第18話 芽生える恋心


 落盤事故の起きたビルから逃げるように離れ、私と道明寺君は公園のベンチに居た。

 

「ほら、これでも飲めよ」


「うん、ありがとう……」


 道明寺君は近くの自販機からペットボトルのお茶買って私に手渡す。

 彼自身は無糖のショート缶のコーヒーのリングプルを起こした。


「久しぶりだね、元気にしてた?」


 お茶を一口含み落ち着いてから私は道明寺君に話しかけた。

 彼が高校を強制退学処分にさせられてから会うのは実に四か月ぶりだ。

 でも道明寺君は何で退学処分になったんだっけ? 何故か思い出せない。


「ああ、俺は暴力沙汰で退学になってから年少に居たからな」


「年少……少年院?」


「おうよ、でもそれが不思議でよ、実は一年の収監のはずが何故か四か月で出られてな、今は俺のジジイの知り合いの親方の元でとび職の修行中なんだよ」


「そうなんだ……」


 しっかりしてるな道明寺君は、それに比べて私ときたら嫌な現実から目を背け全てから逃げ出そうとしていたなんて。


「順序が逆になっちゃったけどさっきは助けてくれてありがとう、でもどうしてあんなところに居たの?」


「たまたまさ、いま俺は隣町に住んでてな、実家に行った帰りだったんだ……偶然ここを通りかかったら人が崩れそうなビルにぶら下がってるじゃないか、これはマズイと思って下で待ち構えていたって訳よ……まあこれも偶然なんだろうが俺がとび職の修行中で建物に興味が出て来たってのもあって、そこら中の建物を見ながら歩いていたのが幸いしたな」


 少し恥ずかしそうに鼻の下を指で擦る道明寺君。

 でもその偶然が無ければ私はこうして今を無事に過ごしてはいなかっただろう。


「お前の方こそ何であんなところに居たんだ? あのビルには立ち入り禁止の規制線が張ってあっただろうに」


「………」


 やっぱりそこは誰だって気になるよね……こうなっては仕方がない、助けてくれた彼に嘘を吐く訳にもいかない、ここは意を決して。


「実は私……妊娠してるの……」


 私はこれまでの経緯を全て道明寺君に話した。




「なるほどな、お腹の子がどこの男の子供か分からないって訳か……」


「これ以上母に迷惑はかけられないわ、だから私はこの街を離れようと決心したの」


「それで、当てはあるのか?」


「いいえ、誰も頼れる相手はいないしお金も無いわ……」


 悪い事に近くに親戚はいない、親しい友達の所に転がり込んだところで見つかるのは時間の問題だ。


「なら俺と住まないか? 俺は今、親方が前に住んでいた家に住まわせてもらっているんだが一人暮らしなんだよ、お前一人くらいなら住まわせてやれる」


「えっ……ええっ!?」


 道明寺君の突然の同棲のお誘いに私は大層驚いた。

 それは道明寺君は見てくれは怖いけど悪い人じゃないし、匿ってくれるならこれ以上良い話しは無い、でもいきなり同棲なんて。

 いやしかしこれは千載一遇のチャンスなのでは?

