第4話(後)終末世界は今日もいつも通り

 ユウは固まった血のように赤黒い大地を疾走していた。

 周囲には同様の色をした建物がいくつもあり、侵蝕が徐々に進んでいるのか、時折音もなく崩れ落ちると、落ちた破片はさらに粉々になって風がそよぐ程度でどこかへ飛ばされてしまう。

 そんなユウの正面の地面が湧きたった。

「む……っ!」

 咄嗟に横に飛びのき、まだ崩れていない建物の柱の裏で息をひそめる。

 “終焉の徒”は、少なくとも生物で言うところの感覚器のようなものはない。しかし、如何様な方法か、それは不明瞭だが何らかの方法でその場の存在の位置を把握していると考えていいだろう。想定は常に悪い方がいい。想定よりも現実がいいならそれはそれでいいのだから。

 “終焉の徒”の空間把握能力が柱程度で防げるものか、ユウもわからないが、何もしないでひた走って追いつかれるよりはマシだろう。

 走って影響で鼓動がうるさく鳴り、息が荒くなりそうになるが、何とかこらえ、音を殺す。

 その間に逃走経路を脳内でシミュレーションした。

 “終焉の徒”の影響がどこまで広がっているのかユウには分からない。この場において、“終焉の徒”はまばらに出現しているが、それがいつまで続くかもわからない。

 けれども、背負ったノゾミと共に助かるには、慎重を期しつつも迅速にこの場を切り抜けるほかないのだ。

 脳内のシミュレーションを終え、柱から顔を出して辺りの要素を窺う。

「どうやら、助かったようじゃのう」

 先ほどまで近くにいた“終焉の徒”は、いつの間にか消えていた。

 そう判断するや否や、すぐさまユウは飛び出して、再び走り始める。

 “終焉の徒”はいなくなっていたが、その災禍の痕跡は十分すぎるほどに残っていた。赤黒く、もとから崩壊していた大地は“終焉の徒”の出現とともにその深度を増し、触れなくともその地面はボロボロと崩れ落ちる。おそらく、そのまま侵蝕が進めばこの大地ごと陥没するであろう。

 そんなものに構っている暇はない。

 足を踏み出すだけで地面が凹んだが、それでももう一歩踏み出して前へ進み始める。

 今どこに向かっているとも知れない。ただ、走り続けるだけだ。いま、ユウたちは来た方向とは逆向きに向かって走っている。厳密には直線状に真反対の方向ではないが、方向としては船が飛び立った方向である。

 どこへ向かっても同じと判断したため、少しでも目的に近い方を選んだだけだ。もちろんまっすぐ進めば以前にキョウたちが出会ったという“終焉の徒”に遭遇する可能性が高い。そのため、進路を若干ずらしているのだ。

 硬そうな板のような破片が落ちてきた。

「これは……大変じゃ……!」

 そんなことを口に出しながらも、ノゾミとボストンバッグを背負ったままで何とか横に転がり、さらに前に飛び出すとそれを回避する。

 ノゾミはおとなしくユウにしがみ付いている。ユウとしてもその方が好都合だ。

 一瞬、誰かの手を引っ張っている過去の幻覚に襲われるが、今の状況下では、すぐにそれは振り払われた。

 今にも崩れそうな塀を曲がろうとして、急ブレーキをかける。その先には大量の“終焉の徒”が跋扈していた。

「徐々に数を増やしているのう」

 慌てて塀の隙間に身を隠し、次の逃走経路を模索する。別にユウがこの街に詳しいわけじゃないが、長らく旅をしてきた分、いくらか町の構造の予想はつく。

「よし、こちらへ行こうかの……!」

 見当をつけて飛び出そうとしたとき、“終焉の徒”の影が見えた。慌てて身を隠すが、ソレは真っ直ぐにこちらに向かってきていた。

 見つかれば、終わる。そのように考えてほぼ・・間違いない。

 飛び出せば、すぐに見つかる。しかし、飛び出さなくても見つかるのは時間の問題だろう。ソレがどのような手段で空間を把握していても、目の前にいる存在に気付かぬほどではあるまい。

 歯を食いしばり、覚悟を決める。

「でも、今は独りでないのでな、限界まで抗わせてもらうぞ……!」

 極小の可能性でも、賭けるほかないのだ。

 その言葉と同時に、ユウは飛び出した。目の前には“終焉の徒”。そして行く先にも、その数は少なくとも何匹かのソレら。されど目的は捕捉してきた死からの脱出だ。

 “終焉の徒”の、腕のような、触手のような、角のような、ぼんやりとしているのにはっきりと見える、そんなナニカが伸びてくる。

「ああ、みにくいのう」

 二つの意味を掛けたつもりそんなことを言ってみる。もちろんそれで“終焉の徒”の攻撃と思しき行動が止むわけではない。

「よっ、と」

 思い切り体勢を低くし、四つん這いともとれるようなほどの低姿勢で走り抜ける。それでも追ってきた“終焉の徒”の腕のようなナニカ。

「腕の一本程度、くれてやるわ」

 舌打ちと共に右腕でそれを振り払い、着物の袖と一緒に肘から先が千切れる。

「……んぐッッ!」

 歯を食いしばって、痛みを耐える。朦朧としつつも、足を踏み込んで己を鼓舞する。

 そして、その顔は──嗤っていた。

「この程度では、終わらぬぞい」

 傷を負っているとは思えぬ顔で、声で、速さで、白い着物を着た少女は疾駆する。

 すぐ後ろからは、千切れたユウの右腕を見てはっと息を呑む音が聞こえた。

「うむ、ノゾミ、無茶な行動するから、舌を噛まぬようにな……!」

 同時に“終焉の徒”のすぐ横の家の壁の足を蹴った。それだけでは大した力は生めないが、しかし、それだけで十分である。

 ユウは“終焉の徒”の上を跳んだ。せいぜいヒト一人程度の高さを跳び超える、壁を利用したジャンプ。しかし、それだけで“終焉の徒”一匹をやり過ごせるなら大きなものである。さらに、蹴った壁が連鎖して崩れ、一匹といわず幾匹ものが犠牲になった。“終焉の徒”の領域であるここでは、大した時間稼ぎにはならぬだろうが、ユウが走り抜ける隙間はできた。

「うむ、運が悪かったのう。さて、まだまだいくぞい」

 迷いなくできた隙間を縫っていく。

 それは、片腕を奪われたとは思えぬほど生き生きとした動きだった。

 いつの間にか、“終焉の徒”の群は抜けていた。

「まぁだ、続くのか」

 いい加減飽きた、と言わんばかりにユウは呟く。しかし、領域の端は見えてきた。

「もう少しじゃ、気張っていくぞ」

 その言葉に呼応したかのように。しがみ付くノゾミの腕の力が僅かに強くなった。

 周囲には依然として“終焉の徒”が湧く。しかし、今から湧いて出るのでは遅すぎる。もう隠れるのもやめて、少女は走り抜けた。

 いつものように一気に、突然に湧いて出るのであれば確実に間に合わない強引な突破だ。しかし、この“終焉の徒”どもは段階的に、まばらに出現する。この程度であれば突破は不可能ではない。

 できるだけ距離を取りながら、すぐそばに出た時は多少一か八かになりつつも身をひねって避ける。

 すぐ目の前には、“終焉の徒”の領域との明確な境界がある。

 そして、それを迷いなく飛び越えた。

「なんとか……!」

 流石にヘロヘロに疲れて、領域を抜けた瞬間に力が抜ける。とはいえ、まだ安心できるところではない。目と鼻の先に“終焉の徒”がいるという状況は、すぐにでも脱した方がよい。

「あと、もう少し、頑張るとしようかの……」

 領域を抜けた先は橋の上。下には大きな川がゆったりと流れている。

 ずっとノゾミを背負うのも流石に疲れてきたので、ここいらで下ろして自分で歩いてもらうことにする。確かに急ぐ必要はあれど、走り抜ける必要はないだろう。走るとしてもジョギング程度でいいはずだ。先ほどのように全力疾走はしなくていいだろう。そもそもユウにはしろと言われてももう無理である。

 流石のノゾミも、心配そうな表情をしてユウを見つめる。

「さて、あとちょっと歩いたら、少し休け……」

 休憩でもしようか、などと言おうとしたとき、がくんと橋が揺れ、同時に赤く染まった方が崩れ始める。

「ありゃりゃ」

 疲弊しきったユウには、そんなことを言うくらいしかできなかった。

 崩壊はすぐにユウたちの場所まで到達する。ドラマか何かのように走って逃げることは叶わず、ただ、ノゾミの手を引っ張って、自分が下になるように抱くくらいしかできなかった。


     :::::


