第2話(後)この世界に救いはない
朝の目覚めは、強烈なドロップキックから始まった。
「……“の兆し”!」
「ぐはぁっ!」
何やら技名のようなものとともに強烈な衝撃と音が背中に走る。予想外の衝撃に驚いたものの、思ったよりも痛みはなく、どちらかというと音をより出すように工夫された攻撃であったと眠気眼に理解する。
しかし。
「……あと五分くらい、いいじゃろ……?」
前のめりに倒れても覚醒しきらないユウの頭は、未だ睡眠を欲し、テンプレのような台詞を吐く。
「もう朝だぞ!行動しなければならない時間だ!おきろぉー!」
鬼軍曹のごとき無慈悲な宣言が木霊した。
「ていうか、そんな座った状態で寝たりしたら、骨格が歪むぞ!姿勢も悪くなるぞ!背だって伸びなくなるんだぞ!いいのか!?今でさえ小さいのに!」
「うーん……いいじゃないかのー……別に……」
「言い訳あるかーっ!!我だって頑張って背を伸ばしたのだ!牛乳毎朝飲んだりとか!背が高ければ、高いところにだって手が届くんだぞ!」
「……今日も……いい、天気じゃのー……」
「だあぁーー!!我はそんな話をしているのではない!」
真理を突いているようで突いていない当たり前のことを放つシラセだが、それを理解しているのかいないのか、ユウは全然違う話題を出す。
しかし、そんな問答を繰り返すうちに、徐々にユウの頭も覚醒していき。
「ふあぁー……む、おはよう。主は朝早いのー?」
ある程度会話が成り立つくらいには意識がはっきりしていた。どうやら、見張りをする気でいたのに、いつの間にか眠りに落ちていたらしい。夜の間になにかに襲われなくて運がよかった。
「お前は朝弱すぎなのだ!揺すっても起きないから、我の六十六ある必殺技の一つ、“蒼天の”……」
「いや、わしもこんなに朝弱いとは思わなんだ。いつもは一人じゃからの。好きな時に目覚めていたんじゃよー」
シラセの話の腰を折り、少し恥ずかしげに頭を掻いて発言するユウ。シラセはそれを複雑な表情で幾分か眺めた後、
「それで、えーと、なーなー、ところでなのだが。朝ご飯とかって……やっぱり……ない、のか……?」
少し言いづらそうにそう尋ねてきた。飯をたかっているという自覚は少なからずあるのだろう。それをユウはじっと見つめ返し。
「ところでなのだが、今わしらは重大な問題にぶち当たっておるのじゃ」
神妙な面持ちでそう告げた。自分の尋ねたことと話の流れから、シラセの頭に悪い予感がよぎる。
「もしや……、朝ご飯はなし……?」
「どころか、わしらの食料など微塵も残ってはいない。昨日釣って食べた魚が最後じゃ」
考えればわかったかもしれないが、シラセが一瞬思い浮かんだ予感よりも幾分かひどい現実が突き付けられた。
「そ、それなら昨日みたいに魚を釣るのは……?」
「半日釣ってあれじゃ。ろくに釣れずに結局飢える未来しか見えぬ」
「我の器律式を使えば……」
「主にそんな器用な真似ができるのであれば構わぬが……」
言葉のニュアンスとは裏腹に、内心多少の期待を込めつつ、ちらりとシラセを見るが、
「むぐっ!確かに……我には大雑把に大、中、小程度の火の勢いを操る程度の真似しか出来ない。おそらく水に火の勢いが消されるか干上がって黒こげの魚が出来上がるだろうな……」
「お、おう、そうかの……」
思ったよりも不器用そうだ。
食料がない。当然それは死活問題である。食料調達の難しいこの世界において、この沢は確かに貴重な食料調達場ではある。しかし、一見平和に見えるこの場所も、すぐ近くまで≪終焉を告げるモノ≫ないし“終焉の徒”が迫っている。早急にこの場を離れる必要がある。昨日まではダラダラとしていたものの、実際はのんびりとしている暇など全くないのだ。そのことは二人とも重々承知している。
