新ステージ

 バイクツーリングは非常に充実していた。休暇初日は領都を周り、二日目には領都郊外を駆け巡る。文化的な都とは異なって自然の景色を堪能できた。森の中の新鮮な空気や川の匂い、湖の畔にある喫茶店。


 夕方に館に戻った一行だったが、そのままトリアンナは農場に出発してしまった。使用人も領主たちも、夕食を食べてからでは、と口にしていたが、どうしても農園で確認したいことがあるらしくて早々にバイクを走らせた。


 というわけで、一人デーバリー公爵家の館でくつろぎつつ残り二日をどう過ごそうか思案している次第だった。領主一家と食事をともにして離れに戻ってからは使用人にお茶を出してもらう。ぼうっとしながらお茶を飲んで、トリアンナと観光した領都の光景を想像する。


 サイドカーから見上げた光景。ぱっと浮かんだのは旧領主の館の白い外壁と雲ひとつない空の青色。


 視線を下ろした光景。店の看板や人混みが生み出す鮮やかな色合い。バイクのスピードで引っ張られて抽象画のような風味となる。


 おもむろにテーブルへ手を伸ばせばいつの間にか供された焼き菓子が指先に触れる。穏やかな暖かさは焼き上がってそう時間が経っていないことを訴えかける。口にしなくてもわかるバターの味わい。


 今後の予定を考えているというか、そういうテイでお茶とお菓子とともに窓から見える光景を眺めて終わってしまいそうな有様である。


 そうやって無防備となっている状況、窓の外に突然少年が飛び出してくれば目の一つや二つ飛び出すものである。飛び出した勢いでカップを落とすことはなかったものの、中のお茶は右手のカップ、左手のソーサーを伝って床にこぼれ落ちてしまった。パンツにもお茶の筋が刻まれてしまう。


「ずいぶんと気を抜いているではないか。ここでの滞在はよっぽど快適だったようだな」


「メジリウス様、驚かさないでください。誰だってびっくりします」


「あんなにほうけた顔をしていたらちょっかいの一つぐらいしたくなるものだ」


 いつの間にか将斗と向かい合って焼き菓子に手を出しているのは霜帝メジリウスだった。それから何かを追い払うように手を払えばカップの中にあったお茶が消えてしまった。洗って磨き上げられた状態、ついさっきまで使われていた形跡すらない。ソーサーにこぼれたそれも、パンツにできたシミも同様である。


「まあ、それだけ気を抜けるのもよいことだ」


「トリアンナさんにも伯爵にもよくしてもらっています」


「だろうな。あの男は人を招いては抜け出せなくなるほど歓迎する嫌いがある。娘がいいつけてなければもっと濃い歓迎をしていただろうな」


「濃い、ってどんなことを」


「……我は何も言わぬ。知りたいのなら、これからふらっとあやつの執務室にでも訪れてみるがよい」


 少年が口を開くまでの間でなんとなく察した将斗は視線を扉に向けた。ドアの開く音は使用人、いくつか皿の乗っているカートを押して現れた。新しいカップも用意されている。魔法で客人を監視しているのだろうか。


 思考が使用人に遮られたおかげで、将斗は意識を腕につけた時計へ向けることができた。トリアンナの言葉が思い出される。


「ところで、ありがとうございました」


「ん、何のことを言っているのだ?」


「トリアンナさんから聞きました。訓練の一環とはいえ、魔法道具のお金を出していただいて」


「我はトリアンナにそのような話をした覚えはないのだが……まあ、そういうことにしておこう。腕にしているものか?」


「え、ええ、これにしました。こちらでは腕時計型の道具は昔からあるとか」


「確かにそうだな。だが、いまお前がしているタイプのものは比較的新しいものだぞ。昔ながらの腕時計型端末は画面も盤面もない」


「トリアンナさんもそのようなことを言っていました。古いスタイルの端末にはモニターも入力のための装置がないと」


「魔力がある者にとっては邪魔でしかないからな」


 メジリウスはそう口にすると、あたり一面にたくさんの画面を浮かび上がらせた。大きさもそれぞれ、少年の体を中心に三百六十度展開されるそれらはさまざまである。ネットでよく見るニュースサイトのような画面、ブログのような画面、アプリケーションの画面に折れ線グラフ――チャットには通知が来ているようだった。


 将斗は腕時計を見下ろした。視線を察知したのか真っ暗だった画面に明かりがついて時間を表示した。果たしてこの端末、同じようなことができるのだろうか。説明書らしきものは読んだものの、ほとんど何も書いていなかったから、どう操作すると何ができるのかさっぱりわからないのである。


 とりあえず下から上にスワイプしてみる。すると時計の盤面がそのまま中空に飛び出して将斗の正面に漂った。すんなりとドラゴンがしたのと同じようなことができてしまって動揺の嵐が吹き荒れる。どうしてこうなった? どうしたら元に戻る?


