穿孔とクソトカゲ

 エレノーラは抜線した将斗に休みを言い渡してからずっと色んなものとにらめっこしていた。端末はもちろん、周囲に浮かぶ画面、抜線したラックのサーバ一つ一つ。時折まとまった会話をしていた。聞いたこともある声がしたり初めて聞く声もしたりした。


 休みを言い渡されても将斗は私室に戻る気になれなかった。目の前の大事件が起きているのに休む気になれなかった。今後の仕事のために休まなければならないことは分かっている。しかし、寝ているフロアの直下で事件が起こっていることを考えるととてもじゃないが休めなかった。


 では将斗はどうしていたかといえば、階段に腰掛けて様子を眺めていた。仕事をするなと言われているから仕事はしていない。ただ眺めているだけだからエレノーラの指示に反しているわけではない。屁理屈である。


 エレノーラを観察している中で分かったのが、トリアンナ以外の被害は出ていないということだった。農場においてある会社向けのサーバーにもウイルスの形跡もなければ被害も見当たらず、本局も同じだった。本局と日本局との間をつなぐ部分でも検知が発生していないから問題なしという判断らしい。


 感染は『トリアンナ』だけ――この世界では、コンピュータに仕込まれたウイルスが人間に感染する。エレノーラは当たり前のような口ぶりでいたため、珍しいことではないのかもしれなかった。


 農場側にあるサーバー機能を少しずつ復旧してはチェックしてを繰り返す。十台を超えるサーバーを相手に作業を終わらせたのは夜もだいぶ深くなった頃合いだった。その頃になるとトリアンナもエレノーラの様子を将斗と一緒になって眺めていた。


「もっと休んでないといけませんよ」


「分かってはいます。ですが、目が覚めてしまいまして」


 小声でのやり取り。自身のことを棚に上げる将斗に対して被害者は首を横に振るだけ。交わす言葉もほとんどなく、上司によるリカバリを眺めるばかり。


 さて、復旧作業が一段落した折、タイミングを図ったようにやってくるのは霜帝メジリウスだった。一瞬見ただけで、なんかやばい、と思える雰囲気である。顔色が悪いし背後に重苦しい空気をまとっているように感じられた。足取りも重い。


 重い。


 メジリウスが入ってくるのに合わせて場の空気が重くのしかかってくるようになった。急な変化に戸惑っている将斗にトリアンナがささやくのは一言。


「エレノーラさん」


 メジリウスは足を止めてエレノーラの背後を見つめる。あっという間に顔が青くなっていた。


 ややってからうつむき気味になって歩み寄った霜帝は、あろうことかエレノーラに向かって正座した。


 一つ間をおいて。


 メジリウスは腰をすっと曲げて頭を垂れる。異世界で土下座を見ることになるとは思わなかった。


「申し訳なかった。デーバリーの守護たる我にあるまじき失態だった」


 ドラゴンの言葉に続く沈黙はひれ伏す背中に重くのしかかっていた。


「デラーはとっ捕まえて我が城の牢に閉じ込めている。だが本人は何も知らなかった。使えそうなものを見つけたから持ち出した、と。商会のものから渡されたものではないらしい」


 メジリウスの言葉を待たずして部屋の空気が一変する。重いなんて言葉は生ぬるかった。肌に焼けた針を突き立てるような痛み、体の中が暴れまわって吐き気が迫ってくる。訓練がなければあっという間に吐いていただろうし、意識を保つこともできまい。


 将斗がこの場にいることを知っているはずなのにエレノーラは容赦しなかった。


「クソトカゲ、お前は昔からどうして短絡的なのか。何が正しいのかも見極めず早計に人を害しようとしたときの反省は全くなかったのかしら」


「それはほんの百ね」


「あ?」


「すみません、なんでもないです」


「今すぐにでもあのときの百日地獄を味あわせてもいいんだけれど。千日地獄でもいいね。大事な部下を二人も危険にさらしたのだから」


「すまない! このとおりだ! もうこのようなヘマはしない!」


 言葉に端々に宿るつぶてを浴びせられ続けている中、メジリウスはさらに腰を曲げて許しを乞うのである。


「前も同じことを言ってたね。忘れたとは言わせない」


「それは……すまない! このとおり!」


 メジリウスがひたすらにひれ伏す。言葉の節々に見られる明らかな力関係は将斗にも感じられる。ただトリアンナをひどい状況に陥れただけでは現れない言葉の数々。ドラゴンと人間? 空想の世界にあるような力関係とは逆である。


「メジリウス様とエレノーラさんって、何かあったんですか」


 隣にささやきかければ、あまり詳しくはありませんが、とトリアンナは前置きする。


「霜帝メジリウス様は昔は『ヤンチャ』というか、あまりよい存在ではなかったらしいのです。それが『穿孔』があれやこれややって。いろいろあって改心したらしいです」


「穿孔、というのは」


「エレノーラさんがフリーの魔術師だった頃に呼ばれていた二つ名らしいです。これ、エレノーラさんに向けて使うのは避けたほうがいいですよ。本人は嫌がっているので」


「その名前を使うな!」


 エレノーラの怒号にふたりとも飛び上がってしまう。いよいよ気づかれて、その上エレノーラに向けてはならない言葉を口にした矢先。あまりの恐怖に将斗は体を動かすことができなかった。トリアンナは、『ごめんなさい』を小さく連呼していた。


 エレノーラの左手が固く握りしめられていて、こころなしか湯気が出ているかのような気配があった。エレノーラの視線の先は頭を抱えてのたうち回る霜帝、足をジタバタさせて絶叫している。


「なぜだ! 我にとってお前は穿孔の魔術師であることは今も昔も」


「いい加減にしろ!」


「ぎゃー! またぶった! 痛い!」


 エレノーラがげんこつをかました瞬間、彼女の目がこちらに向いているような気がした。いや、完全に目が合った。そばからは謝罪のささやきが止まらない。将斗は逃れられない。矛先がいよいよ二人にも向けられてしまった、将斗の直感が訴える。


 しかし穿孔の魔術師は視線を床のドラゴンに戻した。


「それじゃあメジリウス、場所を移しましょうか」


「場所を移す……? 何をするつもりだ」


「いいからついてこいクソトカゲ」


 頭をわしづかみにしたかと思えば魔力があふれだす感覚があって、次の瞬間には二人が消えていた。同時に周囲を支配していた重圧も消えていた。


 急な変化に放心状態になる二人。しばらくしてから、どちらかから言い出すこともなく、上階の私室に戻ってゆくのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る