「よし。それならば、さっさと移動して、なるだけ飢えないことを祈りながら進むしかないの」
「ほかに食料調達場などあるのか?」
シラセの言葉も当然だろう。特に彼女がここに来てから荒涼としたところしか歩いていない。ユウにも都合よくそのような心当たりはないものの、
「いや、それはないが、たぶんどこかで見つけることはできるじゃろうなー」
そのように言った。シラセが疑わし気に見つめてくるので、さらに説明をつけ足す。
「別に希望的観測ではないぞ?確かにここでは食料調達のできる場所は珍しい。しかしな、珍しいからと言って全くないわけではない。探せばそれなりに見つかるものじゃよ」
また、これは一部でしか知らぬことではあるが、≪終焉を告げるモノ≫は都市部を中心に破壊を始めた。つまり、人の手が付きづらい山奥などは意外と残っているところも多いのだ。よって食べられる山草や木の実、虫くらいを把握していれば、食料を見つけること自体は容易ではないにしろ、そんなに難しいというほどでもない。
ただ、ユウは娯楽を求めて人のいそうなところへ自然と歩を進めるため、そのような“退屈”なところへ行くことはよっぽど追い詰められていなければ行くことは少ない。今回はユウ一人ではなく、シラセという道連れがいるので、退屈することもあるまい。
そんなユウの内心はあずかり知らず、
「そうか!お前がそう言うならそうなのだろうな!では案内頼むぞ!我には土地勘など無いゆえな!」
シラセは図々しくも笑顔でユウにそんなことを頼むのだった。
荷物などたいしたものはない。ほとんど現地調達で済ませたため、せいぜい寝袋をまとめてユウのバックに詰め込むくらいのものだ。むしろやるべきは野営の後始末であろう。釣りの道具はともかく、火の始末はしっかりしておかなければならない。この沢もすぐに滅びるだろうが、それでも少しでも長く残すため、運よくここを見つけられた人のためだ。火の不始末で燃え尽きていたのでは洒落にならない。できる範囲で最低限のことくらいは一応こなす。それがユウのポリシー、というほどでもないが、多少の良心であろう。
目覚めた時にはすでに火は消えていたものの、念のため燃え滓をもう一度見て、きちんと燃え尽きていることを確認する。
「よし、大丈夫じゃな」
ユウに元からキャンプ知識がある訳でもないため、経験に基づくそこそこ適当な片付けにはなるが、これでどうとかは聞いたことはないため、恐らく大丈夫だろう。そもそも人もいないし電話などの通信系統も大体使い物にならないため、情報などほぼ入っては来ないのだが。
見た感じ野営の後始末も終わったので、いよいよ出発しようと荷物を背負う。
「立つ鳥跡を濁さず、と……まあ実際は多少濁してもいいとは思うがなぁ。誰もいないし。その方が誰かいるという安心感があるもののー」
そんな無為なことを呟き。
「だが、今は我と一緒であろう?お前はもう一人ではないではないか。それに、きっと後の者も別の誰かに会うことができるだろう」
後ろからシラセの声が聞こえてきた。
「そうじゃな、そうじゃといいな」
あとに来るものなどきっと一人もいない。間違いなくその前にここは滅びるだろう。そんな思いはお互いわかっていながらも口には出さず。
「さて、行くか」
「行こうか、いざ、見果てぬ旅路へ!」
前を向いて歩きだす。この世界は終わってしまったけど。少なくともここには二人の人がいる。いつ死に追いつかれ、捕まってしまうかなんてわからないけれども、それでも今この時だけは明るい未来へ向けて、ユウとシラセは一歩を踏み出した。
踏み、出そうと、した。
世界はやっぱり、そんなに甘くなかった。
世界はそれを、赦してはくれなかった。
どこかで感じた死の記憶。ユウの首筋に死神の鎌が突き付けられる。背筋が凍る。全身が冷たいナニカに覆われるのを感じる。それはシラセも同様のようで、その額には冷汗が浮かんでいる。
