第2柱 自由すぎる兄上ツキヨミさん
2-1 キャンプをしよう
夏は至極地味にひっそりと終わり、知らぬ間に秋がやってきた。
やがて秋も刻々と深まり、また気づかぬうちに冬になるのでは、と予感させる。
そんな年だった。
太陽は相変わらず力無く、全体として曇天の日が多かった。
徳斗が暮らすアパートの中庭は、八田の協力で燃え尽きた樹木の処理も終え、広い空き地が出来上がっていた。
一角には種イモを植えた畑が出来ていたが、それでも敷地は余白が多く寂しげだ。
「ここ、どうすっかな。落ち葉の掃除が無くなったのは良かったけど。なんか植物を植えとかないと親父にバレちゃうよな」
稚姫が高熱で溶かした地面は冷え固まり、ごつごつとした凝灰岩をどかすと、そこはクレーターのようなくぼみとなっていた。
「ここにそのまま、なんか植えられる木があればいいな」
頭を抱えながら穴を覗く徳斗の隣に、稚姫が駆け寄って来る。
「だったら、お庭でキャンプしようよ! ここをキャンプ地にしよう!」
「目の前が自分ちなのに、庭でキャンプするのかよ? 住人の迷惑になるだろ」
そこで、はたと自身の発言を振り返ると、アパートを見回す徳斗。
「迷惑ってそういえば、他の住人から苦情やクレームが来てないな。誰の姿も見なくなったし、あのおばあちゃんやオッサン達はどうしてるんだ?」
すると、徳斗の肩にぽんと手を置いた八田が親指を立てる。
「八田さんかトヨウケさんの術で、うまく他の人達をごまかしてくれたの?」
彼は首を横に振ると、ポケットから全ての部屋のマスターキーを取り出した。
「えっ、ちょ、どういう……まさか……」
徳斗は顔色を失くして駆け出し、二階と一階の部屋の扉をすべて開けていく。
だが、自分の部屋と稚姫の部屋以外は、もぬけの殻のがらんどうになっていた。
「おぉい! これ、なんてことしてくれるんだよ! 家賃収入が無くなったら親父や不動産屋にバレるじゃないか!」
「だから、ここをあたしの社にするって言ったじゃない」
「そうじゃなくてさ。どうしたんだよ、たった一晩でここの住人は!」
八田はそこでポケットから折りたたんだ紙片の束を取り出した。
そこに書かれた文字をなぞりながら読む徳斗の指先がみるみる震えていく。
『(一般財団法人)高天原
「はっ? おいおい、まさか……」
「多少は八田がごまかす術を使ったけど、正式にあたしの社になったの」
「おいマジか! このサン・プリンセス社って、『しゃ』じゃなくて『やしろ』ってことじゃないだろうな……」
慌ててスマートフォンを取り出した徳斗は、父親に連絡を取ろうとした。
すると、八田は左手の握りこぶしに右手の人差し指を立てて、忍者のような仕草をする。
「親父ももう術に嵌ってるってのか……じゃあ他の部屋の住人は? おばあちゃんやオッサン達はどこに行っちゃったんだよ!」
「再開発ってことにして少し多めのお礼を渡して、もっとキレイで広いアパートに移って貰ったよ」
「なんだよ、ウチのアパートは狭くてボロくて悪かったな……だとしても、俺は今日からどこに住めばいいんだ」
徳斗はよろよろと膝の力を失い地面にひざまづいた。
かがんで低くなった彼の両肩を稚姫が大きくばんばんと叩く。
「だからぁ、徳斗はあたしと一緒にいればいいんだよ。あたしの社の神主さんで管理人さんね!」
「そうは言っても、それだけの金をどうしたんだよ。親父と兄貴には迷惑かけないでくれよ。まさか術で幻覚を見せたりした架空契約じゃねぇよな!」
人差し指を左右に振った八田は、背広の内側から通帳を取り出した。
中に印字されていたのは徳斗がまだ見たこともないような、瞬時には数えきれない程にゼロが並んだ預金額。
「下界じゅうから集まったお
初穂とは賽銭だけでなく授与品の交付、祈祷の謝礼など、今でこそ金銭の授受を行うようになったが、本来は神前に供える奉納品を指し、文字通りその年最初に収穫した稲穂や米であった。
「なんてこった……俺は知らなかったよ。これからは賽銭いれるのすら躊躇するな」
「と言っても、あたしの社は下界には少ないから配分も少ないの。このお初穂は全部、優しい兄上が手配してくれたんだよね」
このまま神々のペースに巻き込まれていくと、徳斗自身の平穏な生活が奪われるような気がしてならず、頭を抱えた。
「ねぇねぇ、徳斗。だから庭にキャンプ場のスペースを作ろうよ!」
「わかったわかった。今度の休みにな」
大学の講義がない日曜の朝、皆でさっそくホームセンターへと向かった。
「おーっ、これがホームセンターなんだ! 広くて物がいっぱい!」
「ここならキャンプグッズも一通り揃うだろ」
陳列された商品の多さと物珍しさに目移りしてしまい、稚姫は瞳を輝かせながら周囲をくるくると見回す。
「ところで、ワカ。休みでもそのセーラー服なのかよ?」
彼女は徳斗の質問の意味を理解できず、きょとんとして自分の制服を見る。
「替えもたくさんあるし、ちゃんとお洗濯してるから、臭くないよ?」
「そうじゃなくて、学校も無い日に制服を着てる子がいたらおかしいだろ?」
「だから、寝るときはパジャマだよ」
「違うって。年頃の女の子みたいな服は持ってないのかよ……っても、年齢は俺よりもっとすごい上なんだろうけどさ」
太陽神としての修行もそうだが、まずは下界の常識を少しずつ修得させるべきだと、徳斗は額を押さえながら溜息をついた。
そのまま三人は店内のキャンプコーナーで、商品を見繕う。
「いまキャンプってすげぇ流行ってるんだよな。売り場もでかいし、さすがの品揃えだわな」
「徳斗! テント買おう、テント!」
稚姫はサンプルで陳列されている組み立て済みのテントにせわしなく出入りしたり、首だけ出したりして楽しむ。
「それだけじゃ今の季節は風邪ひくぞ。外で寝るんだから、シュラフと床に引く防寒シートもな」
「ご飯炊いて、焼きイモもやろうよ!」
「そしたら
八田が押す買い物カートには商品がどんどん積まれていく。
「この買い物は長丁場になりそうだな。ちょっと休んでいくか」
休憩がてら、併設するフードコートに寄った。
男二人はそれぞれバニラのソフトクリームを食べる。
稚姫だけはさんざん迷った挙句にクレープ屋に並び、店頭で商品が出来上がるのを待っている。
逆に日曜日のホームセンターで、あのセーラー服姿は良い目印になるので、徳斗も彼女が迷子になる心配もなく、安心してソフトクリームを舐めていた。
「ねぇ八田さん。こんなに買い物しちゃってだいじょうぶなの?」
その問いに彼は親指を立てて、胸ポケットからクレジットカードを取り出す。
それはハイクラスの会員だけが保有するブラックカード。
別にカラスだからカードも黒という事ではなく、表向きは和歌サン・プリンセス社の隠密活動として保有しているもののようだ。
「金の心配じゃなくてさ。今はキャンプやりたいってワカも乗り気だけど、どうせすぐに飽きるんじゃないかなってのが心配なんだよね」
他人の金ではあるし、彼女の要求でもあるにせよ、結果として無駄遣いさせるのも悪いな、との後ろめたさが徳斗にはある。なにせ元は、下界の民が捧げた初穂料だと言うのに、遊びに使って良いのかも悩みの種であった。
器用にバニラソフトを口髭に付けずに食べていた八田が、わずかに頬を上げる。
「おお、八田さんも笑うんだな」
外見のせいであろうか、純粋な笑みではなく、ギャングや反社会勢力が悪だくみにする危険な含み笑いにも見える。
「……お前しだいだ」
「また、それか。別にワカにキャンプの醍醐味を伝えて飽きさせずに減価償却させるって話じゃないんだろ? 俺はいったいどうすりゃいいんだよ」
それ以降は、無言でソフトクリームを口に運ぶ男二人。
放って置けば溶けていくし、少しずつ食べ進めていけば無くなっていく。
そんな風にこの胸のモヤモヤもいつか解消すれば良いと願いつつ、徳斗はソフトクリームを舐め続けていた。
「おーい、お待たせ」
しばらくして、稚姫がクレープ屋の列から戻ってきた。
「どうしたんだよ、何も持ってないじゃん。ぎりぎりまで悩んでソフトクリームよりクレープがいいって、買いに行っただろ?」
