2-2 変質者もとい兄の訪問

 稚姫の兄という男は奇抜で奇妙な、いで立ちだった。


 あまり関わり合いになりたい人種――厳密には神種だったが、軽トラックのエンジンを切った徳斗もしぶしぶ運転席から降りることにした。

 荷台の八田もカラスから一気に黒服の姿に戻り、主人の兄に一礼をする。

「ここがワカっちの社か。いいね、ベリーナイスだよ。ここまで来ると昭和レトロ感が逆に流行りそうだね」

 しばらくは兄との再会を喜んでいた稚姫だったが、その様子を呆然と見守る徳斗の存在を思い出すと、彼を兄に紹介する。

「兄上、この下界の人があたしの社を管理してくれる徳斗だよ!」

「ハロー、ワカっちがいつもお世話になってるよ。ミスターノリト」

 徳斗は差し出された手を恐る恐る握り返した。

「あのぉ、お兄さん。一応、築年数は経ってるけど、これでもギリ平成に入ってから建ったアパートなんすけど。あと、その鼻眼鏡のオモチャは取った方がいいんじゃないすか? 日本じゃ変っすよ」

「面白くないかい? ファニーな兄貴を演出してたんだけどね」

 鼻眼鏡を取ると、とても端正な顔立ちの青年の姿が露わになる。

 彼の容姿を見て、徳斗も不思議と嫉妬や羨望や恍惚といった感情が生まれていた。

 さすがに四貴神の一柱。

 稚姫と兄を比べて見るに、その美貌も遺伝なのだろう。

 イケメンは変な服を着てもイケメン。人生お得だよな――徳斗は我が身を省みる。

「お兄さん、その茶髪アフロのカツラもっすよ。初対面で失礼でしょ?」

「これは地毛だよ。イメチェンしたんだ」

「地毛……っすか」

 徳斗は悩ましげに右手を額に添える。考えれば考える程に知恵熱が出そうだった。


「それで、ワカ。いちおう聞くけど、これは『どっち』のお兄さんなんだよ。一人は地味で大人しそうな印象だし、荒々しくて有名な方ってこういう意味のお兄さんじゃないだろうな」

「二人いるうちの上のほうの兄上で、ツキヨミ兄様だよ」

「まさか、こんなヒッピーみたいな人がツキヨミさんだなんて、マジかよ」

「徳斗は詳しいと思うけど、兄上は月をつかさどる夜の神様なの」

「俺には常夏のフロリダを司る陽気な神様に見えるけどな」

 二人のやり取りを見て、うなずくツキヨミ。

 彼の顔が動くと頭上のアフロヘアも盛大に揺れる。

「なるほど、ミスターノリト。ワカっちから聞いてた通り、天上界に詳しいみたいだね」

「母方の家が神社なもんで、神道の学校に通ってますから。でも、習ったことがめちゃくちゃでも、もう驚かなくなりつつありますけどね」

「いいねぇ。その知識も胆力もグッドだよ」

 徳斗の肩を叩いて豪快に笑った後は、兄妹で稚姫の部屋へと向かい歩き始めた。

「兄上はどうしてこちらに来たの?」

「ワカっちが下界で頑張ってるというから、様子を見るためにしばらくステイしようと思ってさ」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」

