第3話(中)希望を見出す人ってまだ存在したんだ

 ユウが「救世の家」とやらに辿り着いてから数日。ノゾミの仕事についていくことにも慣れ、とはいっても特に何の結果も出さずに過ごしていた。

「り、ん、ご♪り、ん、ご♪」

 ノゾミが機嫌よく口ずさみながら廃墟でステップを踏んでいる。

 その手には丸々一個の大きなリンゴが握られている。本日出かけるときに、あの中年くらいの男からお腹がすいたら食べるといいと言われた手渡されたものだ。ノゾミ曰く、そう頻繁にあることでもないが、たびたび渡されるらしい。リンゴはノゾミの大好物とのことで、それが渡された日はいつにも増して彼女は上機嫌になる。ちなみにあの男の名前は、始めに聞きそびれてしまったせいで未だ聞き出せていない。

 そんな彼女を、少し後ろの方でにこやかに眺めるユウ。ここ数日で随分とユウの方もノゾミのことを知ることができ、一方的にノゾミが懐いていた時よりも、はるかに親しくなったと、ユウも自負している。

 そんなことはさておき、人を連れてくることが仕事と言うものの、こんな廃れた街で人々などそうそう見つかるものではない。ほとんどの場所は≪終焉を告げるモノ≫により蹂躙されているため、人類が生き延びることは難しい。順当に考えると、既にほとんどの者があの「救世の家」にいると考えて間違いないだろう。

 だから、ユウにとっては不思議なのだ。

「いるとしたら、もうぽつぽつと散在するだけのヒトしかおらんじゃろ。この辺りで見つかるなら低確率で偶然通りかかった旅人くらいしかいないと思うのじゃが……」

 前方のノゾミには聞こえないようにユウはぼやく。そもそもノゾミ一人で、どころか自分で言うのもなんだが、ユウもか弱い少女と言ってもいいだろう。そんな彼女らに、このような仕事を任せることに若干の違和感を覚える。

「……その旅人が強盗のような輩だった場合、その危険をこうむるのはノゾミじゃろうに……」

 未だ新人たるユウには、他のメンバーがどのような仕事を任されているのか聞かされていなかったが、ユウはこの時点ですでにきな臭いものをあの「救世の家」に感じていた。

「お姉ちゃん!何してるの?」

 ボケっと歩いていたユウを変に感じてか、いつの間にかノゾミが目の前に立ってユウの顔を覗き込んでいた。

「ん?あー、何でもないぞ?ただわしは思うのじゃよ。人間はここらにはもういないのではないかとなー?」

 後ろ暗い思考は奥に隠して、思考の一部だけを正直に話す。

「そんなことないよ!」

 しかし、そんなユウの至極真っ当であろう考えを、ノゾミは否定した。

「だって、お姉ちゃんがいたじゃん!」

「わしが?」

 ノゾミは頷く。

「私もね!お姉ちゃんに出会うまでは誰もいないかも、なんて思うこともあったよ。でもね!お姉ちゃんがいたの!だから、まだ見ぬ誰かに出会うこともきっとあるよ!でしょ?」

 希望を抱いて語るノゾミの姿は、なぜか、いつかどこかで出会った誰かを連想させてしまう。それは誰だったか。決して忘れてしまったわけでもない。しっかりと彼女のことを、ユウは覚えている。

 少しだけ、ユウの心にとげが刺さる。

「まー、そうじゃな」

 それを悟られないように、言葉少なにユウは答えた。

「何にせよ!これが私たちの仕事なんだから!しっかりと全うしてかなくちゃ!」

「そうじゃの」

 そう頷くと、再びノゾミは機嫌よさげにユウの前をスキップし始める。

 静かな廃墟の中に砂利を踏みしめる音が響いていた。


 「救世の家」では昼飯は各自の仕事合間の休憩中に摂るが、朝飯と夕飯は住民皆で一緒に摂る。この終末世界で朝昼夜の三食摂れることは非常に珍しいが、のんびりと他人と一緒に食事することも珍しい。そもそも他人と一緒にいることが滅多にないという事もあるが、食糧やその他の物資が限られているこの世界において、他人とは自分のための資源を運んできてくれる獲物であり、こちらの強盗をしてくる敵でもある。食事の際などはやはり周囲への警戒が多少落ちるのだ。また、常に≪終焉を告げるモノ≫の襲来に怯えなければならないこの世界で仲睦まじく暮らせということも難しい話だ。