「ここに来る前にぜんぶ食べちゃったけど?」
唖然とした徳斗は、食べ終えたアイスコーンの包み紙をくしゃっと丸める。
「女の子が歩き食いするんじゃねぇよ。ほら、いくぞ」
八田とともに席を立った彼は、買い物の続きを促した。
徳斗は店内を物色するうち、外の駐車場に隣接したガーデニングコーナーが目に入った。
ふらっと店外に出て、いくつかの苗木を見る。
「どうしたの、徳斗。キャンプで燃やす木を買うの?」
「苗木を燃やすなって、かわいそうだろ。庭がすっからかんになったから、植える木があればいいな、と思ったんだよ」
いくつかの商品のうち、桜の苗木が目に留まる。
「次は桜もいいな。花びらの掃除は大変そうだし、毛虫も出そうだけどな」
「でも春じゃないから、まだ咲かないんじゃないの?」
「もちろん咲くのは植えて育ってからだよ、まだ苗木なんだから。ちょうど今頃か、春の前くらいに植えるみたいだし。八田さん、悪いんだけどこれも一緒に買っていいかな?」
八田は苗木に加え、培養土の大袋とスコップをカートに積んでいった。
「これだけありゃ、庭の大穴に植えても充分だよな」
「そっか、あたしがお庭を燃やしちゃったから……ごめんね」
稚姫はクレープを食べ終えた至福の表情から、しょぼんと反省の顔色になった。
「違うよ」
徳斗は彼女の肩をぽんと叩いた。
「こいつが大きくなったら、満開の桜の木の下で、春キャンプが出来るだろ?」
「……うん! 春キャンプしたい!」
徳斗の腕をぎゅっと抱き、嬉しそうに笑顔を取り戻す。
『ぐぬぬ……俺はロリコンにも性犯罪者にもならねぇぞっ』
どうにも稚姫自身に恥じらいもなく距離感が近過ぎるせいか、年端のいかない少女が懐いてくるのは気恥ずかしいので、徳斗も困惑して八田に視線を送る。
だが八田は肩をすくめて、無言でレジに並んでいった。
想像以上の買い物になったので、帰りは稚姫専用の高級車ではなく、ホームセンターで配送用の軽トラックを借りることにした。
「クルマが二台ってことは、八田さんはハイヤーでついてくるの?」
首を横に振った八田は、車の物陰で姿をカラスに戻した。
「そっか。軽トラを返却したあとの帰りの足が無くなっちゃうのか……ってことは、俺が運転すんのかよ。すげぇ久しぶりなんだけど」
「徳斗の運転って初めてだ! たのしみ!」
「俺は八田さんみたく慣れてないぞ。車酔いするなよ」
二人乗りのため助手席には稚姫が座り、八田カラスは荷台に乗った。
徳斗も免許は持っているし、小回りのきく軽自動車とはいえ、慣れないトラックである。彼も緊張の面持ちでハンドルを握った。
「しかし運転席が狭いな。アクセル踏む脚がハンドルに邪魔だし背中は垂直だし……でも考えてみりゃすごい画ヅラだよな、これ。セーラー服の子が隣にいるわ、カラスは逃げずにずっと荷台に止まってるわ」
ぼやきながらも、ようやく軽トラックは自宅近くまでやってきた。
するとアパートの門の前にはひとりの男性が立っている。
細身の長身だが、頭髪は茶色のアフロヘア。洋服はパッチワークのように原色の眩い生地を組み合わせた派手なシャツに、真っ赤なラメのズボン。
手には巨大なトランクケースを持ち、塀の中の様子を窺っている。
「なんだよ、ありゃ。またなんか危ないのが来てるけど……」
「あっ、あれはもしかして!」
トラックを停めると、稚姫は助手席から降りて怪しい男性に駆け寄る。
「兄上! お久しぶり!」
「オーウ! 久しぶりワカっち!」
稚姫の声を聞いて振り返った男性は、パーティーグッズでよくある、口髭のついた鼻眼鏡のおもちゃを着けていた。
徳斗はハンドルを握ったままフロントガラス越しに兄妹の再会の場面を見て、激しく困惑する。
「ワカの兄貴って、あれがそうなのかよ……これ以上は近づきたくねぇな」
諦めたように息を漏らすと、サイドブレーキを引いてエンジンを切った。
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