魔法はバッチである

 社長から異動を告げられたとき以来、頭の理解がずっと追いついていない気がする。


 将斗はエレベーターの中で隣のひょこひょこ動く耳を横目に思い返した。異常なほど辺鄙な場所で、移動手段はタクシーや徒歩でなく馬車で、建物の中にいるのは人間じゃない存在。人という言葉を使ってもよいのか迷ってしまっていた。


 少なくとも、目の前の麗人は人と呼んでよさそうだった。


 エレベーターで新しいフロアに到着すると、正面には鉄のドアがその先を塞いでいた。右手側にも廊下が伸びているようだが、案内役はためらうことなくドア横のカードリーダーに手のひらをかざした。


 短い電子音の後に扉を開ければ、そこに広がるのは開発エリアなのだろう、デスクが規則正しく並んでいた。何人? かがパソコンで作業をしている様子だった。半分ぐらいは明らかに人間。ほかは、よく分からない。


 作業用のデスクが並ぶ一角を素通りして向かうのはフロアの隅っこ、壁にいくつものドアが並んでいるところだった。見た目は病院や大きなクリニックの診察室だった。扉の場所が均等でないところ、それぞれ大きさが違うのであろう。


 将斗は彼女に連れられて隅のドア、一番幅の小さい部屋へと入った。六人が入ればいっぱいになってしまうぐらいの大きさ。テーブルの上には大きな液晶モニターが用意されていた。


「さて、どこから話したものかね。とりあえず、こちらとしてのテストは問題なしね、あの場で叫ばなかったから」


 部屋の奥に当たるイスへ腰を下ろす長い耳はきれいに揃えた指で正面の席を勧めた。


「あの、いろいろ追いついていないのですが」


 よくよく考えれば目の前の日本人らしからぬ人物と当たり前に言葉をやり取りできていることもおかしい気がする将斗だった。


「あの状況で『追いついていない』で済むのなら十分すぎる。私はエレノーラ。アーフリー村のエレノーラ。ここではアーフリーを名字にしている。あなたの上司よ」


「都賀です。都賀将斗」


「それじゃあ――ええと、私というか私達は名字を使う文化があまりないから、下の名前で呼ばせてもらうけれど。将斗、まずはこの支社について説明しなければ。どうせ社長からは聞かされていないのでしょう?」


「はい、変なことを聞かれたぐらいです」


「まったく、あのじじいめ」


 腹の底から湧き上がる声色で毒を吐いたエレノーラ。将斗相手には口調をもとに戻して説明を始める。


 言うに、この部署、いや、支社は特別なお客を相手にするための場所。相手にするお客は遠い地の方々だとか。日本はもちろん、アジア・アフリカ・ヨーロッパ・アメリカでもないと。そもそも、エレノーラに将斗の知っている国や地域の名前を言ったところでピンときていない様子だった。


「まあ、じじいに見初められたのであれば、『異世界』と言えば思い当たるんじゃない?」


「いせかい」


「そう、異世界。私達にとってはこっちが異世界だけれど、それを言い始めたら収拾つかないから。将斗は私のもとでヴァイセルンのいろいろなシステム開発に入ってもらう」


 将斗の頭は何も受け付けなかった。拒絶以前である。人間というよりもエルフと言ったほうのよい人物が日本の地でまじめに異世界について話しをしているのだ。不安だった気持ちも追いつかない理解もすべて吹っ飛んでしまった。初期化されてしまった。


 エレノーラは将斗がフリーズしていることも気にかけていなかった。気づいているかも怪しかった。中空に黒い何かを出現させて、そこへ手を突っ込んでいる。そのことに目を向けていたのだから。


 黒い、空間に開けられた穴のようなそれから引き出されるのはノートパソコンだった。


「で、そのヴァイセルンについて軽く触れておきましょう。ざっくり理解でも、いや、ほんのちょっとの理解でまずは十分だから」


 端末を開いてケーブルを繋げば大きなモニターに絵が表示された。大きな文字で書かれている中についさっき聞いた言葉があった。右下、緑色のエリア。その左より、色の感じからして沿岸部であろう、そこに星印がつけてあった。矢印をつけて『本局』と。


「私達が住む世界のざっくりとした地図。本当はもっと細かくナニナニ領とかあるけれど、そこは今回置いといて。私達ヴァイセルン支社は名前通り、ヴァイセルンを拠点としています。ここは日本とヴァイセルンをつなぐ拠点。もちろんヴァイセルン側にも拠点があって、こっちが日本局、あっちが本局。ここまでは分かった?」


 将斗は反応できない。


 フロアの雑音が会議室に漏れ聞こえる。


 エレノーラは耳を将斗の方に向けて様子を伺うものの、目はノートパソコンのディスプレイに向けられたままだった。キーボードを叩いている所、別の作業も並行して行っているのか、はたまた、返事を書いているのか。


 耳がかすかに動いた。


 エレノーラが目を開ければ、モニターに目を向けて呆然としている将斗の姿を目の当たりにするのである。口も閉じられていなかった。


「ああ、理解が追いついていないか。将斗、おうい」


 声をかけると同時にテーブルをノックした。将斗は肩をびくりと強張らせてエレノーラを見た。その目はまんまる、猫のようだった。


「ご、ごめんなさい。いろいろとびっくりしてしまって」


「いきなりこんなことを言われても戸惑うのは無理ないわね。私がじじいから説明された時は思わず胸ぐらを掴んでしまったし」


「そんなことしたんですか。ジジイってさきほどから言っているのは社長のことですよね?」


「昔の話。ちょっとした因縁があってね。とりあえずどこまで理解できた?」


「胃世界で仕事をする、ということなら」


「なら大丈夫でしょう。今日は後いろいろな設備の説明で終わっちゃうから、具体的な仕事の話は明日からね」


「でしたら確認したいことが。ウチはシステム屋だと思うのですが、ヴァイセルンで何をやるのですか。異世界というと、システムやプログラムが動くような環境と思えないのですが」


「あっちではシステム開発をするのよ。当たり前じゃない」


「そんなに技術が発達しているのですか」


「それはちょっと違うかな。私達は魔法を開発する。魔法でシステムを開発する」


「はい?」


「別に難しいことじゃない。早い話『魔法はバッチ』。JavaかC#で作れる。もちろん『画面のある魔法』だって。システム開発の経験はあるのでしょう? ならそんなに変わらない」


 JavaもC#もプログラム言語である。将斗にも耳に覚えがある用語だった。なにより異動する前まで携わっていた仕事はJavaで作る大きなシステムの新規開発だった。どちらもシステム屋をやっていれば今どき聞いたことがある。


 でも。


 将斗ははじめてその言葉を聞いたかのように固まっていた。頭の中は真っ白だ。何もなかった。何かあったところで、将斗にはそれが何かを理解できる状態ではなかった。いわば将斗は壊れた。エレノーラの言葉があまりにも理解できなくて思考できなくなってしまった。


 魔法を開発する。


 システム屋の平社員をバグらせるには十分な言葉だった。

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