 兄妹の会話を遮るように、徳斗が間に割って入る。

「お兄さん、ここに住むんすか? だってここは……」

「アパート全部がワカっちの社だよね?」

 既に父が所有するアパートではなくなった事を思い出た徳斗は、言葉をつぐむ。

 それでも、この兄まで転がり込んで来たら、平穏な日々はさらに荒れそうだった。

 穏便にどこか別の場所で宿泊してもらう理由を必死に探していた時だ。

「そうだよ! 兄上、ダメだよ!」

 さすが、自分の意図を理解して同じように兄を諫めてくれる。

 そんな稚姫の成長に徳斗も胸を撫で下ろした。

「兄上のお布団を用意してないもの! 風邪ひいちゃうよ!」

 彼は全身から力が抜けきり、諦めてすべてを受け入れることにした。

「……キャンプの寝袋を買っただろ? お兄さんに貸してやれよ」

「そうだ! 兄上が来てくれたお祝いに、今日はキャンプでパーティーしよう!」

「マーヴェラス! じゃあ夜になるまで昼寝させてもらうか。さすがに月の神だけあって昼間はどうにもパワーが出なくてさ」

「そうなんすか……画力だけはすげぇパワーですけどね」

 八田がその間も粛々と降ろしていた大量の買い出しの荷物は、小高い山になるほど庭に積まれていった。



 徳斗はスコップを振るい、大地に空いた穴に培養土を埋めていく。

 その近くで稚姫は、キャンプ用の椅子に腰かけて見守っていた。

「まずはその穴を埋めるの?」

「桜の苗木を植えるくらいには穴を小さくしないとな。それに地面に凹凸があったらテントで寝るとき大変だぞ。キャンプするには平らにならしておかないとな」

 秋も深まりつつあるとはいえ、さすがに肉体労働をすると汗もかく。

 徳斗はスコップを地面に刺して、タオルで汗を拭いながらぼやいた。

「なんだよ。お兄さんは本当に昼寝しちゃうし、八田さんも居ないし。一人でこれはさすがに疲れるな」

 積み荷を降ろし終えた八田は、ホームセンターまで軽トラックを返却していたため、徳斗ひとりでの作業を強いられていた。


 適当なサイズになった穴に苗木を落としたら、さらに培養土で周りを埋めていく。

 その周りを小さく飛び跳ねて、地面を踏み固めた。

「おっし、完成だ。ワカ、水をあげてやってくれよ」

「お水ね、わかった。今度は逆に太陽を弱めればいいよね」

 両手を組んで祈り出そうとする稚姫を制止する徳斗。

「ダメだって。こないだみたいな豪雨になったら根腐れするだろ? そこに蛇口があるから水道水でいいよ」

「たくさんあげたら、すぐに大きくなったりしないかな?」

「前に言ったろ? 太陽も水も、多過ぎても少な過ぎてもいけないんだよ。それに、この桜はまだ赤ん坊なんだぞ。自然の力に任せてればいいんだ」

「徳斗はすごい物知りだね。将来は農家になるの?」

「そうだな。お前の社をほったらかしにしてもいいんだったらな」


 稚姫は水を張ったバケツから柄杓ひしゃくで苗木の根元に水を与える。

「せめて、おひさまはたっぷり浴びてほしいな」

「じゃあ、またワカが太陽を制御できるか練習してみるか。庭の奥にはイモも植えてあるし、ちょうどいいな」

 稚姫は改めて両手を組んで、今度は太陽に活力を与えるよう祈り出す。

「あんまし、力を入れ過ぎなくて優しくでいいぞ。真夏みたいに元気にさせなくてもいいからな」

 縦に突き刺したスコップにもたれかかりながら、徳斗は上空の様子を見守る。

 体感的には雲がやや薄くなり、先程よりは少し明るく感じるようになった。

 祈りの仕草をやめると、瞼を開く稚姫。

「やっぱりうまくいかないね」

 徳斗は自分のスマートフォンで気象情報を確認した。

「慌てなくていいよ。前と比べても上々だろ。天気予報は『午後は下り坂』だったからな、むしろちゃんと良くなってるぞ。自信持てよ」

「ホント? そっか、あたしも少し上手くなってきたんだ」

 稚姫は笑みを浮かべると、桜の苗木に視線を戻した。

 そのまま徳斗は、次に桜に関する情報を調べて、検索で出たページを読み上げる。

「ふーん、成長して花をつけるまで早くて三年ってとこなのか。こんな苗木なのに思ったより割とすぐに成長するんだな」

「三年したら徳斗はいくつになってるの?」

