1-5 稚姫、結果を焦る

 庭で焼きイモをすることにした徳斗たち。

 皆で敷地の片隅に寄せてあった、枝葉のゴミ置き場に向かった。


 木の枝を上下に組み合わせ、真ん中にイモを置くと、上から葉っぱを掛けていく。

「はやく火をつけよう! おイモ焼こう!」

 興奮する稚姫に対し、徳斗は両肩をすくめる。

「悪いけど、ライターもマッチも無いんだよ。俺は未成年でタバコ吸わないし。ワカがその太陽神の力で点けてくれないか?」

「太陽神の力じゃ木は燃えないよ? あたしカグツチみたいな火の神じゃないし」

「本物の太陽ってすげぇ高温じゃねぇの? だったら遠赤外線でもいいから、イモの中まで熱が通ればいいんだよ」

「そっか、中までふっくらすればいいのか。やってみる」

 稚姫は落ち葉と枝の前でちょこんと膝を折り、目を瞑ると、両方の掌を向かい合わせた。

「本物の太陽だけじゃなくて、あたしはこういうことだって出来るんだから」

 それから彼女は一心に祈り続ける。

 すると、両手の隙間に小ぶりの太陽の残像が浮かんだ。


 いつの間に用意したのか、八田は虫眼鏡と予備のサングラスを徳斗に渡す。

「これで俺が光を集めて補助するの? 火傷しない? 六千度くらいあるじゃん?」

 稚姫が作り出した小さな太陽の前で徳斗は手首を細かく回して、虫眼鏡に陽光を集めようとする。

 だが、近くで見守る徳斗にもその小さな太陽は全く高熱は感じられず、ようやく枝葉から白煙が上がってきた程度で、着火する様子もない。

「さすがに今朝切ったばっかだと、水分が抜けてないかな? ちょっと早かったか」

 稚姫は無心に祈り、八田も落ち葉の中に息を送り込む。

 それでも着火する温度には至らず、焼きイモ用の焚き木は、もくもくと煙だけを上げている。

「こりゃ、住人のひとやご近所に迷惑になるな。もうやめるか」

「もうちょっと待ってて……」

 稚姫は額に汗を浮かべて必死に祈るが、全く変化の兆しは無い。

「もういいよ、ガスコンロで焼こうぜ。無理しなくていいって」

「あたしに出来ないことじゃないよ!」

 やむなく徳斗はポケットから密かに用意していたマッチを取り出そうとした。

 だが、八田はその腕を掴んで首を横に振る。

 困惑した徳斗は八田に向かって小声で話しかけた。

「だったら、八田さんからも説得して貰えないかな? さすがにこれじゃご近所から文句言われちゃうよ」

 今度は首を縦に振った八田は、稚姫の肩を小さく叩いた。

 だが、それでも彼女はやめない。

「ぜったい出来るんだからっ! あたしだって太陽神なんだよっ!」

 両手の中にあった小さな太陽は、途端に強烈なフレアを纏いだす。

 生身の人間である徳斗は、皮膚が灼けただれたかと錯覚するほどの熱波を浴びた。


「あっちぃ!」

 彼が慌てて身を避けると、放り出した虫眼鏡は中央のレンズのガラスごとみるみる溶けていく。枝と葉を乗せた焚き木は瞬時に紅蓮の炎に焼かれて灰となった。

 さらに、地面は灼熱の赤茶けたマグマとなって、どろどろと波打っていく。

 背の低い庭木は、溶けた大地によって根本から傾いたあと、無残に燃え尽きた。

「おい、ワカ! やめろって、おい!」

 徳斗が彼女の両肩を掴む。

 我に返った稚姫が目を見開くと、手元の小さな太陽は消えた。

 くべた焼きイモは、消し炭どころか溶岩の一滴となって大地に還ってしまった。

「……おい、だいじょうぶだったか、ワカ」

 自分の両手を呆然と眺めていた稚姫は、がっくりと背中を丸める。

「やっぱりうまくいかないね……」

「まぁ、修行中なら仕方ないだろ。これからうまくいく回数を増やすんだから」

「違うの。最初に下界に降りた頃よりも、だんだんうまくいかなくなってるの」

 昨日、太陽の活動を鈍らせて豪雨を降らせてしまった時のように、稚姫は激しく落胆する。

 だが彼女は何かを思い出したかのように急に駆け出していくと、アパートの外階段を昇っていく。

「徳斗のお部屋のお洗濯物は、まだ乾いてない? 今度こそ上手くやるよ!」

「昨日のはもう乾いたよ。でも陰干ししたせいで生臭いったらないよ」

「……そっか」

 がっくりと肩を落として、そのまま徳斗の部屋に入っていく。

「おいっ、ワカ! お前の部屋じゃないだろ、二階は!」

 悲嘆を背負って陰る彼女の背中を、徳斗も頭を掻いて見守るしかなかった。


 その時、トヨウケがアパートの門から姿を現した。

「あら、やっぱりダメだったみたいね」

「あ、トヨウケさん。見にきてくれたんすか?」

「警察や消防車を呼ばれても困るから、他の住人や近所には幻覚を見せておいたわ。安心なさい。おイモが焼けちゃったんでしょ?」

「はい。美味しく焼けたっていうよりは消し飛んだ感じっすね」

「八田から聞いたけど、たぶん姫様が失敗すると思って、新しいのを用意したのよ」

 トヨウケが両腕に抱えた数本のイモのうちの一本が、ちょうど胸の谷間に挟まっている。

「太くて堅くて大きいほうが、身がしっかりして美味しいわよね? 坊やが抜いていいわよ」

「……そうっすね。お互いに気持ちいいですよね……きっと」

 トヨウケの色気の力か彼女の神威なのか、その魅力にまたもやられた徳斗は胸元のイモを緊張で汗ばんだ手でそっと預かる。

「そういえば、トヨウケさんも近くに住んでるんすか?」

「アマテラス様のご神饌しんせんや天上界に奉じる御饌みけのほか、下界に駐在している神々の食材を管理してるのよ。遊びに来る?」

「いいっすね……機会があればぜひ」

 だらしない笑みを浮かべていた徳斗だったが、我に返ると真剣な面持ちで問い掛ける。

「それにしてもワカが言ってた、だんだんうまくいかなくなってるって、どういう意味なんすか? 修行して立派な太陽神になるってことだったんじゃ?」

 彼はさらに腕を組むと、首を傾げたまま話を続けた。

「あと、母方のじいちゃんの神社の跡を継ぐかもしれないから、俺も神道系の大学に通ってるじゃないすか。ちょっと調べ直したんすけど、俺の知ってる稚姫……っていうかワカヒルメってアマテラスさんの妹だったり、イザナギさんから最初に生まれた四貴神の長女だったり、下界の神話が曖昧なんすよね。ツキヨミさんやスサノオさんよりも存在がミステリーだし、ワカっていったい何者なんすか? あいつは過去にどういった奇跡を起こしたり、どんな風に人間の前に顕現けんげんしたんすかね?」

 八田とトヨウケは、しばし無言で視線を合わせる。

「そうね、坊やには伝えた方がいいかもしれないわね。だってあの子……」

 そこまで言ったトヨウケの肩に手を添えて、八田が制止する。

「あら、でもこの坊やも知らないと気の毒じゃない? 早めに伝えたほうがいいわよ」

「どういうことなんですか?」

 トヨウケは、抑えた声で滔々と語り出した。


「あの子は太陽神アマテラス様の一面でもある荒御魂あらみたまが分裂して誕生したのよ。天上界での実務に追われてらっしゃるアマテラス様を補助して、太陽の動きを司るためにね。長女であるアマテラス様と、間にいるお二人の兄上、あの子は一番末の妹という体裁で新たに誕生して、全員あわせて四貴神と呼ばれているわ」

「荒御魂というには、のほほんとしてるというか……到底、信じらんないすけどね」

「それは考えてごらんなさい。幼いがゆえに太陽をどう制御し、民の暮らし向きを守り、時としてどのように民に警告を与えるか。神としての役割をまだ充分に理解できてないのよ。それにアマテラス様の荒御魂として分割されてから時間が経てば経つほどに、その力は衰えていくのよ。だから本来はあの子自身が信仰を集めて力を蓄えて、一人前の神として成長していかなければならないのよ」

