2-5 キャンプの朝って片づけが面倒

 酒に酔ったせいか、稚姫は徳斗に身体を寄せてきたが、倒れた後は彼のそばで寝息を立て始めた。

 すると、静かにチャックを引く音がして、テントの入り口が開く。

「あらら、ワカっちに飲ませた惚れ神酒みきの効き目が弱かったかな」

「ちょっと、お兄さんの仕業だったんすか! ひでぇ兄貴だよ、最低だな」

「ワカっちのためでもあるし、キミのためでもあるとも思ったんだけどねぇ」

 ツキヨミはひょいと肩をすくめて、コップの中の酒を飲む。


 稚姫を寝袋に入れ終えた二人はテントの外に出た。

「神のワカっちと、神主のミスターノリト。もっと二人三脚の仲を深めようと思ったんだけどね……マインド・ユア・オウン・ビジネスだったね」

「俺のビジネスっすか? まだ学生なんで本当に将来、神主になるかどうか今は想像も……」

「キミのビジネスじゃない。『余計なお節介』だったってことだよ。ソーリー」

 またも大して反省もしてないように、ツキヨミは眉を上げて酒を飲む。

「なんせワカっちには時間も無いからね。結果を焦ってしまったよ」

「それって、あれっすか。ワカを立派な太陽神にするってやつですか?」

 黙ってアフロヘアを揺らしながらうなずき、コップを煽る。

「あんな乱暴な方法で、ワカが立派な神様になれるとも思ったんすか?」

「どうかな? オトナな体験をしたら少しはあの幼稚な性格も直って、神の自覚が出るかもしれないじゃないか?」

「でも兄妹なんでしょ? 妹をオトナにするために男に襲わせるなんて、そんな方法が許されると思いますか?」

 黙って酒を飲んでいたコップを徳斗の眼前に突きつける。

 また飲めと言われているのかと、彼も思わず黙って目の前のコップを見る。

「許されるか許されないかは、僕ら四人の兄妹の話なんだよ。それはキミにも他の神にも、<ことあまつ神>にも関係のない話だ。ひいてはこの星のためだと思うんだけどね。僕らは急いでいるんだよ」

 未だ着けたままのふざけた鼻眼鏡の奥からでも分かる、鋭い眼光と神威。

 普段のツキヨミとは思えない程に、言葉の中に若干の怒りも湛えている。

 それは自分に向けられた怒りではないとは思いつつも、徳斗も神への畏怖を感じ、心臓が止まるかとの錯覚に息を呑んだ。


 ツキヨミは彼の背中を優しく叩くと、キャンプセットの椅子に腰を掛ける。

「だけど、キミが唯一の救いであるのは間違いないんだよ。ワカっちを頼むよ」

「またそれっすか。みんなそう言うのに、俺はホントどうしたらいいんだか……要はあいつに太陽神としての自覚を持たせればいいんすか? それとも下界の社会勉強をさせればいいんすか?」

「慌てなくていいよ。時間は無いけどね。充分だよ。イモ畑に桜の苗木か……それをワカっちに育てさせようとはね。キミは今までワカっちが会った神職とは、ぜんぜん違うね。本当に良い種を蒔いたと思うよ。それはキミ自身にとってもね」

 やはり彼女は人間とは寿命の異なる神であり、これまでもこの日本のどこかに顕現していたらしき情報を聞くと、ほんの少しだけその神職に嫉妬を覚える徳斗だった。

 ツキヨミは日本酒の入ったコップを傾けながら、植えられた桜の苗木を見る。

「『酒なくて何のおのれが桜かな』って言うじゃないか……酒と桜はワンペアなんだ。もちろん神と神職もね。さっき言った通り、二人三脚なんだよ」

 徳斗はわずかに片眉を上げた。

「お兄さん……エセ英語キャラじゃないんすね。ぜんぜん普通の日本の神様じゃないっすか。マトモっすよ」

「そうかい? 月の神だけに、それには思わず『むーん』と唸るしかないね」

「そこまでやっちゃうと、普通のオッサンですね」

 軽く滑ったギャグを流すように鼻眼鏡をしっかり掛け直して、場を取り繕うと酒を飲み直すツキヨミ。

「でも、なんとなくワカの気持ちがわかるような気もするんすよね」

 徳斗は小さな残り火のなかに、新しい薪を足していく。

「ワカは『みんなの役に立ちたい』って言ってたんすよ。それって裏返すとみんなに認めてもらいたいって気持ちがあると思うんすよね。同じ太陽神として、いつもお姉さんと比べられてるはずだし、きっとあいつも居心地悪いはずですよ」