 一人での逃避行に無理があるのは嫌という程思い知った。


「どうする?」


「……おっ、お願いするわ」


 道明寺君には悪いけどここは頼らせてもらおう。

 今は取り合えず身を寄せる所が欲しい。

 それに妊娠中の身だから私に手を出してきたりはしないだろう。

 ただ道明寺君が異常性癖の持ち主でなければ。


「ただこのままお前を連れて行く訳にはいかない、筋は通したい、お前の母さんに会いに行こう」


「ええっ!? 無理!! 無理よ!! さっきも話したでしょう!? 私は母に黙って家を出ようとしてそれを母に見つかって逃げてたって!! 会うなんて絶対無理!!」


 きっと母は激怒しているはず、それにどんな顔をして会いに行けと言うのか。


「親と子が喧嘩別れで仲違いしたままなんて駄目だ、一生後悔するぞ、経験者の俺が言うんだから間違いない……俺も付いていくから、な?」


 道明寺君が真摯な眼差しを向けてくる、この口ぶりから彼が私よりも親子関係で大きな過ちを犯したのだろう事は容易く想像できる。


「……分かったわ」


 そこまで言われたのなら仕方ない、私は道明寺君に従う事にした。




「……ただいま」


 夕方、もう戻って来る事は無いと思っていた実家の玄関を開ける。


「まあまあ真紀!! トキ!! 真紀が帰って来たわよ!!」


 普段出したことがない程の大声で祖母が今の方へと呼び掛ける。


「……よくもまあここに戻って来れたものね……」


 母がゆっくりと居間から現れ鋭い眼光で私を睨みつける。

 だがこうされても仕方がない事を私はしてしまったのだ、ここでとるべき行動は一つ。


「ごめんなさい!!」


 私は90度で利かない程腰を折り曲げ頭を下げた。

 これで許してもらえるかは分からないがそれしか思いつかない。


「真紀さんのお母さん、本人もとても反省してるようなので許してやってもらえないでしょうか?」


「何よあなた……」


 後ろから現れた大男に母も一瞬たじろぐ。


「ぼ、私は道明寺凱と申します……真紀さんの元の同級生でして……」


 道明寺君もどこかバツが悪そうにしている。


「まあまあ、こんな所で立ち話もなんだから家に上がってもらったら?」


 祖母が話しに割って入って来た。


「ちょっと母さん!! 私はまだ真紀を許した訳では無いのよ!? この子に敷居を跨がせるなんて……」


「狭くて汚い所ですけど上がって頂戴?」


「はぁ……お邪魔します……」


「母さん!?」


 あの母が一方的に押されているのを初めて見た。

 おばあちゃん恐るべし。

 そして居間に入り、四人でちゃぶ台を囲む。


「………」


「………」


「………」


 私、道明寺君、母の三人は無言のままだ。


「はいはい、お茶が入ったわよ!!」


 湯気の上がる茶碗の載ったお盆をもって祖母が現れる。

 それぞれの前に茶碗を置き自らも着席する。


「それで道明寺さん、あなたは真紀とはどこまで進んでいるんですか?」


「えっ……」


「ぶふぉっ……!!」


 祖母があまりに的外れな言葉を道明寺君に掛けたので私は思わず飲みかけたお茶を吹き出してしまう。


「きったないわね……」


「ゴメン母さん」


 濡れた畳を布巾で拭う。

 すると道明寺君は後ずさりで座布団から降り、頭を下げだした。


「真紀さんを私にください!!」


「ぶっ……!!」


 再びお茶を拭く私。

 ええっ!? 私が知らない内にいつからそんな話に!?


「なっ、あなた一体何を言い出すの!?」


 さすがの母も驚いている。


「真紀さんのお腹の子は実は私の子なのです!! 責任を取らせてください!!」


 違うでしょう!? 何でそんな事を!?

 土下座した道明寺君が一瞬だけこちらに視線を寄越した、その目を見て私も察することが出来た。

 道明寺君がこんな事を言いだしたのは私と隣町で同棲を切り出すのに最も効果的な前振りをするためだと。

 今我が家で問題になっているのは私が妊娠してしまった事と、お腹の子が誰であるかという事。

 それを一挙解決出来るのが今の発言だ。

 なるほどと感心するとともにこれは諸刃の剣であるとも思う。

 これを聞いてその娘の親、この場合私の母がどう思うかだ。

 激怒こそすれ、すんなり許すとは到底思えない。

 

「………!!」


 それ見た事か、母は目を見開き全身をぶるぶると震わせているではないか。

 恐らく怒りで身体が痙攣しているのだ。

 次に母の口を突いて出る言葉はきっとそれに反対する言葉。


「……ううっ……うわああああん……!!」


「……!?」


 私の予想に反して母は突然泣き出した、それも滝の様な涙を流しながら。


「ううっ……この子は私に気を使って家を出ようとしていたんです!! そんな行動を取らせてしまった私が情けなくて……しかもあなたは嘘を吐いてまでこの子を守ろうとしてくれている!!」


「あっ……」


 まさかこれが母の本音だとは……ただ自分の世間体しか考えていないのだと思っていたのに。


「いやあの、お腹の子供は本当に俺の……」


「いいの、分かっています、あなたのような誠実な人が相手だったなら子供が出来た時点で挨拶に来るでしょう?」


「うっ……」


 さすがは母さん、敵わないな。

 それなのに私ときたら……自己嫌悪。


「済みません、お察しの通り嘘を吐いていました、ですが娘さんと暮らしたいというのは俺の本当の気持ちです」


「道明寺君……」


 自然と私の頬を涙が伝う。


「……分かったわ、このままここに居たのならこの子も心穏やかではないでしょう……真紀、あなたはどうしたいの?」


「……私は」


 そう、既に答えは決まっていた、だけど今は逃げ出したいというより彼と一緒に居たい、その気持ちがその決断をより強固なものにした。


「私は道明寺君と、凱さんと一緒に暮らしたいです」


 私も道明寺君に並んで土下座をし、彼も再び頭を下げた。


「まあまあ、これはめでたいわね!!」


 母の返事を待たず祖母がポンと手を打つ。

 だが母の答えを聞かなくても今なら母の表情から読み取れる。

 母は微笑んでいる、答えはイエスだ。


「じゃあ、うな重の上を四人前注文しなきゃ」


「ちょっと母さん!!」


 慌てて祖母の受話器を持つ手を止める母。


「ありがとう、道明寺君」


「なに、大した事はしていないさ」


「ううん、そんな事無い」


 今まではぶっきらぼうで不愛想な男だと思っていた彼の顔を見るだけで頬が熱くなるのを感じる。

 母と祖母が揉めている隙に私は道明寺君の頬にそっとキスをした。


「……お前!!」


「うふふっ、これはほんのお礼……」


 それから数日の内に私は荷物を纏め、道明寺君と共に隣町へと居を移すのであった。

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