1-6 太陽のお仕事は尊いのだ

 徳斗は自分の部屋へと戻る。

 万年床の布団の上では、稚姫がうつ伏せで枕に顔を埋めて寝転がっていた。


「おい、ワカ。ここはお前んちじゃないぞ。どうしたんだよ」

「……おふとんとまくらも男臭い」

「なんなの? 勝手に来て二度も俺に文句言ってるわけ?」

 だが、彼女の声は涙を堪えるように小さく震えていた。

 嘆息を漏らしながら、徳斗もその近くに腰を落とす。

 特に互いに何を語るでもなく、そのまま布団に伏せる稚姫と、座っている徳斗。

 やおら徳斗は立ち上がると、ガスコンロの魚焼きグリルにアルミホイルで包まれたサツマイモを並べ始めた。


 その間も室内は重苦しい無言に包まれていたが、やがてイモを包んだホイルの隙間から、水分が小さな泡として出てきて、イモが焼けていく甘い香りが漂う。

「ワカ、イモが焼けたら食べようぜ」

「……でも、あたしおイモも焼けないもん」

「コンロで焼けたイモを食おうって言ってるんだよ。俺はお前に……」

 突然に、稚姫は身体を起こして強い口調で徳斗の言葉を遮る。

「あたしが出来ないからって、わざわざ目の前でガスでおイモ焼いて意地悪するんでしょっ?」

「俺はお前とイモを食いたいだけなんだよ」

「どうせ、あたしはお洗濯物も乾かせないし、おイモも焼けないんだから!」

「だから、あれは悪かったって。俺もちょっと期待してかしすぎたんだよ、悪い」

 徳斗は黒く焦げてきたホイルに包まれたイモを、皿に乗せた。

 高温を保つホイルを慎重に剥いて、ほっくり焼きあがったイモを真ん中から半分に割る。

 その片割れを稚姫に差し出すが、涙目でぷいとよそを向く。

「ほら、冷めるぞ」

「あたしがおイモ好きなの知ってて、そんなのでごまかすんでしょ!」

「焼きイモが好きなのはワカ自身が言ってたんだけどな」

 徳斗の枕を胸元に抱き、徹底して反発する稚姫。

 彼は手元のイモの皮を剥き始めた。


「ワカ、お前は太陽神なんだろ? イモを焼くだけがお前の仕事なのか? 無理にイモを焼かせようとした俺も悪いけど、それだけじゃないだろ?」

 視線を彼女には向けず、イモの皮を剥き続けながら徳斗は滔々と語る。

「太陽ってのは、人間じゃどうにもならないんだよ。それで食料が採れなくて飢えたり、今度はたくさん採れ過ぎたら食べきれなくて棄てたりしてな。身勝手なもんだよな。でも自然の働きってのは人間達の力じゃどうにも制御できないからこそ、ありがたいし尊いんだ」

 徳斗は全体の七分しちぶほど皮を剥き終えたイモを、稚姫の前の皿に置く。

「だから、俺たち人間にとって太陽ってのは唯一無二で大切な存在なんだよ。ワカも自分の仕事に誇りを持って、これからじっくり修行をやってけばいいじゃん。むしろ他の神よりも大変なことを任されているんだぞ? 急に上手く出来なくても当然なんだよ」

 よそを向いていた稚姫だったが、徳斗の言葉に次第に彼の方に向き直る。

「下界が不作でも、太陽の元気が無くても、人間も植物もぜんぶダメになるわけじゃないんだ。こうして立派に育つイモもあるんだから。さぁ、食べてみなって」

 稚姫は皿に乗せられた焼きイモを手に取り、ひとくちかじる。

「……おいしい」

「それがワカのおかげで出来上がったイモなんだよ。イモの一本も惑星の一個もみんな一緒。ぜんぶ、お前の仕事の結果なんだって」

 突然に瞳に涙を湛えた稚姫は、イモごと全身を震わせ出す。

「おい、どうした、ワカ?」

「のりとぉっ!」

 稚姫はイモを放り出して、徳斗に抱きつく。

 やや凹凸や隆線の少ないのっぺりとした身体は、豊満なトヨウケと比較しては非礼だとは思いつつ、黙っていれば美少女が涙を流しながら胸に飛び込んできた状況に、徳斗も困惑と興奮がない交ぜになる。

「俺は断じてロリコンじゃない、俺は断じてロリコンじゃない……」

 ぶつぶつと小声でつぶやきながら、誤っても自分が性犯罪者にならないように彼は自らの理性を必死に保つ。

「うえぇん、のりとぉ。あたし、くやしいよぉ……」

「そんなに泣くなってば。なにも慌てることないって言ったろ」

「みんなの役に立ちたいのにぃ……」

 自分の胸元で号泣をしている稚姫に対し、頭にぽんと手を置いてやる。

 窓の外では、彼女の涙に誘われるようにまたも厚い雲が垂れ込め、次第に涙雨を降らせ始めていた。



 翌日。

 稚姫がアパートにやって来た時と同じ、大型高級車で郊外へと向かう一同。

 八田が運転席でハンドルを握り、後部座席に徳斗と稚姫が座る。

「べつにあたし、あいつには興味ないもん。行かなくてもいいんだけど」

「まぁそう言うなって。俺からの頼みでもあるんだからさ」


 それは、昨日の徳斗の部屋を出た後だった。

 盛大に涙を流したのち、すこし落ち着きを取り戻した様子の稚姫が、目を赤く腫らせながら徳斗とともに彼の部屋から出てきた。

「ほら、八田。坊やが上手いことやったみたいよ?」

 トヨウケを濡らさないように大きな黒の傘を差す八田と共に、階下の庭から見守っていた彼女も肩をすくめる。

「あっ、トヨウケさん。ちょうどよかった。お願いしたいことがあるんです」

「わたくしにお願い?」

「トヨウケさんの農園を見に行きたいんすけど」

――こうして、次の日にさっそく訪問することになったのだ。


 やがて、自然を多く残した広大な敷地の門に着く。

 車両を中へと進めていくと、トヨウケが待っていた。

「いらっしゃい、坊や。姫様もここへ来るのは初めてね」

「それがどうしたっていうのよ。徳斗のおねがいだから、来ただけなんだからね!」

 相変わらず、トヨウケに対してはつんけんとして、そっぽを向く稚姫。

「すごいっすね。ここがトヨウケさんの職場なんすね」

「下界の民への表向きは宮内庁の御用地ってことになっているわ。実際は天上界に捧げる神饌や、この下界で働く神々に食料を供給するために管理されているのよ」

 見渡す限り続く農地に、居並ぶ温室のビニールハウス。大型の畜舎や巨大な養殖池もある。

 工場ではベルトコンベアで流れてくる段ボールや発泡スチロールに、食材が箱詰めされていく。

 そこに、トヨウケが鎮まる外宮の神紋である、花菱はなびし紋のイラストがついた保冷トラックが何台も集まり、空き荷のトラックと入れ替わるように満載の車両が各地へと出発する。

「いやすげぇな、これ。トヨウケさんひとりで管理されてるんすか? さすが有名な神様は仕事っぷりが違いますね」

 素直な感想を述べた徳斗だったが、トヨウケを褒めた彼を、稚姫が頬を膨らませて睨む。

「わたくしひとりだけじゃ到底無理よ。手伝いの神でウケモチとオオゲツがいるわ。あとは女中たちね」

「へぇ、こんな大変な労働を女の人だけでやってるんだ」

 トヨウケは意味もなく徳斗に身体を寄せて、耳元で囁く。

「女の園よ。たまには遊びにいらっしゃい。みんな坊やを歓迎するわよ」

「ちょっと、すぐそうやって徳斗に近づかないでよ!」

 トヨウケを押しのけて、徳斗の前に立ちはだかる稚姫。

 だが身体をくるりと回すと、彼女は徳斗をも睨みつける。

「徳斗も、またこいつに会いたくなって、わざわざここに来たのっ?」

「そうじゃなくて昨日、俺が言ったろ? 太陽が育てたイモを見せたくて、トヨウケさんにお願いしたんだよ」

 そう言うと、徳斗は上空を仰いだ。

 下界にある神のための酪農地は、不思議と雲がかからず、燦々と太陽が輝く。

 また、気温も徳斗の自宅付近とは違い、上着が要らないくらいに暖かい。

「ここは結界で天気が安定してるから、太陽神のあたしの力とは関係ないもん」

「うーん、そういう意味じゃないんだけどな」


 周囲を見渡しながら、徳斗たちは農園を歩き続いた。四季折々、洋の東西、育種の価値の貴賤きせんを問わず、あらゆる作物が育つ農地の中をのんびりと歩く。

 道中、立派なコンクリートの建物が視界に入ったので、興味本位で徳斗も足を止めて中を覗いてみた。

 途端に凍てつく冷気が白煙となって、徳斗たちの足元を流れていく。

「うわ、さむっ! こうやって人工的に冬にしたり降雪させたりして冬の野菜も作ってるんすね」

「キノコやウドを育てるために、地下にむろを掘っているところもあるわ」

「マジで一年じゅうの気候を再現してるんすか。そりゃすげぇや」

 養殖池は海水と真水、そして汽水と三種類が用意されていた。

 水中にいる魚介類だけでなく、そこに泳ぐ鴨もここで飼育している。

 視界一面に広がる小高い丘の牧草地では、乳牛や豚、羊がのどかに草をはんでいた。

 決して日本古来の生物だけではない、あらゆる生き物や作物が育成されている。

御饌みけも和食に徹してるのかと思ったら、割といろんなもん食べてるんすね、日本の神様も」

「時代に合わせた多様性の在り方って言った方がいいかしらね? 聞けば、どこかの古いお寺の開祖のお坊さんも、現代ではスパゲティとかカレーライスなんかをお供えされるらしいわよ」

「なんか、庫裡くりの人がレシピを考えるの面倒で横着してるって言ったら悪いっすね」

 トヨウケの話に苦笑する徳斗だったが、ふたりが楽しげに談笑しているのも不快だし、なにより何故ここに連れてこられたのか分からない稚姫は、むすっと眉を寄せていた。


 やがて農地の一角、楕円形の青々とした葉と長い茎が密集する、イモ畑に着いた。

「ここが坊やが来たかったあたりよ」

「トヨウケさん。このへんのイモ、勝手に抜いてもいいっすか?」

「もちろんよ」

 徳斗は表面の土を払ってイモのツルを握って持ち上げる。

 土中からは大きく育った深紅のサツマイモが姿を現した。

「これが太陽の、つまりワカの力なんだよ」

「これはあたしの力じゃないもん。トヨウケが勝手にやってることだし」

「いいから、ここが下界の畑だと思って聞いてくれよ」

 イモに付着した土を払いながら、徳斗はゆっくりと語り出す。

 まるで幼い子供を諭すかのように、穏やかに。

「畑に埋まった種イモを育てて、収穫できるようになるまでには、太陽の力が必要だよな。日光が無ければ作物は大きく育たないし、雨ばっかりだと根腐れしたり土が流されたりするだろ? 逆に、日照りばっかりだと地面もイモも枯れるよな? 太陽がいい塩梅にやってくれるから、イモが育つんだよ。そりゃ人間も雑草を抜いたり栄養をあげたり、イモの面倒を多少はみるけど、基本的には自然任せなんだ」

