意味のない休日出勤ほど嫌なものはない
考えてもらいたい。
事故が発生したのは昼過ぎ。現場そのものの復旧は日が沈んでから終わったらしいが、もろもろの片付けや端末の調達・再セットアップで実質的に復旧したのはさらに翌日。実質まる一日以上仕事ができなかったわけだ。一番早く作業できるようになった端末が将斗の持ち込んだ端末だったぐらいだ。
そのような状況、資料の確認などは程々に早速プログラム――魔法の修正やらをやることになった。ちゃんとシステム全体の構成を説明してもらったり資料の場所を教えてもらったりということなしに放り込まれるのは、まあ、あるあるである。将斗が作業を始められる頃合いには、まだ先達の端末が使える状況ではなかったのだから。遅れを取り戻すためにはどうしようもなかった。
しかし、と将斗は目の前のソースコードを前に手を止める。見た感じは完全にC♯のソースコードだった。日本のどこかの企業のシステムで稼働しているプログラムのコードと言われても疑わない。日本でのプログラミングの知識がそのまま魔法のプログラミングに通用しているのである。
魔法なんて使ったことのない将斗が、魔法を組み上げている。趣味の時間であれば楽しい時となるに違いないが、将斗は恐る恐るといった様子だった。魔法。爆発。ヌルポインター。無邪気にエラーを起こしたらあの時の再来となってしまうかもしれないと思えば当然だった。
進捗が芳しくないのも当然の流れである。他のメンバー、トリアンナとまだまともに自己紹介すらしていない一人と一緒に夜遅くまで作業を続けた。
想定外の問題で進捗が遅れるとなれば、休日出勤だとか振替え出勤という言葉が脳裏に浮かぶのは当然の流れである。将斗とて色んな事情で休日を返上して仕事に勤しむことも経験していた。なので早々にそのような流れになるだろうと覚悟を決めていたし、運がなかったと思うことにした。流石にいろいろありすぎたから休みたいのが本心だが。
だから、トリアンナから休日出勤について尋ねられた時も戸惑うこともなかった。
なかった、のだが。
「トリアンナさん、今日は仕事をするのではないのですか。ここは」
「ある意味ではれっきとした仕事です。まあ、研修と捉えていただければ」
「研修というか、これはどう見ても」
――訓練。将斗の頭の中にはこの言葉がぐるぐる回っていた。
まず場所が違う。日本の寮から本局の作業場に行くまではよかった。遅れてやってきたトリアンナは将斗が目にしていた華やかな格好とは打って変わってパンツスタイルだった。体にフィットしたむだのないフォルムは今にも乗馬へ出かけてしまいそうだった。
トリアンナについてくるよう言われ、彼女の跡をついていったところでたどり着いたのは隣の建物の一角だった。『ナガル業務委託案内所』と看板に書かれた建物のエントランスは職業案内所と酒場が一緒くたになったような印象だった。将斗がネットで見た職業案内所のイメージと重なっていたのだった。受付に腰掛ける女性へトリアンナが社員証を見せて、それからもついて行く。
その終点がまさに将斗たちの立っているこの場所である。広い空間、木製の人をかたどったものがいくつも並んでいて、さらには木剣や金属の剣が無造作に突っ込まれた箱まである。
「剣の訓練をするんですか」
「まさか。あなたには魔法に慣れてもらおうと思っておりまして。ほら、先日申し上げたじゃありませんか、『少し考えさせて』と。将斗さんに必要なのは魔力を律する能力と考えましたので、その術を身につけてもらいます」
「魔法の訓練ですか。本当に何も分からないのですが、できるようになるものでしょうか」
「やってみないと何とも。将斗さんが持つ魔力からすれば可能なように思えますが、いかんせんわたくしも経験が乏しく」
「お、よかった間に合ったね」
将斗でも、ましてトリアンナでもない声が部屋に広がった。将斗の耳に届く声は廊下での煙の息苦しさを思い出させた。強烈な吐き気と苦痛を呼び起こした。ひどい連想に紐付いたその主、言葉を交わしたことのある数少ない現地人。
「ローローさん」「何しに来たのですか」
二人が声を上げるのは同時だった。
「ローロー卿は呼んでおりませんよ?」
「ええ、呼ばれてないとも。でもうちの人間のことだ、武芸の特訓だったらここを使いたがることなんてお見通しさ」
「何をするおつもりですか」
「決まっているであろう。こんな魔法の才能が固まってできたような奴、手を出さずにはいられまい」
「卿は所属が違うではありませんか。お門違いです。ここはわたくし共におまかせあれ」
「まあ硬いこと言わないの。同じ社員だぞ」
将斗そっちのけで火花を散らす二人はそのまま力をぶつけ合ってしまいそうだった。ふいにトリアンナの腰に剣が差してあるのが見えた。彼女の手は鞘を掴んでいて、親指で柄を押し出していた。トリアンナはいつでも剣を抜ける状態である。ローローだって手に正体の分からない球体を手中に生み出している。
とげとげしい空気に将斗は部屋を離れたくなる。いっそエントランスでお茶でも飲んでいれば事が済むかもしれなかった。思い立ったアイディアが思っていた以上に上出来なものだと思えて、本当に外に出てしまおうと後ずさりを市てみた。二人とも気づかなければ――
しかし。距離を置こうとしているのに体が言うことを聞かなかった。脚が思い通りに動いてくれなかった。膝が笑っているわけではないけれども、見下ろすそれらは別人の物のようだった。感覚が曖昧だった。
声をかけようにも口も動かしづらかった。
「あ、あの」
短い言葉を発するのが精一杯。けれども燃え上がっている二人の耳には届かないのか、将斗に目をくれる様子すらない。どちらが訓練を指導するのか戦いっぱなしだった。
息はまだ普通にこなすことができる、しかし視界が暗くなったり明るくなったりを繰り返した。将斗はすでに二人の魔力に冒されてしまっていた。まっ暗闇の中、目の前でライトを明滅されているような目まぐるしい変化。ついには将斗をショートさせた。
一人倒れゆく将斗。こんなことになるなら断って寮でのんびりしていればよかった。
同僚たちは口論に夢中でしばらくの間気づくことはなかった。
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