第2話

第二話


金木龍輝の朝は早い。

両親が死んでからと言うもの毎日、料理や洗濯、掃除をこなして働きに行っている。

保護者としてもしっかり栄養を取らせて、もう二度とあの日を繰り返すことがないように真面目に生きなければならない。

ジュージューと音を上げて、香ばしい香りがしてきた。

それと同時に階段の軋む音が聞こえてきた。どうやら起きたようだ。

焼き上がったソーセージを卵焼きの乗った皿に移して二人分を作り上げる。

キッチンのすぐ目の前にある食卓に皿とご飯をよそった茶碗を置く。何か足りないなと思い味噌汁も並べた。

やっぱり、朝は味噌汁がないと始まらない。

そこにカルシウム摂取のために牛乳を置いて朝ご飯は完成だ。

大きな熊のぬいぐるみを引きずりながら水玉模様のパジャマを着てウトウトしながら歩いてくる柚崎に「おはよう、顔は洗ったか?」と問かける。

「おはよー…洗った」

普段より覇気のない声で答えてから真っ直ぐ食卓の椅子に座った。

「これ食べたら、捜査あるんだからな」

「わかってる…」

「ならいいけど…」

金木も柚崎の前に座った。そして、二人同時にいただきますと言った。

まずは、卵焼きに手を出す。塩コショウが効いていて美味しく焼けたなと思う。

目の前を見ると茶碗を持ちながら半分眠りに落ちている柚崎がいて、ため息をついた。

昔から柚崎は朝が弱い、それでも最近はマシになってきてこの有り様だ。

「ほら!恵斗、寝るな」

時々声をかけてやって眠りから引きずり戻しながら朝食を終えた。食べ終わった食器を台所へと持って行き水につけてから、食卓を真っ直ぐ抜けてリビングのソファを見ると、ぬいぐるみを抱きしめて眠りに落ちている柚崎がいた。

優しく肩を叩くが起きそうにないので、持ち上げる。そして二階の突き当りの部屋のベットに捨ててキッチンへと戻った。

ああいう所はまだまだ子供だなと思う。

柚崎は魔力持ちとばれてしまっているので高校には通えなかった。それでも中学までは通い、独学で法律や体術を身に着けた。それだけの度胸は金木にはない。

両親に愛されて平凡に育った金木は、魔力犯罪刑事課のエリートであった両親から様々なことを教わった。

柚崎はまだ幼かったので何も教わることもなく、金木の両親が他界した。

ただ、一つ残された「差別を無くしたい。そのためには魔刑でまず実績をつけること」という言葉を実現するために魔力犯罪刑事課に二人で入った。青柳は金木の両親の後輩だったので二人のことを良く知っている。たまに青柳の方からその話をしてくれることがある、それが何よりの楽しみだ。

食器の全てに洗剤をつけジャーと音を上げながら流していく。

家に帰る頃には全て乾いているだろうことを信じて乾燥箱に置いた。

一階の奥にある自室にこもってスーツへと着替える。その後、青い薔薇の警察手帳を持って魔力を込めると魔力犯罪刑事課という名前が青い薔薇の上に浮かび上がってきた。

そして、青い薔薇の下の方に金木龍輝と出てこれが自分のものであることを確認した。

たまに寝ぼけた柚崎が隣同士に置いて間違えて持って行ったりするので油断は禁物だ。

自身の魔力を入れることで本人証明が出来る警察手帳は他者の悪用を防ぐ意味がある。

それを知らずに盗んで行った犯人を炙り出すのにも使えるので凄く良い物であった。

もう流石に起きているだろう柚崎を求めてリビングへと出れば、クリーム色のスーツを着込んだ柚崎がソファに座っていた。

先程とは違い、完全に覚醒している。

「早く行くよ、うちには車がないんだから」

「わかってるって」

署まで徒歩30分で着く距離に家はある。両親の世代からずっと車を使わずに生きている。

玄関から外へ出れば、晴天とは程遠いどんよりとした雲が空にかかっていた。

「ー…穴ボコくんだ」

柚崎は曲がり角を見ながらそう言った。

ー…確かに何か覗いている。

角からおっさんの足が見える下半身だけを出して穴ボコくんらしきものが覗いている。

「ー…なんでこんな所に?」 

「ああ、穴ボコくんの中の人知り合いなんだ」

そう言って何もなかったかのように歩き出した。

「知り合い、なのか…」

「うん」

何とも言えない気持ちになりながら、署へと向かった。

署内の魔力犯罪刑事課には青柳以外誰もいなかった。

「他の人は?」

「もう出ちゃったのよー、あっ、そうそう貴方達にこの子に話し聞いてきて欲しいんだけど」

この子と言いながら写真を見せてくる。その写真を二人で覗きこめばそこには穴ボコくんが映っていた。

「この子って、穴ボコくん?」

「そう穴ボコくんよ」

「なんで?」

柚崎の顔面に写真を押し付けながら、金木を見て言った。

「ねえ、聞いてよ。川内くんがねぇデートしてくれるのよぉ」

「へー良かったですね。それが穴ボコくんとなんの関係が?」

「わからないの?」

「分かりません」

うーんと顎に手を当てて悩みながら、自身のデスクで別の資料を漁る。

あっと声を出して目的のものを見つけたようだった。

紙を持ち出してきて、金木の顔面に押し付ける。

それを離して見れば、水族館穴ボコショーと書かれていた。

説明書きを見れば、水の中で穴ボコがイルカみたいに演じるらしい。

一体こんなものを誰が見るというんだろうか、いやいる。九重みたいな奴が絶対いる。 

「で、なんですかこれ?」

「今度の休日にデートで行くのよぉ、あっ、今日の二時からもやってるわよ」

「で、それが何の関係が?」

「わからないの?」

「分かりません」

先程と同じやり取りで返すと今度はため息をついた。

「あのね、昨日の遺体何だけど。美波ちゃんが遺体から情報を読み取った結果、穴ボコくんの知り合いである可能性が高いの。それで穴ボコくんから蒼井加奈子という女を知らないかと聞いてみて欲しいの」

「蒼井加奈子?」

「恵斗くん、貴方もうちょっと自分の頭を働かせたらどう?16歳にして天才と呼ばれた貴方なら出来るはずよ」

柚崎はムッとして先に出て行った。それを見届けてから青柳に声をかける。

「穴ボコショーの会場にいる穴ボコくんを捕まえればいいんですね?」

「そうよ、じゃあ頼んだわね、龍輝くん」

はい、と返事して柚崎を追いかけて外へと走った。

署から少し離れた所に柚崎はいた。軽く背中を叩いて存在を知らせるとムスッとした顔はしているもののこちらを見た。

柚崎は限界まで不機嫌になると、コチラさえ見ずにいなくなってしまう。

「で、どこ行くの?」

「穴ボコショーを見に行く」

「ふーん、あいつも大変だな」

俺には関係ないというように言う柚崎の隣を歩く。

「そう言えば、知り合いだって言ってたな。ー…おっさん何だろ?」

恐る恐るそう聞くと、柚崎は悪巧みをするかのようににやりと笑って言った。

「いや、そう思ってるなら確実に吃驚するよ。…まあ穴ボコくんは人前で脱ぐこと滅多にないけどね」

あの足でおっさんじゃないわけ無いだろう。心の中でそう突っ込んで水族館のゲートを潜った。

新・香織山水族館 (しん・かおりやますいぞくかん)はど真ん中に噴水が設置されていて、アトラクションは全て四つのゾーンに置かれている。

穴ボコくんのショーがあるのはイルカ・アシカ・ペンギンのいるアトラクションゾーンだ。

「あっち行きたい」

柚崎は深海魚のいる深海ゾーンに向かって行く、腕時計を見て、まだ11時であることを確認してまあいいかと思い柚崎を追った。

「ねえ、穴ボコショーって何時からかわかる?」

青いライトに照らされた水槽の前で黒い帽子を目深に被った男に話しかけられた。

「ー…二時」

無愛想に柚崎がそう返すと満足したように男は有り難うと言って去って行った。その男をよく見ていると金髪の女性の元へと走って行き、腕を組んで歩き出した。ああ、彼女かと冷めた感情で見てから柚崎を見た。

