第8話 茜色の王都

 晴天の一日が終わりを告げようと空にうっすら茜雲を広げ始めた頃、下町の一角から黒い煙が立ち上がった。その後しばらくすると黒煙を追いかけるように空と同じ色をした炎が燃え上がった。


 この時間は多くの家が夕食の支度を始めている。その支度の為に料理をする者達が普段から当たり前に使っている火気を呼び込むための魔道具があちこちの家で作動していた。

 そこに突然に燃え上がった炎が近場にあるそれらの道具に引っ張られるようにして四方八方へと広がり始めた。それはまるで先程まで空に見えていた茜雲が広がる先を下町へと変更したかのようだった。


 王都はここしばらく続いた晴天のあおりを受けて水不足気味だった。このような場合は平民街よりも他地区が優先される。その為この日も平民街の下町に流れる水路の水位はかなり下がっていた。つまり下町全体に水気が少なかったのだった。水気のない空気を楽しむように火気は逆に勢いを増し続けた。それによって水気を使う魔道具の効率がさらに悪くなり、住人達による消火作業に遅延が出てしまったのは不運としか言いようがなかった。


 燃え広がる炎から人々はもう逃げることしか出来なかった。いや、逃げられた者はまだ良かった。拡大し続ける炎の手が伸びる先にいた料理人達の多くは何が起こったのかを知ることもなくこの世を去ってしまったのだから。

 だが一度は炎から逃げられた者も全員が助かったわけではなかった。



 王都は王宮を中心としてまずは高位貴族街、次に下位貴族街が円状に外側へと広がる。そして下位貴族街の外側には商業区、平民街、工業区と順に続く。平民街の中でも工業区に近い地域を人々は下町と呼んでいた。


 王宮を除いたそれぞれの街や地区は高い壁でさえぎられているが一定の間隔で門が作られ出入り出来るようになっている。

 さらにそれらの壁に直角に交わるように作られた東西南北に向かう壁にも、普段は開放されたままの門がそれぞれの街や地区を4分割するように備え付けられている。それらの門は全て王都の防衛を考えられた頑丈な作りになっていた。


 大火事が発生し、その拡大速度に慌てた平民街の地区警備隊から緊急報告を受けた王宮からは迅速な指示が返された。それは平民街の南西地区を隔離するために平民街の南門と西門と、隣接街とつながる複数の門を閉じるというものだった。

 王宮からの指示を受け門は速やかに閉ざされ、逃げ遅れた者達はそびえ立つ閉じられた門を見て絶望した。

 拡大を続けた炎はまさに門が閉ざされ隔離された地区のほぼ全てを焼き尽くしたのだった。




 恐ろしい茜色の悪夢が去り、瓦礫と煤けた石畳が広がる地区では熱気が落ち着くのを待って調査が行われた。

 逃げ出せた人々からの聞き取りは彼らの精神にこれ以上負荷をかけないよう時間をかけて行われた。

 それらの調査報告は新設された災害担当部署へ逐一届けられた。複数の担当官がまとめた報告書は上司の王宮文官経由で宰相、そして国王の元へ届けられた。



 大火から一月後、王宮の大ホールに全ての貴族が招集された。

 そこでの報告内容は以下の通り。


 先の大火事の発生原因についてはまだ調査中だが、火事の炎が燃え広がった原因の一つが家庭で一般的に使用されている魔道具だったこと。

 さらに晴天が続いて水気が少なかったが故の消火作業の遅延が起こったこと。

 それらが重なったことによる炎の拡大速度の驚異について。


 報告を聞いた貴族達は青ざめる。自分達が治めている領地でも王都と同じようなことが起こる可能性があるのだ。


 他国にも書簡や人を送り同様の報告を行った。

 国の王侯貴族達や各国の王族のもとで勤める者は多い。特に箝口令が敷かれたわけでなかったのでこれらの情報は意外な速さで世間に伝聞されることになった。

 そして「魔道具の使用方法を再考するべき」という意見が上がるとそれに賛同する者が相次いだ。やがてその考えはいくつもの国をまたいで広がって行った。



 ◇ ◇ ◇



 複製が許され、さらには仕様が簡略化された魔道具は庶民の身近にあり既に生活の一部となっているものも多い。

 便利さになれた者はそれを失うことを良しとしない。

 それらを取り上げ規制しようとするのは国であり貴族だ。

 仕様が複雑だが安全で高価な魔道具は裕福な商人と貴族が独占している。

 魔道具の規制は簡単なものではない。

 不満を持つ者は必ず現れることだろう。

 不公平なこと、理不尽なこと、それらに耐えきれなくなった時、次に人々が取る行動はどのようなものになるのか。

 生まれてしまった小さな不満は火種となりいずれ弾けて拡散するだろう。

 そして拡散した火種はやがて大火になり燃え広がる。

 その炎が鎮まる頃、国かはたまたその時代の歴史は終止符を打つ。

 人の世は発展と衰退を繰り返す。


 栄枯盛衰


 繰り返されるそれを世界の『ことわり』を管理するは何も語らず眺め続けてきた。

 唯一関心を示すのは『理の文字』でささやかれる、選ばれた者達からの願いだけ。

 願いを聞き届けた先に何があり、何が起こるかには興味はなかった。


 想いや言葉はそのほとんどが消えるものだが文字は残る。

 しかし残された文字も炎に焼かれて消えるものだった。

 だから消えない文字、刻み込まれた『理の文字』に興味を持った。それをなした者にも。


 興味を持たれた本人もその妹もそんなことを知ることはない。

 その後も彼らなりにそれまでと変わることのない当たり前の生活を営んでいく。そしてその生活から生まれたあれこれが国の発展に貢献していくことになるのだった。

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