2-3 庭キャン秋

 日没を待つ間も、徳斗と八田はテントを組み立てていく。

 駆け出しの素人キャンパーたちが、説明書を読みながら苦心して完成させたテントだったが、それを見た稚姫は素直に興奮していた。

「おわー、すごい。本物のキャンプみたい!」

 大喜びでテントに出入りすると、中に寝転がったり、しきりに生地を撫でてみたりする。

「テントに入るのはまだだろ。まずは夕飯の用意もしないとな」


 次に徳斗はテーブルとバーベキューグリルを組み立て、八田が食材を準備する。

 水きりカゴや紙の皿に切り分けた肉や野菜を乗せた後は、研いだ米を飯盒に入れて水を注いだ。

 さすがのベテラン執事、八田ですらキャンプとキッチンは勝手が違うのか、巨体の背を小さく丸めながら、慣れない調理器具で慌ただしく夕食の準備を進めていた。

「じゃあ飯を炊くのは、ワカの役目な。よく音を聞いてて飯盒からぽこぽこ音がしたら、火から下げて、しばらく蒸らしたら完成だ。カニの穴って言う、小さな米の隙間が出来て米が立ってたらうまく炊けた証拠だな」

「すごいね、徳斗は。キャンプも慣れてるんだ」

「俺だって初めてだよ。とりあえずネットで調べただけの、ぶっつけ本番だよ」

 苦笑気味にスマートフォンを取り出すと、閲覧していたキャンプ動画や情報サイトを再度見ながら、キャンプグッズの組み立て方を調べていく。


「ナイスだよ、だいぶいいじゃないか」

 そこに二階の共用部の廊下から庭を眺めていたツキヨミが声を掛けた。寝ぐせでアフロヘアの一部がしっかりとへこんでいる。

「お兄さん、起きたんすね。どこで寝てたんすか?」

「キミの部屋だが? ちょっとヤングで荒々しい男臭さだったよ」

「もうそのくだり、やりましたから! なんで空き部屋がいっぱいあるのに、みんな勝手に俺の部屋に入るんだよ!」

 ツキヨミは階段を降りてくると、持参した大きなトランクケースを足元に置く。

「お兄さん。荷物整理はいいから、料理を手伝ってくださいよ。全然準備が終わんないからスタートが遅くなりますよ」

「べつに構わないよ。夜こそ僕の時間だからね」

 トランクケースを開くと、中にあるのは部品ごとに分かれた天体望遠鏡だった。

「お兄さん、荷物ってそれだけっすか? 替えのシャツやパンツは?」

「僕は月を見守るのが使命だからさ」

 曖昧な返答に若干苛立つが、これ以上は時間が惜しくなり、神の兄妹は相手にせず淡々と作業を続ける徳斗だった。


 バーベキューコンロの中に火をおこしたら、網を置くと八田が切り分けた食材を乗せた。コンクリートブロックを重ねて作った簡易な足場にはカレーの具材を入れた鍋を設置して、中身をじっくりと煮詰めていく。