 この「救世の家」でそれが可能になっているのは、やはり空から来たという者たちが恵んでくれる食料物資と彼らが守ってくれるという安心感からだろうか。

「のう、ノゾミから聞いたのじゃが、わしらは本当に空に行くことはできるのかの?」

 皆が集まる、そんな夕食時にユウは尋ねてみる。

 リーダー格の男は多少驚いた顔をしたものの、すぐに表情を戻して答えた。

「おや、ノゾミから聞いたのか。せっかくだからその時まで隠して驚かせようと思ったのに」

 そんなことを言って、豪快に笑う。それに合わせて周りの人たちも少し控えめに笑う。そして、隣の女性が続けた。

「ええ、そうよ。あの空の大陸に行くことができる」

「保証はあるのかの?」

「ふふ、信じられないのも無理はないわ。でも、きっと本当よ」

 ユウの質問に、疑われていると感じたのだろう。その女性はその根拠を話し始める。

「わたしたちには考えられないような、そんな力を持っているのよ、空の人たちは。でもそれは、空の人たちみんなが使えるもののそうなの。化け物たちでもないんだから、それだけでも信じるに足る根拠になるでしょ?」

 少し冗談めかして女性は言う。

「ふーむ、それはアレかの、なんか、器律式とかいうやつのことかの?」

「きりつしき?なにそれ?」

 女性は聞き慣れない言葉に首をかしげる。ほかの者たちも同様で、皆器律式というものを知らないようだ。

「いや、なに。わしも一度だけ空から来た者に会うたことがあってな。その者は紋を描くことで無から炎を出していたのだが、それのことを器律式と呼んでおったのだよ」

「え、何それー。お姉ちゃん、空から来た人に会ったことあるのー?」

 黙々と食べることに集中していたノゾミが、ユウの言葉に興味を惹かれたのか声を上げる。彼女だけでなく、周囲の人々も興味津々のようだ。

「お、君も会ったことがあるのか、あの空の人に。君が会った人はどんな人だったんだい?」

 男が代表して尋ねた。

「わしが会った人かの、ふーむ……」

 その質問に、ユウは少し考えこむ。頭に浮かぶのは、おかしな話し方をする割に素直で優しそうな少女のことだった。尤も、詳しく知れるほど長くはいられなかったが。

 スパイスのきいたトマトスープを啜って、ユウは口を開いた。

「まあ、面白い人間じゃったの」

「面白い?」

 誰とも知れない人から尋ね返される。

「そうじゃ、何やら珍妙な話し方での。それに容姿も珍しかった。青い髪を携えておってのー。しかし、性格は優しいものじゃったぞ」

 詳しくは話さないものの、脳裏に彼女と過ごした短い時間を浮かべて、ユウは話した。そんな彼女の顔に何か浮かんでいたのだろうか。

「そうか、いい人に出会ったんだな……」

 男は少し悲しげな顔をして、そう言った。

 この世界において人が死ぬなど当たり前の話だ。どんなものだろうと、死ぬときは死ぬ。空から来た人でも同じことだ。男もそれが十分わかっているのだ。死んだとまで悟ったかはわからないが、もう二度と会えないというような想像は容易についたのだろう。

「ところで、主らが出会った空の者はどんな輩なのかのう?」

 自分の言葉で空気が重くなり始めたのを悟ったユウは、話題を少し変えるためにこちらから質問を振った。

「ん?ああ、実はわたしたちが彼らに出会うことは滅多にないんだ」

「滅多にない?」

 男が頷く。

「物資の提供の際も物資だけを渡して、あまり言葉を交わさない。とはいえ、彼らが空の人なのは間違いない。この地上であれほどの支援などできるわけがないしね」

「あまり話さないという事は、本当に信用できるのかのー?」

 直接会ったことがないためかもしれないが、ユウはやはり疑り深くそう尋ねる。しかし、男は首を振った。

「そんなわけがないじゃないか。空の人たちがわたしたちを騙す理由がないだろ?それに、物資まで提供してくれて、果てには空に連れて行ってくれるって約束までしてくれてるんだ。大丈夫だよ」

