第3話 実家のような不安感
学校の敷地を出た俺は記憶の頼りに走り出す。
今俺がいるこの街は現在俺が暮らしている街ではない、母である真紀が子供の頃暮らしていた街だ。
さっきまでいた高校もどこにあるのかは俺には分からない。
ただ俺の祖母、早乙女トキの家には数年前までは母に連れられて何度も遊びに行っていた。
その家に至る道程には数本のポプラが並ぶ場所がある。
だから目印になるあのポプラ並木さえ見つけられれば祖母の家は簡単に特定できるはず。
高台に昇り街を見下ろす。
この街は駅前で建物が密集する西の都市部と畑と住宅が点在する閑散とした東部に分かれているのが見て取れる。
祖母の家はその東部の景色に居ていた気がするのでそちらを特に注視した。
あった、ポプラ並木だ。
遠くまで見通すとポプラ並木は他にもあるが、まずは手近な方へ行ってみる事にした。
ポプラ並木にある程度近付くと急に過去の記憶が鮮明に蘇ってきた。
間違いない、ここがそうだという確信が俺にはあった。
ポプラ並木を右手に道路を進むとやがて一軒の古びた木造家屋の前に辿り着く。
「はぁ……随分と久しぶりに来たなぁ……」
あまりの懐かしさに胸が熱くなり少し感傷的になる俺。
何せ数年ぶりだからな。
しかし母の実家に着いたはいいがこれからどうしよう?
混乱していた事もあり勢いでここまで来てしまったが本当に良かったのだろうか?
ここに何か手掛かりがあるのだろうか?
どんな顔して家に入ればいい?
次々とネガティブな発想が脳内に浮かんでくる。
いやいや、あのまま学校に居たところで物事が好転したとは到底思えない。
行動を起こした事に間違いはないはずだ。
今の俺は早乙女有紀ではなく早乙女真紀なのだ、自分の家に入るのに何を迷う事がある?
そうさ、堂々としていればいい。
早速玄関の引き戸に手を掛けゆっくりと開いていく。
「こんにちは……お邪魔します……」
誰にも聞こえない程のか細い声で挨拶をしながら恐る恐る玄関に入る。
やっぱりダメだった、どうしても不法侵入したかのような後ろめたさが先に立ってしまう。
「あら真紀、今日は随分早いじゃないか、何かあったのかい?」
「……!!」
突然の事に心臓が跳ね上がる。
何と、玄関先でいきなりこの家の住人と遭遇してしまった。
その人物は初老の女性だ。
顔は俺の記憶にあるばあちゃんトキに似ているが今の時代を考慮しても年齢的に一致しない、もしやひいおばあちゃんか?
そうだよな、この時間帯ならばあちゃんはまだ仕事に行ってるはずだ。
「うん、ちょっと具合が悪くって……早退してきたんだ」
「おや、大丈夫かい?」
「大丈夫、少し休めば良くなるよ」
俺は心配そうなひいばあちゃんをよそに、急いで二階へと駆けあがった。
以前母から聞いていた、実家では二階に自分の部屋があったことを。
二階には部屋が二つあったが母の部屋はすぐに分かった、ドアに『真紀の部屋』と書かれたプレートがぶら下がっていたからだ。
だがドアノブに手を掛けたところで俺はまたしても躊躇した。
いくら自分の母親だとはいえ女子高生の部屋に勝手に入っていいものだろうか?
何か人に見られたくない物があったりしないだろうか?
だがそうも言っていられない、仕方ないのだ。
何故俺が昔の母さんになってしまったのか分からない以上俺は女子高生の真紀を演じなければならない。
この生活がいつまで続くか分からない以上自然に振舞わなければならないのだ。
俺は意を決してドアを開けた。
部屋の中は実に整理整頓されていた、几帳面だった母らしい部屋だ。
取り合えずベッドに腰かけてみる。
部屋内を見回してみるが、壁に年頃の女の子らしいアイドルのポスターが貼ってあるでも無し、可愛いぬいぐるみがあるでも無し、飾り気がまるで無い。
女子高生の部屋にしてはいささか殺風景な気もしないではないが。
おっと、そうのんびりとしてもいられない、まずは自分の身体の異変を調べなくては。
部屋の片隅にある姿見の前に立ってみる。
鏡の中には俺によく似た顔立ちのセーラー服の少女が映っている。
ただ髪が腰のあたりまで伸び、胸に二つの膨らみがあり、お尻も大きい。
身体は完全に女性のそれになっていた。
「これが俺……」
鏡に手を付き自然に口をついて出てしまった言葉。
これではまるで自分の女装姿に見惚れているみたいではないか。
いや、女装じゃなくて女体化か? しかも昔の母親に転生? 何だかカテゴリーがてんこ盛りだな。
今更だが自分の頬を抓ってみる。
うん、やっぱり痛い……これは夢じゃないんだ。
再びベッドに乗っかり大の字に寝そべる。
ふと鼻孔に入って来た匂いは良く知る匂い、母の匂いだ。
「はぁ……何でこんな事になったんだ?」
当然と言うか真っ先にその疑問しか出てこない。
こんな荒唐無稽な話、フィクションの中だけだと思っていたからな。
寝返りを打つと左側の腰に違和感を感じる、何か固いものがポケットに入っている様だ。
「これは……」
スカートのポケットから取り出したそれはあの赤い宝玉であった。
一瞬にして俺の背筋にゾワゾワしたうすら寒い感覚が駆け抜ける。
「まさか、母さんはこの頃からこの宝玉を持っていたのか?」
俺にこの宝玉を託したのは母さん本人なので持っていて当然ではある。
しかしこれには一体どういう意味があるのだろうか。
昨晩俺の家に訪ねてきた紺野美沙という女性はこの宝玉の事を知っていた節があった。
確か母さんの親友だったと本人は言っていたが……。
それから何時間たっただろうか、微かに玄関の呼び鈴がなった気がした。
ひいおばあちゃんが誰かと会話しているのが聞こえる、しかも嬉しそうに。
知り合いか? 部屋のドアに耳を付け聞き耳を立てていると誰かが二階へ上がって来る足音がし、その足音は
「真紀ーーー、居るんでしょう? 私よ、部屋に入れてよ」
誰だ? 恐らく母のクラスメイトの誰かだとは思うがこれは実にマズイ。
名前も素性も関係性も知らない人間と二人きりで会ってボロを出さない自信は今の俺には無い。
俺が対応を誤れば
それだけは避けねばならない。
こうなったら覚悟を決めて……。
「誰?」
俺はドア越しに外の人物と会話を試みた。
これなら多少俺の挙動がおかしくてもある程度誤魔化す事が出来る。
「嫌ぁね真紀ったら、私よ、美佐よ紺野美沙、親友である私の声を忘れちゃったの? もしかしてやっぱりまだ具合悪いの?」
美沙!? 紺野美沙だって!?
これは由々しき事態だ、昨日美沙が帰ってからこちらからは積極的には関わらないと心に決めたのに、まさかここで会う事になろうとは。
ここは慎重に応対しなければ。
「何か用?」
「あらご挨拶ね、あなたが学校に忘れていった鞄を持って来てあげたんじゃない、ありがたく思いなさいよ? 放課後に保健室に立ち寄ったらあなたは来ていないって言うんですものびっくりしちゃったわ」
あぁそうか、俺は保健室に行く振りをしてそのまま学校をバックレたんだっけ。
考えれば今の美沙は過去の人物で昨日会った大人の美沙さんとは同一人物ではあってもイコールではない。
しかも何の情報も協力者もいない今の状態ははっきり言って詰みだ。
ここは思い切って美沙を仲間に付けた方が得策なのではないか。
きっと現状ではリスクよりリターンの方が大きいと思う。
よし、そうと決まれば実行あるのみ、俺はドアノブに手を掛け徐にドアを開いた。
そして対面した彼女の顔を見て驚いた、この子は俺が教室を出る時に心配そうに声を掛けてくれたあの女の子じゃないか。
今の彼女が若いというのもあるが、昨晩あった美沙さんとは随分と印象が違うので気が付かなかった。
俺の主観だが大人の美沙さんの方が垢抜けている様に見えた。
「わざわざありがとう、さあ入って」
「うん、お邪魔するわね」
美沙から鞄を受け取り彼女を部屋へと招き入れる。
さて、どこまで事情を話したものか、匙加減を間違えたら取り返しがつかない様な嫌な予感がする。
果たして鬼が出るか蛇が出るか……それはまさに神のみぞ知るだ。
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