第9話 恋と運命の分岐点
更衣室内に充満する甘酸っぱい匂い。
目の前で年頃の少女たちがあられもない姿で着替えをする光景。
まさか男の俺が合法的にこの光景を目の当たりにするとは、三日前の俺に話したとして果たして信用しただろうか。
少女たちは他愛のない会話をしながら制服を脱ぎ体操服へと着替えていく。
だがたったそれだけの事を何と楽しそうに行うのだろう。
少女は存在しているだけで尊いのではと一人勝手に悟りの域へと達しそうになる。
ここに来る前に俺が抱いていた邪な感情が恥ずかしくなってきた。
逆に一人男である自分が紛れ込んでいる事の方がいたたまれなくなりさっさと着替えを終わらせるよう部屋の片隅でセーラー服の上着を脱ぎ下着姿になる俺。
「えい!!」
「ひゃっ!?」
ひとり物思いに耽っていた俺の胸が、背後から回り込んできた手に鷲掴みにされた。
「あれ~~~? 真紀っち、お胸が少し育って来たんじゃないかにゃ?」
「んふっ……」
胸への不意打ちに俺の口から艶めかしい声が漏れる。
このふざけた物言いは暦か?
この言い草だと彼女は、いや彼女も美沙同様に頻繁に真紀の胸を揉んでいたと推測できる。
俺は女の子同士がそうやって戯れるのを見たかっただけであった俺自身が被害にあうのは望んでいない。
「もーーーっ!! 止めてよぅ!!」
俺はなるべく穏便に暦の手を払い除ける。
意識していないと男の時の様に力尽くで引っぺがしかねないからな。
「ちぇーーーっ」
つまらなそうに暦は手を引っ込める。
「………」
ゾクッ……視線を感じてそちらに視線を移すと美沙がこちらを物凄い形相で見ているではないか。
これは完全に嫉妬に狂った眼だ。
何故俺の周りの女たちは俺に向けて妙な感情を抱くのだろうか。
いや俺に向けてでは無いな、母の真紀に対してだ。
まさかとは思うがこういった人間関係の縺れが後の未来の俺の誕生や母の死に対して何かしらの影響を及ぼしていたのではと邪推をしてしまう。
だがふと冷静になるとそんな馬鹿げたことがあるはずがないといとも思ってしまうのも事実。
確かに俺が高校時代の母になったり、怪しげな男に声を掛けられたりと不可思議な事は起きているが、ごく普通の女子高生である彼女たちが何かの陰謀に関わっているとは到底思えないからだ。
美沙だって未来でこそ少し怪しげな印象を俺に抱かせたりもしたが、赤い玉の存在を知っていたからといって必ずしも危険人物に指定するのは些か早計なき気も今ではしている。
寧ろ警戒すべきは『男』の存在だろう。
母は俺の年齢から逆算して18歳の時に妊娠が発覚し高校を中退している。
そして今俺の精神が入っているこの身体は17歳の母のものだ。
俺の誕生月は五月、そして今も五月……妊娠期間が約十月十日と考えると今から約二か月の間に俺の父にあたる『男』との接触があるはずだ。
だが父の事と俺を身籠った経緯を憶えていなかった母の事が引っかかる。
普通に考えてこれがまともな事ではないのは誰にでも想像がつく。
真っ当な恋愛を母がしたのならその付き合っていた男の事を憶えているだろうし、何らかの要因で記憶喪失になったとしてもまず真紀にべったりの親友である美沙や暦がその男の事を知らないはずがない。
この数日一緒に居て分かったが美沙はそれらしき男の事を知らない。
そうでなければ俺に協力して真紀の心を射止めた相手を確認するなんて言わないはずだ。
ただ可能性としてはこれから知り合って親密になる男が登場することも大いにあり得る。
そう、現時点では不明な事が多すぎるのだ。
だからこの際、俺にとっては初対面のこの水野暦が知っている真紀の情報も知っておきたい所だ。
そうと決まれば少し暦に探りを入れるのもアリかもしれない。
「ねぇ、ヨミはさ、気になる人とかいないの? 付き合いたい男子とかさ」
「えっ? どうしたのいきなり?」
本当にそうだな、俺もそう思う。
真紀に恋人がいたかとは流石に聞けないので遠回しに攻めてみようと思う。
「私の胸を揉んだ罰よ、教えなさいよヨミの好きな人」
俺は暦ににじり寄りながらいたずらな笑みを浮かべた。
「もう……真紀っちだって知っているでしょう?」
暦は顔を背け頬を赤らめている。
誰の事をいっている? この反応は予想していなかった。
この反応は要するに以前に真紀と暦の間で恋バナをしていた過去があったという事。
これはマズイ……ある意味恋バナという最も印象に残っていなければならない友人間の話題を憶えていないという事実は親友として不信感を抱かせてしまうには十分の失態。
それにまだクラスメイトを全員把握していない俺にとってこれは完全にやらかし案件だ。
この間に他の女子たちは既に着替えを終え更衣室から出ており、残っているのは俺と暦だけだった。
いや正確には更衣室の外から聞き耳を立てている美沙の影が見え隠れしているが。
「そっちこそどうなのよ、健太郎君にはアプローチしたの?」
「えっ……?」
暦はさっきまでの明るい感じではなく神妙な面持ちに変わっていた。
これは相当本気の話しだろう。
何という事だ、あの完璧超人園田と真紀がそう言う仲だったとは。
いや違うな、暦の口ぶりから察するに真紀が一方的に園田に恋心を抱いていて、告白をしようとしていた……という事だろう。
どうやら俺のやらかしに暦は気付いていない様だ。
それどころかかなり重要な情報が聞き出せたのでは?
「まさか真紀っちと同じ人を好きになるなんて思いもしなかったなぁ……」
「えっ……」
暦の一言に俺は固まった。
もしかしてこれ、三角関係と言うヤツでは?
「真紀っちがまだ告らないっていうなら私が先に健太郎君に告るけどいいよね?」
「………」
俺は言葉が出てこなかった。
もし園田が真紀の運命の相手で俺の父に当たる人物ならここで暦に告白をされてしまうのは果たして良い事なのだろうか?
ここで暦に園田を譲る、譲らないという事は今後を左右する重要な選択肢にならないか?
これがゲームならここでデータをセーブしたい所だが、現実はそうもいかない。
「ゴメン……先行くね」
「あっ……」
無言の俺に焦れたのか暦はこちらを見ずに踵を返し更衣室から出て行った。
俺は暦に対して何の返事も出来なかった。
恐らくこのままでは早ければ今日中にでも暦は園田に告白するだろう。
改めて思い知った、選択をしないこと自体が選択になってしまう事に。
だがもう起こってしまった事を覆す事は出来ない。
このまましばらくは動向を見守るしかない。
それからの一日、俺自身、何をしたのか殆ど記憶に残らなかった。
そして放課後。
「ヨミったらどこ行ったのかしら? いつもは一緒に帰るのに」
美沙が人の少なくなった教室内を見回しているが、暦はどこにも居なかった。
「仕方ないわね、帰ろうか真紀」
「うん……」
何となく胸に
「ねぇねぇ知ってる!? さっきヨミが園田君と屋上へ行ったんですって!!」
「えーーーーっ!? 告白しちゃうのかな!?」
まだ教室に残っている女子たちがそんな会話を始めた。
俺は美沙の制服の袖を引っ張り立ち止まる。
暫くこの話しを聞いていたい、そう美沙にアイコンタクトを送る。
「でもヨミも勇気あるよね、園田君と言えば下級生上級生関係なく女子に人気があるし告白も一杯されてるのに」
「うんうん、しかも園田君は誰の告白もOKしていないんだって、私のお姉ちゃんの友達もフラれたって」
ほうほう、やはりイケメンは敵だな、男にとっても女にとっても。
だが性格が良いせいか誰も園田の事を悪く言う人間がいないのが何ともやるせない。
おっと、恨み節を唱えていても仕方がない、問題は今現在暦が園田に告白をしているという事実だ。
園田が今まで誰の告白も受けていないからといって暦の告白を断るとは決まっていない、もしかしたら園田は暦の告白を待っていたかもしれない可能性だってある。
「確か屋上だったよね、様子を見に行こう」
「ちょっと、野暮な事は止めましょう? 人の告白を覗くなんて趣味が悪いわよ?」
美沙はあからさまに嫌そうな顔をした。
「そう言うんじゃないんだよ、実は……」
俺は美沙に先ほどまで考えていた仮説を話し始めた。
「なるほどね、あなたのお母さん真紀はソノケンに惚れていたって言うのね? しかもヨミとお互いが告るのをけん制し合っていたと……」
「何? そのソノケンって?」
「園田健太郎、だからソノケンよ」
美沙はかなり苛立っている様だ、親指の爪を頻りに噛んでいる。
「あ、そう……だからもしかすると園田が俺の父親の可能性もあると俺は思ってる」
「そうね、いま屋上のヨミの告白が成功するかしないかでその辺がはっきりするって訳だ」
「園田が父親と仮定した場合においてだけどね、そうでない場合はヨミの告白の成否は全く影響しないんだけど可能性の選択肢の一つは潰していける」
「はぁ、分かったわよ、本意ではないけれど屋上に様子を見に行きましょう」
やれやれと半分諦めた様に俺の意見に従う美沙。
「ゴメンね」
俺と美沙は小走りで屋上へと上がる階段を目指した。
これは決して冷やかし半分のデバガメではない、俺の運命が掛かっているのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます