3_デーバリーとぶどう畑とサーバールーム

出張の移動手段はドラゴン

 ヴァイセルンのどこかにいるのは確かだが、将斗にはもはやどこにいるのか判別がつかなかった。『自分自身の中身』がちゃんと残っているのかどうかすら不覚にあった。


 とにかくえづいた。吐いた。本局裏の空き地から飛び立って五分もしていなかった。しかし将斗にとっては何十分という感覚だった。背中に大人五人は乗せられそうなメジリウスの乗り心地はジェットコースターと馬をかけてかけてかけまくった感じである。大きな羽の動きで胴体が揺れる。正面からの吹きさらしは目と口を容赦なく乾燥させてゆく。目まぐるしい視界。


 将斗の『吐きそう』という言葉をかろうじて耳にしたトリアンナが慌てて霜帝に大声を上げて、しかしドラゴンが聞き入れて降下し始める頃にはもう遅かった。


「将斗、その、大丈夫か」


「すいません……背中で吐いてしまい……」


 言葉を打ち切るように胃がひっくり返る。もはや何も出ないのに日本人の体は未だドラゴンに揺さぶられていた。


「背中のはもうよい。魔法で何とかした。しかし、そんなに我の背中は乗り心地が悪かったのか。ドラゴンたちの中ではきれいに飛んでいるほうだと思っていたのだが」


 将斗をやった本人にもかかわらずメジリウスの声は随分と弱っていた。


「わたくしにはとくに問題らしい問題はありません。暴れ馬に比べれば」


「俺こういうのには弱くて……」


「しかし困った。あの速度で移動するつもりだったから出発したものの。これでは今日中には到着できないな」


「行けるところまで参りましょう。切りがよいところで宿を求めればよいのです。とりあえず、将斗が落ち着くまで策を練っておきましょうか」


 結局のところ、一人が落ち着くまで随分とかかってしまった。症状が収まるよりも先に策が練り上がってしまったようで、最後は二人して魔法をかけあってなんとか回復させたほどだった。自然に収まるのを待っていたらいつになるか分からなかった。


 再開した移動は完全に別物だった。はじめこそ揺れが激しかったものの、一度上空に飛びたてばほとんど揺れなかった。霜帝の翼はほとんど羽ばたいていなかった。眼下を見下ろせば木々が後方に飛んでいっているというのに相応の風はまったく感じられなかった。


 前に座っているトリアンナにたずねてみれば、『魔法でゴリ押ししていますの』とのこと。ゴリ押しという言葉を聞くとは思っていなかった。


 次に地面に降り立ったときはすっかり夕焼けに染まっている頃だった。街らしい街ではなかったが、建物がいくつか道沿いに並んでいる場所があり、メジリウスはそこめがけて降りていった。


 空からドラゴンがやってくるという状況、混乱が巻き起こるかと思えばその気配はどこにもなかった。むしろ建物の中から人がぞろぞろやってきて見物しているほどだった。中には、


「やったぞ、今日は運がいい」


と喜んでいる髭面のオヤジがいた。


 乗客が降りたあと、しかしドラゴンは少年の姿に戻らずに群衆と向かいあった。時を同じくして人々の中から一人の男が出てくる。ドラゴンを前に柔らかい表情を浮かべていた。


「いらっしゃいませ。離れはいつでも使えるようにしております」


「急に訪れたことは申し訳ない。今日は我がすべてを持とう。主よ、頼めるか」


「もちろんです。毎度ありがとうございます」


 霜帝と宿の主人とのやり取りを遮るように人々が盛り上がりを見せる。誰も彼も満面の笑みを浮かべて喜びを隠そうともしない。そして宿の看板が書かれた建物になだれ込んでゆく。例外は一組の家族連れ。幼い子供がドラゴンを前に漏らしてしまっていた。


「ではこちらへ。荷物をお預かりします」


 店主が将斗たちを案内しようとしている中、いつの間にか見慣れた姿に戻ったメジリウスは一家のもとへスタスタと向かっていた。


 店主は少年を待つ様子はない。トリアンナの旅行かばん一つと将斗の腰の高さほどあるスーツケースを台車にひょいと載せて引っ張ってゆく。トリアンナもそれが当然であるかのよう、台車のあとを手ぶらでついて行く。


 戸惑っているのは将斗だけだった。


「霜帝様は放っておいていいんですか」


「ええ、お気になさらず。霜帝メジリウス様は時折人々と交流を図ったり、悩みを解決したりしています。ここだって、もとはこの道に途中休憩するところがなかったからと、霜帝メジリウス様がちょっとした宿場を作ったのです」


