第17話 一人ぼっちの逃避行


 「どうしてこんな事になっているの!? 一体誰の子なの!?」


 家に帰るなり私の母トキが物凄い剣幕で私に掴みかかってきた。

 学校で妊娠が発覚してしまった以上当然家族には、母には隠し立ては出来ない。


「分からない、分からないのよ……」


 私は声が震えた、そもそも学生の身で妊娠してしまったという後ろめたさもあるが、誰の子を身籠ったのかかが分からない状況はこれ以上ない程不安を増幅していた。


「まさか相手の男の事を庇っているの!?」


「違うの!! 本当に相手が分からないのよ!!」


「そんな事があるはずないでしょう!?」


 母の詰問はさらに続く。

 こんな鬼気迫った表情の母は私の記憶にある限りでは見たことが無かった。

 私はただ分からないと繰り返す事しか出来なく、それが更に母の感情を逆撫でしていった。


「本当にとんでもない事を仕出かしてくれたわね!! これじゃあ私はご近所の恥さらしだわ!! 職場でも何を言われるか……!!」


「ううっ……」


 私の家は母が片親の所謂シングルマザーの家庭だ。

 私が三歳の頃に両親は離婚。

 祖母のサキも同居していて、母のトキが働いている間は彼女が幼少期の私の面倒を見ていてくれていた。

 シングルマザーは最近になって増加傾向らしいが、世間の風当たりはかなり強い。

 就職先を見つけるのも簡単な事ではない。

 それでも女手一つで私を育ててくれた母には感謝しかない。

 その母をここまで激怒させてしまった事は更に私の心を強く苛んだ。

 数時間後、長い母の説教という名の罵りと嘲りから解放され、部屋で放心状態の私はベッドに腰かけたまま何をするでもなく過ごす。

 もう何もかもがどうでもよくなっていた。

 気が付くと既に外は日が落ち、空は薄暗くなっている。

 とはいえ電気を付ける気にもなれずそのままベッドに身体を投げ出した。


 眠れぬ長い長い夜を過ごし次の日の朝が来た。

 外は雲一つない快晴だが私の心が晴れる事は無い。

 母によって学校は昨日の内に退学届けが出されているので朝から身支度で忙しい思いをする事も無い。

 7時頃、部屋の外の物音に気付きドアを開ける。

 廊下にはお盆に乗せられたバターが乗ったトーストと目玉焼き、サラダが置かれていた。

 昨日の母の様子からこんな事を私にしてくれる訳がない、恐らくこれを作って運んでくれたのは祖母だろう。

 食事を置く際に私に声を掛けなかったのは母に内緒でやった事であると推測できる。


「………」


 食欲は無かったが昨日のお昼の後から何も食べていないので取り合えずカロリーは摂っておこうと思い立つ。

 トーストに噛り付きながら私は考えた……家を出ようと。

 母から見放され、周囲を気にしながら後ろめたい気持ちを抱えてここで生きていくのはもう無理だ。

 いっそここではないどこか、私を知っている人のいない場所へ行こう。

 私はジーンズとスカジャンに着替え、頭にはチューリップハットを被った。

 そして肩掛けのポーチを持って窓を開けた。

 そしてそこからスリッパのまま外へと降り立つ。

 私の部屋は二階だが窓のすぐ下は傾斜した一階の屋根があるのでそこに降りたのだ。

 それを降りて行けばある程度の高さまでは降りられる。

 そこから更にエアコンの室外機の上に降りれば難なく地面まで降りられるのだ。

 これに比べればしばらく前の学校裏の塀から外に出るのなんて訳ない。

 ……って、あれ? いま私は何を思い出したのだろう? なんで私が学校の塀を登って外側に降りたなんて……一体なぜ?

