ノールフェッチ農園

 ドラゴンに乗っていると普段の数倍の視界を確保できる。地表との距離が相応にあるうえ、将斗たちはむき出しのままである。揺れは霜帝メジリウスが気にかけているのと、風防の魔法をトリアンナがかけているおかげでドラゴン酔いにはならない状況となっている。


 何が言いたいかといえば。


 眼下に広がるぶどう農園――ノールフェッチ農園の圧倒的な広さを目の当たりにするにはドラゴンの上が最上であるということである。


「これがノールフェッチ農園、わたくしのぶどう農園でございます」


「こんなに広い農場を持っているなんてすごいですね。システム屋をやらないでこっちに専念してもいいんじゃないですか」


「わたくしにはぶどう酒の好みこそありますが、好みに合わせてぶどうを作る能はございません。わたくしは出資して、好みを言うだけ言って、ぶどう酒と利益をいただくのみです」


 それがすごいのですが、と言いかけたところで久々に激しい揺れ。徐々に地面が大きくなってゆく。農園の一角の広場が強風に見舞われているのが周囲の草葉の様子から見て取れた。放射状に揺れるそれらにはヘリコプターを感じさせる。


 ここ一番の衝撃は着陸の合図。それからかすかな風が頬をかすめるのを感じつつ霜帝の背中から滑り降りた。久しぶりの地面だった。空を見上げれば光がてっぺんから注いでいる。雲も隅っこに一つ漂うだけだった。


 宿のときとは異なり一行を待ち構える人はいなかった。しかしトリアンナが先頭になって歩く様子は板についている気がした。オーナーの貫禄だろうか。土を踏みしめた道を歩くお嬢さんという構図のなんと様になることか。


 ぼんやりと考えているとある棟にたどり着いた。第一印象は豆腐だった。真っ白な壁で窓のようなものはどこにもなかった。アクセントなのはところどころに取り付けられた排気ダクトらしき設備だった。


 トリアンナが開ける扉も白い。何かのこだわりだろうか。


「当面はここを事務所として使います。この上が仮眠室兼私室になっています」


 中に入るなり広がるのは壁のないフロアであった。壁がないとはいえ、置いてあるもので大体の区別はできるようになっている。出入り口のエントランスは腰ほどの高さのカウンターのような仕切りで作業場所と区別されているようだった。


 左右にデスクの島があり、その向こう側は大きな棚がいくつか並んでいた。棚――ラックの半分はまだ何も入っていなかったが、残り半分は何かしらで埋まっている。ラックに乗せるために引き出しのような形をしたパソコン、ラックサーバと呼ばれるそれを異世界で見るとは思っていなかった。


「ラックサーバまであるんですか。ここは何のための場所ですか」


「農園のシステム管理棟です。生産管理や農園で働いてくださる方々の人員管理、商売にあたっての売買管理。すべてここに集約しています。あとはうちのまだ販売していない製品を試してもいます。ほら、こちらには帳簿が一切ないでしょう?」


 ラックサーバを指差して説明されたところで将斗にはよく分からなかった。帳簿のざっくりとした説明は以前に聞いたことがあったものの、実物を見たことはなかった。将斗の目にはどれもラックサーバ、ラックサーバ、ラックサーバ――


 どこを見てもラックサーバだった。


 トリアンナは仕切りを回ってその死角に身を隠す。ややあってからカウンターに茶色い箱が持ち上げられる。カウンターの下は収納になっているらしい。


「これが帳簿と言っているものです。話をしている中でまだ実物をお見せしたことがなかったことに気づきまして。どうぞ開けてみてください。本当に帳簿が入っていて、魔法で整合性を取りながら書き込みをしていくのです」


 トリアンナに言われるまま手を触れると今まで感じたことのない魔力の感じがあった。ただの四角い塊だと思ってそれにいくつもの引き出しが現れた。五段の引き出し、それぞれが少しだけ滑り出てきた。うち一つを引っ張ってみれば和綴じのようなノートが収まっていた。表紙だけめくってみれば、中は全面が表となっていた。


