第2話 母の葬儀の夜

 

 三日前、俺の母親の真紀が死んだ……。


 一週間前に急に体調を崩し入院するも五日目に容体が急変、そのまま危篤状態になり、忌の際に一度持ち直したがそのまま逝ってしまった。

 そして今日は母の葬儀が終わって家に帰ってきたところである。


「はぁ……」


 乱暴に玄関に履きなれない革靴を脱ぎ捨て、居間に入るなり力なくソファに腰を落とす。

 テーブルの上にあったペットボトルのお茶をそのままラッパ飲みする。

 口から溢れ首を伝うお茶を気にも留めずそのぬるいお茶を喉に流し込む。

 学ランが濡れてしまったが構うものか、忌引きで数日学校を休めるんだ気にする事は無い。


「母さん……」


 俺の母、真紀は女手一つで俺を育ててくれた。

 所謂シングルマザーって奴だ。

 物心つく前から片親だったせいもあって特に父親がいない事を気にする事は俺には無かった。

 このご時世こういった家庭は少なくは無く、学校のクラスにも俺と似た境遇の生徒が何人かいたのもあるんだろうな。

 ただ切っ掛けは忘れたが一年前、一度だけ俺は母さんに父の事を聞いた事があった。

 ただ質問に対して返ってきた言葉があまりにも不可解で衝撃的だったのでよく覚えている。


「ゴメンね、あなたのお父さんが誰なのか分からないのよ……」


 これは俺と母さんの血が繋がっていないという意味ではない、驚いた事に母さんは自分を妊娠させた男の事もいつ行為に及んだのかも覚えていないというのだ。

 これが意味することが何なのか当時も今も俺には理解不能だが、もしかしたら何か良くない事が、犯罪めいた何かが関係しているのではないかと感じている。

 それから妙に恐ろしくなってそれ以降父についての質問を母にしなくなった。

 ただし危篤状態から一度持ち直したときに母さんは言った。


「……あなたのお父さんを探しなさい……お願い……」


 涙を流しそのまま逝ってしまった、これが最後の言葉、遺言となったのだ。


「探せって言われてもなぁ……手掛かりが皆無なんだよなぁ……」


 ソファにもたれ天井を見つめる。

 そんな時、インターフォンのチャイムが鳴った。


「どなた様?」


 壁に掛かったモニターには一人の女性が映っている、喪服姿の女性だ。


「こんばんは、私は|紺野美沙(こんのみさ)と申します、息子さんの有紀君ですよね? 少しあなたのお母さんの事でお話ししたいことがあるのですが……」


 喪服姿という事は母さんの葬儀に参列してくれていた人だろうか?

 母さんの事で話したい事って何だろう?

 いや、これはもしやチャンスなんじゃないだろうか。

 この紺野という女性が母さんとどういう関係かは分からないが、その関係性によっては俺の知らない母さんの情報を知っているかもしれない。

 母さんの遺言を果たす為にも情報は少しでも多い方がいいに決まっている。

 

「分かりました、今鍵を開けますのでちょっと待ってください」


 俺は部屋に散らかっている衣服やゴミを奥の部屋に放り込むと、玄関に向かい脱ぎ散らかした革靴を整えた。


「どうぞ、散らかってますが」


「ありがとう、お邪魔するわね」


 微かに微笑む彼女に俺は胸が高鳴った。

 モニター越しではない実際に見る紺野さんはとても綺麗で嫌味の無い色気が漂っていた。

 年の頃は母さんと同じくらいだというのに、俺って年上属性だったっけ?


「台所をお借り出来ます? いまお茶を淹れますね」


「そんな、お客さんにそんな事……」


「いいから座っていてくださいな」


 口元に握った手を添えくすりと微笑む紺野さん。

 その仕草があまりに可愛らしくて俺の心拍数はうなぎのぼりに高鳴っていく。

 どうしてしまったんだ俺は?

 火照る顔を見られない様に俯いているとお盆を持った紺野さんが台所からこちらへと歩いてくる。


「食卓に羊羹があったから切ってきちゃいました、勝手な事してごめんなさい」


 俺の目の前に四角い食器に乗せられた羊羹とお茶の入った湯呑が置かれた。

 

「いえ、いいんですよ、俺一人では食べきれないだけ有りますから」


 そう言えばお供えにあった羊羹や和菓子を貰ってきていたんだった。

 こういう気の使い方が出来るのはさすがは年上の女性だなと感心する。


「ところで俺の母さんについて話したいことがあるとか……」


「ああ、そうでしたね、今晩はその事でお邪魔したんでした」


 いま思い出したかのようにハッとして手をポンと叩く紺野さん。

 チクショウ、どこまで可愛いんだこの人は。

 こんなの年上だろうが関係ないって思ってしまうじゃないか。


「私はあなたのお母さん、真紀とは高校でクラスメイトだったんです、それは仲が良くて学校でもプライベートでもいつも一緒に過ごしていたんですよ」


「そうなんですね、じゃあ二人は親友だったんですか?」


「うふふっ、そうですね、あ~~~あの頃は楽しかったなぁ……」


 両手を胸元で結び、紺野さんは潤んだ目で遠くを見つめ思いを馳せている様だった。

 親友か、それならもしかしたらかなり有力な情報を知っている可能性があるな。

 折角紺野さんがお茶と羊羹を用意してくれたんだ、頂くとするか。

 俺は羊羹にかぶり付きお茶を啜る。


「美味い、これ家にあったお茶ですか?」


「ええ、私お茶入れるの得意なんです、ちょっとしたコツでいつものお茶がちょっとだけおいしくなるんですよ」


「へぇ~」


 比較するのも何だがさっきのペットのお茶とは雲泥の差だ。

 俺はお茶を一気に飲んでしまった。


「あら、お代わりを入れるわ」


「いえ、お構いなく、とてもおいしかったです」


「それは良かったわ……それでは早速お聞きしたいんですけど、有紀君は真紀から何か預かっていないかしら? 例えばこう、指輪とか宝石の類のものを……」


「えっ?」


 何だろう? 急に俺の胸に嫌な予感が沸き起こる。


「どうしてそんな事を?」


「あっ、ごめんなさい、心当たりがないならそれでいいのよ? 急におかしな事を聞いてしまって本当にごめんなさい」


 俺の言葉に微妙に不快感が込められていたと感じたようで、紺野さんは慌てて取り繕う。

 その後、この会話をしたのを俺に忘れさせようとしているのか必死に色々な話題を振る紺野さん。

 しかし一度湧いてしまった不信感は拭う事は出来ず、俺は表情こそ笑顔だが結局最後まで紺野さんに心を許す事は無かった。

 そして二時間ほど経った頃。


「あっ、もうこんな時間、今日はいきなり押しかけてしまってごめんなさいね、葬儀で疲れていたでしょうに」


「いいえ、人と会話することで気が紛れましたから気にしないでください」


「そう言ってくれて助かるわ、私はこれで帰ります」


「玄関まで送ります」


「あっ、そうだ、これを」


 玄関で靴を履いた後、紺野さんは俺に折りたたんだ紙切れを渡してきた。


「これから色々大変な事があると思うの、困ったことがあったらその紙に書かれている私のスマホに連絡してね」


 紙を開くとスマホの番号が書かれていた。


「色々済みません紺野さん」


「美沙……でいいわよ」


「分かりました美沙さん」


「じゃあこれで、さようなら」


「さよなら」


 俺は美沙さんの背中を見送ったあと、玄関にチェーンキーとドアノブのカギを急いで掛けた。

 何やら信用ならない気配がしたからだ。

 俺がさっきから美沙さんに不信感を抱いている理由、それはこれだ。

 茶箪笥の上の小物入れから取り出したのはビー玉程の大きさの真っ赤な宝玉だった。

 これは病院で忌の際に母さんが俺に託した物。


「これはとても大事な物……絶対に他の人にありかを知られては駄目……肌身離さず持っていて……」


 そうは言われたが下手に持ち歩いて無くしては大変とここに入れていおいたのだが、俺と母さんしか知らないこの宝玉の存在を第三者である美沙さんが知っているのが不気味だった。

 だから改めて俺は身近に置く事にした。

 小さな巾着袋にその赤い球を入れ首から下げ、シャツを着こむ。

 これでもし留守中に家探しされようともこの宝玉が奪われる事は無い。

 戸締りもしたしあまり過剰に警戒しても仕方がない。

 宝玉は持ち歩くと決めたし暫くはこれで様子を見よう。


「ふあぁ……眠いな……急に睡魔が襲ってきたぜ……」


 今日は色々あったからな、疲れたんだろうきっと。

 寝室のベッドで横になろう……あれ? ダメだ、そこまで持ちそうにない。

 仕方ない、ソファで一時的に仮眠を取ろう。

 俺はソファに倒れ込み、そのまま気を失ってしまった。


 まさか次に目を覚ました時にあんなことになっていようとはこの時の俺は思いもしなかったのだ。

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