ぶどう酒に不穏をからめて

力技で殴るような感じ

 とりあえず将斗の端末はトリアンナが冷ますことになった。将斗の隣、いつも使用しているデスクではなくサーバーが立ち並ぶ一角に備えられた机に向かっていた。暴走端末と対峙しているところ、心なしか周囲の空気がよどんでいる気がするのは気のせいだと思いたい。


 見たところ、端末に吹雪を当てている様子はなかった。


 作業する端末を失った将斗はというと、彼女が『仕事用にと持っていた』端末を借りて進めることにした。冷えるのを待っていては作業が止まってしまうのだからやむを得ない。端末の環境はほぼ更地だが、幸いにプログラムのソースは開発環境を含めて資産管理している。動かすまでのハードルはそれほど高くなかった。


「どうかしらの、首尾のほうは」


「メジリウス様どうも。すみませんが進捗はありませんよ」


「なるほど、あの娘が真っ先に飛んでこないのはよくない状況なのだろうな」


 ふらっと現れた霜帝メジリウスにはお見通しらしい。振り返って令嬢の姿を見やれば全く姿勢が変わっていなかった。何も聞こえていないのだろう、こちらの変化に気づいている素振りもなかった。


「して、何が起きている? あやつがやらかしたか?」


 さも当たり前のように将斗のとなりの席に収まる。席の持ち主は未だ気づかず。


「いえ、そういうわけではなく。デラーさんが送ってくるデータの処理が追いついていないんです。うまいことやろうとしたのですが、作りが悪かったのか何なのか、端末が言うことを聞かなくなってしまって」


「なんだ、やっぱりやらかしているではないか」


「いやいや、まだ試作段階な状態でしたし、わりかし難しいことをしようとしていたんです。端末が音を上げるのは予想していませんでしたが」


「ほう、端末が処理しきれないことをしようとしたと。それは運がよい。その手の状態だと極端な結果になりがちじゃからの。爆発とか」


「爆発……」


 思い出されるはヴァイセルンにやってきたときの騒ぎ。キュッと心臓を締め上げられるかのような不快感が体中に広がってゆく。あんな思いはもうしたくなかったし、この空間が魔力の煙でいっぱいになっている状況なんて想像したくなかった。


 そもそも、カジュアルに端末が爆発するなんて。このような点で異世界を感じたくない。


「それで、何をしようとしていたのか教えてもらおうじゃないか。何をこうしたら端末が燃え尽きるようなことになるのだ。それも爆発もせず。あれは灰のなりかけだ」


「まさかトリアンナさんが今冷ましている端末のことですか」


「他に何があるのだ? あれはもうどうしようもないぞ」


 見ている世界が違うのか、それとも異世界の住人にとっては気づくことが当たり前なのか。トリアンナが座禅のように端末と向き合っているのはこの際見なかったことにして。


 将斗は新しい端末に資産を複製して開発環境を構築しつつ、由緒あるドラゴンに対してプログラムの説明をする。プログラムを魔法で動かすための環境から始まり、大枠の処理に。一歩踏み込んだ説明をしようとすれば口を押さえられてしまう。


 ドラゴンとはいえ、見た目は幼い少年。口を押さえる仕草は言ってほしくないことを留める子供である。


「概ねの理解ができれば十分だ。それ、その魔法を我に渡してみよ」


「どうやって渡せばいいんですか? 端末は持っていないですよね」


「ここに送ればよい」


 将斗の端末がピコンと鳴った。目を向ければモニターの角にポップアップが表示されている。『メジリウス』という太文字の表示と『ああああ』というメッセージ。チャットソフトらしいが、見たこともなければインストールしたこともないものである。こちらの世界のものか。


 しかし、ポップアップをクリックしてソフトを起動してみれば、ちゃんと読める形で表示されている。どういう技術が使われているのか不思議でならない。ソフトもそうだが、メジリウスがこの端末にメッセージを送る仕組みも、である。


 ともかく、将斗にできることはビルドして霜帝のチャットに返信するだけである。ビルド――プログラム生成コマンドを叩いてしばらく、何十行も文字列が出力されて最後、正常終了のメッセージを見届ける。


 できあがったプログラムを霜帝のチャットに返信。さすれば隣からは驚きのような苦しみのようなうめきがこぼれていた。


「これはまた」


「まずいところを見つけたんですか」


 どうやってプログラムを受け取って中身を改めているのか。メジリウスに送ったのはプログラム本体であってソースコードではないのに。プログラムを逆算して解析しているのか。