 不幸中の幸いというべきか、橋の下は川であり、深さも決して浅くはなかった。また、橋の破片もうまく避けられて、水の上に落ちることには成功した。しかし、高所から落ちた衝撃で、ユウは意識を失った。

 それはノゾミも一緒である。

 けれども、ノゾミの場合は、ユウよりは軽傷であった。ユウがクッションとなって衝撃を和らげてくれたからである。

 水に落ち、周囲を包む液体。無色透明なはずのそれは、橋が落ちたのに伴って茶色く濁っていた。

 衝撃で思わず口が開き、肺から空気が漏れ出る、同時に水が口と鼻から流れ込み、さらに咳き込んで肺の空気が減っていく。

 それでも懸命に足をばたつかせる。抱き着いていたユウの腕は、落下の衝撃によりほどかれている。しかし、ここではぐれてしまえば二度と出会えない。そんな予感がした。

 ゆえに腕がほどかれても、その腕を力強く握りしめていた。

 胸が痛くなり、頭も痛くなり、わき腹も痛くなる。

 それでも、生きるため、水面に上がろうと必死になる。

 ノゾミだけなら簡単に水上に上がれたであろう。しかし、もう一人と一緒に上がるには、ノゾミはあまりに非力だった。さらに言えば、ユウは己の体重だけでなく、大きなボストンバッグを背負っている。ともすればバッグの重量の方が多いかもしれない。

 ふと、なぜ己はユウを助けようとしているのか、そんな疑問が浮かぶ。酸素不足で朦朧とし始めた頭ではそれの答えは出ず、ただその問いだけが無意味に廻っていた。

 濁った水中で、微かに見える光に手を伸ばす。それは、つい最近に見た星々よりもはるかに明るい。そして、はるかに近い。

 届くような気がする。

 届く。

 ただ、そう信じて手を伸ばした。

 けれども。

 信じるだけでは何にも届かず。行動しても力が足りず。

 ノゾミの体から力が抜けていく。意識が落ちそうになるも、何とかユウの腕だけはもう一度力強く握る。

 水上と水中に伸びたノゾミの腕。

 不意にその一本、水上に伸ばした腕を誰かが掴んだ。そして、引き上げられる。

 ノゾミの意識は、そこで途切れた。


 ユウの目覚めは、本当にユウらしい目覚めだった。

 鼻腔をくすぐる、なにかの香り。初めは少し生臭くも、その匂いは徐々に焼いた脂の匂いに変わっていく。

 そして、パチパチと火の爆ぜる音。暖かな空気。

 これらが意味するものそれは、

「魚っ!!!」

 目覚めて早々そんなことを言いながらユウは体を起こす。辺りはすっかり真っ暗になっていた。見渡すと予想通りすぐそばに火が焚かれている。また、ノゾミもすぐそばに眠っていた。呼吸に合わせて胸が上下するところを見るに、死んではいないようだ。

 火の方を見ると、こちらも予想通り、魚が串に刺さって焼かれていた。

 そして、その向こう側。

 そこには誰か、人が石の上に座っていた。今、その人物は後ろを向いてフードを被っており、何者か分からなかった。

 服装は、上はフードのついた紺色のケープを纏っている。下は後ろ側に座っているためわかりづらいが、ケープと同色のスカートだろうか。

「覚醒して一番の言葉が『魚』とはな。なかなか面白いではないか」

 その人物はやけに尊大な言い方をする。そんな口調の人物を、どこかで見たような。

「うーん、主、その声色、どこかで聞き覚えが……」

 思い出しそうになりつつも、それははっきりと像を結ぶには至らない。

 そして、その人物がこちらを振り向き、脚を大きく上げて組むと、そのフードを取り払った。

 顔が真っ赤な火に照らされて、露わになる。脚を組んだまま、右腕の手の甲の上に左腕の肘を乗せ、さらにそのまま左手の指を曲げて顎にあてると、不敵に、尊大に、しかしどこか間抜けに笑って言い放った。


「我はシラセ!我が盟友であり、同胞のユウよ!よくぞ無事だったな!」


 ユウは驚いて目を瞬く。幾瞬か経ち、ユウもこれだけ口にした。

「脚を大きく上げて組むと、今のわしみたいな少し下方からはパンツが見えるから気を付けた方がよいぞ」

 黒と碧のオッドアイと青髪を持つ少女は、ユウの言葉を聞いて慌てて姿勢を正した。

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