第10話 デート



 一応、靜香にメールをした。


 あくまで仕事での事とはいえ、女性と二人きりで食事をするという事は、恋人の靜香に連絡をしていた方が良いと思ったのだ。






”前にも言ったと思うけど。私、浮気には寛容なほうなの。事前に連絡もくれたし、今回は見逃してあげるわ”





 彼女らしい返答に、僕は何とも言えない顔をする。


 浮気ではない。彼女に恋愛感情など抱いてはいない。


 そのことを、靜香には何度も説明しているが、それでも彼女は浮気だと僕をからかい続けている。


 少しSの気がある彼女は、きっと僕の困った顔を見て楽しんでいるのだろう。








 仕事を終え、事務所を後にする。


 時間は18時半。約束した時間には1時間以上早かった。


 どこかで時間を潰そうか悩む。適当な時間つぶしというモノは、僕にとってはかなり苦手な作業だった。


 少し考えた後、僕は小さくため息をつく。


 仕事とはいえ、相手は花沢だ。ならば、そんなに気張る必要はないだろう。


 事務所の近くの適当な本屋に寄り、オススメされていた新刊を何冊か購入する。近場のチェーン店の喫茶店に入り、アイスのコーヒーを注文して一息ついた。


 ネクタイを緩め、先程購入した文庫本を、紙袋から取り出す。


 本を読むのは好きだ。それに職業柄、今の流行を知っておくというのは仕事に直結すると言っても良い。


 購入した文庫本は、どうやら先の新人賞で大賞を受賞した作品らしい。忙しすぎて、新人賞のチェックを怠っていた事実に少し反省する。


 内容は王道のミステリーもの。


 描写力は大したことは無いのだが、巧妙に張り巡らされた伏線と、犯人の使用したトリックなどは見応えがあり、なかなかおもしろい作品だった。


 しばらく読み進めていると、注文したコーヒーが届く。


 チェーン店の制服を着たアルバイトの女性が、やる気が無さそうな雑な態度でコーヒーを運んでくる。


 僕の目の前にコーヒーを置くと、女性はマニュアル通りと言った口調で「ごゆっくり」と言って去って行った。


 このマニュアル通りの距離感のある接客が心地よい。


 他人にあまり距離を詰められたくなかった。


 昔ながらの喫茶店や、小さな個人経営の居酒屋のような、店側と客の距離が近い店というものが僕は苦手だ。


 チェーン店は良い。


 店側も、客側も互いに多くを求めていない。


 たくさんの透明な氷の入ったアイスコーヒーは、よく冷えていた。


 一口飲み込むと、普段僕が飲んでいるものよりは上等なコーヒーの味がした。アイス用に少し濃いめに作られたコーヒーは、氷が溶けるにつれて、また別の味わいに変わる事を僕は知っている。


 チラリと外を見る。


 硝子の向こうでは、仕事終わりのサラリーマンや、部活を終えた学生達がせわしなく動き回っていた。


 こうして一枚硝子を挟んだだけで、世間の時間から切り離されたような感覚に陥る。


 日は完全に暮れて、夜の帳が街に覆い被さった。


 チラリと時計を確認する。


 ちょうど良い時間だ。そろそろ喫茶店を出ないと不味いだろう。


 わずかに残ったアイスコーヒーを飲み干し、席を立つ。


 新人だろうか、会計にまごついている店員をぼんやりと眺めながら、僕は今夜の食事の事を考えていた。


 花沢と二人で食事をするのは初めてではない。


 学生の頃は、先輩らしく大学近くのマクドナルドでハンバーガーを奢った事もあった。


 しかし、こうしてちゃんとした店を予約しての食事というのは初めてかもしれなかった。


 予約したレストランは、最上級という訳では無いが、ちゃんとしたお店で、キチンとドレスコードもある。


 正装をした花沢というものは、何ともチグハグに感じられて、どうにも想像がつかなかった。


 精算を済ませ、喫茶店を後にする。


 冷房の効いた店から出ると、じんわりとした暑さが、どうにも気持ち悪かった。



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