第6話 ちびのリューと、かわいい奥さん

 荷物が増えた分、財布はずいぶんと軽くなった。

 "三尾屋"で買い物を済ませたジャンはそこそこの荷物を背負子しょいこに担いで、グランヒルデの商工業区を"寂柳亭"に向けて歩いていた。


「ジャン・グリック・リック・ルー!」


 不意に馬鹿でかい声で呼びかけられ、ジャンは足を止める。聞き覚えのある声、というか、この界隈でジャンフルネームを呼び捨てにする者というのは限られていたから、ジャンにはすぐに見当がついた。


「リュー・リューズ・リック・レックか。往来で声を張り上げるものじゃないよ」


 ジャンは苦笑しつつ振り返ると、やはりそこにはリュー・リューズ・リック・レックの姿があった。長身痩躯のジャンとは対照的にずいぶんと低い背で、細身であることは同じであったが女性である。浅黒い肌にジャンとよく似た構造の耳は、彼女がダークエルフという種族であることを大いに主張していた。

 彼女はちょうどジャンの腰くらいの高さの薄い胸をうんと逸らして、ジャンに視線を合わせている。強気に見開かれた瞳は紅玉ルビーと見まごうばかりで、気の強さをそのまま体現したような顔立ちに良く映えた。


「また迷宮ダンジョンに潜るのか!」


「そうだよ」


「マルーイとかいう遺品漁りスカヴェンジャーと一緒にか!」


「そうだね」


 ジャンは言葉みじかに、されど温和に返事をるると、リューはみるみる不機嫌になっていった。


「私も……」


「それはできない」


 言いかけたリューの提案をみなまで聞かず、ジャンはぴしゃりと拒絶した。リューは一瞬息を呑んだが、すぐに顔を真っ赤にした。怒っているのだということは、一目瞭然だ。

 往来の通行人がざあっと円状に散開して行って、二人のやり取りを固唾をのんで見守っている。それは野次馬根性の発露でもあったが、同時にすぐにでも逃げられるようにとの準備でもあった。

 ジャンが凄腕の魔法使いウィザードであることは前述のとおりだが、リューも負けず劣らずの詠唱魔法使いソーサラーである。


「君は迷宮ダンジョン出入り禁止命令を食らっているだろう。連れていくわけにはいかない」


 しかし期先を制したのはジャンであった。彼は驚くほど冷静に、その舌は理屈を紡いだ。対応がこなれているともいう。


「あんな命令、なにするものぞ!」


「魔王軍とやり合うつもりかい? まあ、君なら良いところまでは行けるかもしれないが、ハイリスクに過ぎるね。もちろん僕は手伝わない」


 リューはついに言葉に詰まって地団太を踏んだ。ジャンはやれやれとでも言いたげに一つ溜息をつくと、ずり落ちていた眼鏡をなおした。


「だいたい、出入り禁止になった理由を忘れたかい? 君が迷宮ダンジョンの中で地形破壊魔法を連発したからだろう? 君はいい加減すぎるんだ。なんでも強い魔法を使えばいいというものではないんだよ。迷宮ダンジョンはこの国の重要な資源だ。内部には独自の生態系が育まれていて、研究対象としても申し分ない。それを君、安易に破壊されてしまってはかなわないよ。もし君に出入り禁止命令が出ていなくとも、君がその大雑把な性格をあらためない限りは、僕は君を迷宮ダンジョンに連れて行くわけにはいかない」


 いまだ憤慨するリューにジャンは噛んで含めるように言い聞かせると、最後のほうですでにリューは涙目になっていた。紅玉ルビーのような瞳に玻璃ガラス細工のごとく潤む涙を纏わせて、しかし声は上げまいと頑張っている。そんな様子を見せられては、ジャンもこれ以上責めることもできない。

 ジャンは膝を折って目線をリューに合わせると、懐から刺繍も鮮やかな空色の手巾ハンケチを取り出して彼女の涙を優しく拭った。最初は少しの抵抗を見せたリューも、すぐにジャンのされるがままに身を任せた。

 すっかり涙をふき取られたリューは、ん、と催促するように両腕を伸ばした。ジャンも心得たもので、彼女を優しくその胸に抱き寄せた。


「心配はいらないよ、リュー。こう見えて僕は強いからね。リューの心配するようなことは起きないから、安心しなさい」


 リューの小さな後頭部を柔らかく撫でさすりながら、ジャンは言った。


「……本当だな?」


「もちろん。ドランの大樹に誓って」


 それは彼、彼女らエルフに属す者にとっては最上級の誓約で。ジャンはリューの頬にキスをすると、柔らかく微笑んだ。リューは今度こそ本当に、リンゴのように真っ赤になった。


「子供たちの事は頼んだよ、僕の可愛い奥さんリュー


「まかせておけ。お前も知っているだろうが、私も強いからな。子供たちを守ることなど造作もない。お前も無事に帰ってくるんだぞ」


 口では強気なリューであったが、その表情はとろけるような笑顔であった。


「ああ。行ってくるね」


 ジャンはすっかり安堵して、もう一度頬にキスを落した。


「ヒューヒュー!」

「お熱いねえ」

「いよっ、御両人」


 危機は去ったと察するや、ふたりを遠巻きに囲む野次馬が、すかさず冷やかしを多分に含んだ定型句的な歓声を飛ばす。彼女の顔は熟れたリンゴよりももっと赤くなった。

 リュー・リューズ・リック・レックは齢百二十歳のダークエルフにして凄腕の詠唱魔法使いソーサラーであり、そしてジャン・グリック・リック・ルーの伴侶でもあった。


 ジャンとリューの馴初めから結婚騒動に至るまでを記述するとあまりに長くなるので割愛するが、二人の夫婦仲はおおむね良好であるということは明言しておく。諸般の理由あって現在別居中ではあるが、その辺の事情はいつか語られるべき時に語られるだろう。

 とにかくジャンが往来でリューをなだめすかしていなすというのはさほど珍しい光景でもなく、ショーは終わりとばかりに野次馬たちは三々五々に散っていった。

 ジャンはリューの背をぽんぽんと優しく叩いてから抱合を解くと、それに紛れるようにその場を後にした。

 重ねて言うが、彼らの夫婦仲はすこぶる良好である。

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