第15話 散策
◇
小説を書こうと決めたものの、それは今まで10年間も思い続け、そして断念し続けてきた事だった。
そんな年期の入った問題が、昨日今日で急に解決できるわけもなく、僕はノートPCの真っ白な画面とにらめっこをしながら、途方に暮れていた。
書きたい物語が思い浮かばない。担当している作家さんへのアドバイスなら、いくらでも言えるのに、いざ自分が執筆しようとすると頭が真っ白になってしまう。
いくら才能が無いとはいえ、昔はそれなりに小説を書いていた。一切書けないという今の状況は、才能とはあまり関係が無いだろう。
であるならば、こうして真っ白なPCの画面とにらめっこしている時間は、無駄以外のなにものでも無いわけだ。
僕はため息をついて、手元にある愛用のマグカップに入った、ぬるくなったコーヒーを一気に飲み干した。
少し、気分転換が必要かもしれない。
基本的にインドア派の僕ではあるのだが、狭い室内でジッとしていると、出るアイデアも引きこもりになってしまうようだ。
部屋着を脱ぎ捨て、外行きの服を適当に見繕って準備をする。
単なる気分転換だ。遠くに行く予定も無く、財布とスマホをジーンズのポケットにねじ込んで、準備は万全だ。
外に出ると、陽光が目に飛び込んできた。
しばらく薄暗い部屋の中にいたせいか、日差しがやけに強く感じられる。
僕は目的地も決めずに適当に歩き出した。
こうしてブラブラと散歩をするのは、エラく久しぶりかもしれない。学生の頃はよく散歩をしていた。
学生とは金も無いくせに、時間と体力だけはありあまっている人種だ。
故に昔の僕は、贅沢にもそのありあまった富を消費すべく、目的の無い散策に励んでいた。
めぐるましく回る社会に放り込まれて初めて、時間や体力なんてものは贅沢品だったと気がつくのだ(もちろん、気がついた時には遅いのだが)。
平日の昼間は、とても穏やかなものだった。
柔らかに降り注ぐ陽光を浴びて、のびのびと散歩をする老人達、ぱたぱたと元気に駆け回る子供を連れた母親。ぬるい風が街を吹き抜ける。
こうしてのんびりと歩いていると、せかせかと働いている時間が嘘のように思えてくる。
いつからだろう?
僕は、予定が無いときに外出をしなくなっていた。
休日は体を休めるための時間、もしくは友人や恋人の為の時間となっていた。
何の目的も無い時間なんて、それは堕落だと、何となく考えていたのだ。
気がつくと、通いなれた駅の近くまでやってきていた。どうやら僕の足は、外出すると自動的に駅まで歩みを進めるようになっているらしい。
「でも残念ながら、今日は電車を使わないんだ」
小声で自分の足に弁明しながら、僕は駅を素通りした。
この場所まで来て、駅を使わなかった事は人生で初めてかもしれない。
歩き慣れない道をゆっくりと散策する。こうして見ると、どうにも忙しく生きていると、人は盲目になると思わざるを得なかった。
今まで意識したことの無かった建物、店、電柱に張り出されたポスター。
世界はたくさんの要素で成り立っていた事に気づかされる。
僕はこんなにも何も見えていなかったのかと、今更ながら驚かされた。
何も見えていない人間が、何かを造りだそうだなんて、それは無理な話だった。だから僕は小説が書けないのだと一人納得する。
しばらくすると小さな公園が見えてきた。
公園とは言っても、立派な遊具があるわけでも無く、小さな砂場と真っ赤に塗りたくられたベンチが一つあるだけのささやかなスペースだ。
何気なく公園に入ってみると、どうやら一人先客がいたようだ。
見た目は小学生くらいだろうか? 僕には子供がいないので、正確な年齢はわからないのだが、先程みた親子連れの子供よりは大きいようだ。
少し長めの髪をポニーテールにした少女は、一人砂場で破壊と再生を繰り返している。
今日は平日。彼女は学校にいかないのだろうか?
疑問を感じながらも、僕は公園のベンチに腰掛けた。
少女はチラリとこちらを見たが、興味が無いのか、再び砂場に向き直った。僕も何も言わずに、ただ靜かにベンチに腰掛けている。
不思議な時間だった。
砂で何かを形作っては壊しを繰り返す少女と、ベンチに座ってソレを眺める僕。
詩的な何かを感じる。このシーンを元に、花沢なら何か物語を綴るかもしれない。
生憎と、ここにいるのは僕で、小説なんて一行も書けないのだけれども。
どれだけの時が過ぎただろう?
少し喉の渇きを覚えた僕は、近くに自販機でも無いのかと周囲を見回す。
どうやら視認できる範囲内に自販機は設置されていないようだ。
落胆する。
この渇きを癒やす為には、足を動かす必要性がありそうだ。もう少しこの場所でゆっくりしていたい気もするのだが、喉の渇きには抗えない。
立ち上がった時、ふと疑問を感じた。
今日は天気が良い。汗も良く出てくるし、喉は渇くはずだ。
砂場の少女は、喉が乾かないのだろうか? 見たところ、近くに保護者の姿もないし、少女は水筒など持っていない様子だった。
この時の僕は、陽気にやられてどうかしていたのかもしれない。
何を思い立ったか、僕は砂場まで歩み寄ると、少女に声をかけていた。
「やあ、喉は渇いていないかい?」
◇
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