 一方の地面には何本か並べておいた薪に火を起こし、上から飯盒を吊るして、火の中にはアルミホイルに包んだサツマイモを入れた。

「さて……これでカレーと米と焼きイモはオッケーだろ。バーベキューの用意もできたし、キャンプの下準備としては、こんなもんじゃないかな?」

 徳斗たちが調理と設営を終える頃には、すっかりと陽が落ちていた。

 それでも彼の住む街が中心地を離れた郊外とはいえ、ここは大都会、東京だ。

 街路灯や近所の照明で、夜間でも周囲には充分すぎるほどの光量がある。

「星空が見えるわけでもないし真っ暗でもないし、そんなにキャンプ感あるかね?」

「ミスターノリトはわかってないね。大事なのはシチュエーションだよ」

「そうっすかね? 仕方ねぇ……他の住人はもう居ないんだし、共用部の照明も落としてみるか」

 徳斗は不動産屋から預かっていた管理用の鍵で、階段奥にある分電盤のスイッチの一部を落とす。

 すると各階の共用廊下の屋根や、各部屋の扉の上で寂しげに光っていた数か所の昼光色の蛍光灯が消えた。

「いくらかは暗くなって良くなったかな。これもシチュエーションっすよね?」

「まぁまぁだが、その気遣いがグッドだよ」

 ツキヨミは徳斗に話しかけながらもこっそりと近づき、耳打ちをする。

「ワカっちは随分キミのことを気に入ってるみたいだね。後は任せておきたまえ」

「任せてってどういうことっすか?」

 徳斗が問い返しても何も答えず、ツキヨミは不穏な笑い声を上げて最初に掛けていたおもちゃの鼻眼鏡を再び装着した。



 八田が大鍋の中に徳斗のカレールーを投入して、料理の最後の仕上げをした。

「よっしゃ。準備万端だな。それじゃお兄さんもワカもぼちぼち乾杯するか」

 鍋を火から少し遠ざけてそのまま放置すると、焚き木を囲むように座った一同は、まずは各々の飲み物を準備する。

「さぁ、ミスターノリトは何を飲む?」

 ツキヨミは昼寝をしていたという割に、知らぬ間に大量の飲料が入った買い物袋を用意していた。

「俺はまだ未成年っすから。ジュースでいいですよ」

「大学ならコンパくらいあるだろう? まぁささ、堅いこと言わず、ぐいっと」

 無理に酒を勧めるツキヨミを見て、まだ一滴も飲んでないのにこの調子では、トヨウケも嫌がるはずだと徳斗も納得する。

「だいじょうぶっす。ほんとにジュースでいいんで。そもそも神様のくせにルール違反させるんすか? 下界の民が法を破っていいんすか? それってアルハラですよ」

「キミはスクエアだな。神社だって祭祀で神酒みきくらい舐めたりするだろう? いわばけがれを払う消毒液みたいなもんだよ」

「酔っ払いの常套句じゃないすか。それにスクエアってなんすか?」

「四角形だよ。四角四面でクソ真面目って意味のスラングさ」

 苦虫を噛んだように徳斗はジュースのペットボトルを手元に用意すると、露骨に怒りをアピールして乱暴にコップに注いでいく。そんな彼を見たツキヨミは呆れたように肩をすくめるフリをしたが、徳斗に見えない所でわずかに頬を上げる。


