魔法をビルドする

 問い。


 まともに寝ることもできず、乳児を持つ母親のようにトリアンナの寝息を伺っていた将斗。その日本人が短刀を手にするトリアンナと目があった瞬間の気持ちを答えよ。


 将斗のことである。急な事態には対応できない。目の前の異変をかみ砕いて理解するのに十秒近くかかった。


 トリアンナは部屋の真ん中に膝立ちしている。背後からは朝日が差し込み、後光がさしているようになっている。白い服も相まって天からの使いのような雰囲気を醸し出している。


 しかし手に握りしめて鈍い鉄の輝きのなんと無骨なことか。峰の分厚さは男でも持つ人を選ぶに違いないほどだ。彼女の手にはかなり大きく見え、剣と言われても違和感を感じないほど。


 切っ先は鋭くトリアンナを狙っている。


 ナイフの端に朝日がきらめいた。


 かすかに揺れた刃に将斗は彼女の行いを把握した。


「だめです!」


 把握したのだろうが冷静ではいられなかった。将斗はトリアンナに飛びかかった。曲がりなりにも刃物を手にする人に対して襲いかかったのである。トリアンナに抱きつくようにして覆いかぶされば、背中に手を回して両手を固く握りしめる。自らの腕を縄のようにして拘束すれば身動きが取れなくなると考えたのであろう。


 しかし相手は最初の顔合わせで将斗を言葉通り吹き飛ばしている。その気になればなんら意味を持たない行為であるはずだが。それでも将斗はがむしゃらだった。


「そんなことをしてはいけません!」


「やめてください! わたくしは取り返しのつかないことをしてしまったのです!」


「トリアンナさんは被害者じゃないですか。なのにどうして死のうとするなんて!」


「わたくしはたとえ一時とはいえメジリウス様に牙を向いてしまった、デーバリー家の恥です!」


「そんなことをしたところでメジリウス様が悲しむだけです! 変なことを考えないでください」


 トリアンナが腕を振りほどこうともがいて時折二の腕が胴から離れる。そのたびに将斗の指が引きちぎれそうになる。だが歯を食いしばった。指がおかしくなろうとトリアンナに比べれば軽いものだった。


「デーバリーの娘として、領主の娘としてしてはならないことをしてしまったのです! 将斗さんには分からないでしょうね! もはやわたくしに許されたのはこの命を捧げるのみです」


 トリアンナの体が一気に熱を持ったのを感じた。トリアンナに触れているところは一様にしびれが生まれだしていた。寝相が悪くて腕がしびれているかのような、じんじんと広がる感覚。触れた感覚がビリビリに上書きされる感覚。


 トリアンナから流れてくる感覚。


 これは魔力だ。魔力があふれだしている。メジリウスとの訓練で感じたそれとは全く異質だが、直感が訴えていた。トリアンナが発している、傷つけるための魔力だ、と。


 全身の肌を走るしびれはトリアンナの魔法を示唆している。どのような魔法を使うつもりかは特定できないものの、直前の刃物を思い返せばろくな魔法でないことは確かだった。その魔法に対処できるのはただ一人の日本人だけであるのも確かだった。


「何をしようとしてるんですか」


 ここぞというときの頭はポンコツになるか急に天才と化すのかのいずれである。将斗の場合、このときは天才だった。


 将斗の脳裏に浮かぶのはトリアンナがおかしくなるきっかけである。高負荷をかけすぎてうんともすんとも言わなくなった端末。続いてメジリウスの言葉『大変』。


 魔力を以て魔法を行うは想像にたやすい。では高負荷な魔法はその分魔力を使うのではないか。高付加なプログラムでは?


 できるかどうか分からない。しかし将斗にはすがるものがほかになかった。


 腕時計のデバイスに意識を向ける。イメージをふくらませる。


 元凶の解析プログラムをダウンロード、実行できる状態に処理。


「離してください!」


 解析プログラムの設定。ファイルサーバを入力元に、出力先はゴミ箱。


 加えて、そのプログラムをラッピングするようなプログラムを考える。外部からの魔力を受け取り、解析プログラムを起動する。停止のシグナルを送信するとすべてを強制的に止めるように。


 ラッピングプログラムの名前はとりあえず『吸い取るやーつ』。動けばよい。


 問題への処理フローを思い描いている間、時計はとても熱を帯びていた。それこそノートパソコンの底面が熱くなっているのと同じである。デバイスが将斗の考えに応じて処理を行っている証拠に思えた。方向性は間違っていない。


 デバイスの熱が急に落ち着いたところで指先を上に振り上げてみた。どこからともなくホログラムの画面が浮き上がってリストが表示される。リストの項目は。


 吸い取るやーつ。解析プログラム。解析プログラムの設定ファイル。


 トリアンナからのビリビリはますます強く感じるようになっている。


「離してください! さもなくばもろとも爆発しますよ!」


 将斗の意識が吹き飛びそうになった。腕の中の令嬢が物騒な言葉を口にしたのだから。体中を駆け巡るビリビリの真意は自爆だった。ことを理解できた将斗には止まる理由はない。


「吸い取るやーつ!」


 途端に四方八方から責められる。まずは手首だ。プログラムを構築したときとは比にならない熱を放った。もはや痛みを与えてきたのだ。痛みは手首だけではない。体の至るところが痛み始めたのだ。まるで激しい筋肉痛。その場に存在するだけでも痛い。心臓が異常に拍を打っている。


 頭には何かが刺さっているかのよう。くぎを刺してぐるぐると回しているかのような、頭を放り投げてしまいたくなるほどの痛み。


 果たして全身の痛みが過ぎるせいか、魔力によるしびれが気にならなかった。気にする余裕がなかった、というのが正しいかもしれない。ドラゴンの身で大変と言わしめる凶悪なプログラムが人間の体で動いているのだ。


 トリアンナの自爆を止められたかを確かめる余裕がないのも当然である。確かめている間に将斗の体が爆発しそうだった。


 声を出せるほどの状態でなかったから必死に念じた。神様仏様プログラム様。


 念じるのと腕時計のデバイスが弾けるのは同時だった。手首も体もじんじんと痛みが余韻として残っているが、頭のくぎは抜けたらしかった。もっともひどい痛みがなくなった分だけかなりましである。


 だからこそ、トリアンナがこの世の終わりのような顔をして見ているのにも気づけたのである。ビリビリする感覚は全くなかった。


「将斗さん、あなた一体何をしたのですか」


「トリアンナさんが、爆発するだなんて言うんですから。なんとかしようと思いまして」


「だからといって、そんな……」


「でも止めてくれたんですよね」


「ご自身がどんな事になっているのかお分かりでないですの?」


 視線を遮るように現れるのは鏡のような面だった。映っているのは将斗。至るところから血を流していた。


 口から。鼻から。目から。耳から。


 顔全体も赤くなっている。紅潮という言葉で済ますにははばかられるほど。病的な色だった。


 不意にせきこめば血。


「こんな、こんなことに……わたくしはまた……」


 ぐらりと揺れる体。遠くなる耳と黒くなる視界。


 トリアンナが涙目で将斗に手を差し伸べる。それが最後の光景だった。

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