第22話 救いの電話
「……
「え、いや、その」
ありすの問いかけに何と答えていいものかわからずに、僕も少しうつむいてしまう。
そりゃあ興味がないって言ったら嘘になるだろうけど、誰でもいいからとは思わない。どうせならそういうのは好き合っている相手がいいと思う。
ありすは確かに可愛いし、短いつきあいではあるけど、一緒にいて楽しいと思った。ひまわり畑でみた彼女は、どこか儚い感じがして、どきどきと胸が高鳴ったような気がするけれど。
この質問に「はい」と答えてしまってはいけない。僕は強くそう思った。
なのにありすはそんな僕をとがめるかのように、さらにゆっくりと言葉を続けていた。
「……謙人さんがしてみたいなら……私と、その。……
うつむいた顔のまま告げるありすの言葉に僕はさらに言葉を失ってしまう。
ありすは一体何を言っているのだろう。言っている意味がわかっているのだろうか。
年頃の娘が簡単に口にしていい台詞じゃないよ。そう思うのだけど、それすらも言葉にならなかった。
僕の心臓が激しく音を鳴らしている。
この音がありすにも聞こえているんじゃないかと、気になって仕方なかった。
はいと言ってしまったらそうなってしまうのだろうか。でもそれは僕には出来ない。
してもいいことと悪い事の分別くらいはついているつもりだ。
だけど素直にそう答える事もできなくて、僕はただ息を飲み込む。
「そ、そういうのは。好きな相手とした方がいい……んじゃない……かなぁ」
何とか絞り出した言葉に、今度はありすは息を飲み込む。
ありすにも思うところがあったのだろう。少しだけためらいがちに小さな声で答える。
「そう、ですよね。私はあかねちゃんみたいに大きくないですし。私じゃあそういう気持ちにはなりませんよね」
沈み込むような声で告げたありすに慌てて声を上げる。
「い、いや。そういうことではなくてね」
ありすが対象外だなんて事は思ってはいない。ただまだそこまでの関係ではないと思うだけだ。いや、ありすは可愛い。その。正直にいえばしてみたい気持ちはある。あるけれど。
でも僕はまだありすの事を知らなくて。そのためにはもっと知る必要があって。だから僕はまだ触れてはいけなくて。
だから。
「だから、その。まだ早い。かなぁ。なんて。思うんだよね。ありすの事は嫌いじゃないけど。昨日、今日出会ったばかりで、そういうのは。良くないかなぁ。って。思う。んだけど。ね。うん。そうだよ。そう思う」
途切れ途切れに言葉をこぼすと、僕は何を答えていいものか完全にわからなくなっていた。
ありすへと視線を向けると、ありすは素肌をかなり覗かせている。そして大きなTシャツにくるまれた姿は見方によっては、シャツしか身につけていないようにも見える。
それが僕の心を余計にかき乱していて、心を落ち着かせようと息を吸い込む。
「私の事、嫌いとか、嫌とかってわけじゃあないんですか?」
ありすは上目遣いで僕をのぞき込むように見つめていた。
ただその瞳はどこか寂しげで、悲しい色を携えていて。ありすにしてみれば勇気を出してみた言葉を拒絶されたように感じたのかもしれない。
「うん。まぁ。嫌いじゃないよ。一緒にいて楽しいと思うし、ありすは可愛いし。その。けっして嫌ではないんだ。だけどね。出会ってすぐっていうかね。だからね」
「出会ってすぐじゃなかったらいいんですか?」
「いや、うん。そうかな。そういうことになるかな。そうかもしれないなぁ」
僕はもうありすに何を答えているのかも、自分でもわかっていなかった。
ただもう胸の鼓動が酷くて、それ以外の音がみんな消え去っていて。
ありすの言葉も半分しか耳に入っていなくて。
何をどうしたらものかもわからなかった。
「それなら私は――」
ありすが何かを告げようとした瞬間だった。
トゥルルルルルル。
僕のスマホが大きく音を立てていた。
助かった!?
なぜかそんな事を思って、慌てて電話を受ける。
「はいはいはいっ。四月一日謙人ですっ」
普段言わないような感じで電話に出てしまう。案の定電話の向こう側から訝しむ声が漏れ聞こえた。
『謙人。どうしたんだ。ずいぶん慌てているようだけど』
電話の主は兄だった。もっとも僕に電話をかけてくるのは、ほぼ兄以外にはいなかったから、初めからそうだとは思っていたけれど。
「あ、うんっ。うんっ。何でもないよっ」
『そうか。まぁ、それならいいんだが。それで今はどこにいるんだ。何回も電話したんだけと、やっと電話がつながったよ』
「ああ。うん。このへん電波悪くてね。まだ猫鳴村にいるよ」
『まだそこにいたのか。意外だな。そこにいても何もないだろう』
兄の言葉に僕は思わず首をふるう。
電話なのだから見えるはずがなかったけれど。
「いや。まぁ、何もないかもしれないけど。村の中は案外居心地がよくてさ。もう少しこの辺にいるつもり」
『そうか。まぁ元気なら謙人の好きにしてくれていいんだが、でもさすがに野宿は大変じゃないか』
「ああ。うん。人の家に泊めてもらっているから、問題ないよ」
『うーん。まぁ誰に迷惑かける訳でもないだろうが、あまり感心は出来ないな。でもまぁ謙人も自分のルーツを知りたいと思うのも当然か』
電話の向こうで兄が一人納得したように告げていた。
昼間も確かに兄は同じ事を言っていたと思う。自分のルーツを知りたい。僕にはそんなつもりはない。だけど兄がそう思うだけの何かが、この村にはあるというのだろうか。
「それ昼も言っていたけど、どういうこと。自分のルーツって」
『うん……? もしかして知っていて猫鳴村に向かったんじゃないのか。そうか。まぁ謙人はまだ幼かったから、覚えていないんだな』
兄は一人納得したように声を漏らす。
「どういうこと?」
『亡くなったじいさんはこの村の出身だし、俺達の両親だって小さい頃はこの村で育ったんだぞ。謙人だって、そこには一回は遊びにいった事がある。一面のひまわり畑を見て感動してたんだぞ、お前は』
兄の言葉に僕は声を失っていた。
おじいちゃんや父さん母さんがこの村の出身。つまりここが故郷だという。
もっともおじいちゃんとは数えるほどしか会った事はない。僕が物心つくことにはすでにかなりの高齢だった。だからおじいちゃんと会った記憶はほとんどが病院での記憶だった。
どこかで見たひまわり畑の記憶。だとすればそれは昼間にありすが見せてくれた風景と同じ場所だったのかもしれない。
思わずありすの方へと振り返る。
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