「ねえ、あれのぬいぐるみ欲しい」

そう言って柚崎が指指すのは提灯アンコウ。あんな物のぬいぐるみが欲しいのかと思ったのがバレたようで柚崎がこっちを睨んできた。

「お前の部屋に二度と塞がらないような穴を開けてやる」

「ほう?そんなことをしたらお前の恥ずかしい写真をばら撒いてやる」

二人同時に顔を合わせてにやりと笑って殴りかかろうとするが周りの視線に気がついて手を下ろした。

「提灯アンコウ…」

名残惜しそうに見つめている柚崎に「買ってやるから早く来い」と言って軽く頭を殴れば、嬉しそうな顔をして「うん!」と言った。


提灯アンコウを大事そうに抱きしめる柚崎の隣に座って、イルカショーのステージを見た。

ここで穴ボコショーも行うらしい。意外と穴ボコショーを見に来る人は多く、大半の席は埋まっていた。

気付けば後ろに例のカップルの男の方だけがいて別れたかやった!と思った。

「悪い顔してる」

柚崎にそう声をかけられて自分の顔を触った。

「見て、穴ボコくん。ー…あいつ取り調べても何も出ないと思うけど」

水の中に浮かんでいる穴ボコくんを見て、いつか見た海に浮かんでいた死体を思い出した。

しかし、あれをショーにしてしまうのがこの国の恐ろしい所だ。

「あああああ!穴ボコくんッス!!最高ッス!」

どこからか聞き覚えのある声が聞こえてその声の主を目で探せば、最前列のど真ん中で立ち上がっている九重がいた。

「あれ、九重。仕事サボってない?」

「やっぱり、そう思うよな…」

呆れた顔をして九重を見てから、穴ボコくんに視線を移す。気付けば穴ボコくんはイルカみたいに飛んでいた。

びちょびちょに水を吸い上げた着ぐるみは異常に重そうだ。

流石に見兼ねたらしいスタッフが現れて穴ボコくんを回収して行った。

穴ボコくんの衣装替えの時間なので暫くお待ち下さいというアナウンスが入り、九重も席に座った。

暫く待っているととても見慣れた遺体のような物が浮かび上がってきた。先ほどと同じ穴ボコくんに違いないと信じ大人しくしているが、後ろから聞こえた悲鳴でそれな穴ボコくんではないと知った。それと同時に他の席からも悲鳴が上がり、観客は立ち去ろうとする。柚崎と顔を見合わせて、九重に近付く。金木は走ってスタッフルームからステージに出ようと動いた。

一般人がどんどんと外に出て行こうと押し合う中、一人の男、先程会ったカップルの片割れが前へ前へと出て来る。

それを不審に思いながらも先に九重に話しかけた。

「ねえ、九重。さぼり?」

「え!?なんでここに恵斗くんが…」

目を白黒させながら九重が弁解しようと頑張るが、全てを見透かしたような目で九重を見つめてやれば、観念したように手を上げた。

「ねえ、九重。サボってないって言うなら…青柳さんに電話して殺人事件だと伝えてくれない?」

「え!?」

「出来るよね?」

そう言って威圧してやれば、頑張るっすと言って走り去って行った。そして、隣に立つ男に声をかける。

「あの人、あんたの知り合い?」 

「ー…恋人だよ、さっき振られたから元恋人だけど、本当に死んでいるのか?」

「ー…残念だけど」

恐る恐る聞いてくる男に反射的にそう返すと男は鳩が豆鉄砲された顔をした。

「君、見たところ若いようだけれど死体は見慣れている様子だね」

「そういうあんたこそ、元彼の割に驚いてないみたいだね。普通は取り乱したり、叫んだりするのに」

「そうかな?驚いているよ」

「にしては、随分と落ち着いているね。あんたの方こそ死体に慣れているみたいだけど。ー…もしかしてあんたが殺したの?」

そう問いかければ男は急に大笑いを始めた。頭おかしいんじゃないと呟いて嫌そうな顔で男を見た。

「いや、まさか殺したのと聞かれるとは…随分と大胆だね」

「で、どうなの?」 

「殺したのと聞かれてはい、そうですと答える奴はいないよ。でも俺は殺していない、死体に慣れているのは元刑事だから。で、いつだって俺の大事な者が死ぬことは想定していたから、いやこれでー…三度目だから悪い意味で慣れてしまったようだ」

男はそう言って目を伏せた。慣れた自分に悲しんでいるのか、元彼女について悲しんでいるのかは分からなかった。

「元、刑事」

「うん、そう。青柳や川内と同期」

「へぇ」

「あれ、驚かないんだ」

具体的な名前を出しても分かると踏んで男は言ってきたらしく、何故名前を出せるのか驚かなかったことに疑問を持ったようだ。

「あんた、金木事件の時の担当刑事でしょう」

確信を持ってそう言い切れば男は驚いたようだった。 

「ー…金木事件の時に犯人を取り逃がしてクビになった刑事」

男がごくりと息を飲むのが聞こえた。

「いたよね?」

そう続ければ男はホッとしたように胸をなで下ろした。もちろん、柚崎が気付いていないわけではない。しかし、これ以上やると金木にバレた時に大変だと思い止めた。

「じゃあね」

柚崎は男から離れて、金木の元へと向かった。

同時刻

プールに浮かぶ死体を確保する為にスーツ姿のまま泳ぐがスーツは水を吸い上げてどんどん重くなって行く。

金木はこの時、穴ボコくんの気持ちになった。

必死に藻掻いていると声がかかり隣を向く。

「あれ、金木サン。何してるんッスか?危ないッスよ」

水の上に立ってこちらを覗き込んでいる九重にああ、そう言えばこいつがいるんだった…と思った。

「ー…じゃあ、戻るわ。遺体はお前が一人で持って来い」

「ええ!!一人ッスか!?」

九重の声を無視して陸へ上がると、穴ボコくんがこっちを見ていた。

「穴ボコくん?」

声をかけると何かを投げ付けてくる。それを受け取って見れば穴ボコくん、もう穴だらけと書かれた穴ボコグッズのティシャツとおっさんの足がプリントされた短パンだった。

おっさんの足って、デザインなのかと思ってセンス悪と思った。

濡れたままのスーツで中に入るなという意味だと受け取り、仕方なく着替える。

丁度着替え終わると柚崎が辿り着き、金木の姿を見て大爆笑した。

遺体を連れてやってきた九重にも爆笑されて二人を全力で殴った。

するとまた文句を言おうとした柚崎だが金木の姿を見て笑った。

「ああ、そう言えば穴ボコくん有り難う」

角の方からこちらを見ている穴ボコくんに御礼を言うとスタッフルームにさっさと入って行った。

「穴ボコくん、シャイだから」

柚崎がそう言うが、シャイなおっさんが中身か…と思うととても気持ち悪く感じた。

「佐伯ちゃんほどじゃないッスけど、金木サン情報を読み取ったりできるっすよね?」

「出来るけど…位置情報とか読み取っちゃうよ?」

「位置情報はまあ…要らないっすけど。この人の名前さえ分かればいいんでお願いっす」

「俺は何すればいい?」

「あ、提灯アンコウのぬいぐるみを置いてくるといいっす」

そう返せば柚崎はスタッフルームへと後退して行った。その間に遺体に触れて情報を読み取る。

流れてくるのは現在地と住所と名前。

遺体から手を離せば全て見えなくなり、力が出ていないことを確認した。

「ー…蒼井加奈子?あれ、これって…」

「え!それって…前の遺体の名前ッスよね」

もう一度遺体に触れて情報を読むが蒼井加奈子という名前が出てきた。

「この人も蒼井加奈子だ」

「ー…そして、また全身の血だけが抜かれているみたいっす。損傷はないッスよ」

九重の言葉に前回の殺人を思い出す。

蒼井加奈子、全身の血だけが抜かれている。同一犯だと見て間違いはないだろうが、どうして二人共同じ名前なんだろうか。

「加奈子…かなこ?どこかで聞いたんだけど思い出せないな…」

「思い出せないだけなら夢澤さんに探ってもらったら?」

「夢澤触り方がいやらしいから嫌」

「あー…でもそんな単語、恵斗くんが言う方がいやらしいッスよ」

九重の言葉に柚崎が睨みつける。「そんなに睨まないで欲しいッス…」と言って遺体に視線を戻した。

「つか、恵斗いつ戻ったんだ?」

金木がそう問いかけると柚崎はそれを無視して、遺体に近付いた。

「この人、りゅうの嫌ってたカップルの片割れらしいよ」

そう言いながら観客席にいる男に指を指す。

「あれ、あれって…」

九重が呟いたあと、観客席にいる男がこっちを見た。

「ー…何であいつがここに…」

「川内さん?ー…もうついたんですか?」

「ああ。それよりも遺体の様子は?」

川内は遺体に近付いて、もう一度観客席にいる男を見た。

「この間と同じです。ー…名前さえも」

金木が川内にそう説明すれば、川内は眉をひそめた。

「とりあえず、お前ら二人は穴ボコくんを捕まえて話を聞いてこい。場合によっちゃ連行しろ。ー…九重はここに残れ、青柳さんからサボりの報告は聞いている」

九重は唐突に土下座して、こちらに助けを求めているが、柚崎はそれを無視して穴ボコくんを追う。角から見ていた穴ボコくんは柚崎が近付いてくるのを見て逃げ出した。

金木も柚崎を追ってその場から出て行った。


息を乱しながら穴ボコくんを追う。どこにそんな力があるんだというぐらい穴ボコくんは動きが早い。

水族館から出て、曲がり角の多い地区へと出られ穴ボコくんを見失う。