「今どきの人間はこんな術式を組むのか。破綻する寸前で魔力を抑制したかと思えばそれ以上の負荷をすぐに求めるようにするとは。これではそのあたりの端末では全く歯が立たぬに違いない……使いようによっては面白い攻撃魔法になりそうだ」


 魔法のネイティブにとって将斗のプログラムはそのように見えるらしい。その感覚そのものは将斗にはピンとこないものの、どちらにせよ不具合がある点だけは理解させられた。最後の言葉は聞かなかったことにする。


「デラーがよこしている情報はどこにある」


「ファイルサーバーに置いてありますが……このフォルダです」


 将斗は端末で大量のデータが押し込まれている場所にカーソルを合わせた。そう、ただ端末から見せただけである。端末があったとしてもこれ以上は進めることはできない。フォルダの中に入っているファイルの数が膨大すぎて画面では表示しきれない。ましてメジリウスは端末を持っていなければアクセスするための方法もない。


「どうするつもりです?」


 できることはないのに。その言葉は口から出せなかった。隣の少年を見やれば、額からだらだらと汗を流しているではないか。額から出た汗は――これは汗と言ってよいのか? 汗から湯気が立っている。それだけでない。汗が顔を滑れば頬のあたりでジュッという音とともに消えてしまった。まるで熱々の鉄板に水を滴らせたようである。


 メジリウスの目はまっすぐモニターに向いている。まばたきはない。縦に細長い瞳孔は太くなったり細くなったりを繰り返している。


 将斗に熱気が迫った。焚き火の近くで感じる熱。メジリウスが燃えているとしか思えない状況、手を少し近づけるだけでも本能が危険を訴えるほどだった。


 熱々になった端末が脳裏に浮かぶ。メジリウスの熱は端末を超えるものだった。


 一方で足元が冷えてきた。目線を下げれば白いモヤが床に流れていっているではないか。手を突っ込んでみれば痛みを感じるほどの感覚。モヤの中心はメジリウス。床には白い綿のようなそれが明かりにきらめいていた。


 霜帝メジリウスは燃えるような熱気を生み出すのと同時に凍えるほどの冷気を生み出していた。


 言葉はないまま時間がすぎる。


 ふと端末のスクリーンセーバーが動き始めたので当たり障りのないキーを押して画面を戻した。表示されるのは変わらずフォルダの画面、のはずだった。しかし画面には新しいファイルがいくつか生み出されている。現在進行系でファイルサイズが増減を繰り返していた。


 将斗には見覚えのある名前だった。メジリウスに渡したプログラム。それが処理中のデータを一時的の保存しておくのに使用するファイルたちだった。


 ファイルサイズが大きくなって、小さくなって、時にはファイルそのものが削除され、復活し――


 最終成果物のファイルが残った。しばらくすると隣からの熱気がなくなり、代わりに冷気が強くなった。


 大きな音があって目を向ければ、メジリウスが椅子に倒れ込んで、背もたれに体を預けているところだった。


「ふう、これは難儀だな」


「あのプログラムを動かしたんですか?」


「その通りだ。並の端末よりも術式を制御できる自信はあったが、予想以上の暴れ馬で大変だった」


「『大変』で済ませちゃうんですか」


「この程度であればな。我のみで制御できるのだからな。しかし疲れた。汗もかいてしまったしの。そうだ、トリアンナを借りるぞ。よいな?」


「自分は構いませんが」


 将斗の言葉をまるで聞いていなかった。メジリウスは将斗の返事を待たずにすたすたとトリアンナの元へ忍び寄った。肩に手を伸ばしてもがっしりと掴む。


「トリアンアよ、湯浴みに行くぞ」


「ひぇ! え、霜帝メジリウス様!」


 トリアンナは急な接触に飛び上がって、次には目の前にメジリウスがいることに飛び上がって。不覚のまま霜帝に連行されてゆくのである。


 トリアンナを連れ出してもらったのはある意味でよかったかもしれなかった。あのまま沈黙が続いていたら気まずさが徐々に迫ってきたかもしれない。正直なところ、将斗にはトリアンナの感情が汲み取れなかった。


 ちなみに、トリアンナが冷やしていた端末はキンキンに冷えていたが、メジリウスの言うとおり二度と起動しなかった。

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