「こ、これは……?」
迫る危機だけは感じるもののまだ状況を飲み込めてはいないのか、シラセは辺りを見渡しながら尋ねる。
「主が困惑するのはわからなくもないが、そんな暇はない!逃げるぞ!」
独りではすぐに諦めただろう。事実、昨日のあの時は諦めた。所詮は幾ばくかの命。その終わりがすぐそばまで迫ることになったところで大した違いはない。むしろ飢えて苦しむよりもはるかに良いかもしれない。ただ、今はもう独りではなかった。ユウとシラセは出会ってしまった。死ぬはずだった運命が覆されてしまった。ならば、ここで諦めて終わるわけにはいかない。終わらせるわけにはいかない。
「“終焉の徒”じゃ!」
それだけ言い終わるや否や、シラセの手を取ってユウは全力でこれまで歩いてきた道とは反対方向、川の方へと駆けだす。
彼女の足が地を蹴った瞬間、さぁ、と地が赤黒く染まる。青々としていた草木は一瞬で枯れ朽ちる。膿んだ大地から腫瘍のように“終焉の徒”が産み出される。
ぐちゃり、ごきり、ぐきゅり、と。
死の大地が、生きているかのように、病んだ皮膚のように。
ゆがんで、ゆがんで、
「昨日よりも……酷いようじゃの……!」
産まれて、生まれて、膿まれて、
「これが……“終焉の徒”なの……?」
川は血のように真っ赤に、誰も逃さぬと広がって、
じわり、と。
かくして、“死”は彼女らに追いついた。
目の前にはどう見ても入ってはいけない血の川が横たわっている。本能がそこに足を踏み入れることを拒否している。
「くっ……こっちはダメか……!」
川に入れないと判断したユウの次の行動は迅速だった。真逆の方向に進めないならせめてと、ほのかに赤黒い大地の侵食が少なく見える方へ、川に沿って走り始める。この方向に何が待っているかなどわからないが、少なくともすぐに走りださなければ、待っているのは滅びのみである。絶体絶命の彼女らにとって、その先に何もないことを祈りながら進むしか道は残されていなかった。
死なないための最善を尽くす。生きるための道なんて微塵も見えないから、死なないための、死なせないための最大限の努力をするしかないのだ。
文字通りの死力を尽くして。
後ろからは何の音も聞こえない。耳に届くのは自分の荒い息遣いだけ。
それでも死が迫っていることはわかっていた。後ろなど振り返ってはいられない。ユウはただただシラセの手を引っ張って、走り続ける。
目の端にはちらちらと認識不能のナニカが映っている。
「も、もう……ダメ……!」
全速力で走り続けることに限界を感じたのか、シラセが弱音を吐く。
「そんなこと言っとる暇があるならまだ大丈夫じゃよ……!」
そんな彼女を叱咤して。
「ほんとに、もう……!」
一瞬、グイっと引っ張られたような気がして、すぐにその力が失われて、立ち止まってはならぬと再び叱咤しようとユウが振り返ると。
その先には──。
終焉が、すべてを覆っていた。
なにがあったのか、そんなことはユウには分からない。わかりたくもなかった。けれども世界は無情に廻るのだ。
ふと気づくと、視界は赤く染まっていた。地面が“終焉の徒”の襲来によって赤黒くなっているわけではない。その脅威はひとまず消えた。そこを染めていたのは血だった。ただし、自分の血ではない。
己の手に目をやる。そこに握っている物は、
誰かの腕。
ただそれだけ。その先には何もない。本来あるべき身体はどこにもない。だから、誰のものなのかもわからない。
いや、誰かではない。誰のものかはわかっている。
「……シラセ」
すでに分かっていたこと。“終焉の徒”が来た時点で、これは決定づけられた結果なのだろう。そんなことはわかっている。
無事に逃げおおせられるわけがない、ということはわかっていた。
「そうか……」
消えた。死んだ。逝った。なんと表現しようが結果は同じ。
手に持つはシラセの千切れた腕。その先に広がるはただの虚空。あの状況と今の視界から導き出されるその意味は考えるまでもない。
この世界ではよくあること。いつも通りの、珍しくもないそんな日常。
あのオッドアイの、尊大な物言いをする割に気弱なあの少女はもういないのだ。この世のどこにも。死体すら残らない。そんなものはきっと枯れて砕けて朽ちて消えた。残ったのはこの腕だけ。
遺された腕を見つめる。その行為には何の意味もなく。そんなことは言われるまでもなくわかっていて。それでも感慨にふけるのを止めることは、できなかった。
時が経ち。気持ちの整理も十分についてきて。
ユウは立ち上がる。その拍子に、カラン、と荷物から何かが落ちてきた。それを拾い上げる。
それは缶詰の残骸だった。昨日から捨てるに捨てきれず、なぜか持ってきてしまっていた缶詰。伽藍洞の容器。それをじっくりと眺めると、ユウはそれに腕を放り込んだ。
だが、その前に。
そのままでは缶詰の中身で腐るだけなので、肉はこそぎ落として、骨だけ残す。こそいだ肉は。
──────────ぐちゃり。
「……………」
無言。
初めてのはずのその味は、決して美味しくはなかったけど。
けれど、なぜだか懐かしかった。
腹は満たされた。幸福感なんて微塵も感じないが、必要な栄養分はしっかりと摂れた。少なくとも生きていける程度には。
面白くない。
けれど。
仕方がない。仕方がないことなのだ。
でも、やっぱりそれは仕方がないことではないのかもしれない。許されざることなのかもしれない。
「……ああ、愚か」
誰も責めない。誰にも責められない。そんなものを抱く奴は自分だけ。だから許されるとか許されないだとかはすべて、考える必要のないことだ。
そんなものはただの無駄。
それを抱き続けるのは面白くない。
そんなことを考えるのは、どこかの暇な愚か者のすることだ。罪などない。罰もない。そんなものがあるのであれば、とうにこの身は裁かれている。
全ては無意味だった。シラセと出会ったのも、死んだのも、ユウがここにいることも。
全ては無駄だった。ここで考えるのも、思い出に耽るのも、立ち止まることも。
だから、
「ま、どうでもよいことじゃ」
なんでもよかった。どうなろうが関係なかった。シラセが死んだことは悲しかった。彼女の存在はユウの心に確かな傷をつけた。
だからこそ、
「……コレ自体は、いい刺激になったからの」
少女の根源にあるのは娯楽の追求。
幸福感だけが娯楽ではない。娯楽とは、少女の抱く悦楽、悲哀、罪悪、というあらゆる感情。そして少女の体感する快楽、苦痛、不快というあらゆる感覚。それらすべてがただの刺激。
それは自分の生死すらも度外視の彼女の欲求。存在意義。見知らぬ誰かに出会うことも、その誰かを生かすために苦心することも、それを為せず自らが苦悩することも、その誰かの肉を喰らうことも、一時的に全てが面白く無く感じることも、そしていつか元に戻ることも、それでも失ったその存在が己の心に残り続けることも。
全てが。
「……ありがとう、シラセ。わしは主に会えて愉しかった」
誰もいないこの地で独り、ポツリと呟く。それは誰にも届かず、発した少女本人にすら全く響かず。
シラセの腕の骨が入った缶詰を大きなボストンバックに放ると、小さな体躯が逆に背負われているかのようにそれを担ぐ。
少女は歩き出した。
切れ切れの空中大陸の隙間に見える空は、皮肉なほど蒼かった。
この終末世界において、救いなどどこにもありはしなかった。
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