魔術組合は
離れのエントランスで使用人がお茶を用意してくれる。早く身支度を終えてエントランスで待ちぼうけになっているのに気づいて気を利かせてくれたらしかった。
朝食の席で準備ができ次第離れに向かうから待っていてほしいと言われていた。朝食から館に戻ってきたところで将斗には準備らしい準備もなかった。手回りの品をバックパックに突っ込むぐらい。あとはエントランスで令嬢の到着を待つばかりだった。
新しいお茶のおかわりとともに小さな焼き菓子も出される。朝食のあとであるにもかかわらずちょっとしたお茶会の様相だった。
バターの風味がかなり強い一口サイズの焼き菓子とお茶の渋味の塩梅を噛み締めているところでドアを開ける姿があった。その姿はボーイッシュ、パステルカラーを基調としたパンツスタイル。眼鏡は太めのフレームで暗い色がアクセントになっていた。
はじめてのメガネ姿に焼き菓子を口に運びかけであることも忘れてしまった。
「その格好は」
「も、もしかして似合っていませんか……?」
「そんなことないです。メガネをかけた姿を見たことがなかったのでびっくりしてしまっただけです。似合っていますよ」
「ありがとうございます。この姿ならお忍び感がありますでしょう?」
その場でくるり回ってみせる姿は女の子だった。どうしたものだろうか、トリアンナの見たことのない姿が目の前にある。真面目で厳格そうな仕事場でのイメージとはかけ離れていてそれはもう心臓にビンタを受けているような衝撃であった。
けれど、その姿はほんの序章だった。
いざ領都を見て回ろうかと屋敷を出たところで待ち構えるものがあった。全体を深い緑色に塗られていて、前後には車輪、塗装されていないハンドルバーが陽の光に照らされて輝いていた。黒い座面は革だろうか。座面の下部を見ようにも流線型の箱が視線を遮る。箱は上面に穴が空いていてその中は座席だった。箱の横に取り付けられた車輪は上半分を覆う泥除けが主張していた。
要はバイクが停まっているのだ。しかもサイドカー付き。
「トリアンナさんはバイクに乗るんですね」
「ええ、領都の近辺であればもっぱらこれを使っています。側車つきなのでちょっとした荷物であれば積み込むこともできますし、何より走っていて気持ちがよいものです」
「これも魔法で動いているんですよね。音も静かで。俺の思っているバイクのイメージってすごくうるさいんですよね」
「そうなのですか。わたくしたちにはむしろこれが普通なのです。どうしてうるさいのですか?」
当たり前のようにトリアンナがバイクにまたがっている。将斗はサイドカーの座席にちょこんと腰掛けて町並みが通り過ぎてゆくのを眺めていた。いつもより低い視線が将斗には新鮮だった。決してスピードを出しているわけではなく、歩いている人との差を考えれば自転車より速いけれど自動車ほどではないといった程度。
魔法で動くというバイク。さらにはドラゴン移動の際に使っていた魔法もかけてくれているらしい。調整をしているのであろう。頬をなでる程度の風は通しているらしかった。
トリアンナは道すがら建物や場所の紹介を口にした。あの建物はこの地区で一番古い建物、だとか、かつての領主の館だとか。将斗の知らないこの国の有名人ゆかりの場所についても口にしていて、将斗としては、ほええ、と感心するばかりだった。
興味がないわけではなかった。前知識がないから説明されてもピンとこないのである。会話のきっかけとして話せばよいし、実際そうしていたのだが、話しているうちに景色が流れてしまう。次々と新しいスポットの説明があるのでせわしなかった。
しかし、将斗でもそれっぽい事前知識があったのがトリアンナ最初の目的地だった。
「これが魔術師ギルド……!」
「随分と古い言い回しですね。そのような呼び方は歴史書にしかありませんよ。確かに今でも互助組織としての側面もありますが、ほとんどはチェーン店としてしか見られていません」
看板に書かれているのは『デーバリー魔術組合』。本の偏った知識だけで将斗は魔術師のギルドと呼んでしまったがあながち外れということでもないらしい。
しかし、建物の中は将斗の知識ではまったく追いつけなかった。将斗が知っているギルドというのは依頼を受けるカウンターに併設された酒場。雑然としていて混沌。おそらくは魔術ギルドというよりも冒険者ギルドのイメージに引っ張られているらしい。
目の前の光景はどうだろう、ちょっと高級な家電量販店だった。壁いっぱいにカウンターがあって、立って応対するエリア、座って応対するエリアが半々。職員と応対するスペースは全体の三分の一ぐらいだった。残りは売り場のようだった。テーブルの上に端末が並んでいたり、五段の棚には小さな物が所狭しと並んでいたりする。
ノート型の端末も並んでいるが、中には商会で見た箱に近い形のもの、さらには杖や時計のようなものも並んでいる。『ほとんどはチェーン店』という言葉が目の前の光景を以てしっくりくる。それぞれイメージしているものは異なるだろうけれども。
