動く、動かない

 一晩経っても端末はまだ唸っていた。言葉通り、端末を冷やそうとファンが全力で回っているのだ。薄い端末に搭載されている小型ファンが発する甲高い音が耳障りだった。


 トリアンナの姿はなかった。道すがらすれ違うこともなかった。疲れでまだ起きてこられていないのだろうかと想像しつつ隣の席に目を向ければすでに端末は起動している。すでに仕事を始めていて、しかし席を離れているだけらしかった。


 会社の始業時間にはまだだいぶ時間がある。将斗はプログラムのことが気になって仕方がなかったから早めに作業場へ降りてきたのだ。その将斗に先んじて出勤しているとは。やっていることは違えど考えることは一緒ということか。


 いざ夜なべして処理を続けている端末の様子を伺おうと端末に向き合った。キーボードにふれる途端に感じるのはキーボードの熱だった。かなり盛り上がっているらしい、ずっと触り続けていてはよくないと直感できるほどの温度だった。


 一度指を浮かせる。頭の中でスイッチが切られるような感覚があった。頭の中を洗いたくなるような不快さだった。触るだけで異常な温度である。目の前で動作しているプログラムは何だ? おかしい温度を引き起こしている原因となりうるのは?


 意を決してキーを打つ。打ち込んだキーの意味はない。ただ、端末の目が覚めるのを促すためのもの。寝ている人の肩を叩いたり揺すったりするのと同じ類のそれ。


 しかし画面は暗いままである。目を覚まさない。


 ファンは必死になって熱気を吐き出そうとしている。


 将斗は再びキーを打った。反応を見て、そうしてから再びキーを打つ。繰り返すたびに打ち込む回数は増え、最後の一撃はもはや指を叩きつけているようだった。


 キーボードから指を離してそのまま、電源ボタンを長押し。しばらくは悲鳴を上げていた端末がパタリと唸るのをやめて静かになる。端末に対して、プログラムに対してできることは強制的に電源を落とすことだけだった。


 将斗は天井を見上げた。昨日だって同じようなことをしていたが、意味がまったく違うものである。


 祈り、一転して失意。


 結果は明らかである。プログラムは失敗したのだ。どこかしらにおかしなところがあって、それが原因で端末が反応できなくなるほどの負荷を与えているのである。こうなってしまえば生み出したプログラムがまともに動いている保証はない。


 とはいえ、あるあるな話である。プログラムを作って最初の動作は期待してはいけない。将斗だって当たり前のことだと理解している。ただ端末が反応できなくなるような状況は想定していなかったが。


「将斗さん、おはようございます」


 将斗の視界ににゅっと顔を突っ込んで見下ろすのはトリアンナである。目元のクマは変わらずではあるものの、目には人間の尊厳を取り戻しているように思えた。


「朝から天を見上げていてどうかされましたか」


「いえ、クラスタリングの処理を試しに動かしてみたのですが、あまりにも負荷が高かったらしくてどうしようもなくなりまして」


「端末は壊れてしまったのですか」


「分かりません。今しがた止めたので。かなりの熱を持っているので少し待ってから立ち上げてみようかと」


「ちゃんと起動するのを願うばかりですね。型落ち品ではありますが予備機はあるので、だめだったときにはそちらを使ってください」


「ええと、それって使って大丈夫ですか? 社給品でない端末を使うというのは」


「その点は気になさらなくてよいですよ。わたくしが管理している端末ですので」


「その時になったら考えます」


 トリアンナは将斗の正面にあるキャビネットを開いて見せた。中にはノート端末が棚の高さいっぱいに積み重ねられていて、横ではケーブルのたぐいがぐたぐちゃに絡み合っていた。すべて社給のもの? 会社のオフィスで見たような端末はどれ一つないように見えた。


 静かになった端末に手を重ねる。いまだ熱を抱えたまま、端末を起動するにしてもまだ心もとない。他の端末を使うにしても端末が立ち上がらないとプログラムを回収することもできない。


 不意に将斗の手の傍らに指が伸びてきた。


「これでは確かに起動するのは戸惑われてしまいますわね」


「ええ、そうなんです。熱が落ち着くのをしばらく待とうかなと」


「ええと……ああ、そういうことでしたわね。魔術を使う発想は将斗さんにはまだなかったのですね」


「魔法を使う?」


「そうです。魔術道具というのはときどき変な動きをすることがありましてね。発熱はその一つなのです。なので魔術で冷やしながら使う、というのは時たまあるのです」


「魔法で冷やすというのは理解できます。ですが俺には」


「せっかくですからその端末を使ってみましょう」


 トリアンナの指が次に指し示すのは将斗の手首だった。手首のスマートウォッチ――腕時計型魔術具である。指で示されるがままに時計に意識を向けたせいだろう、真っ黒だった画面が光ってホーム画面のようなものが表示された。ただし一瞬のこと、気がつけば真っ黒な画面に天井が反射していた。


「使い方といっても、結局はイメージの仕方だけですから、そんな難しいことはないのです」


「なかなか難しいことを言いますね」


「どうしてです? 『立ち上がれ』という想像をふくらませて、やりたい操作を頭に浮かべればよろしいだけなのに」


「時計からどうやって端末を冷やすような想像をすればいいんですか」


「それはこう、時計から吹雪を」


 そう口にしつつも、トリアンナは指先から雪を噴射させる。やっていることそのものは理解できるが、しかし将斗には実現するための術を知らなかった。イメージすれば、と簡単に言ってくれるがそれが難しいのだ。いまだ魔力の制御する術を多少なりとも身につけた程度、発展のさせかたは学んでない。時計型デバイスのスワイプは理解していたとしても、この日本人は魔法の素人なのである。


 将斗が何も反応できずにただ見つめるばかりでいると、トリアンナはどこか勘違いしたらしかった。


「いえ、これはたとえでしてよ? 本当に端末に対して吹雪を吹きつけてしまえばたちまち壊れてしまいます。雪ではなくてですね、そうですね、冷気を当てることを考えてもらえれば。わたくしだって魔力が変にこもれば端末が壊れてしまうことぐらい理解しています」


 どうしてそこにあたふたしてしまうのであろうか。思いもしていない言葉は将斗の表情を緩ませてしまうのである。


「お笑いにならなくてもよくてはなくて?」


「すみません、勘違いさせてしまったみたいで。自分は吹雪の出し方が分からなくてキョトンとしてしまっただけです。端末に雪を吹きつけて壊すなんてことを考えてすらいなかったので」


 今度はトリアンナが固まる番だった。


 端末のファンが唸る。


 体を微動だにせず、ただ目をしばたくばかりのトリアンナ。ややあってから顔がほんのり赤みを帯びた。顔に宿る色を意識した途端に将斗に背をそむけた。


「あー! もう!」


 誰にも向けたわけでもない言葉。あえて言葉にすれば、いくつもそびえるサーバーラックに向けて叫んでいた。

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