となりあって
翌朝のエレノーラの姿を階段から盗み見てみたが、何事もなかったように仕事をしているのが薄気味悪かった。夜のような重圧はどこにもなければ、メジリウスの気配もない。だからといって直接尋ねたところで墓穴を掘ってしまいそうだから黙っていることにした。
エレノーラは何も覚えていないかのように挨拶をしてくる。平静を装って挨拶を返せば、
「私としてはもう一日二日ぐらい休んでいてもらいたいところだが……せっかくだ、今日は出勤扱いでお使いを頼まれてくれないかい?」
とのこと。可能であればトリアンナと一緒に行ってほしい、とも。
そうしていつの間にか用意されたデーバリー家の紋章つきの馬車に二人して腰を下ろしているのである。予期していたのかいないのか、エレノーラはデーバリー領から馬車を借り受けていたらしい。
「しかし、これは何なのでしょう」
将斗の手中にあるのは丸い筒だった。黄金色の輝きがまばゆいそれはリレーのバトンを思わせた。シンプルながら彫金された模様は上品である。上司からの説明はまったくなかった。ただ、魔術組合の誰それに渡してほしい、とだけ。
こちら側の文化や流儀を知っているであろうトリアンナに問いかけをしたがまるで耳に入っていなかった。手元の筒を視線に据えて微動だにしない。まばたきをしているかも怪しかった。
馬車の走行音が際立つ。
ちろちろと筒を揺らしてみればトリアンナがそれを追う。
おもむろに将斗と目線が重なるように筒を持ち上げればいとも簡単に彼女は引き寄せられた。互いを見つめ合う格好になってしばらく、トリアンナの口が破れた。
「あ、すみません」
やはり話は聞こえていなかったらしい。
「ずいぶんと集中して見ていましたが、これが何なのか知っていますか」
「確証はないのですが、近いものを見たことが以前に」
「そうでしたか。聞いても大丈夫であれば、それって何だったんです?」
「父上が手にしていたのを見たことがあります。おそらくは国の官吏かと思われますが、その方が父上に渡していたものと似ています」
「官吏が領主に。ということは、書状が入っているのでしょうか」
「可能性はあると思います。どなたにお渡しするよう言われているのですか」
「魔術組合のガレス・ベイルート、と。受付に名前を出せばわかってくれるって言っていました」
「まさかそんな大物の名前が出てくるとは……」
消え入りそうな声を漏らすトリアンナは再び筒にくぎ付けとなっている。吸い寄せられるようにじわじわと手を伸ばしてきている。将斗は差し出して見せたのだが、しかし、すんでのところで引っ込めてしまう。
「ローバー卿……ベイルート様は魔術組合の第二位、実質的にはトップのお方です」
「そんな人にエレノーラさんが? 一体どうして」
「分かりません。エレノーラさんには二つ名がある程なので名を上げたお方なのは知っているのですが……何をするつもりなのでしょう」
簡単に想像できるのは先の事件である。仮にこの筒の中に入っているのが書状だとして、事件のあらましを報告しようとしているのか。だが重鎮たる人物に対して直接知らせることなのか? 将斗たちにとって大事なのは間違いないが、魔術組合というものにとってこれは大事か?
ひょっとしたら、単純な事務手続きという可能性だってある。
「資格の更新、などという可能性は」
「組合員としての資格更新や試験の更新などもありますが、このような筒に入れてやり取りなんてしません。直接窓口で行うか、それ専用の魔法を使って遠隔で申請しますから」
「だとしたらますます謎ですね。エレノーラさんは何をするつもりなんだろう。あれですかね、検索してみたら出てきますかね」
「実はもう調べてはみたのですが、公式な案内はどこにもなく、それっぽい情報も見当たらなかったです」
「いつの間に」
聞くに、意識すれば勝手に検索されるらしい。魔法で検索エンジンから情報をかき集めて表示してくれるという。
まさにインターネット。
ただし、『勝手に検索』というのはトリアンナのオリジナルで、検索エンジンの魔法という魔法を中継する魔法を使っているのだとか。
「なので将斗さんがやろうとするとなると最初は検索エンジンの魔法を習得するのが先ですね。まあ、デバイスに導入すれば大丈夫なはずです。あるいはあらかじめ入っているかもしれません。見せてもらっても?」
「あ、ちょっと」
トリアンナのありがたい提案に乗ろうと腕時計デバイスを外そうとするものの、彼女がそれを止めた。左腕をつかんでぐっと自身の胸元に寄せようとするのだ。
トリアンナに引っ張られておのずと前傾姿勢になる。それでも遠いのかトリアンナも前かがみになる。馬車の中で二人、互いに前傾姿勢になってデバイスを見ようと試みる。
腰にじわりじわりと広がる負荷。
―――
「将斗さん、横に寄ってもらっても?」
将斗が返事をして横にずれるのを待たないで彼女の背中が迫ってくる。ほんの少しのだるさを腰に覚えつつも横にスライドすれば間髪を容れずトリアンナが収まった。互いの太ももがぴったりと触れている。
「それじゃあ、あらためて」
将斗は腕を再び奪われる。今度こそ腕を引っ張られることはなかったけれども、トリアンナの太ももの上に手を置かれてしまったので何だか悪いことをしてしまっているかのような感覚がひどかった。彼女のスカート越しに感じる生々しい温かさの穏やかさには気が緩みそうになる。が、指一本たりとも動かしてはならないと心に強く言い聞かせて、トリアンナに腕を任せた。
トリアンナはデバイスを慣れた手付きで操作している。小さな画面がいくつか横並びになっていた。トリアンナにはそれだけしか見えていないかのようだった。
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