魔力に無防備

 将斗が目を覚ました時の周りはほんのり明るい程度だった。シーツのサラサラ感とマットレスの反発はまごうことなきベッドの感触。どうしてベッドに? という疑問が浮かぶものの、後頭部や背中全体に広がる痛みが記憶を呼び戻した。


 エレノーラの指示のもと介抱しようとしたら突き飛ばされて気を失った。吐瀉物を吹き飛ばしながら。


 首を動かせば鈍い痛みが広がってゆく。首元に一滴、痛みの源が垂らされて全身に行き渡るのだ。ただ、動かせないほどの痛みではなかった。周りを見ることぐらいは許されるらしかった。


 壁や天井の感じからして日本の建物の中のようだった。蛍光灯は消灯していた。月夜のような明るさはベッドの横に浮かんでいるこの世のものらしからぬ球体がもたらしていた。見た目はまさに鬼火だった。ただ火の熱気はまったくないし、その場から微動だにしなかった。


 だが明かりよりも将斗を驚かせるのは鬼火に照らされて辛うじて見える人の姿だった。壁際に一人。音もなくただそこに座っている姿は見てならないものがいるのかのようだった。


 あまりにびっくりした将斗はとっさに視界から消そうと体をひねって――首のときとは比べ物にならないほどの痛みに声が漏れてしまった。


「動かないでくださいませ。まだ魔法が終わっていませんの」


 それが喋った。かと思えば鬼火が天井近くまで移動すると強く発光するようになった。すぐそばに蛍光灯があるのにわざわざ使うのかと考えていたが、理由は心霊現象を見て理解した。


 幽霊に思えた彼女は将斗が介抱しようとしたその人だったからだ。つまりは将斗の全身に及ぶ痛みの元凶。


「本来ならだいぶ前に治癒の魔法が終わるはずなのですが、どうも効きが悪いようでして」


「爆発の件はどうなったのでしょう。結局ほとんど何もしなかったので」


「申し訳ありません。びっくりしてしまったあまり、わたくし、あなたを突き飛ばしてしまい……」


 消え入るような声だった。


「魔法というもので治そうとしてくれているんでしょう? 思うところはありますが、今回の件はもういいですよ。ええと、ごめんなさい、まだ名前を覚えられていなくて」


「わたくしはトリアンナ・オン・デーバリーです」


「デーバリーさんですね」


「いえ、トリアンナとお呼びください。デーバリーですと父のことになってしまうので」


「というと、どういうことでしょう」


「父が領主なのです。単にデーバリーと言うとデーバリー領のことか領主である父のことを指します。こちらの方にはあまり馴染みのない慣習だとは思いますが、この事に厳しい人もいますのでどうか容赦ください」


「トリアンナさんは貴族ってことですか?」


「建前上は貴族ですが、わたくしは六女なので貴族としての務めは求められていないのです。お姉さま方が十分になさっていますから。ですので、あまり気兼ねしなくていいですからね」


 ある意味では納得だった。何となく他と違う感じ、服装の違和感は彼女の身分からくるものだったということだ。本やゲームの中の空想でしか知らない貴族像からすれば、『こんなところにいてよいものか』と考えてしまう将斗だったが。


「ところで将斗さん、お尋ねしたいのですが。将斗さんは魔法にお詳しいですか」


「いや、本とかゲームの中でしか」


「では魔力について意識されたことは?」


「まったく」


 トリアンナは将斗から視線をそらして鬼火を見上げた。眉間にシワを寄せる仕草をするばかりで言葉が続かなかった。将斗にはまったく理解できない振る舞いだった。要領の得ない質問をされた上に黙り込まれてしまうのだから。トリアンナ、鬼火、天井。いずれかに目を向けることぐらいしかできなかった。


 沈黙を破るのはトリアンナだったが、放たれた言葉もまた将斗を困らせるのである。


「将斗さんは、わたくしのことがお嫌いですか」


「嫌いも何もほぼ初対面ですよ。嫌いになりようがありませんって」


「そ、そうですよね。でしたら、まさか――」


「俺のどこかが変なのですか?」


「将斗さんは魔力のコントロールができていないのかもしれません」


「俺が、魔力? いやいや、俺は日本の生まれですよ。魔法なんて想像の世界にしかないもので存在していないのに」


「そうであれば説明がつくのです。わたくしの目には、将斗さんが全力の魔力を放って威嚇しているように感じています。嫌悪や憎悪の類ではないのですが、とにかく嫌な感じがします。恐らくわたくしの魔力と相性が悪いのでしょう」


「でも俺はトリアンナさんのことを嫌だと感じませんよ?」


「わたくしのは制御できているから表に出ていないだけです。たとえば、こんなふうに」


 将斗は直後に訪れた感覚を知っていた。揺れだ。空気がうねる、水の中で波に押されるような感覚。廊下で味わったそれに近かった。しかし吐き気や息苦しさは現れず、一方でこの場にとどまりたくない気持ちが強まってくる。我慢する・しないという程度ではなく無条件にせり上がってくるのだ。


 ふと凪がもたらされる。異様な雰囲気であった室内はいつもと変わらない様子に戻っていた。


「申し訳ありません。ですが、体感していただくのが一番手っ取り早いかと思いまして」


「これをずっと感じていたんですか。今も辛いのでは」


「それほどでもありません。今は障壁魔法を使っていますから」


「ならば一安心でしょうか」


「いいえ。わたくしとて未熟ですから、エレノーラ卿のように常時魔法を発動できません。一緒に仕事をすることを考えると心もとないです」


「そうなんですか。じゃあどうしたら」


「わたくしに少し考えさせてくださいませ。とりあえず今は体を休めることに専念してくださいまし」


 すると鬼火の出力が再び落ちてゆく。同時に高度も落ちてゆく。はじめに気づいたときよりも暗い光度まで暗くするとトリアンナの姿さえ見えなくなった。


 体にはびこる痛みはいくらか優しくなっていた。

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