 男だけではなく、ノゾミを含めた「救世の家」の人々全員が、疑うなどとんでもないというような顔をしている。

「ふむ、そんなものかの」

 ユウも、それ以上信用を損ねるようなことはせず。あっさりと引き下がった。しかし、ユウは彼らの言葉を鵜呑みにするつもりはなく、内心に疑いを抱いたままスープの具を掬った。


 その夜。

 ユウはふと目覚めて、体を起こした。

 ユウが寝ている寝台は一人用のものだが、すぐ隣にはノゾミが寝ている。ユウもノゾミも小柄であるため、大して狭いとは感じないが、必要以上にノゾミが引っ付くため、たまに寝苦しく感じることもある。しかし、今日目覚めたのは決して寝苦しかったからではなかった。

「ん-、厠、厠ー」

 寝惚けた頭で眼を擦りながらノゾミを起こさないようにそっと寝台を抜ける。部屋を出て、辺りを見回すと、真っ暗な廊下が広がっていた。のっそりと歩きながら、トイレ、ではなく建物の外へ向かう。白い装束を来たユウの姿は、まるで死者の魂のようで、半分目にかかった前髪がさらに生気を失わせる。

 ユウは一切の足音を立てずに、「救世の家」の周囲を散歩する。しばらく歩き、その歩みは「救世の家」から全く違うところへ向かった。

 荒れた道路を抜けて、木々の合間を通って、森を歩く。

 そして、辿り着いたところはノゾミが秘密の場所と呼んでいた空間の亀裂。墜ちた星々が輝く暗闇の大穴であった。

「ふむふむ、今日もこの場所は綺麗じゃのー」

 彼女しかいないその場所でユウは独りごちる。

 「救世の家」にきて数日。ユウはこの場所に何度か訪れている。時間は主に夜中。誰もいない場所で落ち着いて思考を整理するためにやって来る。

「にしても、“勇者”も派手にやったものよなぁ」

 大穴を見下ろしながら、彼女は呟く。

 落ちた星々からは光の柱が空中大陸に繋がっている。この空間がごっそり抜け落ちたような穴は、空中大陸があった場所だ。勇者は地上を空に浮かべた。その痕跡が、この大穴である。

 そのことを、その白い少女は知っていた。

「救世の家、かぁ。世を救うなどと、大それたことを宣う者もおった者よな」

 人々の空への憧れ。生きるためなのだから、それは必死なものである。文字通り命を懸けているのだ。当然の話である。

「空に連れて行ってくれる、ねぇ」

 ほとんど出会う事のない空の人。彼らがもたらしてくれる恵み。見返りを求めない施しには裏があると相場が決まっているのだ。

「ま、なんでもいいかの」

 ある程度考えたあたりで、少女は思考を止めた。

 これ以上考えても想像の範囲を出ないからではない。さらに考えれば、「救世の家」の真理に辿り着くことも不可能ではないだろう。彼女がこれ以上考えなかった理由はただ一つ。

 未知の方が面白い。

 ただそれだけのことだ。

「さて、どうなることやら」

 そんなことを呟いて。

 放った言葉以外に全く音をたてなかった少女は、元からそこに存在していなかったかのように、痕跡を残さずその場を去った。


     :::::


 その日、ユウとノゾミは二人で例の秘密の場所に来ていた。

「何度来ても綺麗だねー、ね、お姉ちゃん!」

 ボケっと見ていたユウに対し、ノゾミが話を振る。

「んー、そうじゃの。特にわしは黄昏と宵が共存しているかのような光景が好きじゃ」

「たそがれ?よい?なにそれ?」

 まだ幼いノゾミに、ユウの言い回しは少し難しかったようだ。

「えーっと、つまりじゃよ、ここから見る夕焼けが好きだということじゃよ」

「そっかー、じゃあ、もう少しここで待たないとね!」

 空を見上げると、空中大陸の隙間からは蒼穹が覗いている。雲がないように見えるのはいいことだが、時刻はまだ昼過ぎと言ったところで、その空が赤みを帯びるにはまだ時間がかかる。