 徳斗はツキヨミには視線を合わせず、消えかけた焚き火を無心に育てている。

「上の兄弟って、下からすると勝てない存在なんすよ。年齢差もあるし、親の考えや子育ての経験も経たなかで、下の子は親の目を引くためにどうするか、上とどう差別化を図るかっていう生存競争なんすよね。でもスサノオさんみたいな極端に振り切って、すげぇワルになって親の心配もかけられないし、アマテラスさんみたいに立派な人間にはなれない。地力で自分らしく頑張るしかない、イヤなもんすよ」

 徳斗は恥ずかしげに頬を掻くと照れ臭そうに、はにかんだ様子でツキヨミに視線を向けた。

「だから、ワカがついお姉さんに甘えちゃう気もわかるし。お姉さんに反発するのもわかるし。姉妹でやり方が違うのは当然なんだけど、太陽神としては未熟だってずっと周囲からお姉さんと比較されるのも可哀想だな、ってすごく思いますよ」

 酒の入ったコップを揺らしながら、ツキヨミは笑みを浮かべる。


 すると、ゆっくりと立ちあがり天体望遠鏡をのぞいた。

「いいね、今宵も僕の月はよく輝いているよ」

「そういえば、夜に雨が降ったり、月が隠れたりする日は少ないっすね。昼間は割と曇ってたり、寒い日も多いのに。やっぱりお兄さんの力なんすね」

「さっき、キミにはまだ月を見せてなかったね。ご覧なさい」

 手招きされた徳斗は片目を閉じて、レンズを覗き込む。

「おっ、すげぇ。結構キレイに見えるもんなんだ」

「昼間のワカっちはまだ苦労してると思うけどね。これが兄でもある夜のツキヨミの力だよ」

「でも月って、太陽みたいに目立たないから地味っすよね……あ、すいません。そういう悪い意味じゃなくてですけど。せっかく輝いているのに、みんな寝てて誰も見てないなんて、もったいないなって」

 徳斗は望遠鏡から顔を上げて、慌てて釈明する。

 ツキヨミは彼に腹を立てるでもなく肩をすくめると、すっかり冷えてしまったコップの熱燗を、ちびちびと飲んだ。

「ミスターノリト、なんで太陽と月が、それぞれ昼と夜に分かれたと思う?」

「それは……すごくリアルなこと言うと別々の天体ですよね。昼間もうっすらと見えてることもあるし。もしくは、さっき聞いたセクハラの合コン話で、お姉さんがめちゃくちゃ怒ったからですか?」

「ハハッ、姉上は怖いからね。僕やワカっちなんか年中怒られているし、スサノオだってもう手を付けられないくらい激怒させたことなんて何度もだよ」

 ツキヨミは鼻眼鏡を外して、肉眼で月を仰ぎ見る。

「太陽が明るく照らすものなら、月はそれで生まれた影さ。夜の闇は、太陽が見えない場所の影でもある。でも別々じゃないんだよね、ずっと一緒なんだ。照らされた所と隠された所、僕が司るのは月や夜じゃない。物事の二面性だ。それはある面からの物の見方に過ぎないってことだよ」

 すると、手元の日本酒が入っていたコップを徳斗に見せる。

「キミはこのジャパニーズ酒を見て、どう思う?」

「熱燗もだいぶ冷めてますね、それに……もう半分に減ってますね」

「でも、他の人には『ぬる燗でちょうど良くなった』とか『まだ半分もある』って見えることもあるわけだよ? だとしたら、こうするとキミは『ついに半分以下になってしまった』って思うかな?」

 もう一口飲んだコップの底を見せながら、ツキヨミはまた静かに語り出す。

「自分が暗いところに居るから、照らされた月が明るく見える。でも明るいところに居たら、月には気づかない。ナーバスになってる部分が夜の闇であり、心の闇でもあるのさ。見方を変えれば景色も変わるし、時間が経てば夜が朝になるように、いつか暗い所にも陽が差すってことだよ」