「二十二だよな、ってことは留年しなければ春には卒業して、出仕しゅっしの神職になって、どっかの神社で修行を始める頃だな」

「そっか、徳斗も修行するのか。頑張ってね」

「ワカ、お前もだろ」

 水滴を滴らせる小さな苗木を愛おしく見つめる稚姫を、静かに見守る徳斗。

 はたして、彼女の修行は何年、何十年、何百年続くのかも分からない。

 それまで自分はおろか、彼女がこの桜の世話をできるのか、その間に地球の運命はどうなるのだろうか。

 この桜が満開の花を咲かせるその日まで、平和な日々が続くことを願う徳斗だった。


「あら、庭に植樹をしてるの?」

 アパートの門から声を掛けてきたのは、段ボールを持ったトヨウケだった。

「あっ、トヨウケさん。こないだはありがとうございました」

 彼女が姿を現すと、警戒する小動物のように距離を取る稚姫。

 だが、食材の入った段ボールに乗せたトヨウケのたわわな胸に誘われるように、無警戒に近寄る徳斗を見ると、ぷうと頬を膨らませる。

「そうなんすよ。桜の木なんすけど、大きく育ったら、桜キャンプをしようって」

「まぁ、キャンプしたいなんて姫様が言ったの? まだまだお子さまね。夜になればもっとオトナな愉しみもあるのよ?」

 わざと胸を突き出してアピールしながら、稚姫に挑発的な微笑を投げる。

「あたしはあんたみたいにイヤらしくないの! 徳斗だって、普通のキャンプがいいねって言ってくれたんだから! さっさと帰んなさいよ!」

 徳斗は翌週分の食材を受け取ると、中を確認する。

 そこには米だけでなく、サツマイモもあった。

「おっ、助かります。これでキャンプできるじゃん、ワカ。じゃがいもやにんじんもあるな。俺んちのルーを使ってカレーとかも作れそうだぞ」

「なんだか楽しそうね。わたくしもお邪魔して混ぜてもらおうかしら?」

 トヨウケは身体を徳斗の背中に密着させて、肩に腕を回す。

 またも彼女の妖艶な神力にあてられた彼は、顔を真っ赤に染めると抑揚のない小さな声でつぶやく。

「そうっすね、お互いのが混ざるといろいろ気持ちいいかもしれないっすね……」

「もう、単なるご飯の神のくせに徳斗の邪魔しないでよ! ほら、早く帰って!」

 両腕を振り回しながら、稚姫が苦情を申し立てる。

「そうかしら、姫様? この坊やも楽しみにしてるみたいよ?」

 彼は背後から迫るふたつの豊かな膨らみを感じ、背中に全神経を集中させていた。

 長くて光沢のある、自然なウェーブがかったトヨウケの黒髪が、彼の両肩から流したように纏わる。

 徳斗はまるでメデューサに睨まれたように、全身を硬直させていた――いや、ある一点だけ硬直してしまい、前かがみで動けなくなっただけかもしれない。

「……まぁ、そうっすね、ぜひトヨウケさんも良かったらどうぞ。他にもお客さんが居ますけど、だいじょうぶっすか?」

「まぁ素敵ね。お客ってどなた?」

「ツキヨミさんです」

 トヨウケはその名を聞くなり腕と身体を離して、とても普段の彼女らしからぬ狼狽の様子を見せる。

 外面はヒッピーの変態でも、そこはさすがの四貴神。彼女も伊勢の外宮に祀られる存在とはいえ、下々の神と比べたらやはり高貴で近寄りがたいのだろう、と徳斗も素直に納得した。

「ツキヨミ様は勘弁して欲しいわ。あいつは……あのお方はお酒が入ると、ちょっとセクハラが過ぎるのよね。月の神だけあって、夜はエロ親父なのよ。顔がイケメンなだけに逆に残念で困ったもんだわ」

 そう言う彼女も大概エロいと思いつつ、やはり月の神は昼間でも変態だと夜もしっかり変態なのかと、徳斗も先程とは違う納得をした。


 実兄が盛大にディスられているのに気づいているのか知れぬのか、稚姫はトヨウケの身体が離れたタイミングで入れ替わりに徳斗の腕に抱き着いてきた。

「そうだよ! 兄上とあたしと徳斗の時間を邪魔しなくていいよ! だからあんたは早く帰りなってば! しっしっ!」

 稚姫はまるで虫を追い払うように、おざなりに手を振る。

「仕方ないわね。また今度ね、坊や」

 トヨウケは前回同様に投げキッスをして、アパートを去っていく。

 にわかに期待した美女との夜キャンプが叶わず、わずかに残念な気持ちを覚えた徳斗だった。

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