第5話 仕事

「……これはまた、随分汚しましたね」


 彼女の部屋は、一言で言ってしまえば、とても散らかっていた。


 別に掃除をしていないという訳では無いのだろう。ゴミが散乱している訳では無く、洗い物が溜まっている訳でも無さそうだ。


 では何故散らかっているか、長い付き合いの中、僕が得た答えは、どうやら彼女は片付けというものが上手くできないらしいという事だった。


 彼女なりに整理整頓をしようとしたのだろうが、本棚の中の本は巻数がバラバラ、家具などの配置もデタラメで、畳まれた洋服はタンスにしまわれる事も無く、部屋の片隅にまとめて置かれている。


 部屋が汚れているという僕の評価は、彼女にとって不服らしく、不機嫌な表情で睨み付けられた。


 まあ、彼女も部屋を汚している意識は無いのだろうから、汚しているという言葉は無礼だったのかもしれない。


 そのことについて、謝る気も無いのだけれど。


 不機嫌に書きかけの原稿を持ってくる彼女は、大学のころの文芸サークルの後輩であり、現在僕が担当してる作家でもある。


 ”花沢 式” 

 というペンネームで活躍している彼女は、今や売れっ子の小説家であった。


 花沢が持ってきた原稿を確認する。


 想像していたよりは筆が進んでいるようで、想定している完了系の七割ほどは執筆が終わっていた。


「……駄目なの。どうしてもラストが決まらない」


 ガリガリと右手親指の爪をかみ始める。その癖は学生の頃から変わっていなかった。


 現在、彼女が執筆しているのは、貧乏な学生とくたびれたOLの恋愛を描いたラブロマンスもの。


 今まで彼女が書いてきた小説の題材は、ドロドロとして狂気に満ちた作品が多く、恋愛のような甘ったるい要素は欠片も無かった。


 しかし、どうやら最近スランプ気味になっていたようなので、少し新しい切り口で書いてみたらどうかと、僕が提案したのが今の作品だった。


 ぶつぶつ文句を言いながらも、これまで順調に執筆できていたようだったのだが……やはり今まで書いたことの無いジャンルは難しかったようで、ラストの展開を決めかねているとの事だった。


 僕は担当の編集者らしく、彼女にアドバイスを送る。


「順当にいくと結婚エンドでしょうか……これは王道で外れが無いと思います。バッドエンドでいきたいのでしたら片方が病気になるですとか、交通事故に会うなんてのもありますね」


「どれもありきたりね……ピンと来ない」


「とは言っても、王道っていうのはやはり強いですよ? 王道と呼ばれるだけみんなに愛されている展開なわけですからね」


 オリジナリティを求める事は悪いことではない。


 しかし、王道という選択肢を捨てるのは、あまりにもったいないと僕は考える。


 それに、たとえ物語の展開をすべて王道のテンプレートで固めたとして、それを綴る作家が別人なら、全く別の物語へと変わる。


 作家の色というものは、其の程度で塗りつぶされはしないのだ。


 それでもなお悩んでいる花沢に、僕は一つの提案をした。


「時間もあまりありません……取りあえず思いついた展開で書いてみましょうか。書いている最中に、新しいアイデアが生まれてくるかもしれません」


 時間は有限だ。


 迷っている暇があるなら、手を動かした方がいくらか建設的である。どれだけ時間をかけて考えても、良いアイデアが生まれる保証などない。


「……わかった。取りあえずアンタが言っていた展開をいくつか書いてみる」


 了承してもらえて良かった。


 ほっとした僕は、彼女の執筆が終える時間まで事務所に戻ろうかと、チラリと窓の外を見る。


「…………あ」


 思わず声が漏れた。


 先程よりも真っ黒に染まった雲の色。


 ポツポツとやがてザアザアと音を立てて、大粒の雨が空から降り注いだ。


「雨……か」


 これは困った。


 僕の手元には会社から持ってきたノートPC。


 傘は持っておらず、このPCを濡らすわけにはいかなかった。


 僕の葛藤を見て取ったのか、花沢はチラリと僕の方を見ると、事もなにげに言ってきた。


「雨……止むまで此処に居れば?」

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