第3柱 想いが重いオモイカネさん

3-1 徳斗、バイトをする

 稚姫の兄ツキヨミが天界に戻ってから、一週間ほどが経過した。

 ここ下界の都心の郊外にあるアパートは、またいつもの穏やかな三人だけの日常が戻ったはずであった。


 ところが、八田と共に日課の清掃をしていた徳斗は、共用部は綺麗になっても、彼の心の中はいまいちすっきりと冴えずにいた。

 その理由は稚姫のことであった。

 最近はずいぶんと大人しくなり、妙に避けられているような感じすら覚えた。

 それに彼女はせっかく購入した洋服やアクセサリーも着けず、また下界の目くらまし用に仕立てたセーラー服姿に戻っていた。

「八田さん、ワカは最近どうしちゃったの? 部屋にも上げてくれないし、外にも出てこないし」

 肩をすくめる八田だったが、やや嘲笑を湛えて徳斗を見ている。

「その感じだと、もう太陽神としての力を失いつつあるとか緊急事態じゃないっぽいよね。でもワカは具合悪そうだし、どういうことなんだよ? お兄さんの言うように本当にこのままでだいじょうぶなのか? よくわかんねぇな」

 いまいち掴みきれない神という存在の体調管理に難儀していた徳斗は、若干の腹を立ててほうきを振る。


 それは先日。皆で百貨店に向かい、買い物をした後日のこと。

 翌朝にはツキヨミが天上界へ戻るという話だった。

 稚姫は買い物をして以降、自分の部屋でひとり食事をすることが多かった。

 そこで徳斗が稚姫の部屋の戸を叩く。

「おーい、ワカ。今晩の飯は一緒に食わないか?」

 少し間を置いてから、やや緊張した様子の稚姫が扉を開けた。

「ほんと? ふたりだけでご飯してもいいの? 徳斗がいいんだったらいいよ」

「いや、聞いたらお兄さんが明日、帰るっていうからさ。最後に俺や八田さんと、みんなで囲んだ方がいいかなって思ったんだよ」

 すると稚姫は急に頬を膨らせて、じっと徳斗の顔を睨む。

「兄上とあたしだけでご飯食べるからいいもん! 徳斗は知らない!」

 勢いよく扉を閉められると、ガチャッと鍵をかける音がした。

「おいっ! ちょっ、ワカ!」

 徳斗は閉ざされた岩戸の前で頭を掻くと、庭で太陽の観察をしていたツキヨミの元へと向かう。サングラスをかけたツキヨミは、雲の隙間にある弱々しい太陽を天体望遠鏡の遮光レンズ越しに覗いていた。