 本当に帳簿だった。


「ですが、あちらの帳簿というのはすごいですね。ポストグレス、でしたかしら。帳簿を使わないで擬似的に帳簿の構造を保存して利用するだなんて。こちらの帳簿だと比較的短い期間で中身を交換しないといけないので面倒だったのですよね」


「見た感じ本当にメモ帳と言うか、ノートなんですね。こう見ると技術的に進んでいるのか進んでいないのか混乱しますね」


「どうなのでしょうね。わたくしとしましてはポストグレスの方が先進的に思えますが」


「ノートをデータベースレベルで使うなんて、俺にはできる気がしません」


 将斗が近場のデスクにスーツケースを転がしつつ机の並ぶエリアに踏み入れた。いつまでもエントランスで突っ立っているわけにもいかない。スーツケースは床においておけば良いものの、リュックは肩を締め付けて鈍い痛みがにじむようになっていた。


 リュックから端末を取り出して準備をしている中、さきほど目にした帳簿のイメージを頭に浮かべる。表になっていて、数字や文字がずらずらと並んでいる様子。同時に将斗が考えていたのは未知のコードだった。


 数字をどこかに登録し直す処理と数字。


 あの数字はどういう意味の数字だったか。


 どこに登録しようとしているのか。


 登録し直すことで何の意味が生まれるのか。


 そういえば、霜帝はどこに行ったのか。


「そういえば、霜帝様ってどこに? いつの間にかいなくなったような」


「霜帝メジリウス様のことですから、農園の様子を見てきているのではないでしょうか」


「今後どうするかは霜帝様に話を聞かないと分からないですよね。どうしましょうか」


「じき戻られるでしょうから、机の準備ができたら待機としましょうか。その間に私室の整理をしてください。どの部屋を使っても構いません。私はついでにシステムの稼働状況を確認しているので」


「だったらその前にぶどうを食べようではないか」


 会話に割って入った少年は両手でぶどうの入ったかごを抱えていた。それだけの領を一体誰が平らげるのだろうか。写真写りにはピッタリの山盛りのぶどうだが、三人で食べるにはあまりにも多い。そもそもぶどう酒向けに作っているぶどうはそのまま食べても問題ないのか?


 霜帝メジリウスはまったく気にしていないらしかった。すでに粒をもぎっては口に運んでいた。種や皮をも気にしていない様子。


「間者と会ってきていてな。明日には時間が取れるようだ。すまないがそのつもりで準備をしておいてくれ」


「かしこまりました。会いに行ってくださるのであればその前にひと声かけていただければよかったのですが。持ってきてほしいものをあらかじめ伝えられましたのに」


「それは申し訳ない。一応集めただけの情報を持ってこいとは言ってある。それで足りない分は本人に伝えてくれ」


「ではそのようにいたします」


 トリアンナもぶどうをつまんで口に含んだ。さすがに種はすぐハンカチに吐き出していたが皮は中々出そうとしていなかった。


「今年のぶどうはいつもよりも渋みが少しばかり強いですね。そこまで甘くはありませんから酒精もそこまできつくはならないでしょう」


「口にしただけでわかるようなものですか」


「素人的な感覚です。当たるときもあれば外すこともあります。当てることのほうが少ないですね。さあ、将斗さんもどうぞ」


 トリアンナがいくつかの粒を両手に持って一人の前に差し出した。小ぶりの粒はどれも深い紫色をしていて、表面には白い粉のようなものが吹いていた。


 手の中から一粒をつまんで口に運んで見る。歯を入れればたちまちに粒が弾けて甘い香りが鼻に立ち上ってくる。果肉からは甘さ控えめの汁と皮の渋みが舌を包んだ。甘みと渋みが互い違いに、時には同時に舌をもてあそぶ。幾重にも重なる複雑な味わいだった。

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