止められた作戦

 数日前には小学校低学年ぐらいの少年だった男は、背が伸びて広くなった背中にトリアンナをおぶっている。破けた服からは筋肉のよろいが見え隠れしていて、その姿は血なのか泥なのか分からない汚れをかぶっていた。


 目の前で降って湧いた状況に将斗は追いつけていない。どこかが不具合を起こしたのか、あたふたするばかりで何もできずにいた。


「将斗、トリアンナを」


「あ、ああ、どうすれば」


「とにかく横にしたい。トリアンナの部屋に案内しろ」


 ようやく司令を受け取ったらしい体が飛び出すように階段を駆け上がった。メジリウスが後ろをついてきているかなぞ全く考えていない。いつぞやか、たまたま出入りしているのを見た記憶が将斗を動かした。


 記憶の扉を前に振り返れば青年はようやく階段を上がったところ。お前なあ、とぼやくメジリウスの顔は呆れていた。


 さて、将斗が案内した部屋はというと。私物らしい私物が全くないが、ベッドは整えてある。トリアンナの部屋であるかどうかは極めて疑わしいが要件は満たしている。


 トリアンナを横にしたメジリウスは目の前で縮まった。身長が低くなってゆくのに合わせて服がきれいになってゆく。ほんの一瞬で見覚えのある後ろ姿に戻った。トリアンナが身につけているボロと比べると、どれだけひどいことがあったのか。


 とにかくひどいということしか分からない。


「お前がうろたえている姿を見て少しは冷静になれた。その点は感謝する」


 霜帝は背中で語った。ベッドのもとに歩み寄ればすぐそばで膝立ちをした。わずかばかりうつむいて。


「すまない。我というものがありながら」


 将斗はいまだ追いつけていない。『一体何があったのか』と脳内でばかり叫んでいるが、口にすればよいことに気づいてすらいなかった。ただただ視線をメジリウスとトリアンナとの間で行ったりきたりさせるばかりだった。


「色々な偶然が重なってしまったのだ。トリアンナが暇そうにしているように見えた。トリアンナの心が少し弱っていた。我が少し調子に乗っていた。湯の泉に誰も来ないことを知っていた。気が抜けていた」


「……何が……」


 頭の中のこだまが口から漏れ出るが、その声は弱々しい。


「魔術師が我らの隙を狙っていた」


「隙を」


 将斗は繰り返すことしかできない。


「魔術師がトリアンナに術をかけたのだ。意識を奪い言葉通り操り人形にするものだ。気がついたときには娘の氷塊が目の前に迫っていた。とっさのことで避けることしかできなかったが、その瞬間に転移魔法を使われてしまった」


 メジリウスがトリアンナの頭をなでる。


「誘拐を許してしまうなんてドラゴンの恥。我がいたにもかかわらず」


 象徴的な言葉を受け取った頭がせきを切ったように暴れ始める。誘拐! 言葉を右から左に受け流すでもなくただあてもなく漂わせるばかりだったのが一転、同じ方向を見て騒ぎ立てた。トリアンナがさらわれた! かどわかされた! 奪われた!


「そんな! 誘拐だなんて!」


 突然の大声にメジリウスが肩を飛び上がらせた。慌てて振り向くその目はまんまるである。


「大きな声を出すでない。落ち着け、トリアンナはここにいる」


「すいません、その、ようやく状況がのみ込めたというか」


「まあ、酒が回っているのは分かっていたからよい。とにかく、転移されたのは焦ったが、そこまでの技量を持っているものでなかったのが幸いした。わずかな『残り香』をたどれば森の中の野営地。そこから陸路で移動するつもりだったらしい」


「陸路……馬車があったとかですか」


「その通りだ。魔術師やら剣士やらで十人以上いた。真っ黒な馬車が二台、あれはそこいらに転がっている盗賊とはわけが違う。もっと組織された集団だ。トリアンナを取り返してそのまま逃げ帰るつもりだったのが、思いの外抵抗されてしまった。我だけで暴れるなら楽なのだが」


「だからあんなにボロボロになっていたんですか」


「我もまだ鍛錬が足りない」


 メジリウスがトリアンナの胸に手をかざした。ボロ布の服とも言えないそれがたちまち白無垢のワンピースに早変わりする。顔や手の甲についていた泥汚れだか何だかも追って取り除かれてゆく。


 ついにはまるで何事もなかったかのようなトリアンナが横たわっているだけになった。


「あらかじめ言っておく。異世界から来たお前には無理をさせることになる」


 メジリウスはこぼすように言葉を発して戸口へと足を進める。


「エレノーラに話しをしてくる」

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