「将斗さんも魔法の道具をいくつか持っていてもよいのではないかと思っていまして。どうでしょう、魔法道具、気になりませんか?」
「気になります。こっちに来てから魔法の道具なんて触ったことないですし。見てみてもいいですか?」
「はい、参りましょう」
将斗が関心を示したのはもっとも目立つように置かれているテーブルの商品たちだった。広々としたスペースを使って展示されている商品は、どこかのメーカーのショップを連想させる。扱われている商品もノート型の端末。横にはタブレット型の端末も並んでいて、支えもなく宙に漂いゆっくりと回っていた。
将斗はある商品のもとに立ち止まる。
ノート型端末の筐体は金属的な質感、すみっこに小さくあしらわれたロゴらしき絵柄は落ち着いた雰囲気だった。キーボード配列も見慣れた配列で、けれども微妙に印字されている文字が違う。似てはいるものの。
何より、この既視感はなんだろうとキーを一つ押してみる。
「あ、これ会社で渡された端末」
会社から新しく支給された端末を思い浮かべた。それにロゴはまったく付いていなかったし質感は目の前の端末よりもだいぶ無骨だったが、キーを押した感覚には近いものがあった。
「マルナークスの量産型端末の最新版ですね。会社の端末も同じところで作ってもらっているのですよ。会社のための特注品だと聞いています」
「じゃああの端末は魔法で動いていたんですか。まったく意識していなかったです」
「わたくしは慣れるのに苦労しましたのに。もしかしたら、将斗さんのような人向けに改造してあるのかもしれませんね」
「トリアンナさんが苦労するというのは想像できません。どのようなものだったのですか」
「もともとはキーボードも画面もないものでした。ほら、ちょうど奥に浮かんでいるサイコロのような端末、わたくしが慣れ親しんだ端末というのはああいうものなのです」
「どうやって操作するんですか」
「魔術で命令を与えながら操作するのです。表示する内容も魔術で自由に制御できるので、ある意味直感的に操作できます。表示は人によって千差万別ですし、もとは同じ端末でも、使っているうちに完全に別物の端末のようになることもざらです」
トリアンナはおもむろに手のひらを差し出すと宙に浮いていた青いサイコロが吸い寄せられる。手のひらの上で漂う端末はゆっくりと回転していて、かと思えば中空に半透明の像が結ばれる。表示されるウィンドウには文字がひたすら流し込まれている。テキストエディターを操作しているようだった。
次の瞬間には像が消えサイコロは元の場所に戻ってゆく。
「ですがこの手の端末はそのあたりが自由ではなくて。魔力の負担が少ないというのはよいことですがいかんせん。普段遣いは断然こっちですね」
「日本だとキーボードもモニターも当たり前というか、ないと何もできないので、それがないほうがむしろいいとは不思議です。想像できません」
「おそらくですが、魔力の制御ができるようになるとよさがわかるでしょう。使ってみてようやく見える世界もあります。わたくしもモニターとキーボードには今では好意的ですし。今だからこそ言えますが、キーボードとモニターというのは魔法端末を次の時代にした象徴なのですよね」
トリアンナは本当に領主の娘で伯爵令嬢なのだろうか? 商品を眺めて感心していればすらすらと隣から解説が聞こえてくるのだ。まるで実際に使ったことがあるかのような口ぶりはどこかのレビュアーサイトを読んでいるかのようだった。
ノート型の端末だけではない。隣りにあったタブレット型端末も、『昔ながら』の端末も――
しまいにはスマートウォッチのような端末でさえも解説してみせるのだ。リストバンド型と腕時計型、手の甲に魔力で貼り付けるタイプの端末まで。
そして最後にはこう口にするのだ。
「どれかお気に召したものはありますか?」
もはや店員である。
「そうですね、日本でもスマートウォッチは気になっていたので、腕時計のこちらはすごく興味をそそられますね」
「スマートウォッチ……? 腕時計型の魔法端末はわりかし昔からあるものです。昔から人気の端末ですし安定もしていて初心者向きですね。ちょうどいい、ではこちらにしましょう」
「え? いや、どういうことですか」
「……実は霜帝メジリウス様から依頼されていまして。魔法端末を用意してほしいと。ご心配なさらず、余りあるほどの予算を頂戴していますのでよりどりみどりです」
「ですが、畏れ多いと言うか、そこまでしてもらうなんて」
「どうやら魔力の訓練で使うらしいですよ。必要経費なので気にすることはありません」
「そういうことであれば」
こうして、日本で手に入れていなかったスマートウォッチを異世界で買ってもらうことになった将斗であった。
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