 両手にイモを抱えていた徳斗は上空を見上げる。

 確かに太陽の活動は停滞しており、この夏は農作物が不作になり、雨も多かった。

 今こうして稚姫が落ち込んでいる状態だと、太陽も陰り雲にその姿を霞ませている。

「結局、あの子がこれでまた失敗したら、もう神としての役割は得られないわ。天上界では、太陽の管理と統治の両方をアマテラス様がまた兼務されて、心労で倒れられるか、他の従者の神々じゃフォローしきれないか、そのいずれにしても下界に影響が出るのよ」

「それが……地球に迫る運命っすか?」

 トヨウケは徳斗に向けて小さくうなずく。

「まだ、推測の域を出ないけどね。言うなれば荒御魂を分割されたアマテラス様は、今は和御魂にぎみたま……お身体が半分で執務されているのと変わらないわ。だから迫る危機もアマテラス様のご体調しだいね」


 天上界の混乱が下界にどういう事態を引き起こすのかは、神々でも図りかねるのだろう。ましてや、その対象は最高神のアマテラスである。トヨウケも八田も、わずかに困惑しているのは彼にもよく分かった。

「それで、トヨウケさん……もしですよ? もし、ワカ自身が立派な太陽神になれなかったら、どうなるんすか? たとえば外宮に二度と帰れないとか、天上界に戻されるとか」

「外宮はわたくしが留守を預かってるだけよ。うまくやれれば姉上であるアマテラス様のお隣にまた帰れるわ。でも失敗した時は……そうねぇ?」

 八田はまたもトヨウケの肩に手を置き、先程よりも強く彼女を制止する。

「だいじょうぶよ、八田。わたくしも全てを知ってるわけではないわ」

 肩をすくめて、トヨウケは徳斗に視線を戻す。

「ともかく、あの子のこと頼んだわよ? ところで坊や。晩御飯は欲しい?」

 唇を近付けてくるトヨウケに、徳斗は彼女と反対側に上半身を反らす。

「あ、いや、ありがとうございます。でも今日はだいじょうぶっす」

「そうなの? 坊やにもわたくしの荒魂あらたまを味わわせてあげたいわ。長い夜にたっぷりとね」

「それはまたぜひ別の機会に……実はこの貰ったイモも、なんとか焼きイモにして、ワカと一緒に食べようかなって思ってるんすよ」

 そうやって素直な瞳で両手のイモを見る徳斗に、トヨウケは含み笑いを堪えるように息を漏らす。

「そうね。あの子も喜ぶわよ、きっと。またいつでも言ってね」

 トヨウケは徳斗の頬に唇を当てた。


 徳斗は八田からアルミホイルを受け取ると、稚姫が迷い込んでいった自分の部屋に向かう。

 そんな彼の姿を見守りながら、トヨウケはふと笑みを浮かべた。

「面白い坊やね」

 だが、八田は眉間にしわを寄せて、人差し指を左右に振りトヨウケに忠告する。

「わたくしが喋り過ぎだって? そうかもしれないわね。でも八田だって時間がないのはわかるでしょ? もし姫様が<ことあまつ神>に目を付けられたら、どうなると思うの?」

 八田は人差し指を止め、さらに険しい表情を浮かべる。

 今の外見は屈強そうな黒服男の八田でも、中身は神に使役しえきされる八咫烏だ。

 指先を震わせ、額に汗を浮かべて硬直している。

 それは神々であっても畏れる存在であり、神獣である八田ならば尚更だった。

「だからわたくしは、わざわざこうして来たのよ。『姉上』のご用命でね。なんやかんやで妹姫様のことが気になって仕方ないのよ」


 民に祈られる側のトヨウケも、今は自分が祈りを捧げたい心持ちだった。

 そんな天上界の混乱を案じている彼女自身の不安を払うように、瞳に力を込めた。

「姫様が、あの坊やを神職に選んだのが吉と出るといいわね」

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