 ううん、そんな事を考えている暇はない、母たちに見つからない内に家を離れよう。

 私は踏ん張りの効かないスリッパのまま小走りでその場を後にした。


 差し当たって取り合えず靴を売っている店に入る。

 そこでスニーカーを一足買い、履き替えてスリッパを公園の屑籠に捨てた。

 これで移動がしやすくなった。

 なにせスリッパで外を歩いていると目立つからね。

 実際、店に着くまでにすれ違った人には怪訝な顔をされたっけ。

 必要なものは色々あるだろうけどそれは取り合えず町を離れてからだ。

 徒歩では人目に付く上に時間が掛かり過ぎる。

 まずは駅を目指そう。

 チューリップハッとを目深に被り街の中を歩き始めた。

 しかし後ろめたい事をしていると必要以上に一目が気になる。

 町の誰もが私を探しているのではと要らない気を使ってしまう。

 スマホの時計を見る、午前10時15分……今はまだ学校で言うところの二時限目くらいの時間だ、クラスメイトが居る訳はない。

 しかも窓からこっそり家を抜け出した関係上、まだ私が行方をくらませたことは知られていない筈。

 昨日の母の様子から私を気に掛ける事はまず無い、すぐには発覚しないだろう。

 行動を起こすなら今しかない、とにかく私はこの最低最悪な状況から逃げ出したいのだ。

 なるべく人目に付かない様にコソコソと移動、時間は掛かったが最寄りの駅まで辿り着いた。

 取り合えずほっと一息、駅へ入ろうとしたその時だった。


「やっぱり……こんな事じゃないかと思ったのよ」


「えっ……!?」


 背後から声を掛けられ振り返ると、スーツ姿で腕組みをした仁王立ちの母の姿があった。


「お母さん!! 何でここに!? 今は仕事に行ってるんじゃ……」


「まったく……あまり私を舐めないでよね、あなたの行動なんてとっくにお見通しなのよ!!」


 何故バレたのかを考えた、そして思い当たる事がある。

 母も一人で私を育て上げたシングルマザーだ。

 もしや以前、幼子の私を抱え二人で生きて行かなければならない絶望を抱えた時、同じような行動を、現実逃避を母自身も選んだことがあったのではないか?


「帰るわよ……あなたの所為で仕事を抜けて来てるんだから」


「……嫌……嫌よ!!」


 私を掴もうと伸びる母の手から後ずさりし、振り向きざまに思いきり走り出した。

 

「待ちなさい!!」


 母も追いかけて来たが距離はグングン離れて行く。

 早めにスリッパからスニーカーに履き替えていて正解だった。

 しかしこれは困ったことになった……駅が、電車が使えないとなると楽に街を離れる手段が無くなってしまう。

 恐らく母なら警察に捜索届を出して私が駅に近付けなくするだろう。

 タクシーという手もあるが私の手持ちではそんなに遠くまではいけない。

 どうしてこんな事になってしまったのだろう……私、何か悪い事した?

 走りながらどこか逃げ込めそうなところを物色する。


「あのビルは……」


 前方に解体途中のビルが見えた。

 敷地を囲うように規制のタイガーロープが張られている。

 幸い工事は休止中の様だ、ここなら身を隠すことが出来るのではないか。

 私は規制線を潜り、ビル中へと入った。

 まだ階段は取り壊されていない、なるべく上の階に隠れよう。

 4階まで上り、既に取り壊されている壁から腹這いになって下を覗くと丁度母がこのビルの前に通り掛かる所を目撃する。

 私を見失った事で立ち止まりキョロキョロと辺りを見回すと再び走り出し向こうへと行ってしまった。


「ふう……」


 何とか母を巻いた様だ。

 しかし駅で母にあった時は肝を冷やしたな。

 まさかあの母があんな行動に出るとは思いもよらなかった。

 だがここに隠れていれば暫く母の目を欺く事が出来る。

 ほとぼりが冷めた頃、何とか終電間際に駅に行って電車に乗ってしまおう。

 

「さて、と」


 立ち上がろうとすると、ミシッと音が聞こえる。

 

「何?」


 私の身体が完全に起き上がった時、足元の床がいきなり崩れたではないか。


「きゃっ!?」


 突然の事に反応が遅れ、身体が落下していく。

 しかし咄嗟の所で床を手で掴み、4階の床だったところにぶら下がる事に成功する。


「うううっ……」


 しかし指の第二関節くらいまでしか引っ掛からない程の手元だ、長くは持たない。

 ああ……私が変な気さえ起こさなければこんな事にはならなかったのに。

 だけど逃げたっていいじゃない、向き合えない事、立ち向かえない事は人にはあるもの。

 それとも逃げずに立ち向かえとでも言うの? どうやって?

 そんな不毛な事を考えている最中でも指は限界に達していく。

 さすがにこの高さから落ちたら助からないだろうな。

 ゴメンね私のお腹の中に居る赤ちゃん、この世に産んであげられなくて……お父さんが誰か分からないけどあなたには何の罪もないのに。

 

「もうダメ……」


 遂に指が外れて身体が落下していく。

 これから死ぬというのに何故か清々しい気持ちだ。

 落下時に感じる空気の流れさえも心地よい。

 そうか、これでも、死ぬ事でも逃げられるのか。

 それならば悪くは無いかな……。

 

 さようなら……。


 背中に衝撃を感じた、しかし思ったほど痛くない。

 以前聞いた事がある、人の身体はある一定以上の激痛を感じた時に脳が痛覚を遮断するとかなんとか。

 いや、もしかしたらもう死んでいるから痛くないのでは。


「おい、大丈夫か?」


 やたらと太い男の人の声がする。

 どうやら私の身体はその男に抱きかかえられている様だ。


「聞こえているか? 早乙女?」


「あっ……」


 視界に映ったその男の顔は私の知っている顔だった。

 私の瞳から涙が止めどなく湧き出して視界が歪んでいるが間違いない。

 その年齢以上に老けた強面、顔の傷……彼の名は……。


「道明寺君!!」


「おう、久しぶりだな」


 相変わらずの仏頂面が少しだけ綻ぶ。


「道明寺君!! 道明寺君!! うわああああああん!!」


 私は思わず彼の首に抱き着き幼い子供の様に泣きじゃくるのだった。

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