特別編・迷宮行
エルフの
「今日はここで野営としよう」
「はい、
ジャンは小鬼が営巣していた小部屋を手早く処理して、傍らのマルーイにそう告げた時分には、迷宮時計はちょうど日の入りの時刻を指していた。確保した小部屋は平坦で、休むにはちょうどいい塩梅である。マルーイは手慣れた様子で手早く部屋の隅々までを確認し、罠の類や隠し扉などがないとわかるとひと心地ついた。注意すべき点が一ヶ所に絞られているのは有り難かった。
マルーイがテントの設営に掛かる頃、ジャンはその辺の瓦礫で即席の竈を作り、鍋になみなみと水を注いで火にかける。火も水も、ジャンが何事かを小さく呪えば虚空より現れて、それはジャンの意のままに振舞った。魔法だ。
小部屋の床にペグを打つ傍ら、ちらちらとジャンの様子を伺いみてはその妙技に興味津々のマルーイは、木づちで強かに指を打って盛大に悶えた。
「休むにしたって、油断をし過ぎるのはよくないね、マルーイ」
「すみません」
静かに窘められ、マルーイはバツ悪く頭を下げた。ジャンが沸かしたばかりの湯を椀に掬い、小さく
マルーイは恐縮しながらもそれを飲み下し、その後は余所見一つすることなくテントの用意を完了させた。
///
「
湯気の立つ椀を受け取りながら、マルーイは尋ねた。ジャンはごった煮スープをかき混ぜる手を止めて、しばし黙考する。
「エルフであるから、という理由では、きっと君は満足しないんだろうね」
エルフというのは、何かを研究せずにはいられない奇特な種族である。何故ならそうしないと退屈で死ぬからだ。寿命が長いというのも考え物で、長い人生に張り合いを持たせるためにも難題を好む傾向にあった。ジャンはくつくつと笑い、スープをよく冷ましてから一口だけ啜った。
「初めて迷宮の存在を知った時、そのあまりの不自然さに心を奪われた。超自然的な生態系を内包する明らかな人工物。一辺が
「つまり……
「ふふ」
ジャンは小さく笑って椀に視線を移した。それが肯定なのか否定なのか、マルーイには上手く判別をつけられなかった。
///
「さて、たまには師匠らしいこともせねばなるまいね」
///
翌朝、ジャンとマルーイはダンジョン中層と下層の転換点である地下10階にまで下りてきていた。
それまでは迷宮の名の通り坑道、ないしある種の通路の様相であった景色が一変し、視界いっぱいに広がるのは鬱蒼と繁った森である。天井には大量の発光性菌糸類が蔓延り、昼間のような光量に包まれていた。
「カンテラの火は落さないように。森に分け入ればすぐに光はなくなる」
「はい」
「眩しいからといって、周囲の確認を怠ってはいけないよ。ファイアボルト」
マルーイは眩む目を顰めて頷いた。ジャンは弟子のあまりの隙の多さを嗜めるついでに炎の矢を放って、音をも切り裂いて飛んだそれはマルーイの背後に迫っていた
頬に感じた火の熱さに驚愕してマルーイが振り向いた先には、未だ燻る灰だけがあった。
「この階層へ初めて足を踏み入れた者は、おおかた今の君のように光に呆けているうちに怪物に殺される。天井の光も含めて、これも罠の一種であると心得なさい。私の予備の黒眼鏡を使うと言い」
振り向いたジャンは目をまるっと覆う遮光ゴーグルを着用していた。マルーイも噂にこそ聞いていたから警戒していたつもりだったが、思いのほか光が強烈でこの始末である。マルーイはジャンから受け取ったサングラスをかけた。なるほど、あるとないとでは雲泥の差だ。
「さて、進もうか。あまり光に慣れてしまうと、今度は闇に呑まれるからね」
ジャンは腰に佩いた山刀を抜き放って藪を払う。アダマンタイトを芯材にヒヒイロカネの刃の美しい山刀が草の汁で汚れることもいとわず、ずんずんと藪を漕いでゆく。マルーイはそれに追従しながら、後方への警戒を厳とした。
///
ドラゴンを倒した。
ぶよぶよとした皮革は周囲の色に溶けるように変色して、これにはずいぶん苦労させられたが高く売れるだろう。マルーイとジャンは無心で巨大な体躯から皮を剥ぎ取りつつ、似たようなことを思った。
「引き上げよう」
「よろしいんですか?」
ジャンとマルーイが本来目指していたのは、これよりもう1層もぐった11階層である。その目的は依頼に根ざしたものであったから、このままでは未達成と見なされて罰金を払う羽目になる。
マルーイの心配をよそに、ジャンはドラゴンの胃袋を慎重に取り出して「目的は達せられた」と言った。
「遺品は回収した。驚くべきことだが、この色なし竜は階層を上がってきたらしい」
ジャンの手には、粘液にまみれた鎧飾りがあった。遺品漁りはマルーイの職分であるが、ジャンの手際は確かだった。マルーイは強い悔しさを覚えたが、顔には出さずにぐっと堪えて頷く。
尤も、ジャンは弟子の心情などお見通しと言う様子で少し笑むと、すぐに神妙な面持ちとなってマルーイに告げた。
「マルーイ。おそらく、下層でよくないことが起きている。監視塔に急ぎ報告せねばならない。4日の道を2日で戻ることになるが、ついて来られるね」
マルーイは一度頬を叩いて気合を入れなおして、腹から声を出して発奮した。
「はいっ!」
「よろしい。だが声はもう少し潜めたほうが良いね。怪物が来た。走ろうか」
ジャンは来た道を軽快に走り出した。自省はあとで。すれ違いざまの囁きに、マルーイは申し訳ないやらこそばゆいやらで忙しく考えを巡らせながら、それでも足はジャンの後を追っていた。
エルフのジャンと、弟子のマルーイ 永多真澄 @NAT_OSDAN
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます