ド田舎支社は首都への入り口

置いてけぼり

 コレは一体なんなのだろう。


 頭の中が電車の中から追いついていなかった。駅の前に馬車が停まっているなんて序の口だった。馬車に御者が必要だってことぐらい現代人の将斗でも知っていたが、御者席には誰もいなかった。なのに、客車に入ればすぐに馬が動き出した。


 暴れているような揺れ方はしなかった。窓から外を見れば、ちゃんと道なりに走っている模様。


 で、三時間も揺られる。


 三時間も! 電車で揺られる時間と同じ時間を馬車で揺られるのである!


 草原、林、森、田畑、林、草原、林。窓から見える景色はとにかく緑まみれだった。何より恐ろしかったのが、民家や店のたぐいがまったくない一本道であること。社長の言葉が脳裏に浮かぶ。『生活には困らない』。どう考えても生活に困る。自給自足しなければ生活に困ってしまいそうだ。


 気持ちばかりのクッションがついた程度の座席に三時間もいれば、腰も尻も痛くて仕方がなかった。途中休むこともなく、馬も一切ペースを落とすことなく。馬だと思っていたものはもしかしたらロボットの類かもしれなかった。


 さて、と。


 緑ばかりの光景だったのが、急に人工的なトンネルに入った。ごく短いトンネルだったらしく、暗がりになるのは一瞬だった。暗がりに目が慣れる暇もなく、目の前に広がる光景にはつばを飲んだ。


 トンネルを抜けるとそこは、アスファルトの道路だった。コンクリートの色だった。自然に埋もれるような光景が一点、まるで文明がそこにあるかのような景色が車窓に広がっていた。ビルも建っている。微妙に汚れている所もあり、少なくない期間を経ている様子だった。


 馬車はしだいに速度を落としてゆく。


 何より、人が一人歩いていた。電車を降りて――そう言えば電車の中も後半はほぼ一人だった。電車に乗っている道半ばからずっと一人、馬車に乗ってからも人の影すら見ることがなかったのに、生身の背広が歩いているのだ。


 馬車が停まった。


 窓の外にはちょうど建物の自動ドアが見える。自動ドア! ドアトゥドアでピッタリとつけたらしいが、目の前の文明に将斗はある意味安心した。えらいところに放り込まれてしまったと思ったが、現代らしいものを目にするとまともに感じられた。


 ぬるりとドアが開き、電気が通っていることも伝わってくるが、将斗の目は別のものに奪われていた。


 男装の麗人という言葉がすぐに浮かんだ。女性用のパンツスーツを着こなすのは細身の女性だった。ただものならぬ雰囲気を匂わせるが、一番目につくのはネクタイだ。首元まできっちりと締められたそれには彼女の性質をはっきりと示しているようにも感じられた。


 強い。次に浮かんだ言葉がこれだった。


「あなたが新しく配属された子ね。とりあえず外では何だから馬車から降りて。中を案内しよう」


「あ、はい」


 りんとした女性の声に将斗は呆けるような返事しかできなかった。はじめて味わう感覚だった。ただ言葉をかけられたのは分かっているつもり、けれども普通ではない力が宿っているようだった。圧と言うべきか、あるいは、気迫なのか。全身を押されているような感覚に支配されていたのである。


 自動ドアのモーター音に将斗が正気を取り戻す。置いていかれることを認識した彼は慌てて馬車を降りて背中を追った。細いはずなのに、ことのほか大きく見える背中。背後の馬車が人知れずUターンしていることには気づいていなかった。


 建物の中は程よかった。しいんと静まり返っているわけでもなく、誰かが打ち合わせをしている声が聞こえたり、どっと笑い声が湧き上がったりしている。出入り口は吹き抜けになっていて階段や休憩スペースが見えた。


 犬?


 ガラス越しに見えるテーブル、イス。将斗は目をこすってもう一度同じところを見上げた。犬――なのか? 顔だけが犬のような姿だった。何かイベントでもしていて、かぶりものをしているのだろうか。いや、しかし。将斗は店でよく売られているビニール臭いかぶりものとは思えない毛並みに手がウズウズしてくるのだ。


 明かりに照らされた毛並みはなめらかに輝く。高級な生地にあるような、夢見心地の感触を想像させる。ただ見ているだけなのに指先にはさも実際に触れたかのような感覚が生まれるのである。


 それが犬の顔のままペットボトルをあおった。口を開けて。かぶりものなら発生するたわみもズレもまったくない。飲み物を飲んだ。それだけの行いに強烈な違和感を覚えた。


 その違和感がまるでドミノ倒しのように広がってゆく。目に入る人々の姿。決して多いわけではないが、しかし、『主張』は激しかった。


 頭から角が生えている。


 下半身が馬のような。


 あ、普通の見た目の人がいる。


 将斗を先導して歩く男装の麗人。彼女の耳は、細長く尖っている。時折耳の穴をこちら側にぐるりと回していた。

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