「お兄さん。なんか買い物をしてから、ワカがよそよそしいんすけど」

 レンズから顔を離したツキヨミは、にやりと笑う。

「ガールからレディーになる階段の踊り場ってとこじゃない? 気にしなくてもいいよ」

「そうなんすかね? 俺がなんか怒らせることしたかな?」

「ワカっちに任せていればいいよ。このままでもだいじょうぶだよ」

「でもあいつの調子が悪いと、太陽もまたダメになるんじゃないすか?」

「成長痛みたいなものさ。ワカっちが立派な神になるための過程だと思ってくれ」

 ツキヨミは、徳斗の肩をぽんと叩く。


「……ってな感じでさ。お兄さんも曖昧で抽象的だし、エラい目に遭ったよ」

 ぼやきながら八田が持っているちりとりに、ゴミを掃き入れていく徳斗。

 黙ってうなずきつつ、八田はてきぱきとゴミ袋を結わいた。それを近所の集積所に持って行こうとする彼の背中に向けて、徳斗はまだぼやく。

「あとね、こんな事もあってさ」


 ある日のこと。

 午後の講義が休講になったので、徳斗は早めに大学を出て自宅まで戻ってきた。

 だが、相変わらず稚姫の姿はない。

 荷物を置きに二階にある自室へと向かっていく。

 ところが今朝、鍵を掛けたはずの玄関はすでに開錠されている。

 首を捻りながら扉を開けると、彼の部屋に稚姫がいた。

「ワカ、どうしたんだ。なにやってるんだよ、俺の部屋で」

 稚姫は顔を紅潮させて全身を震わせている。

「……出てってよ! 今は勝手に入らないで!」

「なんでさ! ここは俺の部屋だろう、ワカが出てけばいいじゃん」

「せっかくお掃除とお洗濯してあげようと思ったのに、なんで急に帰ってくるの! 徳斗のばかぁ!」

 そのまま彼女は部屋を飛び出してゆき、自分の部屋へと逃げ隠れた。

「掃除と洗濯って……どこが?」

 だが、室内は掃除も洗濯もされた形跡は無く、ほぼ徳斗が今朝出たままだった。


「……あれ、いったいなんだったんだよ? 八田さんなんか知ってる?」

 八田もよくわからぬといった風に首を傾げたが、あの出来事は内心、彼自身も災難だったと感じていた――。


 それは同日、徳斗が帰宅するよりも少し前。

「ねぇ八田。徳斗のお部屋の鍵を開けてちょうだい」

 物件の所有者として全てのマスターキーを持っていた八田に、主人が下知する。

「徳斗に会いたいけど、なんかお話しにくいからさ……だから、こっそり徳斗のお部屋を片づけてあげたり、お洗濯してあげたら喜ぶでしょ? おかしいな、誰かやってくれたのかなって気づいたら、絶対お礼言ってくるから。そしたらお話できると思うのよ」

 主人の妙案に賛否を表明するでもなく、八田は平に頭を下げてから、徳斗の部屋の鍵を開けた。

 ここ最近は近くでも触れ合えなかった彼の匂いが感じられる。

「ほんの、ちょっとだけ……」

 稚姫は敷きっぱなしの万年床にある枕を抱きしめる。

「あっ、徳斗の匂いだ」

 しばらくは、枕を抱いたまま布団に横になり、両足をばたばたさせた。

 困惑しながら待機していた八田の存在に気づき、我を取り戻した稚姫が声を掛ける。

「あたしがひとりで頑張るから、八田はここに居ないでもいいよ! だいじょうぶ、掃除機や洗濯機の操作くらいできるんだから!」

 主人からの命令なので、八田はやむなく一礼をして退室する。

 しかし逆によいタイミングなので、彼はその間に稚姫の部屋の掃除を始めた。

 それきり二階からの物音はほとんどしない。

 ワンルームの居間だけでなく、天蓋付きのベッドと窓ガラスを拭き上げ、流しのシンクと風呂場もピカピカに磨き上げた八田は、充足感と共に額の汗をハンカチで押さえた。

 それからしばらくのち。

 外階段を転がるように下りてくる足音とともに、稚姫が自分の部屋に駆け込んできた。

 キッチンで主人のために休憩用のお茶を用意していた八田は、驚いて肩を揺らす。

「なんで徳斗が帰ってこないか外で見張ってないのよ! 八田のばかぁ!」

 勢いよくベッドに飛び込むと、そのまま晩御飯まで主人は伏せったままだった。



「……女心と秋の空はなんちゃらって、よく言ったもんだよね」

 雑談をしながら、徳斗と八田は桜の苗木とサツマイモ畑に水を与えていた。

 ふと空を見上げると、なんとなしに憂いを湛えたように雲が太陽を隠し、わずかに陰る大地。それは稚姫の太陽のコントロールがまずいせいなのかもしれないが、スッキリと晴れない心境は自分も同じだ、と彼はまたもぼやきたくなった。

 はたと、何かを思い出したように手を止めた徳斗は八田の耳元に小声で話しかける。

「ところでさ、八田さん。俺、ここを買収されちゃったんで金がないんだよ。管理人まがいのことをして、親父からのバイト代プラス家賃免除っていう特典が無くなってさ。いま無収入なの」