「まあ、たまにはここでサボっても良いのではないかの?」

「うーん……」

 真面目なノゾミは、自分が担っている仕事を空いている時間にこなそうとさりげなく辺りを見回すが、ユウは大きなボストンバックを地面に置くと、その上に座り込んだ。

「最近人間は見かけないじゃろ?一日くらい休んだって罰は当たらんて」

「そういうものかなぁ」

「ほれほれ、お姉ちゃんのいう事を聞くがよいぞ」

「はぁーい」

 「おねえちゃん」という単語に弱く、ユウがそれを言うとノゾミはおとなしく従った。

 ユウの座っているボストンバックにはまだ余裕がある。ユウが少し隅によると、ノゾミも空いたそこへ座り込んだ。

 横に並んで目の前に広がる暗闇と墜ちた星々を眺める。しばらく沈黙が続いていたが、

「そういえば、お姉ちゃん。たまに夜いないけど、どこ行ってるの?」

 ノゾミがそんなことを尋ねてきた。

「ん、夜?」

「うん、なんか寂しいなーって思ったら、お姉ちゃんいなくなってるんだもん!まあ、すぐに戻ってくるって待っていたら、いつの間にか朝になってるんだけど」

「なかなか鋭いの……わしだったら寝ている最中に抱き枕を取られても絶対に気付かない自信があるぞい」

「お姉ちゃん、抱き枕抱いて寝てるの!?」

「いや、例えの話じゃが」

「って、そんな風に誤魔化しても無駄だよ!今日の私はユウの行動を突き止めてやるんだから!」

 ユウが露骨に話を逸らそうとしたことは流石にバレてしまった。尤も、ユウもそこまで強く話を逸らそうとしていたわけでもなかったが。

「むぅ、なかなかによいしつこさを持っておるの……感心感心じゃ」

「でしょ!だから教えてくれるよね?」

 小さな胸を張って自慢げにするノゾミに対し、ユウは横に首を振り、

「そうじゃな、そこまで知りたいのであれば、わしの後をつけてみてはどうかの?」

 そんなことまで言ってみせた。

「えっ、そんなことしていいの?」

 ノゾミは驚いた顔を見せる。

「ん?むしろダメなのかの?」

 そんなノゾミにユウも不思議そうな顔をする。

「だって、余計なぷらいべーとを詮索するのはよくないことだって」

 不安げな顔をするノゾミに、ユウは思わず笑みが零れる。すっと前から知っていたことだが、この少女を育てた大人たちも、この少女もいい人なのだ。そんな彼女らを、ユウは興味深く思う。

「一般的にはそうかもしれぬな。しかし、本人足るわしが許可しているのだ。全く問題ないぞ」

 笑ってそんな風に答える。そんなユウに、ノゾミも笑って応える。

「ほんと!?じゃあ、今度私もついていく!」

「おお、おお、そうするがいいぞ」

「今日もどっか行くの!?」

「さあ、それはどうかの。もしかしたら、出かけるのは夜ではないかもしれんかものー」

「えー、どういう意味ー?」

「さてなー」

 その辺をはぐらかしながら、仲良く会話でもしてユウとノゾミは世界の亀裂の前でのんびりと時を過ごした。


「おっとそうだ、少し席を空けるぞ」

 日も傾いてきて、いよいよ黄昏時と言ったところでユウはそう言って立ち上がった。

「ん、お姉ちゃん、どこ行くの?」

 そんなユウを見て、ノゾミが声を上げる。

「もうすぐ夕方だよ?一緒に見ようよー」

「あれじゃよ、あれ、お花摘みとかいうやつじゃな」

「お花!?」

「んー、まあ、あれじゃ、簡単に言うと厠、トイレじゃ。ちょっくら用を足してくるでのー」

 恥ずかしげもなくそう言ったユウに、ノゾミは納得したようにうなずいて、

「あ、早く帰っきてね」

 とだけ残した。

 ユウはそのままその場を離れるが、彼女の目的は実際のところ排尿等という生理現象のために離れたのではない。そろそろ頃合いかと判断して、それを確認するためにその場を離れたのだ。

