第6話 雨の音
雨は降り止む様子を見せない。
窓硝子一枚の向こう側で、耐えずに鳴り続ける雨の音。適度に冷房の効いた部屋の中で聞く雨音は、どこか風情があるような気もしていた。
部屋を照らす電灯は薄暗く、そろそろ電球の替え時かと考えられる。そんな事は意に介さないとばかりに、花沢はちゃぶ台の上に原稿用紙を広げて執筆をしていた。
薄暗い部屋の中で、ボールペンの先と原稿用紙が擦れる音だけが聞こえている。
原稿用紙と鼻先がくっつくのではないかと思うほどの前傾姿勢。彼女の集中力の凄まじさが窺える。
小説家花沢式は、原稿の締め切りこそ破るものの、別に遅筆という訳ではない。むしろその執筆速度は驚嘆に値するほど早かった。
では何故締め切りを破ってしまうのか。
それは、彼女の作品に対するこだわりの強さ故の結果。せっかく原稿を書いても、自分が気に入らなければ担当に見せることも無く、その場で原稿用紙を破り捨ててしまうなんて時代錯誤な事をやってしまう人物だった。
彼女のゴミ箱には今も破り捨てられた原稿で一杯になっていることだろう。
正直、作家としてのそのこだわりは、編集者という視点からはマイナスだが、クリエイターとしてみるととても正しい。
自分すら納得させられない作品を、世に出して何になるというのだろうか?
もっとも、その考えを他の人に話した事はないのだが。
原稿用紙に向き合う彼女を視界の端に捉えつつ、僕は部屋の隅でノートPCを開いた。
会社から支給されたそのPCは、一世代前の型だったが性能は必要十分で、プライベートで使っているPCより性能は良かった。
他に担当している作家さんとメールでやりとりをしたり、文章の更生をしたりしながら時間を過ごす。
キーボードを叩く音、ボールペンと原稿用紙が擦れる音、窓硝子一枚を挟んで聞こえる雨の音。
会話なんてものは無い。
僕と花沢は、ただ無言でお互いの仕事をし続けた。
不思議と不快感は無かった。
花沢個人の事は、別に好きでは無い。
何せ彼女は、その暴力的なまでの才能で、小説家になりたいという僕の夢を粉々に砕いた人物だ。
だけど、彼女と二人で過ごしているこの空間は、正直嫌いではなかった。
この感情を何と呼ぶのか、今の僕にはわからない。
窓硝子ごしに聞こえる雨の音が、一定のリズムで僕の鼓膜を刺激している。
どれだけの時が過ぎただろう?
部屋を支配していたボールペンの音が止んだ。
原稿が仕上がったのかと、僕はノートPCの画面から視線を上げる。
「書き終わりましたか?」
僕の問いかけに、しかし花沢は無言で自身の書いた原稿を読み返していた。
もう少し時間がかかりそうだ。
そう判断した僕が、再び作業に戻ろうとしたその時、ビリビリと紙を破く音が響き渡る。
しまった!?
パッと視線を上げると、案の定、そこには先程書き上げた原稿をビリビリに破いている花沢の姿。
彼女は立ち上がり、ヒステリックに自身の髪をかきむしる。
「違う!?!? こんなんじゃ無い…………私の作品が!! この程度で ある筈が 無い!!!」
静寂を切りさくような叫び声。
きっとその叫びは、アパートの壁を通り抜けて周囲に響き渡っただろう。
しかし僕は注意などできなかった。
魂から慟哭する天才に対し、凡人である僕がかける言葉なんて無い。
誰にも理解されない孤独な天才は、
ボロボロなアパートの一室で、一人静かに涙を流していた。
◇
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