第8話 眠る前

 夜、カルダは戸締りのために廊下を歩く。暗い屋内を照らすのは彼女が手にした魔法のランタンだった。通常のランタンよりも明るく、使用する燃料も経済的だ。このランタンはルッコから貰ったカルダの宝物であり、日々手入れをして大切に使っている。

 戸締りを終えたカルダは自室へ戻ろうとしたが、灯りがついたままの部屋があることに気がついた。

 消し忘れかと思って近づくと何やら話し声が聞こえる。部屋にはルッコとマードがいるようだ。

「縁談の話。考えておいてくれ」

「縁談なんて、僕はまだそこまで気が回らないよ。猫の姿のままなんだし」

「だが、いつまでもこのままというわけにもいかんだろう? 相手がいないのなら尚のこと考えておかないとな」

 二人の会話を耳にしたカルダは絶句する。マードとルッコは縁談の話をしているのだ。声をかけることはおろか姿を見せることもできず、カルダはその場を離れた。

 寝室に戻ったカルダは布団を被って震えながら過ごす。この屋敷に来てこんなに寂しく悲しいと思ったのはレカが亡くなったとき以来かもしれない。

 ルッコは屋敷の中にいるのに、いずれ自分とは全く違う未来を歩むのだと想像したらたまらなく寂しくなる。

 翌日、カルダは仕事が手につかなかった。その様子は普段の彼女からは想像できないほどで、ルッコからは心配され、マードにも体調が悪いのかと聞かれてしまう。

 カルダは大丈夫だと言ったものの、ルッコがあまりにも心配するのでその晩は早めに休ませてもらうことになった。

 その晩、ベッドで横になるカルダの元へルッコの声が聞こえる。

「カルダ、体調は大丈夫そう? ちょっと部屋に入ってもいいかな?」

 カルダは元々体調が悪いわけではないのでルッコに返事をしてからドアを開けようと身体を起こした。すると彼女がドアに向かう前に物音がしてドアノブが動き出す。そしてドアがゆっくりと開き、黒猫が部屋に入って来た。

 どうやらルッコは猫の状態でもドアを開ける術を身につけていたらしい。

「カルダが身体を悪くするなんて珍しいから心配で様子を見に来ちゃったよ。やっぱり迷惑だったかな?」

 優しい黒猫はちょっと申し訳なさそうだ。

 カルダとしてはルッコが部屋に来ること自体最近では滅多にないので自分を心配して部屋まで来てくれたことは嬉しい。だが今は彼のその優しさがカルダには辛かった。

「いえ、まだ眠れそうにありませんので来ていただけて良かったです」

 カルダがそう言うとルッコはカルダを布団に寝かせ、取留めのない話をする。

 ルッコは体調が良くないカルダの気を紛らわそうとしてくれているのだろう。彼につられてカルダもつい色々と話してしまう。

「私がこのお屋敷で働き始めた頃のことを、坊っちゃまは覚えていらっしゃいますか?」

 こんなことを話すつもりなんてなかったのにカルダは自分でも不思議に思いながら話を続ける。

「不慣れな私は家事、炊事、それ以外の仕事も満足にできなくて、いつも坊っちゃまたちに手を貸して頂いてました。正直に言いますと、あまりにも仕事ができないものでしたからいつか屋敷を追い出されてしまうのではないかと内心怖がっておりました」

 ふっと目を閉じるカルダ。ルッコは心配の入り混じった声で話しかける。

「そんなこと。僕はカルダが居てくれて良かった。キミが居てくれなかったら僕は母さんの死も受け止められなかったし、猫としての生活もままならなかった」

 ルッコの言葉がカルダの心を抱きしめる。

 レカもそうだったが、いつだってルッコはカルダに人の優しさ、家族の温かみを教えてくれる。それは彼女が奴隷だった頃には知らなかったものだ。

 それだけに自分には無理だとわかっていても、いつまでもルッコの隣に居させてほしいとカルダは思ってしまう。

 カルダはルッコの言葉に温もりと僅かな寂しさを感じた。

 体調を崩してはいなくとも心身に疲労が溜まっていたらしく、カルダは次第に眠気を感じ始める。

 ルッコとの会話で安らいだり寂しくなったりするのも疲労の影響だったのかもしれない。

「カルダ……僕はカルダのことを大切な家族だと思ってる。でも、でもだよ、もしもカルダが良ければ……僕と……」

 ルッコの声が遠く聞こえる。もう眠ってしまいそうだ。カルダが瞼を閉じるとき、最後に見たルッコの姿が人だったように見えた。

 あれは幻だったのだろうか。確認する前にカルダの意識は闇に吸い込まれていった。

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