 しばらく離れたところまで歩く。ノゾミが座っているため、いつものバックは持っていないが、ユウの着物には小物くらいなら忍ばせることができる。懐に手を伸ばし、取り出したものは、

「……すこし、早めることにしようかの」

 キラリと金属質に輝くそれを、少女は己の首筋にあてがった。


 すっかり日も沈み、西の空に僅かに赤い残滓が広がるくらいの時刻。

「おっそーい!!」

 ご立腹の様子のノゾミがユウを出迎えた。

「すまぬのー、思ったより時間がかかってしもうた」

「なにしてたのー!?」

「まあ、ぼちぼちじゃよ」

 言い訳にもならない言い訳を返し、ユウはノゾミの隣に座る。

「もー、夕日も完全に沈んちゃったよー」

「まあまあ、よいではないか、まだ少しだけ空は赤い。日は沈めど、その残り香は少しだけ残っておる。あと少しだけでもこの景色を目に焼き付けておこうぞ」

「うーん?まあ、ユウが一緒ならいいけど……」

 ノゾミも不満はありそうなものの、渋々頷く。

 日が沈み、さらに濃くなった暗闇の大穴はぽっかりとその口を開けており、その中では空中大陸からつながる光の梯子が架かっている。そして、その大穴と空の間は薄暗くなりつつも、燃えるような赤い灯の残滓が漂っており、対照的なそれらが混じることなく共存している。

「風情があるのう」

「うーん、よくわからないけど、いつでも綺麗だねー」

 しばらく景色を眺めていると、ノゾミも機嫌を直したのか、いつもの調子で返してくれた。

 赤い空は時間が進むごとに、見てわかるくらいの速さで急速に黒に染まっていく。光の梯子も段々とその存在感を増していき、いつの間にか完全な暗闇に染まった空の中で真っ直ぐと伸びていた。

「ふむ」

「あー!もうこんな時間ーーー!!」

 ユウがそれを見ながらぼうっとしていたところで、ノゾミが大声を上げた。

「お、ノゾミ、どうしたのじゃ……って訊かなくてもわかるのう」

 周囲を見れば、その答えはすぐにわかる。いつもならすでに「救世の家」で夕飯でも食べているような時間だ。

「早く帰らないとーーっ!!」

 案の定、ノゾミは慌てて立ち上がり、ユウを引っ張る。

「まあまあ、そう急くでない。今から急いでもそうは変わらん。むしろ真っ暗の中で急ぐ方が危険じゃ。慎重に帰ることにしようかの」

 ユウはゆっくりと立ち上がり、大きなボストンバックを背負うと、彼女らは「救世の家」に向けて歩き始めた。


 道中は何のことはなく、慎重を期したこともあってか、危うげないものだった。行く時とは反対に、林を抜け、トンネルを抜け、崩れた都市が見えてくる。いつもよりもはるかに暗い街並みだが、見覚えのある街であることは確かだ。

「ふー、やっと帰ってきたよー」

 行動はゆっくりとしていたけれども、やはり気は急いてしまっていたのか、ノゾミは深呼吸をする。

「おー、家に着いたらこっぴどく叱られるかもしれんの」

「え!?そんな!?怒られちゃう!?どうしよう……」

 ユウの言葉を聞いて不安げな顔になるノゾミ。

「死ぬわけじゃあるまいし、問題ないじゃろ。むしろ大切に思ってくれてる証拠だと思って、甘んじて受け入れるんじゃな」

 口元に笑みを浮かべながらユウは他人事のように言う。

「お姉ちゃんだって怒られるんだよ!?うぅ……」

 今から帰った時のことを思って、ノゾミは少し憂鬱そうな顔をする。まだ幼いこの少女には、叱ってくれる他人の存在がいるという事がどれだけ恵まれているか、頭で理解していても、完全にわかっているわけではないのだろう。しかし、そのこと自体が恵まれている証拠だとして、ユウは微笑ましくそんなノゾミの姿を見る。