「じゃあ僕とワカっちはジャパニーズ酒でも頂くか」

「いいね、兄上。あたしもお神酒飲もうっと」

「ちょっと、お兄さん。それもマズいでしょ。ワカは子供じゃないすか」

「でもキミより何千歳も年上だよ?」

 普段の稚姫の姿でいるとつい錯覚してしまうが、彼女は神であり人間ではない。

 それはぐうの音も出ない事実だった。

「おわぁ、お神酒ホントに久しぶりだよ。ほかの神なんかいつも仕事中でもお神酒を飲んでるのに、あたしたちだけ姉上から仕事中は酔うなって怒られちゃうもんね」

「そうなんだよな、姉上は僕やワカっちにだけ厳しすぎるんだよ」

「でも、スサノオ兄様には何にも文句言わないよね、ズルいよね」

「あいつは年中、酔っぱらってるようなもんだからね。姉上も相手にするの面倒なだけだよ」

 仕事中に飲むという倫理観は、下界の一般人のそれとは超越してるのだろう。

 徳斗もそこは深追いせずに思考をやめる。

 というか酔うほど飲むから姉に怒るのではないか。

 この兄妹と、暴れん坊の次男がいたら長女として心労もかさむだろうと、アマテラスの立場をおもんばかる徳斗だった。

「天界の監視の目もないんだから、まぁ八田もぐいっとエンジョイしてくれよ」

 両手を振って断る八田に対し、ツキヨミが強引に自分達とは別の瓶の酒を注ごうとした。

「だいじょうぶ。姉上には黙っておくからキミも飲みたまえ。今日くらいは無礼講でいこうじゃないか」

 八田も眉を下げて困り果てた表情を浮かべていたが、コップを丁重に両手で抱えると、頭を下げたままツキヨミが注ぐ酒を受ける。

「じゃあ、お兄さん。いったん乾杯しますか? とりあえず四人で」

「オッケー、ミスターノリト。じゃあこの素晴らしい夜を祝して!」

「やった、キャンプだ! 兄上も徳斗も乾杯!」

 四人でコップを打ち鳴らすと、自宅の庭キャンプの夜は始まった。


 先程まで八田が根気よくかき混ぜていたカレールーは水分が飛んで良いとろみとなる。

 稚姫が様子を見ていた飯盒からも、いい塩梅の音色を立てていた。

「ねぇ、徳斗! このお米ぽこぽこ音がしてきたよ!」

「うん、いい感じだな。そろそろ火からおろして蒸らしておくか。おっと、その前に焼きイモが先にできたみたいだな」

 飯盒の下にある焚き木では、焼かれたイモからは水分が出て、周りのホイルには焦げ目がついていた。それを剥いてみると、皮の深紅がさらに鮮やかに輝き、半分に割ると黄金色の繊維質の身が姿をのぞかせる。

「やった、焼きイモだ! すごい美味しそう!」

「このあと、ワカの炊いた米でカレーも食うんだから、食い過ぎるなよ」

「徳斗のおうちに来てから、焼きイモいっぱい食べられるから、うれしい!」

 まるで、稚姫を妹のように見守る徳斗の姿を、実の兄のツキヨミが眺めている。

 器用に鼻眼鏡には触れないよう、どんどんコップの酒を傾けながら。

「ところで八田さん。鳥目なのにサングラスまで着けてて、今は見えてるの? 人間の姿に化けてる時は視力も人間くらいにはあるの?」

 この機会に徳斗は気になっていたことを、疑問としてぶつけてみた。

 酒のせいか、いかつい中年が頬を染めた状態で、八田は両手をぶんぶんと振る。

「あぁ、やっぱ陽が落ちてからはほとんど見えなくなってきてるんだ」

 真剣にうなずいてから、ツキヨミの酒が入ったコップをしっかりと掴むと、おかわりは手酌で注いでいた。

「なんだよ、絶対それ見えてんじゃん。なんで酒だけはわかるんだよ!」

 徳斗の突っ込みに皆も一斉に笑い出す。


 グリルコンロの上では、並べられた野菜やシーフード、切り身の肉が焼きあがっていく。八田も無礼講で酒を飲みながら食材を焼いたり、たまには自分で食べたりと、思い思いに酒や料理を口に運びつつ雑談を交わしながら、カレーと米の完成を待っていた。

「おっ、そろそろ米の蒸らしもいい感じじゃないかな?」

 徳斗が飯盒の蓋を開けると、炊いた米の甘い香りが漂う。

「おわっ、炊き立てのお米の匂いだ。ちゃんとした社の御饌みけじゃないと、生のお米とお塩と真水ばっかりだったから、やっぱり炊いたお米はうれしいな!」

 純白に照る、粒のひとつひとつが立った米を見た稚姫は瞳を輝かせた。

 紙の皿に取り分けてカレーライスを作ろうとした徳斗は、周囲を見回す。

「あれ? さっきまで居たのに八田さんどこ行ったんだろ。トイレにしちゃ長いな。カレーよそったら食べるかな? まさか酔いつぶれたのかな?」

 そんな彼の疑問にツキヨミは平然と酒を飲みながら答えた。

「あぁ、時間も遅くなってきたし、八田は鳥目だから、退散したかもしれないね」

「……そうっすか。急に一人居なくなると寂しいっすね」

 ツキヨミの返答に納得して、素直に三枚の皿にカレーを取り分ける徳斗。


『オーケー。まずはひとり消えたね』

 徳斗の様子を見ていたツキヨミは酒の入ったコップ越しに笑みを浮かべると、八田のために注いでいた別の酒瓶を足元に隠す。

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