 外した鼻眼鏡を徳斗の顔に強引に掛けて、柔らかい笑顔を向ける。


 茶髪のアフロへアだが端正なイケメンの笑顔。満月のように優しい笑顔。

 男同士なのに惚れてしまうのは、尊敬や憧憬どうけいの念なのか、神の御業みわざか。徳斗は瞳を輝かせてツキヨミの顔をじっと見つめていた。

「さすがっすね、お兄さん。マジでカッコいいっす。男でも惚れますよ」

「おっと、また無意識に信仰させてしまったね。僕の神々しいユニークスキルにも困ったもんだね」

「でも万人にウケるユニークさなのかは微妙ですよ。あとカッコいいけど、結局は俺に何が言いたいのか、わかんなかったっす」

「ユニークは『唯一の、独自の』って意味だよ。それに、僕の話はそんなに伝わらなかったかい?」

 しばらく二人で月を見守りながら、男だけのキャンプの夜は過ぎていった。

 


 夜が明け、テントの寝袋の中から寝不足気味の徳斗が姿を現す。

 先に起床していた稚姫は、八田と共に火を起こして湯を沸かしていた。

「おはよー、徳斗。キャンプをした次の日の朝って、清々しいね」

「そうか? 寝不足でこれを片づけるのが億劫だよ」

「じゃあ出しっぱなしにして、いつでも庭でキャンプできるようにしようよ」

 低血圧で朝は弱いくせにキャンプだと元気な天界の少女に、気楽なもんだよなと、徳斗も呆れ気味に頭を掻く。すると寝袋のせいか、自身の後頭部に大きな寝ぐせがついているのが指先の感覚で分かった。

「ワカはずいぶん飲んでたけど、ゆうべはだいじょうぶだったのかよ?」

「気づいたらテントの中で寝てた」

 寝ぐせで乱れた髪を何度も掻き分けながら、徳斗は椅子に座る。

「八田さんも、あのお兄さんに飲まされたんじゃない? 平気だったの?」

 青息吐息どころか顔も若干蒼ざめながら、八田は前の晩の後片づけをする。

 ワックスで後ろに丁寧に撫で付けた黒髪がいつもより乱れ、ネクタイも着けず、少し覇気のない八田の様子を見て、やはりツキヨミに何らかの類の酒を盛られていたのだろうと、察する徳斗だった。

「そういや、お兄さんはどこ行ったんだ?」

「兄上は月の神だから、昼間はだいたい寝てるよ」

「どうりで、ゆうべは遅くまで元気だったはずだよ。神様も夜勤とは大変だな」


 すると威勢よく徳斗の部屋の扉が開き、ツキヨミが顔を出す。

「グッドモーニング、今日もいい天気になりそうだね」

「兄上、おはよー」

 二階の手すりに身を乗り出したツキヨミに、稚姫が手を振る。

「いや、ちょっ、お兄さん。また俺の部屋で寝たんすか? それに夜勤じゃないのに起きてて体調は大丈夫なんですか?」

「神だからね。昼はパワーが半減するけど、寝不足くらいはどうということないよ」

 階段を降りて庭にやってきたツキヨミは、稚姫のセーラー服の袖を引っ張った。

「せっかくだから、今日はワカっちの服を買いに行かないかい?」

「確かに、土日も夜もずっとセーラー服ってのもおかしいですもんね」

「あたしの服? やった、お買い物だ!」

 妹も提案に乗ったところで、月の兄は満月の笑みでぱちんと指を鳴らす。

「じゃあ、ミスターノリト。付き合ってくれるかな?」

「はぁっ? 今日は大学っすよ。買い物に行ったら講義を欠席になっちゃうし」

「ナンセンスだな。僕たちは神だよ。加護や奇跡なんか大盤振る舞いだ。単位なんかなくても、立派な神主にしてあげるからさ」

 徳斗はまだ頭の寝ぐせを手櫛で直しながら、溜息をつく。

「わかりましたよ、あとで支度しますよ。ゆうべのカレーが残ってるんで、その前に朝飯にしましょうよ」


 朝食は昨晩の残りのカレー。

 それに新たに炊いた米か、軽く火で炙ったクロワッサン。

 飲み物はコーヒーと日本茶という、各人の好みに合わせたものだった。

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