「これ全部ですか? 三つの建物すべて?」


「わたくしが知っているのは二棟だけです。ですので、これから向かう建物ははじめて見るのです。手狭になったから増やしたのでしょうか」


 横に並ぶ建物の間を進めば、否応なしに正面の屋敷を見せつけられる。大きさこそ他の建物と差はないものの、木材だけではなくレンガをも使っているのが見て取れた。一つ一つの窓が大きくて、前面のいくつかにはステンドグラスがはめ込まれていた。


 中はまるで小さな宮殿である。中央の出入り口に入るなり広がるのは広いエントランス。全体的に茶色で高級感こそないものの過ごし心地のよさそうな空間だった。左手には二階への階段、右手側にはソファーとローテーブルのセット。テーブルを椅子を囲うようになっていて、六人程度であれば余裕で座れそうだった。


 どこからともなく現れたのはスリーピースを身につける若い男性。胸に手を当ててお辞儀をするところ、まるで家令のような雰囲気だった。


 家令のよう、というか完全に家令だった。店主は彼に荷物を引き渡すとあっという間にいなくなった。かと思えば将斗やトリアンナをエントランスのソファに座らせるとお茶と焼き菓子を出してくれた。以前どこかの家でお会いしたことがありませんこと? とトリアンナが尋ねれば、ドーブル家の茶会にて給仕をしました、と答える。


「ああ、あそこ」


 遠い目をするトリアンナ。当然将斗には訳が分からない。


「知っているんですか」


「将斗さんはご存じないでしょうが、ドーブル家というのがあったのです。海沿いに大きくはないですが領を持っていました」


「それがどうしたんです」


「ドーブルは大きな港を持っていて大きな交易の拠点でした。それでつけあがってしまったのでしょうね。ドーブル家自ら盗賊を率いて海賊行為をしていまして。よりによって王家の秘密任務中の船に攻め込んでしまったものだからいろいろと明るみになってしまいましてね」


「取り潰しというやつですか」


「その通りです。ただ、ご子息が優秀なお方らしく。ご子息が新しい家を興しています。爵位も授かって王都で交易を担当していたはずです」


 ちらりとトリアンナが家令を見上げれば、男は小さくうなずく。その様子をただ見ることしかできない将斗は何とも落ち着かなかった。将斗はごく普通の日本人、本の世界にあったような高貴な雰囲気が自身には場違いに思えてならなかった。供されたカップとソーサーすら将斗の存在を危うくしていた。


 むだのない所作でお茶を嗜む姿とがばがば酒を煽る姿とが重なった。


「将斗さん? いかがなさいました?」


「いや、トリアンナさんは本当に貴族なんだなあと。俺は執事がつくようなことなんて経験したことがないからそんな自然になれないし」


「あら、家令が仕える相手に気を遣わせてしまうだなんて問題ではなくて?」


「伯爵令嬢がご宿泊ということで準備をしていたのですが。本当によろしいのですか」


「ほとんど家を飛び出しているような娘が何を気にするというのです?」


「……まったくわんぱくなこった」


 家令の雰囲気が急に変わった。ジャケットをソファに投げ捨てたかと思えば詰め襟のシャツを開ける。髪の毛をかき回してから手ぐしで軽く整えて。洗濯のりでぴっちり固めたような雰囲気から一転、年相応のあそびを感じさせる雰囲気になった。


「もともと俺は港で拾われた身でね。執事の振る舞いは仕事だからできるがやっぱりこっちのほうが息苦しくない」


「確かにあの時、教育が少し足りていない執事見習いがいましたね」


「足りてなくて悪かったな。まさかこれほどお転婆とは当時は知らなかった。なあ、あんたはこの伯爵令嬢の何なんだ? これか?」


「えっと、仕事仲間です」


「そうよ、これから仕事でデーバリーに戻るのです」


 ガチガチの執事然とした振る舞いは困ってしまうものだが、やたら砕けた調子というのもまた困ってしまうものだった。小指を立てて将斗に迫る様子からは数分前にはじめて対面したとは思えないほど。肩に腕を回してすらいる。もちろん執事風の方が、である。


「あー、なるほど、そうかそうか。まあいいや、荷物はそこのクロークで預かっておくから、必要であれば言ってくれ。食事については本館の食堂を使うように。ほか何かあれば言ってくれ。クロークの隣が俺の待機場所だから」


 急に話を切ったかと思えばソファから退く執事風。どこに向かうかと思えば出入り口の前で、立ち止まった途端に厳しい家令の姿に戻った。左腕をピタリと体に貼り付け、右手を胸に添える。


 次の瞬間、待ち構えていたかのように扉が開けられて、店主に続いて霜帝が姿を表した。


「お待ちしておりました。メジリウス様、今日はどうぞおくつろぎください」


 家令が深々とお辞儀をした。

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