ワカ」

「……なんでもない」

 先程まで無邪気に抱き着いたり、触れ合ってきた彼女とは思えない程に静かになった様子に、おおかた他の客の視線が恥ずかしくなったのだろうと思った。そのくせ手は繋いでくるのだから女心は分からないもんだ、と徳斗も首を傾げる。

「ほら、お兄さんとの待ち合わせに遅れるから、行くぞ」

 ぐっと自分の腕を引っ張る男性らしい力強さに、稚姫も早足でついていく。


 彼との間合いをそれ以上離すでもなく、以前のように極端に近づくでもなく。

 それでも、繋がった互いの手の温もりを噛みしめるように、彼の背中を眺めていた。

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