第2話(前)この世界に救いはない

 終末を迎えた世界において、最も大事なことは食料調達だ。当然、生きるために必要なこととして大事ということもあるが、それ以上に、唯一と言ってもいいくらいに数少ない娯楽になり得るからだ。

 なににおいても優先すべきは食料調達。いかにおいしいものを手に入れられるか。どれだけお腹いっぱいにできるか。幸福感でどれくらい胸をいっぱいにすることができるのか。≪終焉を告げるモノ≫によって蹂躙され尽くしたこの世界では、当然生きている人などほとんどおらず、いたとしてもそこの生活に余裕など全くない。そんな生きるのに必死な彼らが娯楽となり得る、例えば紙類や遊具などを管理するわけがなく、この世界はあまりに退屈だ。

 少なくとも、その少女はそう思っていた。

 別に彼女も生きるのに余裕がある訳ではなく、むしろ日々決死の覚悟で生き延びているのだが、退屈というものはやはりストレスでしかなく、なにか面白いものをつい求めてしまうものだ。一回でもその娯楽を味わってしまったのであればなおさらである。

 ゆえにその少女は、少しでも娯楽を求めて、それを食事というものに求めただけである。

 何はともあれ。

「なぁーんにもなぁーい。ここ三日ほどで口にしたのはただの水だけじゃぁー……」

 そんな娯楽どころか、日々の食事にすらありつけないのが、この終末世界の現実なのだ。食事にどれだけ娯楽を求めようが、そもそもそれを見つけることすら難しい。

「むむ……やはりこれはもしかしたら頑張れば食えなくもないのではないかの……?」

 先ほど拾い、なぜだかそのまま持ってきてしまった少々の光沢だけを残す缶詰の残骸をもう一度眺め、実際そのように見えてこないかどうか自分に暗示するように呟いてみる。

「中身は……えぇっと……?黒いドロドロの……いや、もしかしたらそのような料理とか……」

 どう見ても食べられるようなものではないそれを、しかし空腹からやってくる、何でもいいから腹に入れたいという欲望とともに脳内で食べられるものに無理やり変換できないか試みる。

 その缶詰の残骸は当然容器も壊れており、その中に詰まっている物が食料のわけもなく、落ちていた場所の泥以外の何物でも無い。それは、頭ではもちろんわかっているのだが、自身のお腹と欲望で考えるとなかなかどうしてそうは思えず。かつてはその中身が食べられるものであったことは分かるため、なおさら「もしかしたら食べられるのでは……?」などという愚考が頭に浮かんでくる。

 少女がすでに通り過ぎ、恐らく二度と戻ることはないであろうあの地は、≪終焉を告げるモノ≫に滅ぼされた場所の一つだ。今どき珍しくもない、そんな終末の残滓。赤黒い大地は、酸化物などが含まれてそのような色を呈しているのではなく、≪終焉を告げるモノ≫によって歪められた理の証だ。地の深いところまではわからないが、少なくともその表面には、蟻一匹いやしない。そこを踏みしめる動物はおろか、植物すらも枯れ朽ち、触れれば簡単にボロボロと崩れてしまう。

 死の大地。

 それが、≪終焉を告げるモノ≫が通った後の場所の、ただ一言の印象だった。

 少女は、そんな滅びの大地を通り抜け、新たな地を目指して歩いている。無事なところがあるかも、などという淡い期待は抱いていない。ただ、こんな世界でやることもないから、歩いてさすらっているだけなのだ。どこかで美味しいもの食べられたらな、なんていう願望はこの際無視する。

 少女は、目を細めてジーっと穴が開くほど眺めていた缶詰を、やっと食べることを諦めたか、何とか視線を逸らし、汚れた中身を掻きだすと、大きなボストンバックの中身放り投げた。さらに気を逸らすために先ほどまで歩いてきた道を振り返る。その拍子に、切るものがなくて伸びた前髪が目元に降りかかった。それを億劫そうに適当に片方だけかきあげ、遠くを眺める。

「うーん……いつの間にかこんなところまできたんじゃの……感慨深いもんじゃ」

 遠くに見える赤黒い大地。先程まであそこにいて、そんなに時間も経っていないような気さえするのに、いつの間にか小さくなっていることがどこか不思議だ。その小さくなった光景を見ていると、懐かしささえも感じ始める。

 そんな物思いに耽っていたのも束の間。

「もんじゃ……?もんじゃ……もんじゃ……もんじゃ焼き……………じゅるり」

 自らの発した言葉の一部に、どこかの料理名を感じ取り、すぐさま意識が空腹であることに戻る。いや、どちらかというと空腹であることは関係なく、単純に美味しいものを連想して、それでより空腹が強くなったという方が正しかっただろうか。

「アレ……食べたのはいつだったかのう?もう一度食べたいものよの……」

 再び、今度は先程よりもさらに昔のこと(食べ物)に思いをはせる。

 時間などほぼ無限にあるのだ。空腹に負けない限り。だからここでどれだけ感慨にふけっていても問題はない。少なくとも今は。

 そのような油断があった。


 この終末世界において、そんなことがある訳がないのに。

 休息の時間など、あるはずがないというのに。


 肉を挽くような、


 ぐちゃり。ぐちゃり。ぐちゃり。


 それはどこからともなく、


 骨をこそぐような、


 ごきゅり。ごきゅり。ごきゅり。


 音が、同時に、


 大地が、胎動する。大気が、脈動する。


 終焉の訪れを、世界が告げた。


「あー……逃げねば間違いなく死ぬのう」

 少女は、ぽつりとつぶやく。しかし、その発言の内容と現状に反して、彼女の雰囲気は安穏としており、すぐそばまで命の危機が迫っているという緊張感はない。

 けれども現実は容赦なく降りかかってくる。遠くに見えていた赤黒い大地は、いつの間にかすぐ近くにまで迫っており、そこからは大地と同じような赤黒い色のナニカが、むくむくと起き上がってきている。そのこと自体は確かにわかるものの、その姿をはっきりと認識することはできなかった。ヒトのようにも見えるし、4足歩行の動物にも見えるし、無数の触手のようにも見える。けれども形は不定形で、されどもそこにしっかりとした形をもって存在しており、実際のところそれがなんであるのかを判別することはできなかった。だから、それを形容する言葉は“ナニカ”としか言いようがなかった。

 いや、一つだけ、それを表す言葉があった。

「……“終焉の徒”か」

 ≪終焉を告げるモノ≫が生み出す、無限の手下。≪終焉を告げるモノ≫ほどではないものの、人類を脅かし、生命を蹂躙する終末の因子。

 少女はやはりその場に立ち尽くしたままだ。依然として逃げる様子はない。

 ある意味、それは正解であるのかもしれなかった。

 “終焉の徒”はすぐそばまで迫っている。それは≪終焉を告げるモノ≫がすぐそばに「いた」、もしくは「いる」、はたまた「来る」ことを表している。彼らが通った後には生者は誰一人として残らない。誰一人、何一つとして。何もかもが滅せられる。

 ゆえに。

 すぐ傍に“終焉の徒”がいるということは、既に死に捕縛されている。

 それはこの世界における不文律。誰にも歪められない確定事項。

 つまり。

「んー……逃げても死ぬようじゃのう」

 それだけ。この状況になった時点で逃げるだけ無駄。逃げても幾分すら生き永らえられない。ただそれだけの、簡単な解答であった。

 少女はその幼い容姿に反して、慌てふためくようなことはなく。このような状況に面しても冷静にその解を導き、全く感情に揺さぶられることなく落ち着いて状況を見ていた。

 そこに潜む感情は、恐らく諦観。このような環境において、幼い少女はそのように成長せざるを得なかったのか。

 今まで運よく生き延びてきたからこそ、そのツケが回ってきた。それを彼女は理解しているのかもしれない。

 少女が本当にそう認識したかどうかは定かではないが、少なくとも傍目にはそう見えた。

 少女は震えることも全くなく、何の気なしに、ただそこに突っ立っているだけであった。

 もしもその光景を見るものがいれば、誰もが次の瞬間に少女の死が訪れることを信じて疑わなかっただろう。それがいかに残酷なことであろうとも。世界は無慈悲に少女の命を容易く奪ってしまうだろうと。

 事実、少女自身もそのように思っていた。そして、それでも構いはしないとも思っていた。

 そのはずだったが。

 その前触れは全くなかった。誰も予想などできはしなかった。それほどまでに、突然のことだった。

 轟音が響いた。

 火の手が上がった。

 死んだ大地が燃え上がった。

 それは死者を弔う炎のように。

 この世を抉る劫火のように。

 少女はとっさに目を閉じ、手で顔を覆う。その行動もその時起こったことに比べればすべて遅すぎるものだったが、それが功を成したのか否か、少なくとも少女は、その時死にはしなかった。

 気付けば、少女は焼け野原のただなかに突っ立っていた。“終焉の徒”は一掃されて、ただ一つ、ちょうど人が一人入るくらいの大きさの、半分に割れたカプセルのようなものだけが地面に突き刺さっていた。

 炎の中で、少女の着物は不気味なほど真っ白に照らされていた。その表情は、突然の出来事にも全く動じた様子はなく、目の前に起こった新たな災禍を、ただ無表情で眺めていた。

 そのカプセルの見た目はどこか心臓を連想させ、その赤い表面はドクドクと脈打っている。それは火の中でも傷一つつかないままに、むしろその表面のどこからともなく火炎をまき散らしている。

 目を凝らしてよく見ると、カプセルの表面に緻密な魔法陣のようなものが描かれており、炎はそことその周囲から放射されている。未だ放出され続けるその炎は、赤黒い大地を舐め、燃え焦がし、新たな死を上書きしていく。それは立ち尽くす少女のことも燃やし尽くさんとばかりに呑み込もうとする。

 ここにきてもなお、少女は動こうとはせず、カプセルを見続けていた。

 そして。

 ぐぽり。ぐぷ。

 血塗れの肉に手を突っ込んだかのような音が続けて響き。

 カプセルから白い一本の手が伸びていた。それは内部から卵を突き破るかの如く。胎児が母の腹から出ようとするかのような。カプセルのちょうど魔法陣の描かれていたところから伸びていた。同時に炎の放射が止まる。

「……人?」

 思わず少女がつぶやく。少し口を開いただけにもかかわらず、熱く乾いた熱気が肺に飛び込み、身体を内部から焼く。煤も呑み込んでしまい、咳き込んではさらに苦しみが増した。

 本来ならここにいてはいけないのだろう。もしくは既に死んでしかるべきだったのだろう。しかし、何の因果か、少女はこの烈火の中に立ち、それの誕生を傍で見ていた。

 少女の根源は常に娯楽の追求だ。面白いものを求めて、明確な目標はないままにどことも知れずこの地上をさすらっている。

 そして、その少女の本能が告げていた。

 これは、きっと「愉しいこと」だ。

 だから、少女は未だ燃え止まぬ劫火の中を、何も変わらず何食わぬ顔で歩みを進め始めた。

 炎の中でも、少女の着物だけは不思議なことに真っ白なままで、しかし少女の身体は炎にすでに呑まれ、あちこちが焼け、顔は煤で汚れている。

 パチパチと火の爆ぜる音がする。カプセルからの火の放射は止んだものの、既に燃えている火が消えるわけでもない。可燃物がどこにあるかは定かではないが、むしろ火の手は勢いを増している。

 それを知ってか知らずか、少女は歩く。

 カプセルからは未だ一本の手が伸びたままで、変化は見られない。その手は何かに守られているかのように、炎はそこを避けている。

 少女は、遂にカプセルまで辿り着いた。脈打つカプセルの表面は凄まじい熱気を放っている。それをものともせず、少女は、その手を掴むと、勢いよく引っ張り上げた。

 カプセルに隠れて、その手の持ち主の姿は見えなかったが、その行動には躊躇の欠片も見せず。

 ぐぽり、ぐぽり、ぐぷり、ぐぱ。

 連続的に肉をかき混ぜるような音が、火の爆ぜる音の中に響く。

 ぐぽり、ぐぽり、ぐぷり、ぐぱ。

 ぐちゅり、ぐちゃり、ぐちゃ、ぐちゅ。

 引っ張った手の先にあるカプセルの中から、徐々にその持ち主が姿を現してくる。

 肩、胸、顔、もう一本の腕。

 上半身がカプセルから出たあたりで、少女はその者の姿をまじまじと見つめた。

 その者は、眠っている裸身の少女だった。青髪で色白の少女。上半身だけであるものの、着物の少女よりは大きな身体をしている。

 見た目は普通の少女だ。ただ、どう見ても状況が普通ではない。彼女は果たして本当に見た目通り“普通”の少女なのか。

 そんなことは関係ないのだ。

 着物の少女にとって、一番重要視すべきは“面白いことか否か”である。そしてこの少女はきっと“面白い”。

 それがすべてだ。

 裸身の少女が、ゆっくりと目を開けた。

 目が合った。

 左右で違う虹彩の色。黒と碧色をした不思議な瞳。思わずそれに視線が吸い込まれる。

 次に彼女は、口を開けた。

「お前は……誰……?」

 か細いが、しっかりとした声が耳に届く。

 少女は、何を言われたか理解できないように首をかしげた。

「な……まえ……」

「名前……?」

 裸身の少女はこくりとうなずく。

 とうに忘れた過去の遺物。着物の少女にとってさほど大切でもなかった単語。すでに失ったそれを思い出すことは、やはり叶わず。されど問われたことを答えようとして。

 ふとある記憶がよみがえる。少女は、それをもじって自らの名前にすることとした。

「……そうかぁ、わしの名前はユウじゃ」

 そう言って、着物の少女──ユウは微笑んだ。裸身の少女はそれを見て、微笑み返し、再び目を瞑って気を失った。


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 炎に包まれた野から、少女を背負って何とか生還したユウは、未だ≪終焉を告げるモノ≫の影響を受けてない、青々とした沢に辿り着いた。すぐ近くが死んだような有様にもかかわらず、全く無事な様子の場所があることに、安心感よりもむしろ危機感が募る。

 あの焼け野原においても、“終焉の徒”は全滅したわけでもない。このような場所も、きっとたいした時を経ずして荒野へと変わってしまうのだろう。

 今はそんなことよりも、拾ってきた少女である。

 流石に裸のまま連れ歩くわけにもいくまい。確かに人にはほとんど会わないとはいえ、全く会わないとは限らないのだ。それに彼女自身の尊厳もあるだろう。人間である以上、服は着たいと思うのが常である。少なくともユウ自身は服を着ないよりは着ておきたい。

 とりあえず少女を横たえて、自分の荷物を探ってみる。

 長らくさすらってきた身だ。替えの服くらいあるし、寝袋もある。地べたにそのまま寝かせるよりはましだ。服と寝袋を引っ張り出し、作業に取り掛かる。

 ほどなくして。

 ばっちりと服を着せ、寝袋に寝かすことができた。ユウ自身は着物を着ているが、替えの服は今来ているような和装の着物ではなく、普通の半袖シャツと短パンだ。ただしそれらのサイズはユウの大きさに合わせていたため、少女の体には少し小さい。なので、大き目の黒い合羽を取り出し、それも着せる。これで露出度を減らしておけば、目覚めた後に少女が自分で脱ぐなりなんなり好みのスタイルにするだろう。

 ひとまず落ち着き、情報整理とともに少女の姿を観察する。

 まずは先程起こった出来事である。“終焉の徒”が迫ってくるのはよくあることだ。あそこまで近くに迫ってくることはユウにとって初めてだが。問題はその後のこと。突如落下してきたカプセルが“終焉の徒”を焼き払い、そのカプセルの中には少女が入っていた。

 その当の少女は、今目の前にいる。色白の皮膚に腰元まで伸びた青い髪。しかし、青い髪など通常あるのだろうか。染髪したのならわかるものの、この世界に染髪などという無駄なことをするものがあるのだろうか。生きるのにもギリギリな世界において、そのようなことはほぼあり得ない。あるとすれば──。

 ユウは空を見上げる。そこにあるのは理から外れた空中大陸。そこは“勇者”が創り上げた新たな世界が広がっていることだろう。見たことはないが、そこには娯楽にあふれた楽しい世界が存在するに違いない。あそこであれば、生活の余裕もあるだろう。少なくとも自分の身だしなみを着飾る程度には。

 ともかく、目覚めてからでないと事の真意はわかるまい。この少女が誰なのか。なぜ突然現れたのか。それらの疑問は目覚めた後に直接少女にぶつけることとしよう。

 そんなことを考え、どれだけ経っただろうか。

 いつも目覚めている時は基本歩き回って散策しているが、このようにぼけっと座ってじっとするのは久しぶりだ。ここも安全とは限らないため、なるだけ起きていた方がいいのだが、強烈な睡魔はそんな人間の都合に関係なく襲ってくる。いつもなら自分一人であるため、我慢できないならば最悪眠ってしまっても問題ないが、今は無防備な謎の少女が一緒である。いざというときは逃げねばならない。逃げ切れるかは別として。

 うとうとと眠りかけ、はっとして目覚める。何もしないでいるのは退屈で苦痛だ。

「うーん……なんかすることは無いものかのう……」

 少しでも目を覚ますべく、思考を口にしてみる。

 目の前に広がるは、珍しく直接あたる日光に照らされて、これまた珍しい青い原っぱと、その先にあるそれなりに浅い清流。ほとんど絶滅したのかと思っていたが、その流れには魚の影すら見える。非常にまれなことに、この河川の上流の山の方から、ここに至るまで≪終焉を告げるモノ≫の影響をほとんど受けていないらしい。≪終焉を告げるモノ≫による殲滅は、なぜだか範囲内を過ぎるとまるで影響がなくなるのだが、上流から続いている河川などは上の微生物が死滅すれば、下流の方にも大きな影響が出る。

「お……そうだ、少し思いついた」

 目の前の光景を見ていて、少しやりたいことができた。やったことはない、というかやる機会もなかったため、うまくいくかどうかわからないが、物は試しだ。それに、挑戦することに意味があるなんてことを誰かが言っていた気もする。

 ユウはさっそく行動に移すことに決め、腰を上げた。沢の周囲にはある程度の木々も生えており、原には葉や枝も落ちている。そこからいい感じの太さの長さの枝を、感覚で選び拾い上げる。実験の意味も兼ねて違う長さや太さの枝を拾い集める。

 荷物の中から、ナイロン製のロープを取り出し、それをほぐし、もっと細い紐にして、枝の先に結び付ける。こちらも勝手がわからないため、長めに用意して、長さを自由に変えられるようにする。

 あとは──。

 辺りを見回す。これがないと始まらない、のかはわからないが、一般的には使っているような気がする。そのため目的のものを探すため、適当な位置の土を掘ってみた。しばらく掘っても見つからなかったため、別のところを掘ってみる。さらに別のところを。なにぶん時間は有り余っているため、周囲への警戒さえ解かなければいくらでも掘り返せる。何回目かの土いじりの後、小さなミミズを見つけた。

 その後は結構順調で、ミミズだけでなく、そこそこの数の虫を見つけることもできた。それらを袋の中に閉じ込める。

「まるで蟲毒じゃの」

 その閉じ込められた虫たちは、壺の中でお互いを喰らわせて、最後の残った一匹で呪いを行使するという蟲毒という呪術を連想させる。しかし、今回は別に呪いたくて閉じ込めたわけでもなく、単に捕獲しておきたかったからに他ならない。

 袋の中に手を伸ばして、適当な虫を一匹つまみ上げる。それを、先ほど枝につけた紐の先に結びつける。

 ともかくこれで、釣り竿の完成だ。あとは見様見真似で川に紐を垂らし、ひたすら機を待つ。これでうまくいくのかわからないが、そんなのはやってみればわかる。どれだけの枝や紐の長さがいいのかわからなかったため、いろんな長さを試しながらになるが、そのうち適当な長さに当たるかもしれない。それでも魚が釣れるかどうかわからないが、ある程度暇をつぶすには十分だろう。運よく魚が釣れれば、今夜のご飯は豪勢なものとなる。少し期待しながら、ユウは釣りをすることにした。


 日が暮れてきた。水面にも魚影は映らなくなってきた。餌ももうほとんどない。釣果は、詳しくないがどちらも同じ種類に見える小型の魚二匹。食べられるかどうかはわからない。それでも即席の釣り竿で、加えて初めての釣りの成果が二匹でもあったことは誇ってもいいだろう。釣った魚はすぐに血を抜いて締めてある。昔どこかで見たように、適当に殺してエラの辺りを切り取って尻尾も適当に切っただけなので、本当にやり方があっていたかどうかは不明だが。

 ユウは内心不満げに思いながらも、しっかりと現実を受け止めて、精一杯の結果であったと己を納得させる。

 粛々と後片付けを始めようとしたとき、後ろから急に声が響いた。

「フハハハハ!お前が我を目覚めさせた愚かなる従僕か!褒めて遣わそう!」

 なんだか偉そうだが、非常に間抜けなその声は、真後ろから聞こえたというよりは、その少し下方から聞こえた気がした。少し驚いたものの、声の位置と声色から若干の予想のもと、ユウはゆっくりと振り返ってみた。

「しかしこの状態はなんだ!?なんか袋に包まれてて……!?まさか!?お前!我を捕まえて世界を滅ぼしたりとか……!?ま、待て!?世界の半分をやろう!だから命だけは……!!」

 そこには、寝袋にくるまってなんか叫んでいる元気そうな少女がいた。今はそのオッドアイの瞳をしっかりと開けてこちらを見つめている。寝袋を使ったことがないのか、どうやら寝袋からうまく抜け出ることができず、実質拘束状態となっているようである。しかしながら、その話す内容は少なくともユウにとっては理解不能である。

 ユウは釣りで使った道具をその辺に放り、少女のすぐそばまで駆け寄った。

「ひっ!?な、何をする気だ……?」

 いきなり近づいたためか、少女はおびえた様子でユウのことを見る。

「いやー、わしは何もせんよ、大丈夫大丈夫」

 少女を落ち着かせるため、ユウは立ち止まって笑顔で手を振る。笑顔は古今東西相手の安心感を誘発させる。言葉のわからぬ赤子でも親の笑顔には安堵する。詐欺師も笑顔で獲物を騙すのだ。また、手を振るのはこちらが無手であることを示すためである。無理に近づくのはさらに怯えさせるだけだろう。ユウは少し距離を置いて話すこととした。

「一応自己紹介をしたと思うのだが、もう一度やっておこう。わしはユウ。どうじゃ、聞き覚えがないかの?」

 すでに暇を持て余した長い釣りで、伝えたことが遠い昔のようにすら思えてしまう己の名を再度少女に伝える。

「それで、主の名は?」

 今朝、火の中から連れ出すときには聞けなかった少女の名を問いてみる。彼女は何度か口の中でユウ、と名前を呟いた後、

「わ、我はシラセという名だ!お前は、ユウ、というのか……。もしや、我をあの煉獄から救い出したものはお前か?」

 一応少女の記憶にも、ユウの名は引っ掛かったようである。少女の顔も幾分か落ち着いたものとなってきていた。少しずつユウは近づいていく。

「うん?煉獄……?ああ、あれか。あの炎を生み出していたのは主ではないのか?」

 ユウの記憶が正しければ、このシラセという名の少女が内包されていたカプセルから炎が出ていたと思うのだが。

「い、いや……我と言えば確かにそうなのだが……」

 何やらシラセの言葉の歯切れが悪い。このような時に無理に聞き出すこともあるまい。それで少しでも築いた信頼が破綻してしまえば、再びそれを築くのには時間がかかる。何事も作るのはゆっくりの割に、壊れるのは一瞬なのだ。同じ聞き出すにしろ、後回しにしても良いことだろう。

「まあまあ、言いたくなければ言わなくてよい。それよりも、なんであんなところにいきなり落ちてきたのかのう?わしの予測が正しければあの空中大陸から墜ちてきたのだと思うが……」

 いつの間にか真っ黒に染まった空を指差しながら、尋ねる。

 この少女の正体くらいは今のうちに判明させとかなければならない。どう見ても敵対する様子はないが、よくわからないうちにトラブルに巻き込まれたくはない。

「そうだな……。確かに我はあの空から墜ちてきた。確か……何らかの目的を持っていたと思うのだが……」

「おお、目的か。どんな目的か覚えているかのう?」

「いや、それが何だったか……。何やら重要な任務を与えられていたと思うのだが……」

「ふむ」

 ユウはそれを聞いて、すぐさまシラセが何らかの記憶障害になってしまったのだろうと判断し、彼女の言葉を信用することにした。彼女の様子を見る限り、偽の情報を伝えている感じはない。なにより、「重要な任務があった」ということ自体が重要な情報だ。それを常の状態でむざむざと漏らすのはあまりに欠陥が大きすぎるだろう。トラブルに巻き込まれるかもしれないが、ユウは彼女の存在を甘受することにした。

 やはり、彼女の存在は“面白そう”である。

「まあ、急く必要はないだろう……そんなことより、主は魚の処理方法とか知ってたりしないかのう?」

 これ以上引き出せるものはなさそうなので、少女の寝袋のチャックを開けつつ、そんなとりとめのないことを聞いてみる。無理に穿り回しても情報はうまく出てこない。コツは少しずつ掘り出すことだ。

 余談だが、当然のことながら、細菌や寄生虫の類の可能性を危惧して、ユウはできるだけ生食しないようにしている(ただし欲望に負けることはたまに、いや結構ある)。そのため、とりあえず今回もこの魚を焼くことにしたのだが、魚そのものに化学的な毒性を持つ場合もある。フグなどがいい例だ。その場合は、ただ加熱しただけではその毒性を取り除くことは難しい。捉えた魚が毒を持つのかどうかなどという知識は少なくともユウにはない。

 尤も、それらもこのシラセという少女が魚の種かその調理の情報を持っていれば、すべて解決されることかもしれないが、

「う、うむ。魚の処理方法だろう?そ、そんなこと、我にかかれば造作もないことよ。どれ、見せてみるがいい」

 言葉の割に、シラセの視線は泳いでいる。あまり期待できるものではなさそうだとユウは判断し、その言葉は無視。

「ふうむ、ま、なんかいい感じにやってみるかの」

 まずはユウから食べれば、その毒性もある程度分かるというものだ。少なくとも出会ったばかりのシラセにそのような危険な橋を渡らせるような真似は流石にさせないくらいの良心はある。

 先ほどまで釣り竿に使っていた枝を細かく折り、地面に山積みにする。あとでこれに火をつける予定だ。

 次にその辺に落ちていた枝から、それなりに長いのを見繕って、先端をとがらせる。それを頭から魚に刺しこみ、貫通させてみる。見た目的にはいい感じにできた。内部はぐちゃぐちゃになっているかもしれないが、正確な知識を有せず、それを伝えてくれる者もいない現状では精一杯の成果だ。それを先ほど山積みにした枝の周りに突き立てる。見様見真似だが見た目だけはいい感じの野営飯といった風なものができた。

 しかし、ここからが問題であった。

 実は、ユウには現在火を起こす手段がないのだ。作業をしながらそれの対処法を考えてはいたものの、結局何も思い浮かばなかった。一応摩擦熱で火を起こすような方法も思いつきはしたのだが、昔やってみてできなかったので、それは断念した。最近は、オイルの入ったライターを見つけることができれば、それに頼りきりで、無ければ夜闇に身を任せるのみだった。そして、持っていたそのライターもつい先日切らしてしまっていた。

 しかし、もしもこれからシラセと一緒に行動するならば、その辺りを考えていかなければなるまい。他人と行動することは、時にそれだけで人並みの生活を思い出させてくれるものなのである。

「なあなあ、ユウよ。今お前は何をしているのか?」

 寝袋から起き上がってユウの様子を眺めていたしらせだったが、ここにきて手を止めたユウを見て、すぐ近くに寄って話しかけてきた。何か特別なことをした記憶はユウにはないのだが、この短期間でいつの間にかシラセからよく懐かれるようになった気がする。

「うーん、そうじゃのう……。泥棒を捕らえて縄を綯う、とは誰が言ったものか。わかっていながらその準備をしてこなかったツケが回ってきたのかもしれんのー?」

 山積みにされた枝の周りに、魚が突き立っているだけの、若干物足りない様を眺めながらそのように呟く。

「ふーん?で、実際何が必要なのだ?」

 少し遠回しなユウの言い回しではおそらくわからなかったのだろう。シラセはもっと直接的な答えを求めた。

「火がないのじゃよ。焚火をしたいのじゃが。ここまで準備出来て、あとはあの枝の山に火を起こすだけなのだが……。もっと前からこの問題のことをわかってはいたんじゃけどなー?」

 特に解決策は期待していないながらも、情報共有のつもりで独り言のように口に出す。

「うむ?焚き火か?そんなボヤ程度の火なら簡単だろう?我でもできる」

 しかし、シラセはそう言い、唐突に積み上げた枝の山に手を掲げた。

「お?何かする……」

 気なのか、ユウがそう言い終わらないうちに。シラセの手の平に魔法陣が展開され、そこから炎が放射された。その火は容易に枝に燃え移り、山となった枝は煌々と燃え始めた。

「こんな火なんて、誰でも起こせるだろう?」

 シラセは事も無げにそう言ったが、明らかにそれは普通のことではなかった。少なくともこの世界では。ユウはそう思ったものの、シラセの顔はなぜしないのかとでも言いたげに不思議そうな表情でこちらを眺めるだけだったので、

「ああ、そんなもんなんかのう?」

 それだけ言って、火の傍に座ることにした。

 今大事なことは火が付いたことだ。異常だろうが何だろうが、火を起こすという問題が解消されたのだ。己の常識と照らし合わせて、シラセを普通ではないと弾劾することではない。火が付いたならば、今では数も少なくなったがある程度の獣を避ける効果があるし、何よりも重視すべきは魚が焼けることだ。色々なことがあって忘れかけていたかのようにも思えるが、常に頭の隅に引っ掛かっていた事項。

 お腹すいた。肉が食べたい。

 お腹いっぱいとは言い難いが、少なくとも腹は満たせる。魚だって肉の一つだろう。十分に願望を満たせる。それに食事は一人よりも複数いた方が、幸福度は高い。

 パチパチと火が爆ぜる。

 それは、少し前に聞いたような暴力的なものではなく、どこか温かみのある落ち着いた音であった。

 無言が続く。その中で、魚の焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。ユウの口角から思わずよだれが垂れてくる。

「じゅるり」

 よだれをすする音はユウではない。

 見ると、シラセの方も同様にはしたなくよだれを垂らしていた。

 しかし、すぐに食べさせるわけにもいかない。毒があった場合、笑い話では済まないかもしれない。あくまで可能性の話だが、出会ったばかりの少女を死にさらすわけにはいかない。念のため、まずは毒見をしてからでなければ。

「そろそろ焼けたかの?」

「じゅる……は!?う、うむ、そろそろ食べ頃のようだな!決して多い晩餐ではないが、存分に愉しもうではないか!」

 シラセに声をかけると、彼女はよだれを慌てて飲み込んで尊大な言い回しを取ってつける。

「まあ、待て。もしかしたら毒があったりするかもしれんし……。まずはわしが食べてみるからの。とりあえずは安心そうだとわしが判断したら食べるのじゃぞ?」

「むぅ、分かった」

 ユウは念を押し、シラセがうなずいたのを見てから、枝に刺した魚を手に取り、少しかじってみた。

「……む?」

 ユウが眉を顰める。

「ど、どうしたのだ?」

 そんなユウの様子に不安を感じたのか、シラセは少し落ち着かない様子で尋ねてくる。

「いや、まだ十分に焼けていないだけじゃ。あと少し待とう」

 ただ焼けていなかっただけと知って、シラセは明らかにほっとした顔を見せる。

「ん?なんじゃ?心配したのか?」

 少しからかってやろうとユウは声を上げる。

「い、いや!別にお前のことを心配などはしていないぞ!?ただ我が、この捧げられた贄を食せなかったらと不安になっただけだ!」

「そうかそうか、別にわしは「何を」心配したのかまでは聞いておらんのじゃがのー?」

「う、うるさいうるさい!」

 少しからかっただけで面白い反応が見られた。その反応にユウは満足する。このシラセという少女は、思いのほか素直で優しく、嘘のつけない性格のようだ。あと自分から思わず情報を暴露してしまう呪い付きである。ユウは、これを機にシラセから何か聞き出せないものかとも考えたものの、彼女の、焼き魚を待つキラキラしたその瞳を見ると、その期待を邪魔するのも無粋な気がして、食事の後でいいかと後回しにすることにした。

 再び無言が続く。

 しばらく時が経ち、流石にそろそろ魚も焼けたであろうという頃合になったため、いよいよ食事を始めようとユウは手を伸ばす。

 しかし、ふとシラセの方を見ると、彼女は難しそうな顔で魚を見ているだけで、未だ手を付けようとしない。その様子を疑問に思い、流石に尋ねてみる。

「どうした?何か問題でも見つかったかのう?」

「いや、だって、食べていいのかなって……」

 思いのほか素直な反応にユウは一瞬面食らうが、はたと思い出した。

「ああ、そういえば。さっきすでにわしが口にしたからの。たぶん毒はない。だから食べてもいいと思うぞ?」

 どうやらシラセは、先ほどのユウの、毒見が完了するまで食べちゃダメ、という言いつけを律義に守っていたらしい。

 ユウがそう言った瞬間、彼女の顔がぱぁっと明るくなった。さきほどからずっと目の前に差し出されていたご馳走にありつくことを許可されて、その喜びようも一層のもののようだった。すぐさま魚を手に取り、一生懸命にほおばる様は犬のようでもあり、とても愛くるしかった。その様子をユウは微笑みながら眺め、自らも魚にかぶりつく。

「~~~~~~っ!!」

 いつぶりの肉だろうか。肉は肉でもこれは魚肉だが。それでも肉だ。同じタンパク質だ。脂がほとばしる。肉汁が口に広がる。塩などの味付けすらもしていないものだが、それでも久方ぶりの肉は格別な味わいであった。

「うまいっ!」

 ユウは自らの想いを口にする。

「うまい!」

 シラセも呼応するように、同じ言葉を口にする。

 それから二人は、魚の骨についた肉から手にこぼれた脂まで、余すことなく魚を食べつくした。

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