息を整えている金木とは別に柚崎は穴ボコくんの行きそうな場所を探していた。

「分かりそうか?」

金木が問いかけると柚崎は歩き出す。

無言で歩き出した柚崎を金木は追いかける。

「あいつが変わっていないならきっとここへ来る」

そう言って四方向に道がわかれた交差点で足を止めた。

「随分と仲がいいんだな」

「全然」

首を横に振る柚崎を見てどこがと思う。

「昔の知り合いだったか?どんな奴なんだ?」

そう問いかけるとうーんと首をひねってから思い出したように言う。

「スルメが好物」

おっさんらしいな。本当に足もおっさんなら中身もおっさんかと残念に思った。

「後、元陸上部のエースだったはず」

「だから、あんなに足早いのか」

すぐに納得するが、それなら早く言えと思った。

どうやらそれに気がついたらしい柚崎がこっちを睨みつけた。しかし、すぐに表情を変えた。

そうすると金木の後ろの壁が崩れ落ちる。

「お前なら分かってるよな、俺の力。今度はお前を狙う」

壁の向こう側にそう言うとひょっこりと穴ボコくんが顔を出した。

「酷いよー」

穴ボコくんの中の人はとても若々しい声を出した。おっさんなのにおっさんじゃない、のか?と疑問を抱くがそれも次の言葉で潰された。

「何年ぶりだっけ、五十?四十?」

「知らない」

柚崎の年齢から50、40を足したら最低でも56はいっている。

「穴ボコくん、お前蒼井加奈子知ってるな?」

「知らないわけないだろう。蒼井加奈子はもう一人の時間をいじれる人間だ」

「時間をいじれる?」

「ああ、穴ボコくんの中の人魔力持ち」

魔力持ちで時間をいじれる人間、つまり自身の体の時間をいじってどんな年齢にも見せることが出来るー…と、どこかで聞いたことがある。

「で、なんで二つの事件現場にいたの?」

柚崎が問いかければ穴ボコくんはもじもじし始めた。

「もしかしてお前が犯人?」

ずばりと聞く柚崎に驚く。普通聞くか?と呟けば脇腹を容赦なく殴られる。

脇腹を押さえて蹲っている金木を無視して柚崎は話を再開した。

「犯人って聞かれて犯人と答える奴はいないよ、俺は犯人じゃない」

「そう、同じことさっき言われた。で、蒼井加奈子って何人いるの?」

「は?」

唖然としたような声を出して穴ボコくんは首を振った。

「何人って、蒼井加奈子は一人だろう?」

「俺達だってそう思ってたよ。でも、水族館の遺体、アレの名前も蒼井加奈子。その前のお前が居た殺人現場も蒼井加奈子」

「は?嘘だろ」

手を体の前に出して左右に振った。穴ボコくんは訳もわからずに同じ場所をぐるぐると回って、手をばたつかせている。

そんな穴ボコくんを見ていた柚崎は呆れたようで溜息を吐いた。

穴ボコくんが何をしたいのか理解出来ない金木は助けを求めるように柚崎を見つめた。

「穴ボコくん、の中の人パニックになると奇妙な動きをする。昔から変わらない」

柚崎の説明を受けて、あれ?と思う。

「てことは、穴ボコくんは蒼井加奈子が二人もいること知らなかったのか…?」

「さあね、あれは自身が犯人だとバレたから焦っているのかも知れないし」

そう言いながらこちらに手を差し出してくる。その手を受け取って立ち上がる。

すると突然ぐぎゅるるるという音が聞こえた。その音に穴ボコくんの動きが止まる。

「お腹空いた…」

道の真ん中にしゃがみこむ穴ボコくん。その後ろに壁の残骸が見えて危機感を覚える。

「井沢呼ばなきゃ」

柚崎がおもむろに携帯を取り出すが、それを止める。その動作で言いたいことが分かったようで、ああと言いながら携帯をポケットにしまった。

「穴ボコくん、蒼井加奈子のこと答えて」

柚崎が今までより優しく言う。しかし、穴ボコくんは気がついていないようで下を向いたままお腹空いた…お腹空いた…と繰り返している。

今までの動きを考えて当然だろうと思うが、柚崎は容赦ない。穴ボコくんを蹴りまくっている。いくらきぐるみを着ているからと言ってあの柚崎の力で蹴られていては痛いだろう。

御愁傷様と心の中で唱えた。

「ほら、早く」

蹴り続ける柚崎のことも大して気になってはいないらしく未だにお腹空いたと繰り返し呟いている。

「駄目だな…、穴ボコくん、りゅうがご飯作ってくれるって」

蹴り続けながらもそう声をかけているのを聞いて、いつ作るなんて言った?と疑問に思う。

するとその言葉に反応した穴ボコくんが急に立ち上がって歩き出した。

「家帰るよ、穴ボコくんは俺達の家知ってる」

そう言ってから去っていく柚崎の背中を見つめながら、穴ボコくんって家に来たことあるんだ…と他人事のように思った。

誰の姿も見えなくなってから自分の置かれた状況に気がついて、走り出す。

「まだ、仕事中!!」

叫ぶ金木の背中を買い物帰りのおばさんが見ていた。そして、崩れた壁に気がついておばさんは卒倒した。

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