 またも両肩をすくめる八田のネクタイを掴んだ徳斗は、徐々に締め上げていく。

「知ってるくせによ。俺がワカにあげたネックレスのこと。大学までの交通費やスマホ代もあるし、昼飯代もホントにヤバいんだけど。神の力でなんとかしてくれよ」

 そっと徳斗の腕を払った八田は、一冊の求人フリーペーパーを取り出した。

「バイトをしろって?」

 八田はその中のひとつの広告を指差す。


『募集 厨房兼ホールスタッフ ゲーム&クイズカフェ・ヤゴコロ』


「ヤゴコロってことはアレか。またなんか、新しい神様が出てくるんだな」

 続いて八田は胸ポケットから折りたたまれた紹介状を取り出した。

「なんだよ、これで面接を受けてこいってこと?」

 その問いに彼はうなずき返す。

 徳斗は諦めたように溜息をついて、彼の手から紹介状を受け取った。

「まぁいいや。正体が神様なら、妙な真似はしないだろうし……八田さんはワカの様子に変わった事があったら、すぐ教えてよ」

 大学へ向かう準備を整え、徳斗はバッグに紹介状を入れると、出発していった。

 一礼して主人に仕える神職を見送った八田は、腕を組みながら蓄えた口髭を撫でている。

「……鈍い奴だ」



 徳斗は、求人広告にある駅前から離れた雑居ビルに入っていく。

 得も言われぬ、いかがわしい雰囲気の階段を昇り、ドアの前に掛けられていた看板を見る。そこはなんとなく常連で無ければ躊躇してしまうような佇まいだ。

「すみません……こんにちは」

 店の奥からは、デニム生地のエプロンを着けて、太めの黒縁フレームの眼鏡をかけた、大人しそうな男性が出て来た。

「あ、お忙しいところすみません。あの、バイトの紹介で来たんですけど」

「徳斗殿だね、八田から聞いているよ。僕が店長のヤゴコロオモイカネだ、よろしく頼むよ」

「あっ、そうなんすね。よろしくお願いします」

 トヨウケやツキヨミと違い、珍しく普通っぽい神様で安心した徳斗。

 オモイカネはそのまま彼を店内に案内していく。

 まずドアを入ってすぐ目の前にカウンターと厨房があるが、その席数はわずかだ。

 だが、店内の奥には広めのテーブルがいくつも並んでおり、壁という壁の棚には、日本だけでなく世界のボードゲームやカードゲームが陳列されている。

 今は営業時間前ではあるが、割と繁盛しているのか、女性スタッフ数名が仕込みや清掃のために働いていた。

「まぁ座ってくれたまえ」

 徳斗は八田から預かった紹介状と、念のため用意した履歴書をテーブルに置く。

 すると、他の従業員に聞こえないようにオモイカネは声を落とす。

「最初に伝えておくが、ここは僕以外は神ではない。普通に下界で雇った人間のアルバイトばかりだ。そこだけは注意しておいて欲しい」

「はい、わかりました……でも良かったです。オモイカネさんが普通の神様っぽくて。なんて言うか、ツキヨミさんもトヨウケさんも、変わった人……人っていうか神様ですけど、変わった性格ばっかりだったので」

「僕は知識だけなら天界随一だ。でも知識や知恵なんて、得てして無意味なものさ」

「そうなんすか、なんか奥深いですね」

「同じ神族からの紹介状があるから当然、徳斗殿は採用だ。なので簡単に仕事とシフトの話から進めていこうと思う」


 面接は勤務体系や労働条件といった、至極まともな内容で進んでいった。

「他の女性スタッフがホールとレジをやるから、徳斗殿は基本はキッチン勤務だね。飲料や食品の用意だ。と言っても、最初の頃は下げた食器の洗い物を中心にしてもらう」

 さらにオモイカネは店内に所狭しと並んだゲームを指し示す。

「基本は飲食代のみで、店内のゲームや持ち込みのゲームのプレイは無料だが、テーブルチャージを貰ってるシステムなんだ。カウンターは飲食だけとかクイズ希望のお客が中心だね。徐々に慣れてきたら、店内にあるゲームの遊び方も憶えてもらえると助かる。ソロや少人数で入店されたお客と一緒にプレイすることもあるからね」

「でもすごい量のゲームですよね。憶えきれるかな?」

「簡単な説明ですまないが、面接は以上だ。質問はあるかい?」

 面接のそれ自体もそうだが、これまで以上に無難そうな神であるオモイカネとのやり取りに、徳斗も安堵していた。

「これも全部オモイカネさんの趣味なんすか?」

「知識というのは人生が豊かになる糧だ。持っていて無駄になる事もないが、無いと苦労する。それでいて眼には見えないし、積み上げても重さは無い。じつに不思議なものじゃないか」

 鼻先の眼鏡を指でくいっと戻したオモイカネは、笑みを浮かべる。

「ところで聞いたよ。徳斗殿の庭にサツマイモを植えたんだってね。アマテラス様とワカ姫様はよく似た姉妹だ。焼きイモがお好きだからね」

「えっ、はい。結構有名なんすね。ワカが下界に降りている話って」

 するとオモイカネは、エプロンのポケットからクイズ番組のような、押すと電子音と共に挙手を示すパネルが上がるボタンを取り出した。

「じゃあ、徳斗殿。さっそくだが、第一問だ」

「はっ? なんすか?」

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