ヴァイセルンデビュー

 気がついたら将斗は割り当てられたデスクでメールソフトを開いていた。


 会議室での打ち合わせののちに寮の案内だとかこの場所固有の福利厚生――ちょっとした街の様相を呈している周囲を馬車で案内されたり、簡単な健康診断を受けたりした。その間ずっと将斗は呆然としたまま、当然説明されたことなんて頭に入っていなかった。


 そう言えば、健康診断という名目で水晶玉を持たされた。アレは何だったのか。


 エレノーラから送信されたメールを開けば、魔法を開発するにあたって必要な環境構築についての手順だった。メール本文のURLにある手順を二台の端末に行ってほしいというもの。


 以前から使っているノートパソコンの横にまだ電源コードすらつないでいない端末が一台。いつ渡されたのか思い返そうにも将斗には身に覚えがなかった。見たことのない端末だった。メーカーのロゴも入っていないが、とても薄い端末。端子が両側に三つしかなかった。今どきの端末。


 手順を眺めていたらフロアのスピーカーからチャイムが流れる。モニターから窓に顔を向ければ、ブラインド越しに日が沈みかけて空が紺色になっているのが目に入った。


「さあ将斗、作業のほうはどうかな」


 死角からの声と同時に肩を叩かれ、体が跳ね上がった。ほとんど精神力を持っていかれてしまった中での攻撃は将斗には強力だった。


 そのびっくり用にエレノーラにも驚きが伝染して、その手を胸元に抱き寄せてしまうほどだった。謝罪の言葉も考えるよりも先に出たのであろう。


「ごめんなさいそんなびっくりするとは思ってなくて」


「自分も気を抜いていたものでびっくりしちゃいました。それで、どうしたんですか。セットアップはまだ手を付けていないのですが」


「それは別に明日になっても構わないさ。せっかくだから顔合わせと行こうじゃないか。うちの課の連中との顔合わせも兼ねて歓迎会をしようと思ってね。どうだろう」


「いいですね、ぜひとも」


 しかし、将斗は歓迎会と聞いて魔法陣の前に立たされるとは想像だにしていなかった。荷物はそのままでよいと言われてついていくのはてっきり外の居酒屋だと思っていた。馬車の世話になることぐらいは予想していたし心構えもしていたのだが。


 エレベーターの液晶は一階を通り越して地下一階へ。カードキーをかざして扉を開ければ、床に光る魔法陣。


 エレノーラとあと二人、紹介されてはいないものの同じ課の『人』らしい、彼女たちは当たり前のように淡い光の中に身を投じている。戸惑いというよりも怖さで足がすくんでいるのも構わず、エレノーラが引きずり込んだ。


 将斗ははじめて魔法というシステムを体感したのである。コンクリート打ちの部屋だったものが一転、石で全面を固められた空間に様変わりした。下の床はよく磨かれていて一見したらコンクリートと変わらないように思えたが、壁にある筋とそれを埋めた形跡はどう見てもコンクリートにはない質感だった。カードキーで制御されていた鉄製の重い扉が正面にあったはずなのに、出入り口があるだけだった。『だけ』ではない、出入り口全面に透明なフィルムを張って塞いでいるかのようだった。


 エレノーラたちは当たり前のように出入り口に膜を通り抜けた。出入りする瞬間だけそれが消えてなくなっている様子だった。


 何が起きているのか。


 魔法陣の上で立ち尽くしている将斗にエレノーラが声をかけてようやく、将斗も出入り口を抜けにかかった。フィルムのような何かに阻まれる可能性も想像したけれども杞憂だった。


 階段を上がる。上階の廊下に差し掛かったところで振り返れば、長い廊下といくつもの扉が並んでいた。木の板を敷き詰めた廊下と壁。扉もまた木製らしかった。なにかしら装飾がされているわけでもなく、ただただ木の板にドアノブをつけただけのような作りだった。


 階段正面に見える観音開きの扉。シンプルさは屋内の他の扉とも同じだった。


 エレノーラが扉を開ける。


「ここがヴァイセルンの首都、エーリバよ。ようこそ、ヴァイセルンへ」


 日本の辺境の地にずっと身を置いていた将斗にとって、扉の向こう側にある光景は東京のどまんなかだった。広い歩道には人々が行き交い、道の中央には道路が整備されていた。所狭しと建物が並んでいて、中には高く見上げてしまうほどのものまであった。コンクリートの質感はないものの、木造だったり石造だったり。


 尋常じゃないスピードの馬車が走り抜けた。


 将斗はヴァイセルンの地に足を踏み入れた。無人駅の時に感じた空気を思い返すと、幾分かこちらは温かかった。


 馬車が駆ける。


 その後ろを、古い自動車の形をしたものが続いていた。


 蹄の音と例えようのない連続音。これは、モーター?


 その様子を追う将斗は意思を持たない機械だった。呆然として行き交う馬車と自動車を顔で追っていた。


 ところで、将斗が持っている異世界像とはどのようなものか。言うなればテンプレート、中世のヨーロッパのような雰囲気で魔法と剣、それに人でない何かと共存あるいは敵対しているような。


 目の前にあるのは近代化・現代化された異世界。建物、ビルが立ち並ぶ。自動車が走る。


 歩道と道路との境目に立つ柱が光を放った。柱のてっぺんからてさられる光はまさに街灯だった。ガラスの覆いはなく、傘の下で何かがきらめいている。炎特有の揺らぎはまったくなく、将斗の感覚では蛍光灯の光だった。


 将斗は歩道に並ぶ街灯から電気を見出した。


「何ですか、これ」


「言ったでしょう、ヴァイセルンのエーリバ。そりゃあこっちでも夕方に入りかけた頃合いだから人通りも多い。とくにここは大通りの一角だし」


「そうでじゃなくて、この街灯は? さっき道を走っていた車は? 俺のイメージしていた異世界とは全然合わないです」


「あー、そこは流石に驚くか」


 知ったような言葉を放つエレノーラ。


「あのね、全部魔法だよ。街灯に明かりを灯すのも、馬車も自動車を走らせるのも魔法の力。正確には魔力と言ったほうが正しいかしら。ほら、あっちにもあるでしょ、電力? だったっけ」


「それじゃあ、こっちも当たり前のように自動車を使ったり電化製品を使ったりできるってことですか?」


「ちょっと違うのよね。魔化製品はいろいろとあるけれど、いろいろと高額だからおいそれと使えないの。何より、魔力を『買う』金額がかなりするから、個人が魔力を買っていろいろできるのは金持ちだけ。あとは企業が買うくらい」


「でも、こんなに進んでいるとは思いませんでした」


「大抵の人がそんなこと言うのよね」


 エレノーラは将斗の言葉にそう返すだけだった。聞き慣れた言葉だったのだろう、とくに触れることはなかった。それから左を見て、かと思えば右に歩き始めた。


 右も左も分からない将斗はエレノーラについて行くほかなかった。

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