第7話 胡散臭いゲールンと、嬉しくない誘い

 そうこうあって、しばらく往来を歩いた後である。


「先生、ジャン先生」


 迷宮ダンジョンに潜る日は往来で声をかけられる頻度が上がる。それは純粋な心配だとか応援だとかの場合もあれば打算で下心を塗り固めたようなものまで様々で、先刻のリューが前者であったとするならば、今声をかけてきた男は疑いもなく後者である。


「ゲールン・ミューダー。久しぶりだね」


「先生もお変わりありませんようで。なんでも近々に迷宮ダンジョンへ潜られるとか」


 ゲールン・ミューダーは中年と初老のせめぎ合いに立つ人族の小男で、頭髪と額の境界線もせめぎ合っているような男である。この街に住む純粋な人族というのをジャンは二十人程度しか知らないが、その中でもこのゲールンという男とは格別に面識があった。

 とはいっても、別に親しくしているわけでもない。


「相変わらず耳が早いね」


「うはは、そいつが商売なもんで」


 ジャンのそっけない対応にも、ゲールンはにこやかな態度で応ずる。これもいつもの事で、彼は商売柄、誰に対しても愛想よく接する。


「そいで、今回の探索ですが、ぜひわが社で……」


「それはできない。僕はすでに魔王印刷グランヒルデ・プレスの仕事を請け負っている。知っているだろう?」


「ええ、そいつはもちろん」


 ゲールンはジャンの明確きわまる拒絶を受けてなお、笑顔と揉み手を崩さなかった。

 彼はこの街で一番の発行部数を誇る大衆タブロイド紙『明日からの使者』の記者兼編集長である。部下を方々に飛ばし、新鮮なネタを求めて常にアンテナを張っている。これくらいの返答はどうやら予想の範囲内だったようで、ジャンは少しだけ辟易とした表情を見せた。


「実はこの度、我が『明日からの使者』紙で新たな企画を立てているところでして」


「手短に頼むよ」


 ジャンはゲールンを振り切るのは諦めて、ここでようやく歩を止めた。幾分かわざとらしく零れたジャンの溜息も意に介さず、ゲールンは我が意を得たりとばかりに元気になった。


「ええ。実はですな、ジャン先生に迷宮ダンジョンにまつわるコラムの連載をお願いできないかと思っておりまして」


「それは……」


「もちろん、内部の詳細な様子が欲しいわけではなくてですな。探訪記的といいましょうか、迷宮ダンジョン内で起きた些細な出来事ですとか、そういうのを日記形式で連載できないかと考えておるのです。もちろん、魔王印刷グランヒルデ・プレスの職務規定に抵触しない程度のもので一向に構いません」


「そんなコラム、読者は望んでいるのかい?」


「先生は、この街の有名人でいらっしゃいますんで」


 ゲールンはなんら疑いなくそういってのけたので、ジャンはなんともいえない表情を作った。


「もちろん、良い意味での有名人でいらっしゃる」


 その表情を見てゲールンは付け加えたが、いらぬフォローである。ジャンは大きく嘆息すると、落ちかけた眼鏡を直した。


「考えてはおくよ」


「それでは、細かい話は御帰還なされてからということで」


「まだ受けると決めたわけじゃない」


 ジャンは少し憮然とした態度でそう言ったが、ゲールンはわかってますよとでも言いたげな顔で答えとした。


「それでは、御武運を」


「別に、戦いに行くわけではないんだけどね……」


「あいや失礼。それでは、ご無事のお帰りを、お祈りします」


 それを結びの言葉としてゲールンは深々と頭を下げた。ジャンがそれにひらひらと手を振ると、頭を上げたゲールンは溶けるように雑踏の中に消えていった。

 ジャンはひとつ小さなため息をこぼして、取り出した懐中時計を睨みながら少し時間を使いすぎたな、と悔やんだ。

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