 同時に、ユウの胸にほんの少し、痛みが走る。

 それを仕方がないことだと少女は振り切り、家への帰路を辿る。そして、「救世の家」の玄関前まで辿り着いたとき、ノゾミは立ち止まった。

「あれ、ここ、私たちの家だよね?」

 ノゾミはそんな言葉を放った。

 彼女の疑問ももっともである。「救世の家」。比較的腐食の少ない廃ビルに構えていたはずのノゾミたちの家。そこにあったはずの廃ビルはいま、流線型の細長い、新品同様の金属塊に成り代わっていた。

「んん?場所間違えたかなぁ?」

 ノゾミはそんなことを疑うが、位置は間違いなく「救世の家」があった場所である。ノゾミもそれはわかっていながらも、己に言い聞かせるようにそのような疑問を放ったのだろう。目の前に鎮座する塊は、まるで地面から船が飛び出ているかのような形をしており、その表面の所々に、青い光の線が走る。ユウは、その金属の質感と近未来的な光に見覚えがあった。

「廃墟の下にはこんなものが隠されていたんじゃのー」

 ユウは初めてこのビルを訪れて、その造形を観察したときのことを思い出しながらそれを眺める。その様は初めて見るそれに、楽しげな様子だったが、対照的にノゾミは自分の住み慣れた場所が見慣れない物体に代っていることに、不安を隠せない。

「ねえ、お姉ちゃん、私たちの家はどこ行っちゃったのかな……?」

「ふーむ、わしにはわからんのー」

 ノゾミの問いに答えを返せるわけもなく、ユウも知らぬとだけ言い放つ。しかし、不安そうな様子などは微塵もない。そんなユウの様子に、ノゾミは縋る。

「本当に、本当に知らないの……?」

「うむ、知らん」

「じゃあ、私たちの家は……?」

「強いていうなら、これ自体が救世の家なのじゃろうなー」

 のんびりと言い放つユウに、ノゾミは、今度は不信感を募らせる。

「おねえ、ちゃん……ねえ、私たちの家は……どうなっちゃったの……?」

「ノゾミの家は、もう、無いじゃろうな」

 それが最後だった。

 ノゾミは無言で走り出す。「救世の家」があった、謎の物体に向けて。それを白い着物の少女は止めることもせず、ただ眺める。足を動かしたと思ったら、ただ遠目にノゾミの後をついていくだけで、その様になにか感情めいたものは浮かんでいない。

 いや、ただ一つ。

「そろそろ、じゃな」

 内部に入り、階段を幾らか上り、しばらく歩いたころ。

 その口が、裂けるかの如く歪み、そして、建物が震えた。

 唐突な振動にノゾミは転び、地面に置かれていたいくつかの物体は動き、ドアが開き、そこで、ノゾミは目にした。


 そこにあったものは、


 赤くて、醜くて、同時に大切だったはずのもので、


「ぁ……」

 ノゾミは小さく声を上げる。そんな彼女を、着物の少女は傍まで近寄り、されど手は差しのべず、ただ静観する。

「まあ、こんなところじゃろうな」

 少女はまるで世間話でもするかのように軽く、言い放ち。

「あああああーーーーーーーーーーっっ!!」

 ノゾミは同時に泣き叫んだ。

 そこにあったものは、「救世の家」の住人たちの骸。焼かれたり、斬られたり、潰されたり。死因は様々であれど、およそ人に対する所業ではないほどの殺害痕。それはまるで、そのくらい執念深く殺さなければ死なないとでも言うかのような、そんな死骸。

 それらを目の前にしながら、ノゾミは泣き叫び、少女はその死骸ではなく、ノゾミの方を眺める。

 どれだけ時間が経ったか。きっとそんなに経ってはいまい。しかし、ノゾミの喉が潰れて声にならない嗚咽しか出なくなった頃。

「さて、まだ終わっておらぬぞ」

 着物の少女はノゾミの襟元を掴んだ。

「ぇ……?」

 ノゾミは驚いて小さく声を上げ、同時に恐怖に駆られた表情をし、

「よいしょっと」

 そんな掛け声とともにノゾミの小さく軽い体躯は振り回され、


 業火が、舐めた。

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