 そうして採れたイモを稚姫に手渡す。

「前も言ったろ? 太陽ってのは人間じゃどうにもならない。良い所も悪い所も両方備えているから、人間にとってありがたいし、凄いことなんだよ。そりゃ太陽だって完璧じゃないだろ? 多少はご機嫌ななめで元気がない時だってあるだろうし、興奮しすぎて暑っつい日もあるだろうしさ」

 徳斗の話を聞きながら、預かった手元のイモをじっと見る稚姫。

「言い方が悪いかもしれないけど、ワカはお姫様だからな。こうやってトヨウケさんが育ててくれた物を外宮でも食べてただろ。でも、イモがどうやって生長して収穫されて焼きイモになるか、考えたこと無かったろ? 人間は太陽に育ててもらった作物を食べる。そんで太陽に感謝するんだよ。それがワカの仕事だ。お前の仕事は感謝されることなんだ。それは誇りに思っていいことだと、俺は思うけどね」


 二人の会話――といってもほぼ徳斗の独り語りになっているが――を、少し離れて見守る八田とトヨウケ。

 徳斗の言葉に素直に感心した彼女は、隣の八田に耳打ちをする。

「大した坊やよね。神の業務心得もよく分かってるし、アマテラス様のお説教以外で、よくあのお天気な妹姫様を黙らせられるわね」

 何本か採れたイモを持って、徳斗はトヨウケに向かって頭を下げる。

「トヨウケさん、これもらっていってもいいですか?」

「あら、また今日も焼きイモにするの?」

 その問いに対し、得意げに鼻を鳴らす徳斗。

「いいえ、違うんすよ。増やすんです。なぁワカ、これを種イモにしてアパートの庭に埋めようぜ。ほら、ちょっと木がなくなって広くなったからさ」

「えっ? すぐに食べないで、あたしが育てるの?」

「そうだよ。お前がイモ畑を育てるんだ」

「……うん! あたしが育てたおイモが大きくなったら焼きイモしよう!」

 満面の笑みでうなずき返すと、徳斗に抱き着いてくる。

「おい、ちょっ、今度はどうしたんだよ」

 無防備に甘えだす稚姫に、皆の視線を感じて照れ臭そうにする徳斗を、トヨウケはにやにやと眺める。


 だが、しだいに徳斗は違和感を覚えていった。

「なんか熱いんだけど……おい、ワカ、ちょっと熱いから離してくれよ、おい!」

「はやく帰って、おイモ植えよう!」

「ヤバいって、やけどするから! どうしたんだよ、ワカ! お前自身が太陽にならなくてもいいんだってば!」

 稚姫に抱き着かれたところが焦げ臭い煙を上げ、徳斗は次第に悶絶する。

「うぁっちぃ!」

「あら、このままだとちょっとまずいわよ、八田」

 八田が二人を引きはがすと、稚姫が密着していた姿かたちの部分だけ焼けこげたシャツと、その下は赤く腫れた皮膚が見えていた。

 ぐったりとする徳斗に向けて、トヨウケがホースで冷水を浴びせる。

「ごめんね、徳斗!」

「あぁ、死ぬかと思った。焼かれるイモの気持ちがわかったわ……」

「なんか嬉しくなったら興奮しちゃって……ごめん」

 水で濡れた顔を拭いながら徳斗は弱々しく呻くと、申し訳なさそうに稚姫が彼に近づく。

「もういいから来るな! 頼むからそこで待っててくれよ!」

 徳斗も思わず後ずさりをして必死に懇願するのだった。


 喧噪も落ち着いた頃、三人はトヨウケの農地を後にしていった。

 トヨウケは去っていく車に向かって手を振る。

「あの坊やなら変えられるかもしれないわね。この下界だけでなく天上界の未来も。アマテラス様も抜かりないわね。坊やがおじいさんの神社を継ぐと決めてから、姫様を天降らせるなんてね。今のところは順調とご報告ね」

 淡い期待に笑みを浮かべて、農地の門を閉めた。

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