第8話 変わらないけれど、変わる世界

 ノートに「世界が元に戻りますように」と書いた翌日、世界は変わっていなかった。2日降り続いた雨は3日目に止んで、3日目は気が狂ったような晴天だった。部屋の温度計はデジタルに30度を示し、ハチは床に寝そべってばかりいた。暑いのだ。コノは物好きなのか、お気に入りのふかふかマットの上で香箱座りをしている。


「無理……、耐えられない」

 暑さにも寒さにも弱い私は、どうにか2匹とひとりが涼しく過ごせる場所はないかと辺りを探した。アパートの1階はすべて鍵がかかっていて入れないが、倉庫の中は少しひんやりしていた。自転車のタイヤくさいのが気になるけれど、アパートの2階で干からびるよりはマシかもしれない。つくづく、エアコンとはありがたい代物だった。

「ハッちゃん、コノちゃん、移動するよ」

 まずは猫用トイレとご飯とお皿、水を移動して、ハチとコノを1匹ずつキャリーバッグに入れ、倉庫のなかに入った。暗いしくさい。でも、部屋の中よりはずっと涼しく感じた。

 コノはキャリーバッグの中が意外と好きだが、ハチは嫌がって鳴きまくっている。ジッパーを開けると、弾丸のように勢いよく飛び出してきた。ハチはさかんに鼻を鳴らしながら、コノはキャリーバッグから頭だけ出してゆっくりと、倉庫の中が安全かどうか判断している。私は、もともと倉庫の中にあった(おそらく家族が勝手に入れたのだろう)寝袋を広げた。

「ごめんね、ハッちゃんコノちゃん、私ちょっと寝るね」

 病院で処方された睡眠剤を一錠飲む。昨日数えたら、ちょうど30日分だった。毎日飲むわけではないから、一か月以上は持つはずだ。これがなくなっても世界が元に戻らなかったら、市販の薬を買ってみよう。どれくらい効くのか分からないけど。


 暑い日はこうやって昼間に強制的に寝て、夕方以降に活動したほうが、暑さに苦しまなくて済むはずだ。寝ている間に熱中症になってしまう危険性もあるので、冷えピタを脇の下と太腿の内側、それから膝の裏にも貼っておく。熱中症のときに冷やすといい部位だと、本に書いてあった。

 ハチとコノが熱中症にならないかも心配なので、片道30分かけて辿り着いたホームセンターから失敬してきたひんやり冷却シートを倉庫中に敷き詰めた。


 睡眠剤を飲んで、しっかり7時間眠った。起き上がると、たった今まで寝ていましたよという顔のハチとコノがこちらを向いた。ハチは寝袋のなかに入っていたみたいで、コノは倉庫に備え付けてある鉄筋の棚の上にいた。夕方のご飯をあげ、私はきゅうりのピクルス(体の熱を下げる効果があるそうだ)と登山用のガスバーナーで炙ったパン、それからカルパスとナッツを食べた。カルパスは、ハチにとっていい匂いがするみたいで、手を出してくるのが困った。

 世界から人がいなくなって、5日経っていた。さすがに、冷蔵の食品はもう手を出さないほうがいいんじゃないかと思う。選択肢は日々狭くなっていくけれど、コンビニにはお酒のおつまみと称される食べ物がたくさん置いてあって、少々しょっぱいけれど日持ちはするし豪勢だった。うずらの煮卵とか、ゲソを炙って辛く味付けしたものとか。


 腹ごしらえは終わった。今日は行きたいところがあるのだ。ハチとコノを再びキャリーバッグに入れてアパートの部屋に戻し、トイレや水も元通りにして、出かける支度をした。といっても、リュックサックと懐中電灯だけだ。

「出かけてくるね」

 真ん丸な目で見返してくるハチとコノを置いて、ゆっくりとドアを閉めた。

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