第19話 ママになる、そして……


 それから七ヶ月が経ち、とある病院の分娩室で赤子の産声が上がる。


「おめでとうございます!! 可愛い男の子ですよ!!」


 マスクをした看護師が産まれたての小さな命を抱え私に見せてくれた。

 その子こそ私の可愛い赤ちゃん。

 姿を見た途端に得も言われぬ感動が胸に湧き上がり涙が溢れ出す。


「良かったな真紀、お疲れ様」


「ありがとう、あなた」


 分娩室に入ってからずっと手を握り私を励まし続けてくれた道明寺君、じゃなかった私の夫、凱がねぎらいの言葉を掛けてくれる。

 そう、私たちは同棲だけのつもりが結局籍を入れて結婚したのだった。




「なあ早乙女、このままでは生まれてくる子が私生児になってしまう、それならばいっその事……俺と結婚しないか?」


「えっ……?」


 同棲開始から二か月ほど経った頃、凱が私にそう切り出してきた。

 私が狐に摘ままれた様にきょとんとしていると、凱はバツの悪そうに顔をそむけた。


「……嫌ならべつにいいんだ、そもそもお互いを好き合って同棲を始めた訳じゃない訳だし」


「……ぷっ……うふふふっ……」


 私は道明寺君のそのすねっぷりが可愛くてつい笑ってしまった。


「何だよ、そんなにおかしいかよ」


「ううん、違うの……いえ、あなたは間違っているわよ」


「何が間違いだって言うんだ?」


「あなただけが一方的に私を好きになったと思い込んでいるんでしょうけど、私だってあなたの事が好きなのよ? 知らなかったの?」


「えっ……それじゃあ……」


「でも本当にいいの? 私のお腹の子はあなたの子じゃないのよ?」


「いいんだ、その子の事もひっくるめてお前の事を愛すると誓おう」


 その言葉を聞いた途端に私の胸はじんわりと熱くなり目元に涙が滲みだす。


「おいおい!! 大丈夫か!?」


 道明寺君はどぎまぎしている。


「ありがとう……不束者ですがよろしくお願いします」


「真紀っ……!!」


 凱は物凄い勢いで私に抱き着いて来た。

 それはもうとても力強い抱擁だった。

 折角の良いムードが台無しだ。


「凱、ちょっと痛い……」


「ああ、ゴメン……」


 慌てて私から手を放す。


「お腹には赤ちゃんが居るんだから、もうちょっと優しく扱ってね、あなた」


「真紀……」


 改めて私たちは抱き合った。

 今度は彼もちゃん力加減をしてくれている。

 その日、私たちは初めて唇同士のキスをしたのだった。


 そして今日の日を迎えた訳だが、凱は赤ん坊の誕生を本当の自分の子の様に喜んでくれている。

 私は彼と結婚出来て良かったと心底思った。

 出産したばかりだというのに、ゆくゆくは彼との子供も儲けたいとさえ思う。


「真紀、この子の名前はどうするんだ? もう決めたのか?」


「うん、この子の名前は『有紀』……男の子でも女の子でも通用する名前でしょう?」


「なあ、その名前に由来はあるのか?」


「えっ……?」


 凱に言われて考えるが、どうして有紀って名前にしようと思ったんだろう、思い当たらない。

 でも何故かこの子には有紀と名付けなければいけないような使命感に似た感情が私の心の中にあったのだ。

 自分でも何を言っているのか分からないが、とにかくそう言う事なのだ。


「あっ、気を悪くしないでくれ、反対する気は甚だないんだ……有紀、いい名前じゃないか、それで決まりだな」


「ありがとう」


「よしよし、今からお前は有紀だ、これからよろしくな有紀」


 凱は目を細めながら赤子にそう話し掛けると、直前まで泣き喚いていた赤子が泣き止み、穏やかな表情をしたのだ。

 微笑んでさえ見える。


「あら、珍しいわね、赤ちゃんて二、三か月は感情を表すことが出来ない物なんだけど、この子笑ったわ」


「きっとお名前が気に入ったのね、良かったわね有紀ちゃん、素敵なお名前を貰えて」

 

「本当に可愛いわねこの子、まるで女の子みたい」


 看護師さんたちが口々にそう言い、嬉々として有紀に話しかけてくれる。

 何だか嬉しくなってくる、我が子が祝福されていると実感する。

 本当に産んで良かった、あの時凱に命を助けてもらわなければこんな素晴らしい気持ちを味わう事も無かったんだ。

 

「検査の為にお子さんは一時こちらの集中治療室で預からせてもらいますね

 明日の午前中には一緒に過ごせるはずなので」


「そうですか、よろしくお願いします」


 私は凱に付き添われベッドごと移動し一般病室へと戻る事となった。


「疲れただろう? 少し休むといい、俺は一度家に帰って必要なものを取って来るから」


「ありがとう、そうさせてもらうね」


 凱が病室を出たのを見送った瞬間、視界がぐにゃりと歪んだような錯覚を覚え、私はそのまま眠りに就いたのだ。




「おい、聞こえるか?」


 視界の全く利かない闇の中、太い男の声が聞こえる。

 デジャビュを感じる……こんな事が以前にもあった気がするのだが。


「誰……? 私、出産直後で疲れてるんだけれど……」


「そうだったな、良くも悪くもお疲れさん」


 その言葉で一気に私の意識は覚醒する。


「ちょっとどういう意味よ!? 有紀が生まれた事がまるで悪いみたいな言い方をして!!」


「そう聞こえたのなら悪かった、そうだな、俺たちにとっては、と言い直そう」


「同じことよ!!」


 これは聞き流せない話しだ、確かに妊娠が発覚した直後は不安の余り現実逃避をしてしまったりもしたが、あの子は立派にこの世に生を受けたのだ、それを否定するなんてもっての外だ。

 それにこの性格の悪そうな言い回し、完全に思い出した。


「あなた、以前にも私の夢の中に出て来た事があったわね!?」


「憶えていてくれたか、そいつは良かった、しかし奴らに記憶を改竄されたはずの君がその事を憶えているのは少しばかり不思議だがね」


「はぁ!? 何を訳の分からない事を……あっ……」


 何? この、ある事を思い出せそうで思い出せないようなソワソワする感覚は。


「確認するけど今の君は誰なんだい?」


「何を馬鹿な事を、私は早乙女……早乙女……?」


 どうした事か自分の名前がすぐに出てこない……一体どうなっているの?


「成程、君は今しがた子供を産んだと言ったね」


「そっ、そうよ」


「それが原因だね、君の意識がそちらへ移り始めているんだ」


「はっ? 何を訳の分からない事を!!」


 何なんだこの夢は? 夢だからってあまりにも荒唐無稽すぎる。


「このままでは前回と変わらない道を辿っている訳だし、ここで少しだけ過去に介入させてもらおうか……実はあまりこういうのは良くないんだがね」


「何なのよさっきから!! 私にも分かる様に説明してよ!!」


 思わせぶりな事ばかり話す男に私は苛立ちをぶつけた。


「分かったよ、前回より突っ込んだ情報を提供しよう、君が有紀君を産んだことで将来地球は侵略宇宙人の手に落ちるんだ」


「バカ言わないでよ、そんな作り話、私が信じると思う?」


「これは紛れもない事実だ、何せ俺は今その時代から君に話しかけているんだからね」


「はぁ!?」


 この男、正気?


「この際だから教えておく、早乙女有紀……彼は特異点なんだ、何度も何度も過去と未来を行き来して魂に力を蓄える事の出来るね……だから我々は彼に接触してこんな未来を変えようと、変えてもらおうと思ったんだが上手くいかなかった……どうやら過去に遡った時点で宇宙人のエージェントに接触して記憶を改竄されてしまうからだな、だがどうしてもここをクリアすることが出来ない、俺がこうしてお前に情報を提供しても君が起きた頃には記憶に残っていないからだ」


「そんな作り話を信じろと?」


「ほらな? 信じてももらえない、つまり我々もあまり積極的に歴史改変に関わる訳に行かずおっかなびっくりサポートしてきた訳だ……だがこれでは埒が明かない、だから俺は規則を破ってでも今回で決めようと思う」


「何をする気……?」


 こんな与太話を信じる気はなかったのだが、この男の言動は嘘偽りではない気もし始めている。

 それほど鬼気迫ったものが彼の言葉に現れているからだ。


「出産直後なら君は今早乙女真紀のはずだ、だからこれから君の改竄された記憶を元に戻そうと思う」


「どういう事?」


「君は未来から過去の君の身体に入った早乙女有紀だったんだ、以前会話した時はそうだった……だから今から君には早乙女有紀に戻ってもらう為にこちらから働きかけようと思う」


「ええっ!? 私を有紀に戻すですって!? もう何が何だか……」


「君は深く考えないていい、そのままそこで頭を空っぽにするイメージでいてくれ」


「無理だわそんなの!!」


「頼む、この通信もいつまでも持たないんだ、やるよ」


「ちょっと待って!!」


 しかしこちらの願いも虚しく私の頭の中に何かが入り込んでくる感覚がする。

 既に一杯の頭の中に更に何かを詰め込もうとでもしているかのように。


「あああっ……!!」


 割れそうな頭の痛みに耐えきれず私は頭を抱え蹲る。


「もっと無心になるんだ、このままでは失敗してしまうぞ」


「そんなこと言われても……無理……」


 私は耐え切れなくなりそのまま意識を失った。

 そこから先の事は既に記憶に無い。

 しかし夢の中で更に気を失うなんておかしな事もあるものだ。


「……紀……真紀……!!」


 朧げな意識の中、遠くから声が聞こえる……この声は……凱?


「はっ……」


「良かった!! 目を覚ました!!」


 目を開けるとまじかに凱の顔があった、しかも彼は目じりに涙をためている。


「ど、どうしたの?」


「どうしたもこうしたもあるか!! お前は三日三晩昏睡状態だったんだぞ!!」


「えっ?」


 我に返ると少し頭が痛い、だがこれくらいなら問題は無いといった程度だ。

 何かおかしな夢を見ていた気がしないでもないが。

 周りを見ると医者と看護師が私のベッドを囲むように立っていた。

 どうやら私が昏睡状態だったのは本当だった様だ。

 産後に稀に母親が命を落とす話しを聞いた事があるがまさか私がそうなる所だったとは。


「念のため精密検査をしましょう」


「お願いします」


 医者と凱が私の事について今後の相談をしている。

 実際それから数日掛けて脳や身体の検査をしたがどこにも異常は見つからなかった。

 そして更に数日後、母子揃って退院することが出来た。


 だがそれからだった、私の身体、特に記憶や精神面に異常が出始めたのは。

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