第3話(後)希望を見出す人ってまだ存在したんだ
その少女は、娯楽を求めていた。
そして、「救世の家」そのものはひどくツマラナイものだと感じていた。しかし、その裏にあるナニカ。そこには、何やら“愉しい”気配を感じていた。同時に、ノゾミという少女も面白いナニカを与えてくれるように感じた。
ゆえに、彼女はその裏にあるものをある程度まで知ることにした。完全に知るのではなく、未知が残る程度に何が起こるのかを知る。それにより、「救世の家」の価値を測ろうとした。
夜。誰もが寝静まったころ。
この家の住人は安心しきっていて、見張りも立てずに夜は眠る。それはきっと、裏で動く者たちにとって都合のいいことだったろう。いや、むしろそのようになるように動いたに違いない。
その少女は、その裏にあるものを嗅ぎまわった。
そして、そのことを知った。
この「救世の家」は、“終焉の徒”を滅するための一つのシステムだ。そして、彼らの言う“終焉の徒”とは──。
少女はそれを聞いて、思わず声を上げて笑いそうになった。
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「死ね、死ね、死ね、死ねぇッッ!!」
男の己を鼓舞するかのような声とともに、あまねくを燃え尽くす烈火が少女のすぐそばを通り過ぎる。
「むぅ……自分たちの建物を破壊してもいいのかのう?」
あどけない声色でありつつも、老人のような口調で話す少女は、もう一人、彼女よりも少し幼い栗色の髪の女の子を背負いながら転がってそれから離れる。
「お前らは俺たちをたぶらかす悪魔だ……!口を開くな、俺たちみたいに話すな、その姿をやめろッッッ!!!!」
「無理難題を言いおる」
ユウたちを狙う男は、空から来た人だ。それは彼が展開して放つ器律式の紋とそこから射出される幻ではない紛うことなき炎の柱から、断言できる。
男がユウたちを狙う理由はただ一つ。それは、ユウたち、いや、地上の人間が“終焉の徒”だからだ。
「いや、面白いこと考える奴もいたものじゃ」
白い着物を煤で汚しながらも、炎の直撃は避ける。背負った少女はすでにこの場の熱さで気を失っていた。
炎の合間から垣間見える男の顔は、殺意に燃えてはいたものの、同時に辛そうな顔をしていた。それを見て少女は口を歪める。
「辛いならやめればよいのにのー」
そんなことを呟きながらも、この場から逃げる算段を模索する。元々の廃ビルであればその構造を理解しているが、そのビルが謎の物体に置き換わっている以上、内部構造も同じとは限らない。現に、廃ビルでは窓があったはずのところが、ただの壁と化している。
「はてさて、どうしたものか……」
廊下を走るものの、幾度もそばを過ぎ去る火柱と壁を舐める火炎でユウの額に汗が浮かぶ。しかし、それは単に暑いからという理由だけではなかったのかもしれない。
「ノゾミは殺させるわけにはいかんからの……!」
手近にあった扉に飛び込み、真後ろから飛んできた巨大な火球をやり過ごす。けれども、危機はそれでは終わらなかった。
「お、お前は……!」
飛び込んだ先の部屋にも、見知らぬ男がいた。休憩中だったのか何なのか、ユウには分からないが、その相手は慌てて手の平をこちらに向ける。紋が展開されると、そこからはこの建物のような金属材質の棘がいくつも伸びてきた。
「うおぉっと……!」
そう言えば、いつかに出会った人間が器律式は炎だけでなく、いろいろ出せるみたいなことを言っていたなぁ、などと思い出す。
「今はそんな場合ではないな!」
男の顔にははっきりとした恐怖が浮かんでおり、その攻撃はそれに駆られてのものであったという事が容易に推察できる。ユウは傍に会った机を思いきり持ち上げてその男の視界を遮るように立てると、入ってきた扉を思いきり開けた。
「ぐっ……!」
運のいいことに、扉のすぐ外側には先程追ってきていた男がいたらしく、勢いよく開け放たれた扉にぶつかって、小さくうめいていた。
「お、すまんの、でも幸運じゃったな……!」
その小さなチャンスを逃さずユウは駆ける。後ろでは、ユウを追いかけるよりも仲間の安否が優先なのか、部屋に入って中の男の名前と思しき単語を叫んでいるようだった。
しかし、ここまでの騒ぎを、この建物の中の人が気付かないはずがない。いくつもの足音が聞こえてくる。
「しつこい奴らじゃのー」
そんなことを言いながら、明確な目的地もわからずに、とりあえず来た道を辿るようにユウは走る。少なくとも入ってきた場所から脱出が可能のはずである。そう考えてのことだ。白い着物は煤けていたものの、不思議なことにどこも傷ついて破けている様子はない。走りづらいであろうその服でも慣れた様子で、全力疾走で走り去る。
「バックとノゾミを両方背負うのは疲れるの……!」
多少息切れしながらも、その体力にはまだ余裕がありそうである。周囲から騒ぎは聞こえるものの、目に見える範囲で邪魔者はいない、この調子で行けば逃げ切れるかもしれんと考え始めたころ、
「む?」
ユウの頭にほんのわずかな引っ掛かりが浮かぶ。
それはほんのわずかな違和感。無視していい程度の感覚の違いであった。けれども、ユウの頭ではそれを致命的な違いとして、心に訴えかけてくる。
そこでユウは立ち止まった。そして、後ろを振り返ると。
「あれ」
後ろの道というものがなくなっていた。そこにあったものは、ただの壁だ。そして、改めて前を向くと、
「やあ、この基地で暴れているという輩は君らかね?」
二十代後半くらいの女性が、モニターがいくつも浮かぶその部屋の中で座していた。
「うーん、暴れているというなら、それはおそらくわしではないのう」
いつの間にか見知らぬ場所にいたというのに、着物の少女はうろたえた様子もなく、それどころか心底面白そうに、口元に笑みを浮かべて軽口を返す。
「すまんね、わたしは君らとは口をきかないことにしてるんだ。情が移らないようにね」
「自分から尋ねてきたのに、それは理不尽というものでは」
ユウの言葉が言い終わる前に、その女はこちらに手をかざしてくる。何かが射出された様子は見えなかったが、とりあえず斜め前に転がって避ける。
数瞬後。
視認はできなかった。目に見えないほど素早い何かが通ったとかそういうものではない。ただ、ナニカが崩れるような感覚を得た。
「……うむ、よくわからんな」
何かした事は確実だ。しかし、何をしたのかはユウにもわからなかった。ただ、捕捉されれば死ぬということ、それだけはなんとなくわかった。
そして、そのことから辿り着く結論はただ一つ。
「いま、この状態で対面すべきではないのう」
そんなことを呟く。それに対し、目の前の女は何も言わずに手をかざす。いや、すでにかざすことすらせずに何かが崩れる感覚があった。何度も転がりながら、それを回避する。
「のう、わしがしゃべっているのだから、何か返してくれんかのう」
そんなことを言ってみるものの、やはり女からの返しはない。しかし、よく見ると口は動いている。その様から察するに、何かしゃべってはいるようだ。その音は微塵も聞こえはしないけれど。
「さて、そろそろわしの限界も近いような気もするのじゃが……」
そんな言葉を言った直後、脚がもつれてしまった。
「うおっと……」
体勢を立て直そうとはするものの、その前に、
「流石に……これは……」
捕捉された。
明確にそれを感じる。
死。
“終焉の徒”に呑まれたときほどの感覚ではない。されど、それはがっちりとユウをからめとり。
「くっ……!」
ユウは背負っていたノゾミを放り投げる。その勢いを利用しながら、体をねじって回転させる。少なくとも、これでノゾミは問題ない。そして、己の身体は──。
ぎゅい。ぐちゃ。
ナニカが捻じれる音と、肉が潰れる音が響く。
「──っ!!」
倒れそうになる身体を、歯を食いしばって支える。息が荒くなる。痛みが頭を朦朧とさせる。
それでも、己の身体の状況を確認する。
右腕がねじ切れていた。すぐさま死ぬものではないが、出血多量ですぐに意識を失い、死に至るだろう。
女は、それで仕留めたと判断して、完全にとどめを刺すために手をかざす。しかし、そこで彼女の動きが止まった。
赤く染まった白い着物。その一部が不気味なほど白く輝き始めていた。尤も、女が手を止めた理由はそれではない。それを纏っている少女。片腕が千切れて、今にも倒れそうな少女。その少女の顔。
「────」
声は聞こえない。聞こえるとしても掠れた呼吸音であり、その皮膚は青白く、既に死に体だ。しかし、そんな彼女の顔は──嗤っていた。
女の顔に、恐怖が浮かぶ。少女は顔を上げる。そして、
「さて、時間じゃな」
死にかけのはずの少女が、死にかけとは思えない声でそんなことを言い放った。
「っ!!」
女は慌ててとどめを刺そうとするが、その瞬間にその後ろのモニターから何かが届き、サイレンが響き渡る。女は慌てた様子そのままで後ろを振り返り、
金属の壁が朽ちた。
正常な認識ではなく、ただ、世界に亀裂が入ったかのような。
地が粟立った。
耳鳴りのような甲高く、
地鳴りのような重低音が、
視界を支配する。感覚が、歪む。
女が呆然とする。本能を侵蝕する“死”に対し、両手で己を掻き抱いた。そんな彼女を見て、少女は嗤って口を開く。
「これが、“終焉の徒”じゃよ。主に相手とれるかのう?」
“終焉の徒”で危険に陥るのは、女だけではない。ユウも、ともにいるノゾミも一緒である。しかし、着物の少女は余裕ありげに嗤う。
「さて、わしも主も逃げるしか手がないぞい。どうやって逃げる?」
心底楽し気に少女は嗤う。それを見て、女は恐怖に駆られるままに、逃げる算段をつける。モニターと通信端末を介して情報伝達を試みる。対して少女は嗤いながらノゾミを拾うと、
「はてさて、わしも逃げるとしようかのう。まだまだ、この子は面白そうなのでな」
いつの間にか背後には道ができており、少女は走りだす。その着物は、白く輝いていた。
:::::
ノゾミは、一定の間隔で伝わる振動で目が覚めた。
「あれ、ここは……?」
「おや、ノゾミ、目が覚めたかのう?」
ノゾミの声を聞いて、ユウが声を掛ける。そこは、「救世の家」を出てしばらく行った丘の上だった。よく通っていた秘密の場所とは反対に位置する場所で、都市郊外の住宅街とともに、傍に大きな公園が広がる場所だ。
「ゆ、め……?」
ノゾミは、うわごとのようにそんなことを呟く。しかし、ユウはそれを夢で終わらせることを赦さなかった。
「いや、現実じゃ」
なにからなにまでが、とは言わない。しかし、それだけでも十分伝わった。
「……!何が……!」
あったの、と問おうとして、しかし口が思い通りに動かなくて、言葉は途中で止まる。
「主たちは、だまされておったのじゃよ」
ユウは歩きながら、そんな説明を始めた。
「空の人々の間で、この地上のことがどのように伝えられているか、ノゾミは知っておるか?」
言葉は帰ってこなかったが、触れている背中から、ノゾミが首を横に振ったのが感じられた。
「この地上にはな、人間が誰一人としていないそうじゃ。それどころか、生物などいない、≪終焉を告げるモノ≫と“終焉の徒”に完全に破壊されつくした世界だという」
ノゾミは、話の行く末が見えず、黙って話を聞いた。
「まあ、完全に間違っとるとは言えないな。しかし、現実に人間は生きておる。いずれ破滅するであろうが、しばらくはしぶとく生き続けるじゃろうな。ま、それはどうでもいい事じゃ」
自分で説明しながらも、ユウはそれらをどうでもいいと言い放った。
「問題はな、この地上は“終焉の徒”と≪終焉を告げるモノ≫のみが闊歩していると信じられているという事じゃ。のう、空の者どもは、世界の終焉が何百年前のことと信じておる」
「え?でも……」
その言葉に、ノゾミは疑問の声を上げた。
「おう、そうじゃ。ノゾミは生まれとらんかもしれぬが、せいぜい数十年程度前の話じゃ。まあ、これが何を表しているのかはさておいて……」
ノゾミはなおも不思議そうな顔をしていたが、一旦区切って、話を続ける。
「空の者どもが、地上の終焉を完全に信じ切っているという事は、じゃ。いま生きておるわしらは、彼らにとって、どんな存在なのじゃろうな?」
幼いノゾミは、まだ、結論に達してはいなかった。しかし、何か嫌な予感を覚えながら、話の続きを聞く。
「あの者共はな、地上の生き残りが全て、“終焉の徒”であると考えておるのじゃ。あの者らにとって、わしらという存在こそが“終焉の徒”なのじゃ」
「え……?」
全く理解できないというように目を瞬かせながら、ノゾミは首をかしげる。当然だ。地上の者にとって“終焉の徒”とは、ある意味馴染み深い存在だ。常に命の危険にさらされているという意味で。
「主らに出会った空の者は、初めから“終焉の徒”たる主らを殺すことが目的だったのじゃよ。それに、あまり話さなかったのも、人と同じ姿をしたわしらに情が移らぬようにとかそういう理由であるとか」
最後に出会った女の言葉を思い出しながら、ユウはそう締めくくった。
「それで……それで、私の家族は……?」
そこでノゾミが放った言葉は、ともに「救世の家」で過ごした仲間の安否だった。彼らの末路はその目でしかと見たにも関わらず、彼女はどうしても己に都合のいい事実を求めて、ユウに問いかける。しかし、ユウはそんな優しい嘘をつくようなことはしなかった。
「みんな、殺された。生き残りは主だけじゃ」
「……っ!」
それを聞き、ノゾミは短く息を吐く。そんな彼女に気の利いた言葉の一つもかけず、ユウは歩く。歩いていた丘ももうすぐ一番高いところへ辿り着く。そこからは、街の様子がよく見え、「救世の家」である廃ビルも良く見えるはずだ。いま、その場所からは何が見えるだろうか。
しばらく、無言が続く。歩くたびにノゾミに一定の振動が伝わる。そして、それもぴたり止まった。
「ほれ、ノゾミ。見たくなければ見なくともよいが……アレが、救世の家だったものじゃ」
見たくない。ノゾミは、その現実を直視したくなかった。けれども、「救世の家」がどうなったか。それの結末がそこにあるとすれば、見ないままでいることはできなかった。
ノゾミは顔を上げた。
そして、言葉を失った。
「救世の家」どころではない。そこには、何もなかった。ただただ、破滅が広がっていた。
今朝までいつも通りに楽しく過ごしていた「救世の家」は。先ほどまで別の建物に成り代わりはすれど存在はしていたその地は。
全て、赤黒く、染まっていた。
それは≪終焉を告げるモノ≫の禍根の地。何もかもが壊されつくし、正常な世界の在り方が歪められた滅びた大地。
遠目ではあるが、そこら中を認識不能なナニカが闊歩しているのも見える。“終焉の徒”であろう。もう生命などいやしないその地で、ただただ流離うように蠢いていた。
そして、「救世の家」があった場所。金属物質に置き換わっていたそれも、今は腐食され尽くし、青いラインが通っていたその表面も赤黒く染まっている。
「これで、終わりじゃのう」
廃墟だったその地は、足を踏み入れることすら難しい禁足地となった。ノゾミがその地を踏むことも、二度とない。
「もう、なにも残っておらん」
ユウは背中のノゾミを地に降ろす。ノゾミは、自らの足で立つことすらできず、崩れ落ちた。
帰る場所を失ったノゾミは、立ち上がる気力すら湧かなかった。
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