「ふむ、たしかに次の段階に進んでもよいかもしれぬ」


 メジリウスがチャットの画面を眺めながら告げる。


「次の段階ですか」


「うむ。将斗もあの石を十分に制御できているように見えるからな。このところは意識しなくなっているのではないか?」


「確かに気にすることはなくなりましたが」


「だとしたらその石の役目は終わりだな。返してくれ」


「あ、はい」


 将斗がポケットから石を渡されるなり手の中から石が滑り出た。うっかり落としてしまったかと思えばふらふらと浮かんで向かう先はドラゴン。しまいには宙に浮く画面たちの一員となった。


「ところでその端末、石は交換しているのか?」


「石? 交換? どういう意味ですか」


「あの娘が何も教えていないことは分かった」


 不意に左手を掴まれたような感覚が襲いかかってきてぎょっとした。手を引こうとしてもびくともしなかった。見下ろせば腕時計のベルトが外されようとしている。見えない手が将斗を捕まえていた。


 慣れた手付きで腕時計が外されると石と同じ運命をたどった。つまりは霜帝の手の中、画面や石と一緒になって漂っていた。


 スワイプで表示した時計画面だけは未だ将斗の前にあった。


「魔石は魔法の核であり、施術者と魔法とをつなぐための大事な部品でもある。はじめは汎用的な魔石で問題ないが、いずれは自分に馴染んだ魔石や自身で作り上げた魔石を使うようになる。汎用的な魔石よりも体に馴染んだ魔石のほうが格段に扱いやすい。お前が出した画面が思うように操作できない一因でもある」


「この画面は戻せないんですか」


「そんな理由なかろう。汎用的な魔石を使っているのだ、標準の方法で操作してやれば消える。まあ、魔石の系統によって『標準の方法』なぞ千差万別なのだが」


 霜帝メジリウスが腕時計へ向けてデコピンをするような仕草をした。すると時計の画面が消えた。一瞬のうちだった。


「お前ほどの経験では魔石を作ることはできない。だが幸い、ここに魔力を注いできた魔石があるのだから利用しない手はなかろう」


「でもそれにはマッサージ機能があるとか」


「そんなモノあるわけなかろう。ぶるぶる震えるのはどの魔石でも起きる」


「そうなんですか?!」


「まあ気にするな。とにかく、この魔石はお前の魔力を吸って馴染んでいる。端末に石を当てて魔力を流してみるがよい」


 メジリウスから石と時計が戻される。ふらつくことなく一直線に将斗のもとへとやってくると、ちょうど手の直前で停止した。微動だにしない時計と石がまるで将斗の手にあったときとはまるで別物になったかのような気がして、恐る恐る手にとった。


 メジリウスの言っていたとおり、端末に石を当てる。頭の中にふわり浮かんでくる言葉が『インストール』。ドラゴンの説明では魔石はCPUのよう、それを端末に導入するのであれば確かにインストールという言葉はしっくりときた。


 インストール。将斗が念じる。


 手のひらが熱くなるような感覚とともに、魔石がまるで無重力空間に放たれた水のようになった。表面が波打つ水の球体は次の瞬間には時計の中に入り込んでゆく。隙間を探しているようにうごめく。入り込める隙間を探して本体を這い回る様子はグロテスクに尽きる、直視したいものではなかった。


 しかし時計のどこに魔石が入り込む余地があるのであろうか。仮に時計の中身が空っぽだとしたところで魔石の体積が中にはいるとは思えなかった。明らかに魔石のほうが大きい。見たくはないものの、魔石の行く末が気になってチラチラと目を時計に向けた。


 黒い魔石だったものが小さくなってゆくに替わって現れるようになったのは青いスライムだった。あたかも黒いスライムと青いスライムとが縄張り争いをしているような。明らかに青いスライムは劣勢、見る間に黒いスライムが時計の中に収まり、行き場を失ったスライムが時計の周りを動き回る。


 時計からの鋭い魔力。痛みがあるわけではなく感覚だけが将斗に伝わった。爪楊枝で何かを刺す感覚である。直後に青いスライムの動きが鈍くなった。黒いスライムが止めの一撃を放ったらしい。


 鈍くなったスライムは一箇所に集まって、そうしてから時計から落ちてゆく。床で転がる頃には青い石となっていた。


「はじめての魔法、といったところか。どうだ、操作感がだいぶよくなったはずだが」


 腕時計は変わらず時間を表示していた。試しに同じことをこなしてみれば幾分かスムーズに表示されたような気がする。何より、中空の画面に向かって上から下にスワイプすれば、『画面が時計に戻っていった』。


「確かに思い通りの動きをしてくれているような気がします」


「それは重畳。ひとまず我がエレノーラから求められている段階には達したというわけだ。喜べ、卒業だ」


「ありがとうございます。これで魔力に酔うこともないんですね」


「そればっかりは継続して鍛錬に励むがよい。そうだ、その青い石はお前が持っておくとよい。決して質の悪い魔石ではない、お前の手で育ててみるのもよかろう。我には魔石は有り余っているからな」


「分かりました。ありがとうございます」


 メジリウスが満足そうにうなずくと、カップのお茶を飲み干して視線を別のところへと送った。視線をたどれば使用人がカートを押してやってくるところだった。ドラゴンはまだ部屋でお茶を満喫するつもりらしかった。

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